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1-1

 気がつくと俺は六畳程の和室の隅をぷかぷかと浮いていた。まるで水中を泳ぐダイバーのように。

 窓から夕陽が差し込む部屋には俺と同じ程の年齢の男子と、そのお母さんらしき女性が正座をして向き合い座っていた。けれど決して居心地のよい雰囲気ではなく、部屋全体にピアノ線が張り巡らされているような緊張感。

「お母さん、話しって何?」

 男子はいつもと違う母親の雰囲気を感じてか少し声が震えていた。母親らしき女性は返事も頷くこともしないで、ただずっと男子を見つめている。

 なんだこれは? まるで俺は幽霊にでもなって他人の家のプライベートを覗いているみたいじゃないか……そういや死んでしまったのか。というか死ぬと幽霊になるって作り話じゃなかったのか。

 死んでしまったことなんてこんな状態だと些細なことのように思えてくる。どこか夢心地な感覚は幽霊になって浮いているからなのだろうか。

「大事な話しよ。この間、わたしの顔が歪んで見えるって言ったわよね?」

「そ……うだけど、そんなの寝不足だったらなるだろ。別に普通――」

「普通ね……。ということはしょっちゅうその現象が起こっていたってことよね。いつから?」

「えっと、だいたい声変わりが始まったくらいだった気がするけど」

 男子がそう言うなり、母親は彼の手を引いて和室から慌ただしく出て行った。

 俺はその光景を見て言葉も、体すら動かすことも出来なかった。なぜなら、

「一週間前の俺だ」


 俺はタクシーの助手席にいた。一週間前の俺は後ろでお母さんと並んで憂鬱そうな表情で座っている。

「どうしたんだよお母さん。顔色悪いしさ。何かあったの? もしかして体調悪いの? 今から病院いくのか?」

 お母さんは何も答えず、ただ窓を見つめ景色に焦点すら合わさずボーッとしている。

 タクシーの運転手は裏道を良く知っているらしく、混んでいる都道や国道やらを通らず、すいすい快調に目的地へと向かっていく。

 一週間前の俺はお母さんを心配し、不安そうに見つめている。

 が、もうその時間を経験した俺にとっては一週間前の俺が滑稽で仕方がない。お母さんを心配するなんてお門違いもいいところなのだから。

 タクシーはゆっくりと丁寧に大学病院の前で停車した。

 俺の一週間前の記憶とどこにも差異のない光景が、今、目の前で起きている。

 断片的な夢のように、俺は突然病室に瞬間移動していた。いや、俺の体ではなく、きっと俺の記憶が移動しているのだろう。これは走馬燈と呼ばれる類に違いない。

 一週間前の俺は病院に入るなり五感の検査と健康診断が行われ、その後、眼科の待合室に案内された。名前が呼ばれ診察室に入ると初老の医者とその横に女性の看護士、後ろには白衣を着た人が数人ボードを片手に立っている。さながら実験でも始めるかのようだ。

 初老の医者は一つ咳払いをしてからカルテを一瞥すると口を開いた。

「有馬くんはお母さんと同じく視神経の異常を持っている。これは病気ではなく遺伝。今の医学じゃ残念ながら治療方法は見つかっていない」

「ちょ、ちょい待って。いきなり過ぎて意味が分からない。どういう異常だよ?」

 医者はそれを聞くとお母さんに「まだ話してなかったのですね」と問いかけ、お母さんは小さく頷いた。すると医者は指先をすっと一週間前の俺に向けた。咄嗟に俺は指から眼をそらす。

「有馬くんは先端恐怖症。それに絵画も上手く夢もよく見るようだね。音無しフルカラー」

「だからどうしたんだよ。それだけで俺が異常だなんて決めつけるな」

「五感のテストを行ったが、これがその結果だ。自分の眼で確認するといい」

 差し出された用紙には五角形のグラフが二つ、赤と青で描かれていた。それぞれの角の辺りに視覚・聴覚・味覚・触覚・嗅覚と書かれている。赤のグラフが青のグラフよりも視覚以外が小さくなっていた。特に赤のグラフの視覚だけが異常に突き抜けている。

