38:ダンジョンマスターは歴史に足跡を刻む
ワナジーマ辺境伯ゲオルグの像が揺らぐ。
発信元でのエリキシル供給が絶たれたのだろう、カミューの手のひらの水晶球から光が消え、あたりは再び、やわらかな闇に包まれる。
「ち、父上! 何故ですか!? 何があったのですかっ!!」
水晶球を両手で握りしめ、答えの返らない問いを発するカミュー。
「ほうっ! ついにラコウが動いたようですねっ」
しかし答えは、別方向からもたらされた。
「アンデッドの大暴走。すでに国境は破られ敵軍はワナジーマに迫っているとのことです」
しかも、商人と冒険者の2方向から。
「そこの商人が言うように、人為的だろうな。使い潰せるダンジョンを見つけたか、あるいは、長期的な視点で虎視眈々とダンジョンを育ててきたか」
エール樽を抱えてやってきたギースは、後者だとちとヤベェな、と付け加える。
「で、どんだけ保つって言ってんだ、ワナジーマ支部は。救援を送る余裕はあるのか?」
「あ、はいっ」
《遠見の水晶球》の下位アイテム《伝声の水晶球》。
ルイーゼはそれに問いかける。職位持ちである彼女には、それを駆動させるだけのエリキシルが十分にある。
渦巻く不安が、片っ端からダンジョンコアへと吸い込まれていく。
それは、出処をカミューとするものが大半で、両の拳を握りしめ、下唇を噛んでそれに耐える彼女は見るに耐えず、タツキも静かに内なる《ダンジョンマスターの本能》に問い合わせを行う。
「敵数は多く見積もって3千。砦への籠城は可能ですが、町の防衛は持って5日都とのこと」
「5日!?」
ガタンっ、と椅子を跳ね飛ばす勢いでカミューが立ち上がる。
「加えて、老人や女性、子どもなど、戦えない者は城に避難するよう領主ゲオルグ様のお名前で指令が出ております」
「居城は領民すべてを収容できるほど大きくはないんだっ!」
立ち上がったカミューが悲鳴のように叫ぶ。
「救援が間に合わなければ民に犠牲者が出てしまうっ!」
「ルイーゼ。クワナズーマにも繋いで、ワナジーマ近辺を探索中の冒険者がいるようなら、防衛に参加できるよう緊急クエスト発布を指示しとけ」
「かしこまりました」
「とはいえ――」
持ってきたエール樽をドン、とテーブルにおいて、ギースが溜息をつく。
「そんな都合のいい命知らずは何人もいねぇだろうがな」
いたところで、3千の敵影の前には数パーティーの冒険者など焼け石に水。
「なぁ、坊っちゃん殿よ」
故に、苦り切った顔のまま、ギースはタツキを振り返った。
「都合のいい質問だってのは重々承知だが、相手はダンジョンだ。同じダンジョンマスターの力で、なんとかならんものか?」
***
無理なものは無理。
ギースとて、それは理解しているのだ。
だが、この面々の中で最も謎で、最も可能性を秘めているも者といえば、ダンジョンマスターその人にほかならない。
「たとえタツキ様が同じ3千のモンスターを率いることができたとしても、間に合わなければどうしようもありません――」
だが、無慈悲に横たわるのは、ここから辺境伯領の距離だ。
早馬でも10日。軍隊がどのように防衛限界の5日以内にたどり着けるというのだ。
「――ですので、そこはお気遣いなく」
それを冷静に指摘したのは、カミューの護衛の法術士、ダリア。
不可能な願いは、タツキに断らせるのではなく、当事者である辺境伯領の者が取り下げなければならない。それが交渉事における礼儀であり技術だ。
「・・・ですが、タツキ様であればクワナズーマより3日以上早く救援を送ることができます」
そして、そのうえで、実現可能なことを願い出る。
「どうか、ご助力頂くことはできませんか」
