第24話 拝啓、眼鏡を愛する同志の君へ
夜が明けて、星祭り前日の朝がやってきた。
窓から爽やかな朝の日差しが差し込んでいる。晴れ渡る青い空と鮮やかな日差しは、午後には少し汗ばむくらいの気温になるだろう。
星祭り前日は学院の授業がない。舞踏会に向けての準備日として設けられているからだ。
長い食卓机の末席で大公家の料理人が作った焼き立て丸パンと、生野菜多めのヘルシーな朝食を味わったあとで、イェリナはセドリックに大公邸の客間へ招かれた。
「イェリナ、これを見て欲しい」
セドリックはそう言うと、なにやら黒い板をティーテーブルの上に乗せてみせた。
なんの変哲もない黒い板。その上に指を滑らせて一度トン、とタップする。タップと同時に黒い板が光を放ち、「ようこそ、我が子孫よ」だなんて大仰な文章が流れ出す。
イェリナはこの板によく似たものを知っていた。
「これって携帯情報端末ですか?」
イェリナは携帯情報端末を懐かしい思いで眺めながら、神妙な顔つきでイェリナを見つめるセドリックと目を合わせた。
「それでセドリックは、わたしになにをして欲しいの?」
「話が早いね。これは初代カーライル大公が残したものだ。……これを見て欲しい」
セドリックはそう言って携帯情報端末を軽やかな指遣いで操作した。すると、端末上に認証入力画面があらわれる。
(完っ全に携帯情報端末だ! 魔力で動く携帯情報端末。こんなものを作るなんて、カーライル大公家のご先祖様は、まさか、わたしと同じ……?)
イェリナは携帯情報端末の画面を覗き込みながら思いを馳せる。
発想が豊かなひとなのか、それとも自分と同じ転生者なのか。どちらにせよ、とんでもない人物であることに違いはない。
そんなイェリナの隣では、セドリックが画面を軽やかにタップして認証番号を入力していた。ピロン、と懐かしい電子的な響きを持った音が鳴り、画面が切り替わる。
「この画面の前の暗号入力は突破できた。でもこれは僕には読めない。多分、この暗号文に呪いとメガネのことが書かれているはず。……イェリナはわかる?」
「こ、れは……」
漢字に、かな文字。十七年ぶりに見る漢字は、確かにしっかりイェリナにも読めた。
携帯情報端末に表示された文章は、イェリナがこの世界に生まれる前に使っていた言語——日本語で記述された手紙であったのだ。
《拝啓 眼鏡を愛する同志の君へ
君がこの文章を読めるということは、眼鏡が存在する世界の特定地域から転生した人間で、眼鏡の存在を渇望する者で間違いないね?
少なくとも、日本語が読めて眼鏡を愛している人間だ。
お察しの通り、僕は元日本人で眼鏡が好きで好きでたまらない転生者だ。
君にも覚えがあると思うけれど、この世界に眼鏡が概念からして存在しないことに僕は絶望した。
けれどね、なんの因果か僕はひとつの国を起こしてしまうような人間を兄に持ってしまった。その兄が、僕に大公という地位を授けてくれた。
領地と民を預かる身になってしまったからには、僕は責任を果たさなければならない。
幸いにも僕には魔法理論の構築と新しい魔法式を創造する才能があったし、なんと、僕の妻は、圧倒的眼鏡顔で眼鏡がなくとも見ているだけでも眼鏡欲が満たされてしまうという素晴らしい女性だった。》
「圧倒的眼鏡顔。えっ、圧倒的眼鏡顔? そんな表現、わたし以外でする人いるんだ!?」
急に湧き出る親近感。イェリナはチラリと横目でセドリックを見る。初代大公夫人の血は、現代まで受け継がれていた。劣化することなく勢いを増して絶好調である。
イェリナは心の中でセドリックの完璧眼鏡顔に眼鏡をかけて妄想しながら、手紙の続きを読み進めた。
《だから僕は造った。魔法を。
僕にしか視えない幻覚眼鏡を、最強最高の眼鏡顔を持つ妻にかけてもらうために。
魔法の開発は成功した。おかげで僕は毎日満たされている。
こんな幸福を、僕だけのものにしてよいのか?
いいわけがない。
だから、僕の子孫には悪いけれど、僕は一族の血を呪うことにした。
あ、多分、そこにいるよね。僕の子孫。何代あとの子かな……。悪いのだけれど、僕の代わりに「ごめん」って謝っておいて欲しい。》
「信じられない。自分の子孫を呪うだなんて。『ごめん』って……凄く軽いノリなんですけど……謝罪されていますよ」
どうやらカーライル家の始祖は突飛で奇抜な人間らしかった。イェリナが同情するようにセドリックを見ると、彼は神妙な顔つきで肩をすくめてみせた。
「初代大公は、奇抜な人物だったらしいから。……とりあえず、その先を読み進めてもらっていいかな」
「あっ、はい」
《君がこの場所で僕の手紙を読んでいる、ということは、君も感じているだろう?
僕の奥さんの素晴らしい可能性を!
