第五話
サミュエルは捨てられた子供のような、酷く傷ついた表情を浮かべていた。
ユリアにはなぜそんな顔をするのかわからなかった。
「サミュエル、様?」
思わず名前を呼ぶとサミュエルがビクリと肩を揺らす。
「アイリーン様と何かあったのですか?」
ユリアは出来れば避けたかった話題を振った。
傷つくのは自分だとわかっていたが、サミュエルを見ていると聞かずにはいられなかった。
サミュエルをこれほど揺さぶる何かがあるとしたらそれしか思い浮かばなかったから。
サミュエルは首を振り、両手で顔を覆った。
慌ててサミュエルにかけよりその背中を撫でる。
昔、サミュエルが1人隠れ泣いていた時にそうしたように。
「大丈夫。大丈夫です」
ユリアが慰めながら声をかけるが、サミュエルは幼児期に戻ったかのようにただ首を振る。
「ユリアっ」
「はい」
「ユリア、っ…苦しい」
「え?ど、どこですか?!どこが苦しいんですか?!」
サミュエルの手を押しのけ様子を確認しようと顔を覗き見る。
揺れた瞳とぶつかり一瞬意識が奪われた。
「心が、」
「…心?」
「そう…心が痛いんだ。会えなくなってからずっと、心が壊れそうだった」
「え?アイリーン様と会えなくなったんですか?!なぜ?!」
「違う、そうじゃない。そうじゃないんだユリア。ユリア、君と会えなくなってからなんだ。ミハエルと君の話を聞いてからは夜も眠れなくなった」
サミュエルの言葉にユリアは息を呑んだ。
自分は白昼夢を見ているのだろうか。
いや、それとも私の脳が都合の良いように認識しているのだろうか。
サミュエルの言葉がまるで愛の言葉のように聞こえる。
(…そんなわけないのに)
「サミュエル様。それは一過性のものですよ。いずれ落ち着きます。それよりもアイリーン様と早々に婚約されたほうがよいのでは?アイリーン様はおモテになりますから他所を見ていたら愛想つかされちゃいますよ」
ふふ、とユリアはあえて笑って見せた。
しかし、サミュエルはありえないと首を降る。
「私の婚約者はユリアだ」
「大丈夫です。私も早く破棄されるようにお父様に言って」
「ダメだ!」とサミュエルはユリアの言葉を遮るように叫んだ。
驚いたユリアは身を引くが、腕を掴まれ逆に距離が縮まってしまった。
「ユリアは俺と結婚するのはそんなに嫌か?」
「…なぜそんな話に?」
「答えてくれ」
真剣なサミュエルの目にユリアは観念したように本音を漏らした。
ずっと、秘めていた本心を。
「嫌です。嫌に決まっているじゃないですか」
ユリアの言葉にサミュエルはヒュッと息を呑む。
「何が悲しくて私のことを好きでもない人に嫁がなくてはならないのですか。私だって…愛し愛されたいという願望くらいあります」
それっきりユリアは口を閉ざした。
サミュエルはユリアの言葉を聞き、しばらく沈黙したものの、思い切って己がその相手にはなれないのかと尋ねた。
いつもより低く硬い声で少し震えていたが、余裕のないユリアは気が付かない。
「…サミュエル様のお相手はアイリーン様でしょう」
ユリアは自分で言いながらも傷つき、そっぽを向いた。
少しでもサミュエルの視線から逃げるために。
「…アイリーンのことは確かに好いていた。いや、好いていたと思っていた。私は大馬鹿者だ。ユリア、どうやら私は君のことを愛しているらしい」
サミュエルの言葉をユリアはすぐに認識できずに固まっていた。
気づいた時には引き寄せられ抱きしめられていた。
「お願いだ。どうか、私を捨てないでくれ。少しでも私に気持ちがあるならばチャンスをくれ」
懇願するサミュエルの腕の中、ユリアは慌てて離れようとした。
しかし、もがけばもがくほどサミュエルの拘束は強くなる。
とうとうユリアは諦めてサミュエルの申し出を受けることにした。
ミハエルとの婚約の話は保留という形になった。
隣国側はユリアの意見を尊重すると言い、決定権はユリアに委ねられた。
