第6話『狂信者の追跡』
覆面の輩のアジトから抜け出してから数時間が経ってようやく彼女は落ち着き始めた。
小さい体のどこから出せるんだと聞きたくなるような人と獣を混ぜたような叫びも収まり、ボロボロと流れていた涙も止まった。
アジトから抜け出した後、少しでも遠くに逃げる為に歩き続けたがそれでも俺達は子供。
【支援】の効果もなしで行ける距離なんてたかが知れてる。
さらにアジトの外はかろうじて枯れたような草木が数本しか生えていない、人よりも大きな岩が目立つ荒果てた山中にあったようで道という道がなく傾斜がきつい場所だった。
彼女はまだ平気そうだが俺の足は限界が近く産まれたての子鹿のように震えている。
いつ、覆面の輩が彼女の泣き声を聞いて迫ってくるかヒヤヒヤしたものだが、追手は来なかった。
泣き止んだ彼女は興味深々な様子で荒れ果てた周囲をキョロキョロと見て、耳を忙しなく動かしている。
今なら会話もできそうだ。
俺は近くの岩陰まで彼女を連れて向かい合うようにその場に座った。
「改めて、自己紹介からだな。
俺の名前は鬼灯、お前は?」
「…ルー」
今まで何度か彼女に名前を名乗ったが初めて反応が返ってきた。
泣いていた時のような声量ではなく、小さく呟くように彼女、ルーは名前を俺に教えた。
やはり《呪い》の影響で話せなかったようだ。
「俺達は牢屋から脱獄できたが、そんな遠くに逃げれた訳じゃない。
こっちは子供で相手は大人だ。
歩ける距離は相手が圧倒的に長い。
捕まったらロクな目に合わないに決まってる。
だからもっと遠くに逃げる為に力を貸してくれ」
捕まったら?
やっぱり今度は逃げられないように鎖に繋がれたりするのだろうか?
それとも足の腱を切られるかもしれない。
二度と逃げようなんて考えないように暴力や魔法で恐怖を植え付けるかもしれない。
うん、捕まりたくないな。
「…えっと」
「まずは俺の【支援】、魔法でルーを飛べるようにする。
そして、まずは最寄りの町まで逃げよう。
その町で今、どこの国に居るか確認してから目的地を決めよう。
そういえばルーはいつからあの牢屋に閉じ込められていたんだ?
連れて来られる前はどこに居た?
ルーが望むならそこを経由するルートを考えるぞ」
歩いて逃げるよりルーに【飛翔】を使って俺を抱えて飛んでもらった方が長い距離を逃げられるはず。
待てよ、ゲームでは【支援】を使えば飛べてたが、現実世界でも飛べるのか?
飛べたとしても上手く飛べるとは限らないか。
空を飛べる鳥だって最初は飛べない。
そこは練習あるのみだな。
それとルーの故郷が分かればそこには獣人が他にも居るだろうから部下を増やせるチャンスだ。
絶対に探らないといけない重要な情報だから、なんとしてでも聞き出してやる。
「…うぇ」
「うえ?」
ルーが泣いた。
子供は、というかルーは分からない事を聞かれたら泣く。
俺はルーを泣き止ませた後に反省した。
確かに、子供に聞くには色々と難しい事も言ったかもしれない。
泣きながら分からないと連呼する様子を見て俺は一つ一つ、分かり易いように言う事を心掛けた。
「空を飛んで逃げるぞ」
「とぶ?」
「そう、あの鳥のように空を飛ぶ。
そして遠くに逃げ…あの鳥、なんかおかしくないか?」
俺はルーに例えとして指差した鳥に違和感を感じた。
こんな荒地に鳥なんて居るのか?
餌になる虫や小動物さえ居ないような場所だぞ?