凄くない? どんな眼鏡も似合う輪郭とパーツ。凄くない? きっと子孫はこの才能を受け継ぐことだろう。
僕が開発した幻覚眼鏡付与魔法を応用して作ったこの魔法は、効果を発揮するための条件が三つある。
一つ、僕と奥さんの遺伝子に作用する。
二つ、僕らの遺伝子を繋ぐ子孫にのみ発現する。
三つ、特定の条件を満たす第三者にしか効果を発揮しない。
眼鏡を愛してやまない君に、僕の子孫を見つけてもらうための呪いだ。》
「随分、身勝手な呪いをかけるご先祖様がいたものですね」
「でも、そのお陰で僕はイェリナと出会った。そこだけは感謝しているよ」
にこりと微笑んだセドリックの手が、スルリとイェリナの頬を撫でて、離れてゆく。
遠ざかってゆく熱に少しの名残惜しさを感じながら、イェリナは携帯情報端末の画面へ視線を落とした。
《まあ、僕にも理由があって呪いをかけたことだけは理解してほしい。
ところで、セーリング領って、知っている?
僕が大公位をもらった時に、大公家の権力や財力が王家を上回らないよう調整する意味合いで押しつけられた不毛の大地だ。
大地から湧き出る黒くて臭くて燃える沼があちこちに点在し、加えて雨も少ない砂漠地帯。王国の端の方にあるのもあって、この先も開拓は進まないだろうね。
わかる? 砂漠の真ん中にある、黒くて臭くて燃える沼。
そう、油田だ。》
油田。イェリナは震える指先で油田と書かれた文字をなぞった。
もしかして、もしかしなくても、セドリックは将来の石油王……? 嘘でしょ、石油王? いけない、野心よ治まって。油田は、わたしのものじゃない。
イェリナはドクドクと高鳴る心臓をそっと押さえて深呼吸をした。前のめりになっていた姿勢を正して読み進める。
《領民には申し訳ないけれど、政治的な意味合いもあってね。
呪われた不毛の地が、実は画期的な資源を生み出す祝福の地であることを、少なくとも三百年くらいは知られてはならなかった。
どうか君の持つ現代知識で僕の子孫を説得し、石油王にして欲しい。
君にだってメリットはある。
——欲しいでしょ? 合成樹脂が。》
「欲しいに決まっているでしょ!」
「イェリナ、イェリナ……落ち着いて」
「落ち着けるわけないわ! 合成樹脂があれば、セルフレームもプラスチックレンズもU Vカットレンズもなにもかも思いのまま! 金属素材フレームにはない化学素材フレーム特有の艶かしさ。光が透けてきらめくあの色を!」
イェリナは思い切り叫んでいた。合成樹脂へ寄せる思いを力の限り叫んで吠えた。
欲望丸出しのその姿は淑女として褒められたものではない。もっとも、眼鏡素材の情報を前にしたイェリナが淑女らしい振る舞いができるわけがないのだけれど。
「セオ、セーリング領に連れて行ってください! ……あれ、セーリング領って、どこかで聞いたような……」
「イェリナは知っているよ。僕が学院卒業後、どんな領地に赴くのか!」
「あっ……セーリング領!」
「僕はね、実のところ、学院卒業後の将来は真っ暗な暗闇しかないと思っていた。大公家が権力を持ち過ぎないための負債領地。歴代の領主がどんなに領地開拓をしようとしても、決して成功しなかった貧しい土地だ。僕には少しも自信がなかった。……でも、イェリナのおかげで希望が見えた」
とろけるような甘い声が歓喜に満ちている。セドリックの声と言葉は、より強く甘くイェリナの身体と魂を震わせた。
黄緑色の美しい目にまっすぐ見つめられたイェリナの心臓が、ドキリと跳ねる。
希望だなんて、そんなこと。眼鏡が好きなだけの自分が、誰かの希望になっているなんて、考えたこともなかった。
イェリナはそっと、セドリックとの距離を詰めた。すると、セドリックの目が、頬が、口元が、嬉しそうに弧を描くのを見た。
深呼吸がひとつ。イェリナの頬に落ちた。セドリックが吐き出した呼気は、心なしか熱を帯びている。
「イェリナ、僕をセキユオーにしてくれる?」
イェリナはしっかり頷いて、セドリックの黄緑色の目を見つめて告げた。
「わたし、必ずセドリックを石油王にしてみせます!」
決意を告げる言葉の選択を間違えたような気がしてならない。案の定、セドリックはおかしそうにクスリと笑った。
そうして、優しい腕に腰を抱き寄せられて、口づけがひとつ落ちてくる。
イェリナのおかしな言動も、眼鏡に対する執愛も、セドリックが広く深い心で受け止めてくれるから。イェリナは満たされた気持ちで唇を交わす。
柔らかな空気の中で、イェリナは残り少ない手紙を読み進めた。初代大公からの手紙は、次のように締め括られていた。
《どうか君の眼鏡を愛する心で僕の子孫が抱える負債領地を祝福して欲しい。
大丈夫、眼鏡以上に僕の子孫を愛してくれた君ならば、きっとできる。
僕は眼鏡を愛する者として、君の心情を理解する。
だから、僕の最高傑作である眼鏡フレームの設計図を贈ろう。
どうか、よき眼鏡開発とその普及を!
初代カーライル大公 ダグラス・カーライル》




