16 用務員、魔王をする。
「ヴェルデ神……」
誰かのつぶやきが聞こえた。
ああ、そうだ。こういう姿だったと透は思い出す。
異世界へやって来た時に、透を魔王にした張本人――緑の領地を守護する神ヴェルデ。
その神は、あの時と変わらぬ半透明な姿で宙に浮かび、不遜な眼差しで透たちを見下ろしていた。
『私から魔力を奪おうなどと大層なことを考えて、それか。まったく愚かだな』
冷え冷えとしたその声に、ノアはぎりっと歯を食いしばり、ヴェルデ神を睨みつける。
憎悪を込めた眼差しだ。
しかしヴェルデ神は意に介していない様子だった。
「言ってくれるではないか。今更のこのこと出てきおって……何の用じゃ」
『今の代の魔王に危機が迫っているから、面倒ではあったがこうして出てきてやったのだ。曲りなりにも、私が魔力を与えた者だからなぁ。あの程度の働きで、勝手に死なれては困る』
ずいぶんな言い様だが、良い方で解釈すれば助けに来てくれた、ということだろう。
しかし透には何故か、ありがたいとはまったく思えなかった。
『ずいぶん酷い状態になっているな、異世界の者よ』
「まぁ、そうですねぇ、ええ」
『それにしても見苦しいな』
ヴェルデ神はパチンと指を鳴らした。
すると透を拘束していた光の鎖が弾けて消える。
透は自由になった自分の体を見て、何とも言えない表情のまま、よろよろと立ち上がった。
「ヴェルデ神様、どうも……ありがとうございます。助けに来てくれたんですか?」
『そうだ。この私がわざわざな。まったく手間をかけさせおって……まぁ、助ける必要があったかどうかは分からぬが』
ヴェルデ神は透を一瞥すると、ルイの方へ目を向けた。
『そこの娘が魔王となるはずだったのを、その魔導士が邪魔したのだったな。ならばこのままお前が死ねば、元通りになるとも言える』
「なっ⁉ 何をおっしゃるのです、ヴェルデ神!」
ルイがぎょっと目を剥いた。
彼女は右足をだんっと踏み鳴らし、胸を叩いて叫ぶ。
「トールが死ぬことで私が魔王になるなど、お断りだ!」
『ではそこの魔導師にすべての責を取ってもらおう』
ルイの怒声を涼しい顔で聞き流し、ヴェルデ神は次にノアへ目を向けた。
とたんにノアの体に光が――魔力が怒涛の勢いで流れ込む。
「が、あああっ!」
ノアの喉から聞いたことのないような悲鳴が上がる。
カラン、と杖が床に転がった。
ノアは自分自身を抱きしめるように蹲ると、雷に打たれたかのようにガクガクと体を震わせる。
透とルイが同時に目を剥いた。
「ノア様⁉」
「ノアさんに何をしたんです⁉」
『望んでいたものをやっただけだ。ほれ、私の魔力が欲しかったのだろう? 泣いて喜べ、魔導士よ』
「…………っ」
嘲るようにヴェルデ神は言う。
ノアは歯を食いしばり、ヴェルデ神を睨み上げた。
そうしているうちに、ノアの体にだんだんとひび割れのような光の線が入り始めた。
以前にラキが教えてくれた。魔人種は寿命がきたら、体にひび割れのような光の線が入ると。
「今すぐに止めてください、ヴェルデ神!」
透はヴェルデ神に訴える。
すると彼はフンと鼻で笑った。
『ではお前が代わりに魔力を受け止めるか? 魔力に耐性のない者の体だ、五分ともたずに全身が魔石化するであろうなぁ』
「いいですとも」
挑発するようなヴェルデ神の言葉に、透は即答する。
『……何?』
「それで良いと言っているんですよ。だって一度、ちゃんと覚悟したんですからね!」
『はぁ、何という……お前も愚かなのか?』
「どうでしょうね。あなたほどじゃありませんけど」
皮肉を込めて言えば、ヴェルデ神がぴくりと反応した。
言葉の節々から何となく感じていたが、どうやらこの神は怠惰な割に、存外気が短いようだ。
『……なるほど。死に急ぎたいらしい。では望み通りそうしてやろう』
ヴェルデ神がパチンと指を鳴らす。
するとノアに注がれていた魔力が、透の方へと矛先を変えた。
「ぐうっ!」
まるで体の内側から焼かれているような激痛が全身に走り、透の顔が歪む。
――熱い。
熱い、熱い、熱い!