それが、タツキに無理矢理にでも話題を振ったギースの、そのアシストを最大限に利用することに繋がるからだ。
「うーん――」
タツキは悩む。
確かに、編成し、輜重を準備し、早馬で13日の距離を行軍するクワナズーマからの救援より、10日の距離のダンジョンタウンが早いのは明白。さらにユニットで編成された軍隊であれば、編成も最短で終わり、場合によっては輜重も不要となるだろう。
だが、これは一つのターニングポイントなのだ。
迷宮都市はその武力を、いかなる理由で、そしていかように行使するのか。突き詰めれば、今回の回答がその最初の判断になる。
そして、判断は前例となり、今後も踏襲される可能性が高い。
ゆえに、下手な基準を作る訳にはいかない。
瞑目するタツキに皆の意識が集まり、カミューたちのテーブルという小さな場だけが静寂に支配される。
酒宴の笑い声や、歌声、喧騒。
思考に沈んでいくタツキの中で、幸せの象徴であったそれらが遠くなり――、不意にギュッと抱きしめられた。
「チェリ?」
意識が浮き上がる。
ずっと膝の上でタツキに抱きついていた少女が、改めて彼をギュッと抱きしめて、膝から降りたのだ。
***
「タツキ殿」
チェリの体で隠れていた視界に、カミューがいた。
真剣な面持ちで、胸に手を当て、貴族がするような――彼女は貴族だが――礼をしていた。
それを受け、タツキもゆっくりと立ち上がると、カミューと向き合う。
「クワナズーマ辺境伯が後継者、カミュー・バルツェルの名においてお願い申し上げる」
青い瞳が、まっすぐタツキを捉える。
――ああ、なるほど。
そして、タツキはこの瞬間に気づいてしまった。
それはおそらくタツキにしかできない判断だ。故に、この判断は、ダンジョンタウンの前例としてはふさわしいものとなるだろう。
「どうか、我が領、クワナズーマを救っては頂けないだろうか」
辺境伯の後継者は、再び深く頭を下げた。
全員の視線がタツキに集中し、チェリが彼の後ろで、まだ離していなかったタツキの左手をギュッと握る。
「――お断りする」
「え?」
場を緊張感が支配する。
カミューがこわばり、アンナとショーナは怒りを滲ませ、ダリアですら、落胆の表情を隠し切れない。
しかし、チェリは柔らかくタツキの手を握り続ける。
故に、タツキは微笑んで続ける。
「クワナズーマ辺境伯の後継者の願い。それは聞けない」
そして、
「――言ってること、分かる?」
優しく微笑んで、カミューを覗き込んだ。
「えっ・・・? ええっ?」
助けを求めるようにカミューがあたりを見回すと、それだけで理解に至った面々がいた。
それは、右手で口元を抑え、懸命に笑いを堪えるギース。真剣に、何度も頷くエルローネ。そして、深々と頭を下げているダリア。
さらに。
「カミューさんは、カミューさんの言葉で頼めばいいんですっ」
タツキの一歩後ろで、彼の左手を握って、にこにこしているチェリ。
「そ、そんなことで・・・、いいのか?」
カミューは呆然として彼女を見つめる。
チェリは、うん、うん、と頷く。
それが、タツキの基準。
ダンジョンマスターにしかわからない、依頼者の感情が、真にその願い通りかを計る儀式。
「――その」
言葉が、カミューの口から押し出される。
思いが、エリキシルとなって溢れ出す。
「タツキ、お願いだ。助けてくれ」
あとは、決壊するだけ。
「誰も、死なせたくないんだ。いい人ばかりなんだ」
「どんな人たち?」
と、タツキが聞けば、次々と浮かぶ故郷の思い出。
「パン屋のサリーはな――」
「馬屋のハンスも――」
「子どもたちなんて――」
涙とともに、溢れ出る慈しみの感情。
穢持ちである自分を、娘のように、姉のように慕ってくれる領民たち。