「赤が有馬くんの数値、青が同年代、一五才の平均値だ」

「ってことは視覚だけが異常に発達してるんですか? でも俺は視力が良くないですよ」

「なにも視力だけが視覚とは呼ばない。君の視力の低下は中学生になってからだと聞いている。何か心当たりはないかい? 中学生になってから変わったこと」

 心当たりは幾つもあった。

 一つは絵を描くことが簡単になったこと。思い通り脳内に被写体をインプットできるようになったからだ。二つ目は眼の疲れが酷くなって、テレビやゲームなどを二時間以上見ていられなくなること。三つ目はほとんど毎日夢を見るようになったこと。四つ目は先端がやけに恐ろしくなったこと。五つ目は……人の顔がたまに変に見えること。

 それらを口にしようとしたが、一週間前の俺は口にすることが出来なかった。言ってしまうと異常者というレッテルを更に二重に張られるようで心底恐ろしくて。

「通常なら五感のバランスはほぼ均等なはずなのだが、有馬くんの場合、というよりお母さんの血筋の場合、そのバランスを崩してしまうことがあるのだよ。視神経を発達させ、他の神経は退化させてしまう。視神経の発達した君は、他の人より眼に情報を与えすぎてしまう。だから先端に恐怖したり、夢をよく見たり、絵が上手だったりするのだよ。けれど眼球は通常の人間と同じだから負担を与えすぎた結果視力が低下する。まあ、この手の視神経異常の代表的な事例だからそれほど心配しなくていい。眼を休めることだけ考えていれば、社会に不都合はないだろう」

 社会に不都合はない。本当にそうなのだろうか? 

 この医者は俺の痛みを知らない。振り向いた友人の顔が消えていたり、歪んでいたり、ぶつ切れになっていたことがないから軽々しく言えるのだ。

 それに原因が寝不足ではなく、自分の神経になるのだから一生付き合っていかなくてはならない。一週間前の俺は何も言わず、うつむきぐっと拳を握り震えていた。後ろからはお母さんの嗚咽が聞こえた。

 帰りは父さんが迎えにきてくれて親子三人で帰路についた。父さんは何も訊かずただ一言「辛いことがあればいつでも言え」と無愛想に言ってくれた。

 家に着いても一週間前の俺は晩ご飯も食べず、自分の部屋に閉じこもりボーッと天井を見つめていた。何の変化もない天井がその時の俺の精神状態にちょうど良かったのだろう。

 陽はとうに暮れ、そろそろ入浴しようかと立ち上がった一週間前の俺は、学校のリュックに入れてあった携帯電話を開いた。家に着いてからの数時間の間に同じ相手から四件もの着信履歴が入っていた。そしてその相手に電話をかける。

「おい、やめろ! そこから悪いことが立て続けに起きたんだ! 電話を切れ!」

 と思わず俺は叫んでしまったが見ているのは走馬燈。記憶なのだからゲームのようにリスタートなんてできないし、過去に上書きは不可能だ。

電話の相手は一年下のクラブの後輩、和勝からだった。体が弱くあまり学校に来ていない彼はクラブの参加も少なかったが、気遣いができ、妙に気が合い昼食を共にする仲だ。

 電話の内容はこうだった。最近学校で話題になっていたミステリースポットにいきませんか、折角の金曜日なのに夜更かししないともったいないですよ、と。

 彼はこういうオカルト的なことが好きで、弁当箱を開いてはよく未確認飛行物体から魔女のことまで幅広く話してくれた。で、話題のミステリースポットとは学校最寄り駅から歩いて一五分ほど進んだ中央公園内の草むらの中にある大きな平べったい石らしいが、そこがUFOの着陸場所だというのだ。そんな馬鹿馬鹿しいうわさ話なのだけど、オカルト好きの和勝が放っておくわけがない。

 そのときの俺は家が居心地の悪いものとなっていた。自分の遺伝異常が見つかったせいで、お母さんは自分を責め、父さんはお母さんと俺をどう励まそうか悩み、とにかく空気が重い。だから俺は逃げ出す場所を探していた。そこに和勝からの電話。行かないはずがない。


 待ち合わせ場所となった中央公園の大広場はランニングや犬の散歩をしている老若男女がポツポツといて、人通りは少なくはなかった。その広場の街灯付近で和勝が俺に手を振って待ってくれていた。