「…ウソだろ」
目を凝らしてよく見ると違和感の正体に気付いた。
確かに翼は鳥に近い形をしていた。
しかし、翼よりも胴体の部分が遠くから見ても明らかに大きい人型なのだ。
この世界には翼の生えた獣人は存在するらしいが、飛ぶには自重が重い為、飛べないと教わった。
しかし、アレは悠々と空を飛んでいる。
この世界には空を飛ぶ乗り物は存在している。
気球や飛行船に似た乗り物で、主に風属性の魔法を利用して飛んでいる。
しかし、それも道具の補助があってこその技術だ。
風属性の魔法で人を吹き飛ばす事は出来ても鳥のように空を自由に飛べるなんて話は聞いた事がない。
「あ、あぁ…だめ、だめ!」
「なん…ぐっ!?
待て、離せ、折れる!!」
俺が謎の鳥人間を見上げているとルーが俺を岩陰の奥の方に引っ張り込んだ。
そして、俺の腕にしがみついてきたがミシミシと聞こえてはいけない音とともに痛みが俺を襲う。
俺が痛みのあまり叫んだ事が効いたのかルーは力を抜いた。
依然として俺の腕にしっかりとしがみついて離れないまま震えている。
振動が伝わって痛い。
ルーの奴、獣人の怪力で俺の細腕を掴みやがって、折れたらどうする気だ!?
これ、骨にヒビとか入ってないだろうな?
まだ、痛みが残っているし、絶対にアザになってるぞ。
だがルーの反応からして…アレに何かされたのか?
それこそ、俺にしがみついて震えるぐらいにはトラウマになるような事を。
「ルー、お前。
今、空を飛んでいたアイツを知ってるな?
話せる範囲で良いから教えてくれ」
ルーは黙ったまま頷いた。
【聖光】のおかげか、思ったよりも早く立ち直ったルーはポツポツと凄惨な過去と外道の所業を話し始めた。
「ママを食べたの」
食べた。
それは何かの比喩表現だろうか。
「足から食べたの。
ボリボリバリバリ」
まさか、アレは食人をしたというのか?
それも娘の前で母親を?
ルーの表情は感情と呼べるモノはなかった。
俺ではない誰かを見ているような虚ろな目で何かを食べる仕草をしていた。
「ママ、何か言ってた。
でも、ルー、聞こえなかった」
ルーは耳を触りながら言った。
それは…目の前で母親を喰い殺されたから断末魔が聞こえても認識できなかったのではないか。
それが良かった事なのか俺には判断できない。
もしかしたら母親から娘へ最後の言葉を伝えようとしていたのかもしれないから。
「ルーもね、食べたの。
足から体の半分を一口でパクリ」
俺は思わず視線を下に向ける。
ルーは胸の少し下辺りを触っている。
その下には無事な下半身が、荒地を歩いても大丈夫な頑健な足がちゃんとある。
もしかしたら再生したのか、喰われた下半身が?
それはあり得るのか?
魔法で治すにしたって限度がある。
失った手足はそれこそ、噂の光属性の魔法ぐらいしか治せない。
実質、治しようがないのだ。
ルーは光属性の適正があるにしても、欠損を治すには魔力が足りずに不可能なはず。
その前に体が半分、胸の下から無くなれば致命傷だろ。
普通は…
「それからずっとあそこに居たの」
あそこ、それは俺も入れられた牢屋の事だろうか。
俺はもしかしたら性奴隷よりも酷い目にあったかもしれない。
ルーのされた事が俺もされていればどうなっただろうか。
俺も復活の機能で死なない。
俺達は食人の気がある狂人に生きたまま何度もムシャムシャと喰われる羽目になるかもしれなかった。
そんな狂人がどんな方法か分からないが辺りを飛んでいる。
捕まった後の事を考えると思わず怖気が走る。
逃げ出した俺達を空から探しているのか?
流石に敵に空を自由に飛べる者が居るなら飛ぶのが初めてのルーが逃げきれるとは考え辛い。
それも俺という枷がある状態で。
無理な話だ。
その時、ドサッと重い何かが落ちたような音が近くから聞こえた。
…もしかして、俺達の叫び声が聞こえたのだろうか。
段々と近付く足音に俺達は思わず息をひそめた。
しかし、ここは逃げ場の無い岩陰。
隠れる事も難しい。
見つかれば捕まってしまうだろう。
見つかる前に逃げきる他、道は無い。
「ルー、今からお前を強くする。
だから、逃げるぞ」
次回、『峠を越えて』