26:ダンジョンマスターは公衆浴場を建造する
「これで俺は食と住をあなたがに保証したことになる」
集合住宅の一室、その使い方を不動産屋よろしく解説したタツキは、狭い部屋にごった返す「元」盗賊団に言葉をかける。
「次は衣の保証なのだが、それを行うために、ひとつ、あなた方に失礼なことを告げねなばらない」
「坊っちゃん、なんでも言ってください」
「ああ、坊っちゃんは俺達の恩人だ」
「何だってしますぜ、坊っちゃん」
さすがは盗賊団などというものをしていた体育会系。強さと恩義に誠実である彼らは、すでにタツキのそれらを認めてくれているようだ。
ただ、呼称が「坊っちゃん」になりそうなのはどうしたものか。
「あー、言わせてもらうが、あなた方の体臭がちょっときつくてな」
トーマスに敗走し、着の身着のままここまで流れてきた彼ら。
窓を開けているとはいえ、そんな者たちが狭い室内でごった返しているのだ。多少、いや、ずいぶんと臭い。
「も、申し訳ねぇ坊っちゃん、ここの所水浴びもできてなくて」
どうやら自覚はあるらしい。
その事実に、タツキは胸をなでおろす。
律儀にタツキの隣で護衛を行うロベルトや、やっぱりタツキの隣でインプを胸に抱いてよしよししているチェリは、なんの反応も示していないものだから、この野獣系スメルが世界のデフォルトであったらどうしようかと不安になっていたのだった。
「迷宮都市に住む条件は、清潔であること、だ。俺はきれい好きであるということを覚えておいてほしい」
タツキの言葉に元盗賊団は一様に不安そうな顔をする
「心配は無用。そのための手段はこちらでちゃんと用意するから」
そして、またダンジョンがガツン、と揺れた。
***
陽光を提供する、地上とつながった水晶。
それが規則正しく並んだ明るい天井に向かって、煙突からもくもくと真っ白なと湯気が立ち上がってゆく。
場所は集合住宅の真向かいだ。
「ほわー?」
チェリは口をあんぐりと開けて、その見たことのない建物の、起立する煙突を見上げていた。
どんどん湧き上がる湯気を見るのが楽しいのか口元は笑みの形。ただ、その分に意識を割かれているのか、羽をびろーんされすぎているインプがやや涙目になっている。早急に我に返ってほしい。
「ダンナ、これは?」
元盗賊団一行も、驚きに声も出ない。比較的タツキのダンジョン内チートに慣れてきたロベルトが苦笑気味に問いかける。
「公衆浴場だな。でかい、皆で入れる風呂だよ」
「な、なるほど、風呂っすか。そういや、風呂で飲む温ワインは格別だったなぁ。ダンナ、今晩あたりどうっすか?」
まるで仕事上がりの月給取りのように、ロベルトは右手でクイッと杯を空ける仕草をする。
「いいなぁ」
さすがは酒飲み仲間の絆。互いの好みは把握済みで、タツキも二つ返事で了承する。
「今夜も月が綺麗だろうからなぁ」
湯船で飲む、香り高い香辛料が漬け込まれた温ワインは、体を芯から温めてくれることだろう。それを、神秘的な銀色の光を放つ、やたら大きな月を愛でながら飲むのだ。
「タツキ様、私も、私も!」
煙突ともくもくの湯気を堪能し尽くしたのかチェリも会話に入ってくる。インプも羽びろーんから開放され、どこかホッとした表情で彼女の腕の中に収まっている。
余談ではあるが、この世界のインプは慣れると癒し系だ。
紺色で毛のない福福とした赤ん坊に、申し訳程度の羽が生えたデザイン。くりくりとよく動くつぶらな瞳と、ちょこんと頭に突き出た二本角がついている。
「いいんですかい、チェリ様? ちゃんと俺達の話、聞いてましたか?」
「ふぇ? 途中から聞いてたよ」
エルローネとウォルフ、そしてロベルトはチェリを様付けで呼ぶ。
彼女はダンジョンマスターの恩人。
それを考慮しての敬称かと思っていたが、ダンジョンマスターランクが上がってみると、ロベルトの「チェリ様」には過分に忠義の感情が含まれていると感じる。
――さすがは騎士だな。
そうタツキが感心していると、
「ふぇ!? おふ、おおふ、お風呂でっ!?」
チェリが盛大にわたわたし始めた。
「ええ。俺とダンナで風呂場で月見酒を楽しもうとしてましたが――」
忠義の他はなんだろう。
タツキは、定まらないが確かに在る、かつての記憶に思いを馳せる。
「――チェリ様がこられるのなら、もちろん俺は退散しますぜ?」
そう。オジサンだ。
これを本人に告げると全力で否定されそうだが、姪っ子をからかう伯父がまさにこんな雰囲気。
「どうぞダンナと二人でごゆっくり――」
「――ではロベルト様はあとで私とお風呂ですか?」
リンゴのようになってしまったチェリをからかって、ニヤニヤしていたロベルトは、思わぬ伏兵の一撃に激しく咳込む。