「先に着いてたのか。待たせた?」

「まあ五分くらいですよ。気にしないで下さい。僕はこの近所で住んでいるので、早く来すぎたのです」

「ミステリースポットが気になってか?」

「はい!」

 子犬のような人懐っこく純粋な笑顔を向ける和勝に一週間前の俺は同性ながら少し照れてしまっていた。いや今の俺も照れてしまっている。普段は無表情なのだが、好きなことになると途端表情が柔らかくなるのが彼の特徴の一つだ。

 和勝は余程気になっていたのだろう。挨拶を終えるとすぐミステリースポットに向かって歩き出した。早歩きをするものだから会話をする雰囲気にすらならない。

 しばらく進むと和勝が懐中電灯片手に草むらをかき分け「ありましたっ」と嬉しそうな顔を一週間前の俺に向けた。指差す方向には平たい楕円状で幼児ほどの大きさの石が置かれている。

「特になにも――っ!」

 特に何もないと言おうとした俺は石の中央部分を見て凍り付いてしまった。

「どうしたんですか有馬さん。もしかして宇宙人!」

 嬉しそうに問いかける和勝には悪いが一週間前の俺に返答する余裕などあるわけがなかった。だって石から手が生えているのだから。走馬燈を見ている俺ですら絶句だ。当時の俺はよく気絶しなかったな、と讃えたい気持ちがわいてくる。

「見えないのかっ! 石の上に」

「うちゅうじん?」

「ちっがっうっ。手、手が、腕が空に向かって垂直に伸びてんだよ!」

 じゃあ、と言って和勝はポケットからデジタルカメラを取り出し、一週間前の俺が指差す方に向かって二〜三回シャッターを切り、モニターを覗く。

「写んないんですけどね?」

 通常の人間には見えないし、カメラにも写らない。当たり前だ。俺の眼が異常だからだ。

「もしかしたらそういう形の宇宙人かもしれませんよ?」

「そっ、そうなのか?」

「ええ、人型からタコみたいなのまでいるんですからそんなのもいてもおかしくないです」

 そんなわけないだろ、といつもの俺なら突っ込みを入れるのだが、当時の俺は気が動転していたので、和勝のその言葉を鵜呑みにし、石に向かって一歩踏み出した。

 石から生える手の指先は、草木が風でたなびくみたいに微動している。

「それじゃ、失礼します」

 そう言って一週間前の俺は生える手の人差し指と自分の人差し指を合わせた。

 おいおい、動転し過ぎだろ。洋画に影響され過ぎだし行動が馬鹿っぽい。

「おお、わかってるじゃないですか有馬さん」

 同士を見つけた喜びに声を上げる和勝。

 何をわかってるんだ、何を。お前はなにもわかっていない。だってその手は……。

「うわっ!」

 指先と指先が触れた瞬間、その手は当時の俺の人差し指を握り、石に向かって引っ張ってきたのだ。

「ちょっ、吸い込まれる!」

 叫んだ瞬間、重さがなくなり、目の前に女が現れた。いや、この時は気付かなかったが、正確に言えば石から伸びた手が女の手であり、石から女が出てきたのだ。

 どうやらその女の姿は和勝にも見えるらしく、一週間前の俺と同じく硬直している。

 状況が飲み込めず、季節外れな薄い生地の半袖ワンピースを着た女をジッと眺めること数十秒、女は苦笑いを浮かべた。

「あれ? あっはは。君たち良く似てるね? では……また今度」

 などと明るく言って女は一週間前の俺と和勝の間を抜いて駆けて行った。

「俺たち、全然似てないよな。顔も身長も」

「は、はい……全く」

 ついでに言うと髪型と服装すら似ていない。

 呆然とした俺たちを置いて、石の精? はたまた幽霊? は駆けて行った。

 この日から一週間を過ごした俺は、あの女は死神だったのではないのか予想する。

 何故かというと、この女と会ってから食堂で食中毒にあい、掃除中の家庭科室でガス漏れ騒動が起き、最後には自殺に巻き込まれたのだから。

 俺は溜め息をつき瞳を閉じた。


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