4-1
その翌日有馬はリラを連れて登校拒否者の家を昨日と同じように訪問していた。
そして昨日と同じように立石家は母親に断られ、四ツ木家は居留守。なので二人の足は青戸の家に向かっている。ちなみにクラス委員の統は文化祭の会議があるので来れていない。だからリラが姿を見せて歩いているわけだが。
「ここだな」
統から借りた地図を片手に、昨日と同じ日本家屋の前に立ち止まる。表札には青戸と書かれているため間違いはない。
「あのリラさん、ちょっと俺が言うこと繰り返してもらえますか?」
「ええけど何で?」
「いや、昨日こいつに腹を立たせられたので軽く仕返しです」
有馬はリラに中年男性の声質に変えるように命じ、チャイムを連続で二回押した。
「はい、青戸ですが」
インターホンからは昨日と同じ声が届く。それを聞いて有馬はリラの耳元でささやき、それをリラは復唱する。
「こんばんは、八島急便ですが荷物の配達に参りました」
「はーい」
有馬とリラはくぐり門の横に隠れ、青戸が現れるのを待つ。
するとすぐに、寝間着姿の青戸が現れ、ゆっくりと庭を歩き、門を開いて配達員の姿を確認しようと辺りを見渡した、瞬間絶句する。
「騙してすまない。昨日来た有馬だ。こっちは友達のリラ」
「……」
にこやかにリラが微笑みかけるも青戸は全くの無反応。ただ顔だけは徐々に強張っているのがわかる。
「こうでもしないと出て来てくれないだろ?」
青戸は勢い良く首を振りもう一度辺りを確認する。
「宅急便は!」
「あ、あれね。リラさん」
「こんばんは、八島宅急便? だっけ」
先ほどの中年の声質で話すも内容は覚えておらず途中で途切れるが、それだけでも十分リラが宅急便のフリをした証明になる。
「くっそう。なんだよお前らはよっ」
「だから昨日言っただろ? 有馬だ。同じクラスの。そしてお前を騙すのに一役買ってくれた方が隣にいるリラさんだ。制服を見ればわかるようにうちの高等部」
「そんなことを訊いてるんじゃないよ!」
青戸は昨日と同じように怒鳴り声をあげる。インターホンからでないので苛立が直に伝わり、その分有馬の感情も昂る。
「うっさい奴だな。じゃあいい。理由だけでも訊かせてくれ。学校にこなくなった理由。どうせいじめだろうけど」
「うるさい、悪いかよ!」
肩で息をし、荒い息をする青戸。相当なストレスを蓄えているのだろう。いまにも感情が破裂しそうだ。
しかし有馬がそうはさせない。『いじめ』と言う言葉を有馬が吐いた瞬間、有馬の眼には青戸の顔の周りが黒く滲んでいくのが見えた。予想通りの返答で有馬はほっとする。これが家庭問題の場合だと手を出せなくなるからだ。
「言ってくれ。別に先生にチクってそれで相手から仕返しされても、お前はひきこもりだ。 家から出ないならそいつらから攻撃はされないだろ?」
「話してどうなる」
不貞腐れ、唇を尖らせながら青戸は訊ねる。
「リラさんは高等部の不良と繋がりがある。それに彼女は腕も立つんだ、見かけによらず。だからその問題を立ち所に解決できる。青戸、学校に行こう」
青戸はそれを聞くと迷った表情でうつむき、指遊びをした。少し間を置き伏し目がちのまま言葉を返す。
「八弘が告げ口したって言わなきゃ教えてもいいよ」
その言葉に有馬の表情が緩む。
「言わない。だから教えてくれ。頼む」
先ほどまで有馬の眼には青戸の顔が黒い幕を覆いながらもうっすらと見えていた。けれど今はただ黒い幕だけが見え、その向こうに映る青戸の顔は映らない。これは感情の変化の本質に近づいているからだと有馬は見解し、話してくれと口にした。
「四組の不良に金をとられたんだよ」
「それって脅し?」
青戸は違うと言いながら小さく首を振る。
「でもそれに近いかな? 賭けをしようって言われてね、無理矢理よ。で、賭けに負けると掛け金を払わないといけない。そうやっているうちにお金がなくなって、払えなくなると殴られたり――」
「って、恐喝じゃないかよ!」
「でも微妙じゃない? 勝つこともできるんだよ。まあ、勝てなかったけど」
ややこしい話だな、と有馬は頭をかく。するとリラが口を開いた。
「じゃあ、勝てばええんやろ?」
すかさず有馬もその意見に乗っかる。
「そうだ、勝てばいい。簡単な話だ。ところでどんな賭けをしたんだ?」
