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4-5

 順調に練習を重ね、有馬もリラのお陰で命の危険に陥ることなく日が経ち、月曜日。

 統の風邪が治り、放課後は有馬とリラと統の三人で青戸の家に向かうことにした。家の前に来ると母親がいたので取り合ってもらい、三人は家の中に入り、青戸の部屋に向かう。

 階段を上りながら、不安そうな声で統は呟いた。

「僕は嫌われていないだろうか。あんなことを言ってしまって……」

「心配するな。あいつらは結構お前にありがたみを感じていたぞ。週に何度か顔を見せてくれたこともうれしがっていたし」

「それならいいのだが」

 先頭を行くリラがトントントンと跳ねるように階段を上り、青戸の部屋の前まで行く。

 扉に手をかけようとした瞬間、統が小さな声で待ってくれと、リラを制止させた。

「どうしたん?」

「いや、僕の名前が聞こえた」

 耳を澄ます三人。しかし、澄ますまでもなく、扉の向こうから騒がしいひきこもり三人の声が聞こえてきた。

「委員長っておせっかいだよな」

「ふんだガムみたいにしつけーのな」

「温かいって言うより暑苦しいよ」

 楽しそうに統を貶す声が飛び交う。どういうことだと驚くリラと有馬。その後ろにいた統は素早く階段を下りこの場から逃げ出した。

「ちょっと、リラさん、あいつ追うから待ってて」

「えっ、有馬。ちょっと離れたら危ないって!」

 リラの呼びかけに応じず、有馬は必死に階段を下り、統を追って行く。

 これはどういうことかと腹が立ったリラは襖を勢い良く開けた。

 瞬間三人の和やかな声が重なって耳に届いた。

「「「でもいい奴だよな」」

 何とタイミングの悪いことか。リラは頭を抱え、すぐさま踵を返し有馬と統を追った。


「ちょっと待ってくれ統! あいつらはそんなこと言う奴じゃない、本当に感謝してるんだって」

 二〇メートル程先を走る統をなんとか引き止めようと走りながら有馬は呼びかける。

「あいつらはお前らが来るのを待ってたんだよ!」

 その言葉でやっと統は立ち止まった。息を切らしながら有馬は統の肩に触れる。瞬間頬に強い衝撃が走り、道の端に有馬は吹っ飛んだ。

「いきなり殴るなよ」

 頬を抑えながら、統を睨みつける有馬。

「もうお前の優しさなんていらない。やめてくれ。どうせ有馬も皆と同じように馬鹿にしてるんだろ?」

「落ち着けって。だか……」

 有馬は思わず息を止めてしまった。

 統の周りを被うシャボン玉のようなものが瞬間的に大きくなり、周囲を、有馬を被う。だがこれは幻だと意識し直し、有馬は肺に空気を入れる。

 この状況はまずい、統の感情が抑えきれず暴発しそうになっている。けれど有馬は統にかける言葉など見つからなかった。いい加減なことを言うと余計に傷が広がる。

 戸惑う有馬にかまわず、うつむきながら涙を流す統はゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。

「うっとうしい、おせっかい、暑苦しい。何度も言われてきた。でも消極的だと、迷っていると手遅れになるんだ。彼女のように。殻に閉じこもるともう自分で開くこともできない、彼女の姿を見ることなんてできない。なら傷が浅いうちに手を伸ばさなければならない。それを僕は……何が悪い?」

 その問いかけに有馬は冷たい声で答えた。

「お前の生き方はお前で決めろ、悪いも良いもないだろ? いつもそうやってきたんじゃないのか?」

 返事はなく、統は駅の方に駆けて行った。有馬は追うをせずその背中を目で追った。

「ありまー。有馬っ!」

 後ろから声がしたので振り返ると、かなりのスピードでリラが近づいていた。

 ぴたっと有馬の前で止まり、よかったー、と一言漏らす。

「あんまりあたしから離れらんといてって」

「すみません、ちょっと状況が状況なだけに」

「で、あの三人やけど、別に統の文句やなかったみたい」

「やっぱりそうですか」

 それを聞いて再び有馬は駅の方に視線をやる。

「どうしたん有馬?」

「いや、ひきこもりより厄介かも、と思いまして」


 その日から有馬は毎晩統に一通のメールを送った。

『何をするかじゃない、何ができるのか』

 けれど返信はなかった。もちろん電話もない。さすがに文化祭があるため登校はしたが、有馬が声をかけても返事もせず視線すら向けない有様だった。そんな最悪の状態の統に文化祭前日、有馬は最後の望みを賭けてメールを送った。