「エ、エル、おまえっ!?」
いつのまにか怖いお姉さんが、ウォルフ(本物)とともにやってきたのだった。
***
「あーっ、ロベルトおじさま、エル姉様のこと、エルって呼んだ!」
2度もダンジョンが揺れたので、気になりまして。
そう、自分たちがやってきた理由を伝えるエルローネ。揺れた訳を説明し、危険はなにもないよと話すタツキの袖を、チェリは興奮気味にグイグイ引っ張る。
「でも、チェリはもうタツキ様にチェリって呼んでもらってるもんねー」
全くどこの女子学生だと苦笑していたタツキは、チェリが今まさにその年代であったことを思い出し、ついで、チェリのこの謎の「勝ち誇り」っぷりに首を傾げる。
「は? チェリはチェリじゃないのか?」
「え? チェリはチェリだけど、チェリじゃないよ」
「意味が分からん」
首を傾げるタツキ。
「ふふ、そんな気がするだけ」
そして、さらに謎の回答に、がっくりと脱力する。
「ま、いいか。チェリが何者であろうとも」
「ふぇ?」
タツキはチェリの頭を優しくぽんぽんする。
そのゆるふわな栗毛の感触を楽しんでいると、チェリがむず痒いような、くすぐったいような、それでいてもっとして欲しいような顔をする。
「ここにいるチェリが、俺にとってのチェリだ」
どれ――。
タツキはチェリに微笑みかけてから彼女のそばを離れ、未だあんぐり口をあけている元盗賊団に向き直る。
「――タツキ様って、しれっと殺し文句を述べられますね」
その一部始終をしっかりと目撃していたエルローネが、チラとロベルトに視線を投げかけけながらぽかーんとしているチェリに囁く。
「う、うん、すごく、すぎゅーん、って来たよ」
ごしごしと、熱くなってきた自身の頬をさするチェリ。
「私も応援しますから、がんばってくださいね」
「姉様! ・・・で、でも、私、わんこだし・・・」
「ですが、タツキ様にとってあなたは世界で一番大切なんでしょう?」
「は、はうぅぅ」
げに恐ろしきは、酔っ払っても記憶を保持できる面々である。
酒宴で吐いた恥ずかしい言葉。それをシラフで告げられたりしようものなら、ランク4のダンジョンマスターだって瞬殺だ。
元盗賊団に説明に向かったタツキ。きゃいきゃいと笑い合う女達。そして、元盗賊団同様にポカーンから抜け出していないウォルフ。
「チェリシエル様・・・」
ロベルトがどこか遠い表情で、そう呟いたのを、だれも聞き取ることができなかった。
***
というわけで風呂である。
黒目黒髪の**人は湯船に浸かる風呂が大好きなのである。固有名詞は失われているが、脳内に残るイメージを忠実に再現し、タツキは己がダンジョン内チートを駆使して公衆浴場を建築したのだ。
草を編みこんで作ったゴザが敷き詰められた脱衣場。
脱衣カゴには、これまたダンジョンマスターの宝箱機能を応用し、新しい貫頭衣が沸く仕様になっている。ぼろぼろな服は風呂にはいる前に捨てて、風呂あがりには清潔な衣類をまとってもらおうというものである。
「驚くのはまだ早い」
妙にウキウキしながら、脱衣場から湯殿に繋がる引き戸を開けると、準備万端とばかりに、もうもうと湯気が流れこむ。
それが一段落すると、湯殿の全容が見えてきた。
「や、山だ! 湯気の向こうに見事な山の壁画が!?」「お、おいっ、石鹸があるぞっ!!」「滝だ、お湯が滝のように・・・」
タツキは元盗賊団の歓声を聞き満足気に頷く。
「体と髪を洗ってから、湯に浸かるんだ。朝も昼も夜も、1日中使えるようにしておくから」
集合住宅に、あえて風呂は作らなかった、
定期的に誰かと顔を合わせることのできる場所を作ることで、引きこもりや、知らないお隣さんが生まれることを避けたかったのだ。
「これで、俺が衣食住を保証できることは証明できたと思う」
タツキは湯気と、そして**人の心の象徴、頭を雲の上に抱く**山(壁画)を背負って一同に向き直る。
「ここで改めて問おう。あなた方は迷宮都市の住人として、盗賊であった過去を精算し、まっとうに生きることを誓えるか?」
「坊っちゃん・・・っ! 俺は、俺達は・・・っ!!」
見れば熊なお頭が男泣きに泣いている。
「こんどこそ、真面目になりやすっ! まっとうに、手に職をつけて生きていきやすっ!!」
その言葉に嘘偽りがないことは、ダンジョンマスターでなくとも分かる。
「なぁ、お前らっ!」
「もちろんでさぁっ!!」
部下たちも全員が迷いなく唱和する。
それはこの世界において歴史的な瞬間として記録されることだろう。
史上初の、人が住まうダンジョンが、ここに誕生したのだから。