「えっと、例えばだけどコインを投げて右手に持ってるか左に持ってるか? とか、双六を投げて半か長か、とか。あと手品っぽいこともするんだけど、それが成功するかしないかってのもあったよ。とにかく魔法みたいですごいんだよ」
「魔法みたい?」
有馬はその言葉が引っかかった。
リラが学校で有馬の命が狙われることが多くなったと言っていた。なら、もしかするとこの件は異世界人が一枚噛んでいる可能性がある。
異世界人は校内の誰かかもしれないと有馬は推測した。
「ようはそいつらの魔法に打ち勝てばいいんだな。わかった。名前を教えてくれ、勝負を挑む。やったらやり返すまでだ」
有馬とリラは青戸の家に向かったその足で恐喝まがいを起こした奴の元に向かった。
青戸からそいつの名前を聞いただけで、有馬は大体の居場所の見当がついた。
普段なら関わり合いたくもない四組の不良。唯賀と出会った日、有馬が乗ろうと思っていた車両にいた不良達の核の存在。中学の番的存在、押上。
思っていたより面倒なことになったと、有馬は苦虫を噛み潰すような表情をして歩く。
着いた先は喫茶プッシュアップ。有馬の通う中学の不良達のたまり場だ。
「リラさん、行きますよ?」
「うん? いつでもええで」
これから不良の巣窟に足を踏み入れるとなると、ドアノブを持つ手が震え、引くことができない。そんな有馬を不思議そうな目で見つめるリラ。
「どうしたん。もしかして開けにくいとか?」
有馬の心情を理解していないリラは、有馬の手を上から抑えるようにつかみ、ドアノブを引く。
「あっ、ちょい心の準備が」
と、言っている間にドアが開き、ドアに付いた鐘の音が心地よい音色を奏でる。それがまた少し不気味だ。
有馬が恐る恐る店内に視線を向けると、キツい視線が矢のように突き刺さる。店内にいる不良達が、誰だこいつ? という目で見ている。
店内の右側には四人掛けのテーブルが三つと左側には七席置かれたカウンター。床から天井まで木の板で被っていて、時計や飾られた小物も古く、昔ながらの喫茶店の雰囲気が漂う。
「いらっしゃい。カウンター空いてるよ」
土方で働いた方がいいんじゃないのか? と思えるような筋肉質な中年男性が、ジーンズにシャツというラフな服装をしてエプロンを巻き、カウンター内から有馬達を案内する。
「あっ、どうも」
小さく遠慮がちに有馬は返事をして、案内された席に腰を降ろした。
するとテーブル席に座っていた不良(有馬は名前を知らない)が馴れ馴れしく声をかけてきた。
「おい、お前って有馬じゃね? 運動会じゃすごかったじゃないか」
喧嘩を売ってきたようではないらしく、ほっと安心して息を吐く有馬。
「あ、ありがとう。偶然だよ、あれは」
「まあそういうなって。ここ空いてるから座れよ。お前の武勇伝を聞かせてくれ」
そう言って不良は同席していた後輩と思しき不良を別の席へ移動させ、有馬とリラを座らせた。
「にいちゃんとねえちゃん。飲み物はどうする?」
やっと席に落ち着いた二人を見て店主はオーダーを訊ねる。
有馬は挙動不審にメニューを手に取り眺める。喫茶店など来たことのない有馬は何を頼めばいいかわからず、さらに落ち着きを失う。すると隣にいたリラが手を挙げてオーダーを告げた。ろくにメニューを見てもいないくせに。
「あたしカレー。カレーがいい」
「おっ、喫茶店に来てカレーを食べるって、姉ちゃんツウだね」
リラは言葉の意味を理解していないが、なんとなく褒められた気がしたので、へへっと微笑む。
「にいちゃんは何にすんだい?」
「えっと」
言葉を濁しながら有馬は考える。時刻は六時半を過ぎた辺り。文化祭の作業で遅くなると母親に告げてはいるが、晩ご飯の用意はしてもらっている。なのでリラと同じ、というわけにはいかない。
中々メニューを決めない有馬に苛立ちを感じたのか、有馬の前に座る不良が睨みつける。
「早く決めろよ、おっちゃんも忙しいんだよ。コーヒーでいいだろ?」
「あっ、そ、そだね。コーヒーひとつ」
不良の威圧に負け、コーヒーなど飲めもしないのに頼んでしまう有馬。
「ホットとアイスあるけどどっちだい?」
「えっと」
「ホットでいいよおっちゃん」
苛々した口調で不良が有馬のオーダーを勝手に決め、それでいいのかい? と目で合図する店主に有馬は首を振る。