『明日が本番だ。あいつらに一言でいいから何か言ってやってくれ』

 

 文化祭当日。中学校三年生は昼休憩を終え、体育館に集合した。

 有馬の通う中学校の文化祭は、飲食物の出店や創作物の展示といった類の物はなく、演劇や合唱、吹奏楽といった文化発表会と言った方が似つかわしい、少し堅苦しい文化祭となっている。それは私立だからという理由もあるのだろう。

 午前中に一年と二年の文化祭を終わらせ、午後の二時間を使って三年生の一〇クラスの芸を観賞する。そこに二回の休憩が入り、休憩時間に参加者自由の枠が設けられる。

 今回有馬が担当したのはその枠の後の方。つまり最後の休憩中に押上との対決が行われる。

 父兄や保護者が見守る中、緊張し普段の力を出せない者、成功し涙を浮かべる者、それぞれが芸術を表現し、ついに最後の休憩時間がきた。

 有馬は文化委員に呼び出され準備室に案内される。

 扉を開くと薄明かりの中、青戸と立石と四ツ木が緊張の面持ちでそれぞれのスナック芸の練習を行っていた。

「調子はどうだ?」

 有馬も緊張しているが、なるべく声を平坦に抑え明るく言った。

「ああ、いつも通り。ところで有馬。委員長は? 今日までに連れて来るって言っただろ?」

 立石が丁寧にお札を折りながら訊ねる。

「すまないな、学校には来てるんだけど……」

 目すら合わせてもらえない、と正直に言えずしどろもどろな有馬の背中に薄らと光が当たる。

「おっまたせー。連れてきたでっ」

 視線を扉に向けると、そこには有馬と初めて出会った時の服装(青のワンピース)のリラと、その後ろに隠れるようにして統が立っていた。

「統、リラさん……ってなんで私服?」

「高校生は授業中やなかった?」

 ついつい有馬はリラの設定を忘れてしまっていた。この中学の高等部の生徒ということになっているのだから、制服を着てここにいれば注意されるのは明らかだ。

 統はどこにいたんですか? 体育館の周りをうろちょろしてたから連れてきたねん。そんな有馬とリラのやりとりを無視し、統がリラの前に立った。肩にはトートバックを提げている。

「すまないが、僕はお前達にどんな言葉をかけていいかわからない。しかし、こうすることで緊張が解けるなら、そう思って練習してきた。見てくれないか?」

 立石、四ツ木、青戸は目を見合わせ、頷いた。

「ではいくぞ」

 統はトートバックからジュース瓶を二本と財布から千円札と十円玉と百円玉を取り出し、横に置いてあった長机に並べた。

 緊張で指先を震わせながら統は千円札を横に折り曲げて置き、十円玉を透かし部分に置こうとする。その様子を見て有馬はリラに耳打ちした。

「リラさん、もしミスしそうだったら能力使って助けてあげて下さい」

「ええの? 使って」

「いいですよ。ここでミスられたら幸先悪いどころじゃないですから。でも本番は、あの三人には使わないで下さい」

 リラはオッケーと指を丸め、有馬に向ける。

 統はお札の上に十円玉を置くことをぎこちなくも成功させ、次の芸に移るため瓶を立て、口元にお札を挟み、その上に口を下に向けた瓶を置く。大きく息を吸い、お札を指先で持ちピンと張らせ、張った部分を人差し指で下に弾く。瓶は倒れずお札が抜き取られる。そして最難関と思われる百円玉の上に瓶を斜めにして立たせる技も、難なく成し遂げた。

