15 用務員、真実を知る。
急いでパンケーキを平らげたあと、透たちはすぐに魔王城へと戻った。ノアから話を訊くためだ。問い質すようなことは、なるべくならばしたくはないが、状況はどうにも不穏だ。そうならざるを得ないかもしれないと、ルイが小さく零した言葉に、聞こえなかったふりをしながら、透は彼女に並走する。
そうして魔王城へと辿り着くと、あちこちでノアがどこにいるかと訊ねて回った。すると幾人かから「魔石の間へ入って行った」との答えがあったので、二人と一匹はそこへと向かう。
魔石の間付近は、いつものことだが人気が少ない。ここは緑の領地にとって大事な場所なので、用がないならば近付かないようにと、この地の住人たちは子供の頃に言い聞かせられて育つのだと、走りながらルイが教えてくれた。質問していないことを教えてくれるのは、親切心というより、緊張感や嫌な想像を振り払うためだろうなと透は思った。
そうして靴音を響かせながら廊下を走り、魔石の間へと到着する。扉は固く閉じられていたが、魔王となった透が手で触れると、問題なく開いた。
「……行きましょう」
「ああ」
短いが、重々しいやり取りをして、透たちは中へと入る。
魔石の間は普段と違って全体が薄暗く、そこの設置された魔石はエメラルド色の輝きが妙に強く感じられた。
そのそばにノアが立っている。
「ノア様!」
「うむ? どうした二人とも、血相を変えて……。それにルイ、其方はまだここへ入る資格はないぞ?」
ノアは透たちを見て軽く目を開き、それからルイを見てほんの少しだけ咎めるように言う。実際に、それはその通りなのだろう。
「ノア様、何故、トールにあの薬を与えているのです!」
しかしルイは、ノアの言葉を無視して一歩前へ出ると、叫ぶように問う。
「あの薬とな?」
「魔力欠乏症用の薬です! 何も知らずに服用を続ければ、魔力が増え過ぎてトールが死んでしまう。あなたがそれを知らないはずがないでしょう!」
「…………」
悲痛なルイの言葉に、ノアは眉ひとつ動かさなかった。動揺もしない、言い訳もしない――それが明確に、彼の取った行動の裏に潜む何かを示している。透ですら分かったのだ。ノアと近しい場所にいるルイは、痛いほどに理解しただろう。
それでも彼女は、ノアが悪意を持ってそんなことをするはずがないと、訴えかけるように問い続ける。
「何か……何か理由があるのですよね? ノア様、そうでなければ……」
「…………ルイ」
ノアはルイの名を呼び、同時にため息を吐く。
次の瞬間、彼女の体はパチンと何かに弾かれたように、魔石の間の外へと吹き飛んだ。
「うあっ!」
「ルイさん!?」
「……まったく、我も耄碌したものだ。少々気を抜きすぎたかのう」
ノアは憐れむ目をルイに向けて、何とも冷ややかな声で独白した。
魔石の間の外へ追い出されたルイは、すぐさま戻ってこようとしたが、何かに阻まれて中へ入ってこられないようだった。
透の頭に、最初にこの部屋へ入った時に感じた膜のようなものの感触が思い出される。限られた者しか入れない部屋――つまり、そういうことなのだろう。
ただ、ルイは一度は入ることができた。それが今になって排除されたのならば、たった今、誰かがそれを決めたということだ。
(ノアさんが選別しているのでしょうね)
透はぐっと拳を握り、ノアを見る。
「はぁ。できれば何も知らせぬまま、終わらせたかったんじゃがのう」
「ご説明していただけます?」
「そうじゃのう……それくらいは、巻き込まれた其方には、知る権利はあるだろう」
警戒しながら透が訊けば、殊の外あっさりとノアは頷いた。
「こうなったからには予想がついておるじゃろうが、其方をここへ呼んだのは我じゃ。と言っても誰を呼ぶかなど決めてはおらん。ただ、誰でも良かった。其方が選ばれたのはたまたまじゃ」
(ああ、やっぱり)
透が何となくそうかなと思っていたことが、ノアによって肯定された。
(でも、そりゃそうですよね)
違う世界から苦労して誰かを召喚するならば、役に立つような人材が良いと思うのは当たり前の話だ。その辺りを選別できるかどうかは知らないが、召喚した者が用務員という職業の者が欲しいと願ったならばともかく、そうでないならば、顔が良いことだけが取り柄の透を選んで召喚する意味はない。