帰国して初の登校となる。ユリアは少々不安だった。
学園での立ち位置が気になったからだ。
アイリーンとサミュエルの関係も気になり、重い気持ちのままユリアは登校した。
ユリアがクラスに入ると一瞬ざわついた気がした。
気にしていないふりをして、近くにいた子に己の席を聞く。
皆腫れ物を扱うようにして接してくる様子を見て、ユリアは早々に隣国が恋しくなった。
ようやく昼食の時間になり、ユリアは早々にクラスを出ようと立ち上がった。
同時にクラスのドアが開かれる。今日一番のざわつきが起きた。
サミュエルが現れたからだ。
サミュエルは当たり前のようにユリアの元へとまっすぐ歩いてくる。
「昼食を一緒にどうかな?」
にこやかに笑うサミュエルに嫌とは言えず、ユリアは頷いた。
サミュエルに連れられるままサロンの一室へと足を踏み入れた。
部屋の中には思わぬ人物、アイリーンがいて、ユリアは顔が強ばるのがわかった。
入口に立ち尽くしたユリアの背をサミュエルは押して椅子へと座らせる。その隣に自分も腰を降ろした。
アイリーンの隣ではないことにユリアはホッとするも顔は青ざめたままだ。
「ユリア、大丈夫だから」
そう言ってサミュエルはテーブルの下ユリアの手を握る。
「ほら、ユリアの好きな物たくさん作らせたから食べてくれ」
サミュエルはスプーンでポタージュをすくうとユリアの口元へ近づけた。
ユリアは狼狽えたものの下げられる様子のないスプーンとサミュエルの顔を見た後、諦め口を開いた。
確かにユリアの好きなスープだったが、この時ばかりは味がしなかった。
しなくていいというのに甲斐甲斐しくお世話したがるサミュエルにユリアは戸惑うばかりですっかりアイリーンの存在を忘れてしまっていた。
心底呆れたといった風のため息が聞こえてようやく、思い出した。
慌ててアイリーンに視線を向けると。
アイリーンはユリアというよりサミュエルを睨んでいるようだった。
「殿下。もう良いですわ。よーーっくわかりました」
「そうか?はっきりとわかるまでいてくれても良いよ?」
「いいえ!もう結構です!!ごきげんよう!!!!」
憤慨した様子でアイリーンは出ていき、ユリアはただポカンとした表情でその背中を見送るしかなかった。
「せっかくの昼の時間だったのにすまないね。もう彼女のことは気にしないで良いから」
「え?ど、どういうことですか?」
サミュエルはばつが悪そうに話し始めた。
先日サミュエルは正直にアイリーンに気持ちを伝えたらしい、「一時期の気の迷いでアイリーンを好きだと思っていたこと」「ユリアを愛していると気づいたこと」「アイリーンには小麦1粒分の気持ちもないこと」
ユリアは絶句した。やはりサミュエルの真面目さは毒だと思い…少しアイリーンに同情した。
アイリーンがサミュエルの言葉を聞いても納得出来ないと言い、今回の食事会を催したという。
結果、どこで判断したのかはわからないがサミュエルの気持ちは本気だと通じたらしい。
ユリアはアイリーンの気持ちがよくわかった。
それでもほの暗く喜ぶ自分がいることも否定できない。
もう、この時点でユリアの中では答えが決まっていた。
ミハエルには申し訳ないが、やはり自分はサミュエルが好きなのだ。
ただ、簡単にサミュエルを許すつもりもなかった。
(だって私は傷ついたのだもの。少しくらい焦らしても罰は当たらないでしょう)
必死に己の愛を届けようと頑張るサミュエルを見て、ユリアは少しの愉悦を覚え、ほの暗い気持ちを隠すように笑みを浮かべた。
国の歴史上もっとも医療が発展したといわれるサミュエル王の治世。サミュエルは賢王と謳われ、王妃は女医の第一人者として名を馳せた。
2人の仲は大変睦まじく、特にサミュエル王は愛妻家だったという。
嘘か誠かは定かでない話だが、隣国との合同学会の際には強引に同席し、王妃に近寄る男性を牽制して邪魔だと王妃に叩き出されたこともあったという。