「――そして、父上も」
涙とともに、その言葉がこぼれ落ちた瞬間――。
ダンジョンが、ガツン、と揺れた。
***
「じゃ、俺たちで二次会、しよっか」
「え?」
襲った物理的な衝撃に驚く西の一行に、タツキは平然と告げる。
出来上がりつつある元盗賊団たちは、どうにもガツン慣れしてしまったようで「おおっ、坊っちゃんがまたなんかやったぞ〜」みたいなノリで、平然と酒宴を続けている。
「あの、助けてはくれないのか?」
「ん、もちろん助けるよ」
「な、なら、すぐ準備しないと、時間がないんじゃ」
「あー、そうしたいとこなんだけど、ちょっと力を使いすぎちゃって」
「ちから?」
よくよく見れば、タツキは少し青ざめているように見える。
「ダンナ、何をした?」
たまらず問いかける、タツキの騎士。
「ロベルト、とりあえず、それ、テーブルに置こうよ。カミューさんも、ダリアさんも、ほとんど食ってないからな。さ、二次会するぞ、二次会」
その両手には、大量のジョッキと肉が抱えられたままだ。
「お、おう」
青い顔で、しかし楽しそうに告げる主に逆らえず、ロベルトは西の面々のテーブルに酒宴の準備を整えていく。
「さて、酔っ払う前に予定の確認をしよう」
ウエイターなロベルトを横目で見ながら、タツキはサラリと爆弾を落とす。
「先ほど、このダンジョンの下層と、ワナジーマ辺境伯領を1本の地下通路で繋げたんだけど――」
「「「――はい?」」」
当然、西のテーブルに集まった全員がタツキの顔を見る。
***みたいな顔だな、とタツキは思う。要するに、古墳なんかの副葬品で、目と口がまん丸のアレだ。
「――直線距離だと案外近いんだな。作ってみた感じ、3日とかからず到着できると思うぞ」
「ぼ、坊っちゃん殿よ――、それは、本気で・・・?」
口から魂が抜けたような顔で、ギースが尋ねる。
最強の冒険者の一角に、こんな顔を見させたのだ。それだけで体を張ったかいがあったとタツキは思う。
「本気じゃなきゃ、やらないよ。こんなしんどい事」
そう言って笑うと、どん、とタツキの体に衝撃があった。
「本当に本当なんだなっ!? 間に合うんだなっ!?」
ターコイズブルーの髪と瞳と、白い肌と、そして神秘的な鱗が直ぐ目の前にある。
感極まったカミューが、胸ぐらを掴んできたのだ。
「まぁ」
と、エルローネから好奇心があふれる。
「5日以内に着けばいいんだろ? 楽勝だよ」
「ほんと、だな? ぐすっ、みんなを、守れるんだな?」
カミューは目を見開いたあと、ボロボロと涙を流し、すがりつくようにタツキを抱きしめた。
「ありが、とう」
安堵。喜び。感謝。安らぎ。慈愛。
大河のような感情の流れが、ほとんど出しきってしまったエリキシルを、ゆっくりと補充していく。
もちろん「げっ歯類ほっぺ再び」で、タツキの左手をギリギリと万力のように握りしめているチェリも、喜んでいいのか、悔しがったらいいのか、ままならない感情をダダ漏らしにしている。
「よ~し、みんな、行き渡ったら乾杯だ。明日から忙しくなるぞ」
自分に抱きつく柔らかいものと、しっとりとした不思議な鱗の感覚、そして、左手の愛しい痛みを抱えながら、タツキは高々と杯を掲げた。
「乾杯っ!」
「「「乾杯っ!!」」」
***
タツキの作った地下通路は、やがて《酒呑みたちの地下通路》と呼ばれるようになり、多くの人が行き交う交易の要になる。
それは、己に目覚めたダンジョンマスターが、歴史に足跡を刻みはじめる、その記念すべき第一歩であったのだ。
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