この異世界で役に立つか立たないかで言えば、透は自分が後者であると自覚している。偶然魔王になっただけの、ただの人間。それが長谷透なのだ。
「たまたま……なるほど?」
「怒らんのじゃな」
「特に怒る理由もありませんし。それに僕、この世界に呼ばれる直前に、この子と一緒に木から落ちちゃったんですよ。打ち所が悪ければ死んでいたかもしれませんし、いやぁ、ある意味で命拾いしましたね!」
「みぃ!」
ポケットに入ったままの子猫に同意を求めると、元気な返事があった。透の言葉が伝わっているかどうかは不明だが、こうやって会話のキャッチボールができているように見えるのは、ありがたいことである。
「そうか。じゃが、別の意味で命の危険が訪れておるがのう」
「そうなんですよねぇ、あっはっはっ。困りましたねぇ」
「……まったく、其方は本当に緊張感がないのう」
するとノアの表情が少しだけ変化した。仕方のない子だ、とでも言いたげな様子で苦笑している。
(どうにも変ですねぇ……)
透を殺そうとしているならば、もう少し悪意があっても良いはずだ。
けれどもノアからはそういう雰囲気を感じない。あくまでいつも通りなのだ。
それが透には疑問だった。
「……其方が、もっと嫌な奴じゃったら良かったのになぁ」
ノアは小さくそうつぶやいた。
えっ、と思った時、光の鎖のようなものが透の体に巻き付く。
「うわ!?」
思わず透は膝をついた。反射的にノアを見れば、手に持った杖が淡く発光している。魔法を使われたのだ。
ノアは、かつん、と靴音を立てて、透に一歩近付く。そして感情の読めない複雑な色の瞳で、透を見下ろす。
「我はのう、トール。其方に結晶林檎のようになってほしいのじゃよ」
「いやぁ、僕は果物じゃないんですけどねぇ」
「ああ、そうじゃな。じゃが、ニュアンスは伝わるじゃろう?」
「あんまり良いアレじゃないですけどね!」
「ははは。そうじゃの」
ノアは乾いた笑みを浮かべる。まるで何かを諦めたような、そんな笑い方だった。
「……其方の魔力はヴェルデ神より与えられた。それは知っておるな」
「ええ、はい」
「あれは本当に怠惰な神でなぁ。本来土地を守る神というものは、人々からの信仰で力を増し、その見返りとして魔力を注ぎ土地を豊かにする義務があるのじゃよ。いわば契約じゃ。しかし――ヴェルデ神は何もせぬ」
ぐっ、とノアは奥歯を噛む。
「領地に住む者たちがいかに苦しんでいようとも、ただ見ているだけじゃ。他の領地の神と違って、ほんの僅かでも手を差し伸べもせん。祈りだけ捧げさせて、自分は何も返さん。魔王に任せたからと、適当な魔力だけ与えてふんぞり返っておるだけじゃ。実に不公平だと思わないか? 契約違反にもほどがある!」
ノアは怒りに任せて、カンッ、と杖の底で床を叩いた。
「だから我は決めたのだ。いるだけで何の役にも立たない神から、魔力を奪ってやろうとな」
「それはまた、ずいぶんと壮大なご計画ですねぇ」
「そうか? なかなか底の浅い企みじゃと思うがのう。……ヴェルデ神が唯一干渉するのは、新たな魔王が就任する時だけじゃ。だからこそ我は、そのタイミングを狙って異世界の者を呼んだ。魔力を何も持たぬ者ならば、神の魔力を奪う器としてもちょうど良いと思うてな。トール、其方のことじゃよ」
ノアの杖の先端が透に向けられる。ぼうっ、と光ったかと思ったら、透の体から魔力が急速に流れ出し、魔石に注がれ始めた。
がくん、と透の上体が崩れた。手や足の先から、どんどん体が冷えていく。まるで氷点下の世界にいるような寒さが体の全身に走る。
「ぐ……うう……っ!」
「神と繋がりができている其方なら、ヴェルデ神から魔力を引き出せる。……すまんのう、トール。この領地のために、どうか死んでくれ」
憐れむような謝罪の言葉。それを聞きながら透は顔を上げてノアを見た。
目が合う。
ルビーのように赤く輝く瞳が、自分へ向けられている。そう言えば、この世界へ来て初めて目が合ったのもノアだったなと、透はふと思い出した。
「なら……っ、もうちょっと、笑って、くださいよ」
