11 用務員、診察してもらう。
栽培施設の再稼働の話は、瞬く間に魔王城内に広がった。
中でも「植物用の栄養剤」については、開発部門に所属する者たちに大いにい受けた。ノアが話をしに行ったところ、その日のうちに透の元に研究者たちが押し寄せて、植物用の栄養剤について詳しい話を求められ、その勢いにたじたじになってしまった。
どういう材料と工程で作るのか、などと聞かれてもまるで分からない。透は謝りつつも、自分が知っているできる限りの情報を伝えると、研究者たちは色々試してみるよと笑顔で帰って行った。
(役に立てて良かったですねぇ)
できればもう少し知識があれば良かったのだけれど。元の世界へ戻ったら、身の回りのものがどんな風に作られているのかくらいは調べておこうと透は思った。
ただ――やはり、役に立った、という実感を得られたのは、正直なところ嬉しさはあった。
だから少しだけホクホクとしながら、透は治療院へと向かう。子供たちの様子を見に行くのだ。ここ最近の透の日課でもある。
(今日の調子はどうでしょうか)
近づくにつれて、だんだんと、子供たちの賑やかな笑い声が聞こえてくる。一人、二人、三人、四人……全員いる。声の違いで人数を数えて、透は口の端を上げた。どうやら明るく話ができるくらい、今日は体の調子が良さそうだ。
そんなことを考えつつ、治療院に到着した透は、入り口からひょいと中を覗き込む。すると玩具が置かれたスペースで、子供たちがキャッキャッと楽しそうに遊んでいる姿が目に入った。
「皆さん、こんにちはー!」
「あっ魔王様ー! こんにちはー!」
「魔王様、こんにちはー! また遊んでくれるのー?」
「いいですよ、遊びましょうね!」
子供たちは遊ぶ手を止めて、透の方へと駆け寄って来てくれた。その中には、先日、魔力欠乏症で倒れた子供もいる。
治療院のジナ院長の話によると、透とノアが採ってきた結晶林檎から採取した魔力が彼女の体に合ったらしく、症状がだいぶ落ち着いているらしい。
(良かった……)
透が胸を撫でおろしていると、奥の部屋――診察室のカーテンがシャッと開いて、そこからジナが顔を出した。
「ああ、声がしたと思ったら、やはり魔王様か。ちょうど良いところへ来てくれた」
「こんにちは、ジナ先生。僕に何かご用事ですか?」
「ああ。そろそろ魔王様の診察をしようと思っていたところだったんだ」
おや、と透は目を丸くする。
「僕ですか? ノアさんに診察してもらっていますよ?」
「ノア様は優秀な魔導士だが、医者ではないからね。ほら、こっちへ来なさい。魔力を与えられたばかりで、大きな魔法を連発したと聞いて心配していたんだ。まったく、何てものを教えるんだか……」
「あはは……」
ため息混じりのジナに透は苦笑する。透が使えるただひとつの魔法については、ルイも同じような反応をしていたが、やはり最初に覚えるようなものではないようだ。
――まぁ、それはともかく。
せっかくのジナの好意で診察をしてくれるというのだ。それならば受けておいた方が良いだろう。透は子供たちに「それじゃあ、ちょっと診てもらってきますね」と断って、いったんその場から離れた。
ジナのあとをついて診察室へ入ってみれば、そこは透の世界にある病院のそれと、さほど違いはなかった。白く清潔なカーテン、ファイルや書物が並ぶ棚、医療用の道具に、うねうねと動く根っこ……。
(なんでしょ、あれ……)
最後だけ透は首をかしげた。よく見れば、その奥には顔のある向日葵のような植物の植木鉢も置かれている。急に現実から夢の世界へ引っ張りこまれたような気分になりながら、透はジナに促されて、丸椅子に腰を下ろした。
「上の服のボタンを開けて」
「はーい」
「素直でよろしい。…………前に見た時よりも魔石化している部分が増えているな」
透の左腕や上半身の状態を見て、ジナの目がわずかに細くなった。透もつられて自分の体へ目を向ける。すると左腕から左胸の手前辺りまでが魔石化していた。最初に魔石化したのは左腕だけだったのだが、徐々にその面積が増えている。
「あ、やっぱりそうですよね」
「何だ、自覚があったのか?」
「ええ。お風呂に入る時とか、自然と目に入りますから」
「まぁ、それはそうか。体調の方はどうだい?」
「特に問題はないです。むしろ調子が良いくらいですよ。朝の目覚めもすっきり!」
「そうか。魔力も増えてはいるが安定しているようだし、魔力欠乏症の症状ではないだろうが……」