目尻に涙が浮かぶ。
体がどんどん魔石化しているのが見なくても分かった。
とんでもない量の魔力だ。はは、と透は乾いた笑いを浮かべる。
(だけど、これだけ魔力があれば――)
霞んで行く目を必死で開き、透は左手をヴェルデ神に向ける。
そして、
「“星の欠片よ、降り注げ”!」
神殺しと呼ばれる魔法を放った。
とたんにヴェルデ神の頭上から、彗星のような光が降り注ぎ始めた。
ヴェルデ神がぎょっと目を剥き、焦った様子で右手を掲げ光の盾のようなものを作り出した。
『お前、その魔法は……!』
「神殺しの魔法ですよね、知っていますよ! 僕が使えるたった一つの魔法です! “星の欠片よ、降り注げ”!」
驚愕の表情を浮かべるヴェルデ神に、透もにっこりと笑ってみせた。
そして同じ魔法をもう一度放つ。
『お前! やめろ、神に何を……!』
「“星の欠片よ、降り注げ”! ひゅー、魔力がたくさんで撃ち放題ですねぇ! “星の欠片よ、降り注げ”!」
何度も何度も透は魔法を繰り返す。
相変わらず体は痛いし、苦しいし、魔石化だって進んでいる。
けれども気分だけは、何だか妙に高揚していた。
「ねぇヴェルデ神様。知っていますか? 僕の世界の物語に出てくる魔王ってのはね、いっちばん悪い奴なんですよ。皆を困らせて、苦しめて、最後に勇者や英雄に討たれるような、そんな悪者なんです」
静かに、淡々と、透は続ける。
目の前ではヴェルデ神が、無数に降り注ぐ魔法の彗星の対応に苦慮していた。
その中で、苛立ちと焦りを込めた目だけ、こちらに向けたのが分かった。
「僕はこの世界の人間じゃない」
だから、と透は口の端を上げる。
「僕の世界に習って、魔王をやらせてもらいますよ。神殺しなんて、一番それっぽいじゃないですか!」
『お前……! 本当に死にたいようだな! ならば望み通り……』
ヴェルデ神が左手を透の方へ向けた――その時。
「“星の欠片よ、降り注げ”」
ノアの声が聞こえた。
同時に、ヴェルデ神の頭上から降り注ぐ彗星の光が、さらに増える。
いつの間にかノアは立ち上がり、透の隣までやって来ていた。依然としてその体には光の線が入ったままだ。
「大丈夫ですか?」
「誰に言うておる」
「そうですか」
顔も見ずに、そんな短いやり取りをする。
透とノアは、ふっ、と同時に小さく笑った。
「“星の欠片よ、降り注げ”」「“星の欠片よ、降り注げ”」
そして再び魔法を繰り返す。
何度も何度も、神殺しの魔法を唱え続ける。
「うおおおおおおっ!」
そうしていると、ルイたちも武器を掲げてヴェルデ神へ向かって行った。
ヴェルデ神が驚愕の表情を浮かべる。これでもかというくらい目を見開き、狼狽えていた。
『お、お前たちまで、何を、やめろ、やめろ! 私はこの地の守護を……!』
「貴様がいつこの地を守護した! 緑の領地をずっと守ってくれていたのは、この領地のために戦ってくれていたのは、歴代の魔王様とノア様なのだ!」
ルイが吠える。
その言葉にノアが息を呑んだのが透には分かった。
「何も守らぬくせに守護神を名乗るのならば、貴様の魔力でこの地を満たせ!」
ルイのハルバートが高く掲げられる。
それに合わせて透とノアは叫ぶ。
『“星の欠片よ、降り注げ”!!』
ヴェルデ神へ向かってハルバートが降り降ろされる。
そこへ透とノアの放った彗星の光が重なった。
『やめろおおおおおっ!』
ヴェルデ神の悲鳴が響く。
直後、ヴェルデ神の体が光に包まれパァンッと弾けた。
周囲にキラキラと光の雨が――魔力が降り注ぐ。
ややあって、ころん、と羽虫のような何かが床に転がった。
何だろうかと透が目を凝らした時、
「みい!」
上着のポケットから子猫が飛び出し、羽虫の方へとてとてと歩いて行った。
そして、ぱくり、と羽虫を咥えて飲み込んでしまう。
「あっ! こら、ぺっしなさい!」
吐き出させなければ――透はそう思い歩き出そうとした時、膝から力が抜けた。
がくん、と床に倒れ込む。同時に体が酷く重く感じられた。
魔法を使い続けたことによる疲労だろうか。瞼がどんどん重くなる。
「おい、トール⁉ 大丈夫か、トール⁉」
必死に自分を呼ぶルイの声が、どんどん遠くなる。
やがてぷつりと音が途切れ、透は意識を失ってしまったのだった。