掠れる声で透は言う。
ノアが怪訝そうに首を傾げた。
「――――何?」
「楽しそうに、笑ってくださいよ」
「其方、何を……」
「願っていたことが、ようやく叶うのなら。もっと楽しそうに笑ってくださいよ。やってやったって顔をしてくださいよ。その方が僕にはありがたい」
ノアは目を見開いた。こんな時に何を言うのかと思ったのだろう。透がノアの立場だったら、きっと同じことを思ったはずだ。
「其方――其方は馬鹿か!? 其方は我に殺されようとしておるのじゃぞ!」
「そうっぽいですねぇ」
「そうぽいって……」
困惑するノアに透は笑って見せる。
「……実はね、僕、やり残したことってそんなにないんですよ」
そしてゆっくりと口を動かした。
「僕は、ずっと今を生きていたんです。未来よりも過去よりも、今をずっと生きていたんですよ」
過去は辛くて、未来は不明瞭で。どちらも透にはしっかりと目を向けることは難しくて、だから今を大事に生きることにした。
その時、やりたいと思ったことをやる。そうやって透は人生を歩んできたのだ。
「だけどここは、未来を見て生きている人ばかりで。それが僕には眩しくて、ちょっと羨ましかったんです」
「…………」
「だからいいんですよ。僕は後悔のないように生きてきたから。だから、誰かの後悔が減るなら、それでいい。ノアさんみたいな子供が苦しまなくなるなら、それでいいんです」
「我は子供ではない」
心外そうなノアの言葉に、透は小さく笑って返す。
「見た目は子供ですからね。そこは我慢してくださいよ。それに今のあなたは、最初の時よりずっと子供に見えます」
――泣いている子供のように。
最後だけは心の中でつぶやいておく。
「僕は子供には笑っていてほしいです。僕がそうじゃなかったから。だからその分、子供には思いっきり笑っていてほしい」
だから、と透は続ける。
「僕でそれができるなら、どーぞ!」
「…………っ」
ありったけの力をかき集めて、腹の底から出した声で言ってやれば、ノアの顔がくしゃりと歪んだ。
「……あ、でも、そんなこと言っておいてアレですが、実のところ怖いですよ、やっぱり。死ぬのって。後悔はないってのも、まぁちょっと嘘です。用務員さんの仕事もっとやりたいですからね。それができなくなるのは悲しい。ですが、だから――だから、そういう気持ちが和らぐように、せめて笑ってくれるとありがたいです」
「…………」
透が頼むと、ノアは微かに震えながら「馬鹿を」と口を動かした。
「馬鹿を言うな、其方——……我にとっては其方も」
しゃくりを上げるように、ノアは息を吸う。
その目は濡れていた。
「長く生きる我にとっては、其方も等しく子供なのだ……っ! 子供の命を奪うのに、笑える親などおらぬ……っ!」
その時、魔石の間の入口付近で爆発が起きた。
ノアがハッと顔を向ける。
壊れて広がった入り口に、立ち上る煙――その中にルイやジナ院長、ラキや、魔王城の人たちが詰めかけていた。
「トールっ! 無事か!?」
「魔王様、まだ生きてるか!?」
「皆さん……?」
ルイはともかく、他はどうやって騒ぎを聞きつけてきたのだろうか。驚く透をよそに、彼女たちは魔石の間へ足を踏み入れた。今度は何かに阻まれる様子はない。
「やめなさい、ノア様。そんな無茶な魔法を使えば、あなたも無事では済まない」
ジナが静かにそう告げる。
えっ、と透は目を見開いてノアの方を向く。するとローブの隙間に見えていた肌が、結晶化していることに気が付いた。魔力欠乏症のそれと同じだ。
「ノアさん、あなた」
「構うものか。我は友と約束したのじゃ。緑の領地を守ると、助けると! 我にとってこの約束だけが――我の長い生においてこれだけが、生きる意味だったのだ!」
血を吐くような、ノアの叫びが響き渡る。
彼がどんな覚悟でこの計画を企てたのか、透は知らない。けれどもその『約束』が、ノアにとっては命よりも大事なものであったことは痛いほどに理解できた。
(何か……)
何か方法は、ないのだろうか。
無理やり魔力が引き出され、体の感覚も朧げになりながら透は考える。
――その時だ。
『――――愚かな』
魔石の間に、新たな声が響いた。