ジナは魔石化した箇所を眺めながら、ぶつぶつとつぶやく。
透も最初に気が付いた時は大丈夫か心配になったが、自分で言った通り体調面に問題は感じられないし、何よりノアが常に気に掛けてくれているので安心していた。
けれども医者であるジナが気がかりだと言うならば、透ももう少し自分の体について気にしていた方が良いのかもしれない。
「もしかして、あまり魔法を使わない方がいい感じなんですかね?」
「いや、魔王様の場合は逆だな。魔力をまったくもたない状態のところへ、ヴェルデ神が魔力を与えたことでそうなったのだから、体を慣らすためにも使った方がいい。というわけで……」
ジナはそう言って、机の端に置いていある、透明な液体の入った試験管や、占い師が持っているような水晶玉など、様々な魔道具を両手いっぱいに持って、透に向かって差し出してくる。
「これに魔力をもらえるかい?」
ジナの眼鏡がキランと光る。そこに一瞬、マッドな笑みが浮かんだのは気のせいだろうか。
「こ、これは何でしょう?」
「治療や診察に使う魔道具さ。小さいものが多いか、維持するために大量の魔力が必要になるんだ。良ければ、これに魔力を込めてもらえるとありがたい」
「あ、はーい! そういうことならば喜んで!」
彼女の怪しげな笑みには若干慄いたものの、用途を聞けばノーという選択肢は透にはない。満面の笑みで受け取ると、すぐに魔力を注ぎ始める。魔石の間で毎日魔力を注いでいるおかげで、この作業もすっかり慣れたものだ。
そうして魔力を注いでいると、透の上半身で魔石化していた部分が少し減り、元の肌色に戻っていた。
「うむ。やはり魔石化した部分が少し減ったな」
「なら、毎日魔王城のあちこち回って、魔力注いでみますかねぇ」
「ああ、それは助かる。だが、ほどほどにな。減り過ぎても体調が悪くなるから」
「分かりました! いやぁ、やることがあって嬉しいです!」
「君は働き者だなぁ」
「働いてないと落ち着かないんですよねぇ」
「ワーカーホリック系かぁ……」
それもそれで問題だなとジナは苦笑する。
そんな話をしている間に、彼女から頼まれた魔道具すべてに魔力を注ぎ終えることができた。思ったよりも短い時間で済んだのは、やはり慣れたからだろう。ことん、と最後の魔道具を机に置いた時、診察室のカーテンが控えめに開かれた。小さな物音に透が振り返ると、治療院の子供たちがそわそわした様子で顔を覗かせている。
「魔王様、診察終わった?」
「大丈夫? 大丈夫?」
「もう遊べる? 遊んでいい?」
どうやら待ちくたびれてしまったらしい。一緒に遊びたくてたまらない、という様子の子供たちに、透の顔が自然と緩む。ジナもそれが分かったのか、くすりと笑う。
「ああ、もう大丈夫。今終わったところだよ。ありがとう、魔王様」
「こちらこそありがとうございます、ジナ先生」
透は丸椅子から立ち上がって頭を下げると、
「よーし、それじゃ遊びますかー!」
子供たちの方へ向き直って、にこっと笑う。
すると子供たちは両手を挙げてぴょんと跳ねた。
「わーい!」
「えへへー!」
「やったー!」
とたんに、子供たちは弾かれたように透の方へ駆け寄ってくる。そして左右それぞれの手を握って引っ張り「早く早く」と透を急かした。これだけ期待されていれば、どんな堅物であろうと相好を崩すのは間違いないだろう。それとは真逆の透なんて、一瞬で陥落し、満面の笑みになった。
透はジナへもう一度頭を下げてから、診察室をあとにした。
それを見ていたジナは、再びくすりと、小さく笑う。
「ふふ、あれほど子供たちから好かれる魔王様を見るのは、久しぶりだな。二代前以来か……?」
懐かしげに目を細めるジナだったが、不意に、その表情が少し曇る。
「……それにしても、どうしてあれほど急に魔力が増えたのか。あの量、普通の増え方ではないぞ……?」
◇ ◇ ◇
子供たちが満足するまで遊び終えた頃には、二時間ほど経っていた。
以前は少し遊んだだけで体力が尽きた透だったが、今回はそんなこともなく、まだまだ元気だったため、魔王城のあちこちを回って魔力を注ぐことにした。そうしているうちに、魔王城の者たちともすっかり顔馴染になって、自然に話をしてくれるようになっていた。
先ほど食堂を訪れた時なんて、
「魔王様、美味しい魚が届いたから、夕飯楽しみにしててくれよ!」
「野菜も美味しいよー!」
「やったー! 楽しみにしてまーす!」