 瞬間、三人が拍手を送る。すっげーと感嘆し、ありがとうと統に寄っていく。

「委員長のがんばりを無駄にしないように僕も頑張るから……ありがとう」

 青戸のその言葉に感情が揺らいだのか、統は制服の袖で目元を拭った。

「リラさんありがとうございます」

「あたしはなんもしてないよ。ノーミスやで」

 その言葉を聞いて有馬は小さく笑い、ありがとうと統に手を差し出した。統の手は震えていてとても熱く、汗ばんでいて、やっぱり有馬は笑いが止まらなかった。

 緞帳が上がり、舞台を照明が照らす。

 舞台の中央辺りに黒い布をかけた机が二つ置かれ、その後ろに長机も置いてあり、上にはジュース瓶が二〇本ほど並べられている。

 上手には押上の友人が数人、下手には有馬とリラとひきこもり連中が舞台袖で息をひそめる。統はというと司会を買って出て、マイク片手に舞台でスピーチのように堅苦しい挨拶を始め、それをうんざりとした表情で、これから戦う押上と立石が舞台上の机の前で見つめる。

 統が両者にじゃんけんをさせ、有馬達のチームが先攻となった。片方が成功し、、もう片方が失敗した次点で負け。サッカーのペナルティキックの延長戦と同じ要領だ。

 いざ勝負が始まると、さっきまでの表情を消し、引き締まった表情でお札を丁寧にきっちりと折り、慎重に透かし部分に十円玉が置く。その瞬間小さな声が上がる。押上も負けじとこなれた手つきで成功させる。

 四ツ木と青戸は舞台袖ギリギリまで行き、力を送るような必死さで立石を見つめる。

その三歩後ろ辺りでいたリラは有馬に小さな声で話しかけた。

「ごめんやで有馬。姿消した方がいいと思ったんやけど、あたしもおった方があの子らの不安なくなるかなと思って消さんかったんやけど……最後やからまけてくれる?」

 そんなリラの言訳に有馬は笑みをこぼす。

「知ってますよ、リラさん」

 何が? と焦りと戸惑いを含んだ表情でリラは有馬を見つめる。

「もう能力はほとんど底をついているんですよね。だから電力も弱いし、体も消せない、でしょ? 意味もなく能力を使うことを嫌がったのはこのためですよね」

「何で知ってるん? 誰にきいたん?」

 リラの声と被って会場にわずかな歓声が上がる。舞台上で大きく手を上げる押上の様子からすると負けたようだ。舞台袖にいた二人は立石に励ましの言葉をかけ、タッチをすると入れ替わるようにして四ツ木が舞台に移動する。そして瓶を立て、準備に入る。

「和勝です。あいつが色々調べてくれました」

 感情を込めず言う有馬とは対照的に、リラの目元は徐々に赤く腫れていく。

「ずっと思ってたけど、有馬ってあたしのこと……信用してないやろ。ここっていうときに頼ってくれへんし、ただの便利屋さんとしか思ってへんのやろ。だからあたしにはあっちの世界のこと訊いてくれへんのよね。嘘つくかもせえへんと思ってるから」

「やっぱり馬鹿ですね、リラさんは」

 震えるリラの肩に有馬はそっと手を添えた。

「こんなこと言うとあれですけど。あんまり関わると、さ、寂しくなるからですよ」

 リラはハッとして有馬の顔を見る。その視線は舞台に向けられている。

「俺なんて見てないであいつらを見てやって下さい。ほら、勝ちました」

 満面の笑みで何度もガッツポーズを取りながらこちらに戻ってくる四ツ木。喜びの表情で有馬を一瞥する。有馬はやったな、と四ツ木に一声かけ、舞台に向かう青戸の背中を見つめた。

 その青戸は顔色が悪く、万全の状態とは言えないまま舞台に上がる。額には秋だと言うのに汗が滲んでいる。となると手も濡れているだろう。百円玉の上に瓶を乗せる器用な作業にはとても不利だ。

「それとリラさん、もうそろそろお別れですが、恐らく俺が舞台に上がると何らかの事故が起こると思います」

「何でなん?」

「リラさんとの距離が離れるからです。約五メートルほどですかね。今まで事故があった時はこういう場面が多かった。そして俺の命を狙っている異世界人はこの学校に通っている。ならこのチャンスを逃すはずがありません」