歓迎ムードが一気に解散ムード。帰りたくて仕方のない有馬だが、ここで帰ってしまうとこの苦しみが無駄になってしまう。思い切って有馬は彼の名を口にした。
「えっと押上っているかな? ちょっと用があって来たんだけど」
有馬のあまりの鈍くささに呆れていた不良だったが、その名を聞いて表情が変わる。
「なんだ押上さんの客か。いるよ、この上に」
「うえ?」
有馬が訊ねると不良はそうだ、と偉そうに答えた。
「ここは押上さんのおっちゃんの店だからな。二階が家になってんだよ。用があるんなら呼んできてやるけど?」
「あっ、お願い」
不良はやれやれ、と面倒そうに立ち上げリ、店の奥のカーテンを開けて、階段を上っていった。
しばらくすると二階からドスンと言う鈍い物音がし、それからゆっくりと階段を降りる音と、寝てる時は放っておけって言ってんだろクソが、という苛々した声が店内に届く。押上が降りてくると勘づき、ここからが勝負だと有馬は気合いを入れカーテンを見つめる。
「誰だ。俺に用があるって奴は?」
「俺だ、押上」
押上と有馬の視線が合う。威圧感のある三白眼に思わず眼を背けたくなるが、ここで逸らせば弱気になっていることがバレてしまう。
「んだテメ? 確か運動会で目立ってた奴じゃねえか。メンチ切りやがって、喧嘩売ってんのか?」
そんなつもりではないのだが、そうとられても仕方がない。有馬の表情は強張っているのだから。
「そうやで、勝負や勝負」
「ちょっ、リラさん!」
言い換えれば確かに二人は押上に喧嘩を売りにきたことになるのだろうが、ストレートに言うべき相手ではない。不良に短気はステータスだから。
「ああ? ちょい店でろ」
「おい! 静かにしろ、それにこいつは客だ」
父である店主に注意を受けると舌打ちをし、不機嫌そうに有馬の前の席に座った。
「喧嘩を売りにきたって言うのは違うくて、ちょっと噂を聞いたんだ」
「噂?」
有馬は親の前だと気使い、声を潜めて言う。
「賭けだよ。押上の手品がどうのこうのって聞いてさ。俺もやってみたくて」
それを聞くと同時に押上は立ち上がった。殴られるのか? と一瞬ビクッとした有馬だが、押上の顔はにやけていたので取り越し苦労だったことに気付く。
「おい、親父。こいつは俺の客でもあったみたいだ。ちょっと二階に連れてくぜ。おい、お前らも来たい奴は来い、見世物の時間だ」
にわかにざわめき出す店内。待ってましたという声も上がる。
これから何が始まるのか不安で仕方のない有馬と、好奇心をかき立てられわくわくしているリラは二階の押上の部屋に案内された。
畳が敷かれた六畳ほどの部屋。そこにちゃぶ台と洋服ダンスにCDコンポが置かれている。それと部屋の隅にノビた不良が一人。
不良が引き出しから座布団を取り出しちゃぶ台に三枚置き、ここに座れと促す。
押上と有馬とリラがちゃぶ台を囲い、その周りを一階にいた不良達が囲う。何とも言えない異様な雰囲気。それに狭い部屋に十人程いるので少し息苦しさもある。
押上はにやけながら人差し指を立てた。
「で、いくらだ」
ルールを理解していない有馬だが、成り行きで押上と同じように人差し指を立てることにした。
周りの不良達も賭博を行っているのか、どっちに賭ける? などとささやき合っている。
「まあ最初はそんなもんか。じゃあ見とけよ?」
右手を広げ一〇円玉があることを示し、コイントスの要領で、親指で弾くと高く上に飛ばし、くるくる回転しながら落下する、その途中、コインを両手で拾うように被う。そして両手を握って前に差し出した。
「さあ、左右どっちだ?」
自信満々な表情で伺う押上。よほど上手くいったのか、口元が少し吊り上がっている。
「リラさんわかります?」
有馬には眼で見た物を常人よりも記憶することができるが、それは見えた場合の話しだ。動体視力までは上がっていない有馬には、落下するコインをキャッチする手の動きまではわからない。
しかしリラならば。そう期待し、声をかけたのだが、
「?」
ニコニコと笑みをこぼしながら有馬と押上を交互に見ている。この様子だと押上の行為を全く理解していなかったのだろう。初めてだし仕方ないか、と有馬は溜め息をつく。
「リラさん。今、押上が一〇円を投げましたよね」
「うん、それで?」
「それがどっちの手にあるか当てるんです。そしたら勝利です」
「おー、なるほどなあ」
コクリと頷き納得のリラ。