なんてやり取りも交わしている。
昼食は食堂で食べているが、朝食と夕食は個室で食べるのが、魔王の決まりらしい。何でも朝は寝起きで、夜は疲れでぼうっとしやすい時間帯だから、暗殺を防ぐためにそうなったのだとルイが教えてくれた。理由を聞いた時に透はぶるりと体を震わせたものだ。
そんな事情で、透は朝と夜は自分の部屋で食べている。だからメニュー自体も、シェフの本日のオススメがごとく、出てくるまで内容が分からないのだ。ちなみに魔王用ということで、ちょっとだけ特別な料理を出してくれているらしい。
「夕飯かぁ……昨日のお肉も美味しかったんですよねぇ、フフ……楽しみ」
思い出し笑いを浮かべながら、透は廊下を歩いた。
(いやぁ、ほんと、毎日がわくわくしっぱなしですねぇ。もしかして学生時代って、こんな風に毎日が見えているんですかね)
ふと、そんなことを思った。何もかもが新鮮に見えて、将来に対する憂いや不安もなく、その日その日を全力で生きる――そんな日常。
中卒で社会へ出た透には、学生時代の楽しい記憶は、ほとんど思い浮かばない。あったかもしれないけれど、それ以上に辛いことの印象が強すぎて霞んでしまっている。
学生時代には戻れないけれど、ならばせめて、その日その日を楽しんで生きようという気持ちだけは持って生きてきた。
その時、やりたいと思ったことをやる。そうやって透は人生を歩んできた。
最たる例が用務員の仕事である。
(……ところでこれ、無断欠勤にならないといいですね)
透の世界とこの異世界で、時間の流れがどう違っているか分からないが、もしも同じだったのならば無断欠勤である。社会人として絶対にダメな奴だ。せっかく用務員として働いていたのに、クビになってしまうかもしれない。
「まぁ、でも、先のことを考えても仕方ないか……」
「なんだ、悩みごとか?」
「うひゃあっ!」
ぽつんとつぶやいた時、背後から急に声をかけられたものだから、透は飛び上がった。情けない悲鳴を上げながら振り返ると、そこには驚いた顔のルイがいる。
「そ、そんなに驚くとは思わなかった……急に声をかけてすまない」
「あ、る、ルイさんでしたか! いえ、すみません。ちょっと考えごとをしていて……」
「そ、そうか。あー、なんだ、良かったら相談に乗ろうか?」
「あ、いえ、大したことじゃないので大丈夫ですよ。お気持ちだけいただいておきますね。ありがとうございます」
「そうか、分かった」
ルイは穏やかに微笑んで、それから透が歩いてきた方へ顔を向けた。
そこでは先ほど声をかけてくれた者たちが、せっせと仕事をしている。
「それにしても貴様、魔王としてすっかり馴染んでいるようで何よりだ」
「いやぁ、皆さん良い人だからですよ」
「そうだなぁ。だが、しかし……むう……」
「どうしました?」
「魔王を目指している私からすると、ここまで人気がある魔王の後を継ぐのは、少々大変そうだと思ってな……」
自嘲気味に笑うルイ。
そんな彼女に、透は間髪いれずに「大丈夫ですよ」と言った。
「気を遣ってくれるのはありがたいが……」
「いえ、本心ですよ。そもそも僕がやっているのは一時的なものです。持続性があるわけじゃないし、そういうことを考えられるような知識はありません。僕が魔王でいられるのは短い時間だけ」
透は自分の左手を見る。エメラルド色に魔石化した手は、窓から射し込む日差しを受けて、相変わらずキラキラと輝いているが――これもただの借りものだ。透のものではない、一時的なヴェルデ神の力である。それを自覚しているからこそ、透は自分の立場もちゃんと理解できる。
「魔王城や緑の領地に必要なのは、長く続くもの。あなたならばそれができるでしょう?」
「――――」
ルイの目を真っ直ぐに見つめ、透は言う。
彼女の蜂蜜のように綺麗な瞳が大きく見開かれた。
それからルイはサッと目を逸らして、
「……人タラシめ」
頬を少し赤くしながら、拗ねたように口を尖らせる。
「あっはっはっ。僕、顔が良いですからね!」
「まったく、そういうところだ」
透がくすくす微笑っていると、やがてルイもつられて笑い出す。
そうしてお互いに和やかな空気になっていると、どこからか、慌ただしい足音が響いてきた。
なんだ、と二人揃って辺りを見回す。
するとすぐに、その理由が分かった。
「骨狩りだ! 町の外に骨狩りが出たぞ!」
――不穏さを孕んだ叫び声が聞こえてきたからだ。