「じゃあ、頑張って有馬を助けたらええねんな」

 そうですね、と有馬は頷き、もうひとつと人差し指を上げた。

「俺はずっと舞台上から変わった行動をする奴がいないか見ておきますので……もし無事だったら気持ちをそいつにぶつけましょう。並行世界をつなぐのは間違いだと」

 有馬がリラに右手を差し出す。リラはそれを力強く握った。

 体育館にまた歓声が沸く。青戸はホッと息をつき、満足そうな表情で舞台裏にむかって歩き、有馬の前で立ち止まった。

「あとは有馬が勝ったら終わりだよ」

「任せとけ。その前に、勝ったら俺の頼み事をきいて欲しい」

「どういうの?」

「ひきこもり連中がまだ学校にいるだろ。別に登校なんてさせなくていい。俺も学校に来る意味なんてわからないからな。でもひきこもりって一人だから寂しいだろ? だからそういう奴らと遊んだり関わったりして欲しいんだ。お前らならひきこもりの気持ちもわかると思って。……いいか?」

「いいよ、そのかわり勝ったらね」

 青戸は悪戯な笑みを浮かべ、舞台の方を手で示した。

「ではラストマッチ! 有馬と押上の三本勝負です」

 張り切りすぎてうわずった声を出す統の声を聞きながら、有馬は舞台に向かう。

 舞台上から生徒側を見ると、雑談や舞台に背を向ける者が多く、それほど注目されていないことがわかった。休憩時間中と言うこともあり、さらに遠くからでは何をしているのかわからない小技ばかり。これは文化祭のステージとしては失敗だな、と有馬は鼻で笑う。

「何笑ってんだよ? 真剣勝負だからな」

「もちろん」

 二人のやり取りをよそに、統はルールの説明を始めた。

 先ほどと同じように失敗すれば負けだが、今回は芸が三種あるので、先に二勝した方が勝ちとなる。が、もし有馬が勝負に負けた場合、総合で二対二の同点となってしまう。その場合は有馬と押上の延長戦が行われる。といった内容を統がくどくどと説明し、観ている生徒達はだれ始める。これも客が減る理由か、と有馬は微笑する。

 じゃんけんは押上が勝ち、有馬は後攻となった。

 押上は千円札の上に十円を乗せることが得意なようだったが、特異な瞳を持つ有馬も負けてはいない。何度も自分がスナック芸をしている動画を撮り、その瞳の持つ抜群の記憶力で修正に修正を重ねてきた。

 一二回目でやっと押上がミス。有馬はそのプレッシャーに難なく打ち勝ち、綺麗にお札の中央に十円玉を置いた。

 先勝、と心で呟くと同時に、まだ異世界人が攻撃を仕掛けてこないのかと不安になる。自分の思い違いか、と息をついたその時だった。

 頭上から金属のすり切れる音がし、視線を上げると照明器具が不気味に揺れていた。有馬はすぐそばにいる押上が巻き込まれるかもしれないと思い、突き飛ばす。体が大きいからか、有馬が非力なのか、思ったよりも離せなかったが、ギリギリ被害が及ばない程度の距離を取れた瞬間だった。

 大きな物音が有馬の頭上に響く。けれど視線を向けてはならない。この広い体育館を見渡し、異変を探さなくてはならないのだから。

 更に大きな音がすると同時にリラが有馬に駆け寄った。

 照明器具が有馬の頭上に落下する。

 その時だった。有馬の瞳には体育館の一番隅で、この場にいるはずのない生徒が一点にこちらを見つめているのが見えた。

 息をのむ有馬をリラが抱きかかえ、上手の方に突っ込んで行く。

 有馬がいた位置には落下した照明器具が舞台の床に大きな傷をつけ、そこにもし人間がいたならと思うと絶句してしまう。観ていた生徒達は騒ぎ声を上げる。落下した照明器具のそばにいる押上はどうなってんだと周りを見渡す。青戸と四ツ木と立石は驚きでその場から動けず、統はマイク越しに落ち着かせようと生徒を促す。

「ちょっと有馬、どこいくん?」

 リラの腕の中から抜け出し、有馬は段上を飛び降り駆け出した。その目線の延長線上には混乱に乗じて体育館を出て行こうとする彼の姿が映っていた。


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