「じゃあ、もう一回やってくれるかな?」
有馬は押上に提案したのだが、
「ああ? 勝負にやり直しなんてあるかバカ。さあ、右か左、どっちだ!」
そんなに甘くはないかと有馬は嘆息し、仕方なく勘で右手を指差すが、
「ハズレだ」
開いた手には一〇円玉がない。
「くそっ、左だったか」
押上は座布団をつかみ座り直すと、手の平をひょいひょいと動かし金銭を要求する。
「負けは負けだもんな」
有馬は財布から百円玉を取り出し、ちゃぶ台に置いた。
すかさず押上の怒声が室内に響く。同時に周りから笑い声がした。
「バカかお前。そんなしょっぱい金なんているか。一桁ちげえよ」
「マジで!」
有馬は押上との金銭感覚の違いに絶句する。有馬の月の小遣いは二千円。財布にあるのは二三〇〇円。賭けに負けたので残り一三〇〇円となる。
泣く泣く手渡す有馬だが、ここで負けては意味がないので、もう一勝負要求することにした。負ければ喫茶店の食事代を払えなくなるので、背水の陣だ。
「さっきと同じ金額でもう一勝負頼む」
「いいぜ、何度でもな」
さっきと同じ要領でコインは宙を舞い、落下する最中に押上の両手がこちらから一〇円玉を隠すようにキャッチする。が、やはり有馬にはどちらの手にあるのかわからない。それほど押上は一〇円玉をこちらから見えないよう、上手に掴んでいる。硬貨を握る仕草をとるタイミングもほぼ同時。有馬からすれば完全な運任せだ。
「リラさん、見えましたか?」
口元を手で覆い、しばらく考えるリラ。ただ左右の手のどちらに硬貨があるか示せばいいだけなのに戸惑っている。
「あんな、有馬。……どっちもない場合ってどうしたいいん?」
「へっ?」
思ってもいない事態に驚き、奇妙な声が出てしまう有馬。
「どっちもないって……超能力かなにかで消したってことですか?」
「そんなアホな」
「おい、早く答えやがれ」
ささやきあう二人にやきもきした押上は荒んだ眼で睨みつける。
「えっと、じゃあリラさん。一〇円のあるとこを見て下さい」
リラは頷くとすーっと押上のあぐらを掻いた股の間を見つめた。
有馬はその視線の先を丁寧になぞり指差す。
するとみるみるうちに押上の顔が赤くなっていき、周りもざわめき出す。有馬も自分がいかに馬鹿な所を指差しているのかに気付き、顔が紅潮する。
「リラさん、下ネタかよ! 真剣にやって下さい」
「だーかーら、あっこにあるって」
リラはそういうと立ち上がり、押上の横に膝を立てて座り、押上の股の方に手をやって……一〇円玉を拾い有馬に見せた。
「えっ? どういうこと」
「取るフリしてただけやで」
その答えを聞き、有馬はこの賭けの仕組みを理解した。
もし本当に硬貨を投げ、左右どちらにあるかを当てる賭けであれば、勝率は五〇%。そうなると押上が負ける可能性もある。いくら硬貨を上手に取る技術があっても、勘で答えられては意味がない。しかし青戸は一度も勝ったことがないと言っていた。つまり両方の手に硬貨は握られていなかったのだ。
座布団を敷き直したのは、硬貨を拾うためのフェイク。
股に手をやられた恥ずかしさではもちろんなく、タネがバレた悔しさと恥ずかしさで顔を赤く染める押上は、次、と声を荒げた。
「次こそは正真正銘の勝負をしてやる」
そう言いながら有馬に千円札を返すと、すかさずコインを指で弾いた。
その瞬間だった。部屋のドアが開き、同時に怒声が響く。
「テメー、また賭け何かしやがって、いいかげんにしやがれ!」
「お、親父!」
押上は硬貨を慌てて掴みポケットに隠すが時すでに遅し。
「おら、説教してやる。お前らも帰りやがれ。んとに、にいちゃんとねえちゃんも真面目そうな顔してやることやってんだな、今の子供はわからん。お代はいいから帰ってくれ」
有馬とリラは頷き、逃げるように部屋を出て行く不良達と一緒に店を出た。振り返り押上を呼びにいってくれたノビている不良に軽く頭を下げた。
これで任務完了と、有馬は満足げに笑う。
きっとこの賭けでの押上の勝率はかなり高い、でないと金銭を貪り尽くされ登校拒否をする生徒が出るまでの事態にまで陥らないはずだ。それに勝ったのだから一緒に見ていた不良達に相当なインパクトを与えたに違いない。
情報を広めるのが速い不良のことだ。明日にはきっと校内中に噂が広がっているだろう。
有馬が押上の賭けに勝ったと。




