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瑞花に沈む  作者: 百瀬ゆかり
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7 儀式

「急用なのです。手短に済ませますからお構いなく」


半日振りに会う彼女はどこかいつもと違う近寄り難い雰囲気を漂わせていた。


「突然ですね」


寝っぱなしというのも失礼だと思ってせめて起き上がる。横にぴったりと彼女が座ると話を切り出されることになった。


「今夜、儀式を執り行うことになりました。もちろん八重菊様にも出席して頂きますので服を選出しようと参りました」


儀式。それは台所のカヨが言っていた白雪が神格化を果たすためには外せないとても大切な通過点と言っていた。


「黒に近い藍色を主色に、白い植物の陰影の染め抜きに。帯は黄金色のものにして色を締めましょうか」


桐の箱から出されるのは説明された黒寄りの藍色の着物。まだシルエットは決まってないからか何も描かれていない。


「着付けしましょう。模様は自ずと姿を表すでしょうから……」


真新しいパリッとしたワイシャツを見たのが凄く久しく思ってしまうのはここが古風な純和風建築のせいもあるのだろう。見慣れていたはずなのに違和感を覚えるとは精神も肉体もここに順応した証なのだろう。


シャツに腕を通し、ボタンを留める。

袖には椿が彫られたカフスボタンをつける。その上に藍色の着物を羽織ってから白雪が前に回り込んで紐で適度な長さに整えられてからシャラシャラと鳴く黄金色の帯を巻かれる。


「お似合いです、八重菊様。最後に櫛で分け目を仕上げましょう」


ふわっと香るのは椿油の香り。

男に椿油を使うのは滅多にないことだと思うが大人しくしようと思い彼女が動きやすいように座り込めば後ろからささやかな笑い声。


少し冷えた指が操る櫛が頭の先にある髪の上で忙しなく踊ったと思うと。意外にも早く終わって戸惑っていると全身がしっかりと写る姿見の前まで背を押された。




「お似合いです、八重菊様」




この時、どう答えてよかったのだろう。



白雪はうっとりとした声音。

僕の姿に酔いしれているのは大変嬉しいことではあったのだけど、違和感が素直に喜ばせてくれなかった。




























どうして。

姿見に自分の姿が写っていないんだ。



***



着付けが終わり、彼女に手を引かれ少し別室へ連れてこられる与えられたあの特殊な剪定鋏を入れる革袋を手渡された。


「しばらくお待ちください。儀式に合わせて私も着替えてきますので」


彼女はそう言い残すと部屋の横扉を閉めてからカチャン、この部屋を施錠したと思われる音が狭い空間に鳴り響いた。


「────はぁ、」


出ようにも出られない。鍵を閉められたら逃げようにも逃げられないというのに。最後の最後でこうなると信用に値しなかったのだろうかとドロドロとした黒い感情が心の底から湧いてくる。


儀式が近い、願いが叶う時も近い。

茨のように絡まっていた縁は捨て、因果の糸はほとんど断ち切ったんだ。一度は死んでしまった右腕、自分の手で葬り弔ったんだ。




何が人間らしさだろう。

自分はもう、姿見にすら写らない人ですらない何かになったんだ。



***



「白雪」


逢魔が刻の橙色の光が差し込む私室へ戻るとこの屋敷の最高責任者であるちはやが座布団に座り、待っていた。


「はい、チハヤ様」


チハヤ様は初めて会った時から顔の肌を晒したことがない。理由はわからないし善し悪しのつかない噂もたくさん、でも力が強いというのは間違いない。行き場を失った人間から真名をもらい、特別な妖に変える。これは高位に立つものにしか為し得ない特別な行動だった。


「お前が私の隣に立つ日がとうとう今夜だと思うと嬉しくてたまらないよ。本当におめでとう、白雪」


闇にも溶ける墨色の布から聞こえる声音は嘘偽りなく嬉しそうだ。


「雪をかぶりなさい。その降りに積もった雪たちがあなたのことを待っていますよ」





────そんなことは、わかっている。





さっきまで鎧のように着込んだ着物のほとんどを部屋で脱ぎ捨てて、肌着一枚になってから新雪の中に飛び込んだ。


これは、禊なのだから。



***



さっきまで壁しかない部屋かと思っていた。

そうじゃなかった。

ここは僕の知っている世界なんかじゃない、ありえないことが当たり前な常世の世界。


壁だと思っていた場所はいつの間にかガラスのように透明になり、ガラスの壁越しにいるのはさっきまで一緒にいた白雪だった。


雪の上へ倒れ、めり込んだかと思うと粉のように舞うものは蛍よりも明るい光を孕み発光したように感じてからすぐに彼女の姿に影響が現れていた。


白い着物、紅に近い赤の羽織に銀糸の織り込まれた天女の羽衣によく似たものがふわりと白い彼女を気高くも清廉潔白さを印象強くした。


紅を差した小さな唇は童話に出てくる幼い姫のように赤く、唇よりも暗くも紅い双眸は宝石のように煌めきそれこそ人離れした美しさを放っている。


「そこで見ているのは知っていますよ。

八重菊様、私は何度も何度も推し量るように難題を投げ続けましたがあなた様はそれをやすやすと通過してしまうのですね」


何度も。何度も。そこの部分を強く言うのは白雪が望む人間であるのかを試したことに後ろめたさや罪意識を感じていたのだとしたら。



彼女はやっぱり、優しい方なのだと知る。



「思慮深く美しい白雪様。私をあなたの神格化の道具にしてください」


契約を持ちかける。

やっと、聞けたと言わんばかりに白雪はいつの間にか壁を超えてきたかのように僕の首にその細い腕を絡めてきた。


「契約を受け入れるなら私を抱擁せよ。

そして目を瞑り、私がする一つの行動でどう感じるかで最後の関門の通過か否かを判断する」


言われた通りに目を瞑り身を委ねると襟元のボタンを外され、外気にさらされた首筋に鳥肌が立つ。


「印を、つけます」


なんで聞くかなぁ。緊張するのに。

そんなことを思っていれば、チクリと甘い痛みが体の中を走り抜ける。


「行きましょう」


首元に赤いマフラーをふわりと巻かれた。

夜は冷えるかもしれないからせめてもの耐寒対策ってところなのだろうか。真意はわからない。


前を向く瞬間に見えた耳はほんのりと赤く色づいていたことに気づいて思わず微笑んでしまったのは内緒にするつもりだ。


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