第七章 疾風迅雷(二)
「到底、呑める話ではない」
突っ立ったまま、神野は険しい口調で言った。室内に呼び集められているのは、右大臣内麿、中納言坂上田村麻呂、そして蔵人頭冬嗣の三人である。坂上田村麻呂は征夷大将軍としてその勇名をとどろかせている。赤ら顔に鷲のごとき鋭い目を光らせる偉丈夫だ。妻戸の外に、同じく蔵人頭巨勢野足がいる。
「何故、このようなことを言い出されたのか―――」
言って、神野は床を睨んだ。
晴天の霹靂。
まさに、それである。
内麿と田村麻呂はじっと神野を見ている。その表情の中には、非常事態に対する緊張とともに、どこか値踏みをするような冷たさがあった。
内麿は神野の考え―――安殿の命に対して朝廷としてどのような態度をとるかをという決断―――を聞くよりも早く、既に動いていた。部下に仲成の監視を命じたのである。
神野の命を受け、部下を田村麻呂の下へ走らせてから、冬嗣は内麿の下に駆けつけた。主上のお召しです、と告げた後、冬嗣が更に言葉を継ぎ、
「仲成どのが―――」
と言うと、内麿は唇の端に薄い笑みを浮かべ、短く言ったのである。
「手配したところだ」
ずるずると、解決せぬままに来てしまった「二所朝廷」状態。それを苦々しく見ていただけに、今は自ら一応情報収集のために素速く動きつつ、
『さて、どうなさるおつもりかな―――』
と、醒めた眼で神野を見ている風があった。
田村麻呂もまた、無言である。桓武帝の命を受け、征夷大将軍として活躍してきた生粋の武人。内麿とはその質こそ違え、やはり神野の帝としての力を見極めようとするかのように、その口から発せられる命令をじっと待っている。
平城京へ行かねば。
室内の緊迫した、しかしどこか冷やかな空気を感じながら、冬嗣は思った。
とにかく、今必要なのは、何よりもまず情報を集めることだ。仲成の動きは既に内麿が追っている。だが、誰かが平城京へ直接行って、情報を集めないことには始まらない。兄真夏に会って、内情を聞き出すのだ。
表向きは、帝の意図を周囲に伝える伝達係に過ぎない冬嗣である。下された決断を実行に移すための伝達役―――今このときにもその名目で、彼はこの場に同席している。帝、台閣第一位、第二位の錚々たる人々に向かって提言するなど僭越も甚だしい。
だが、今、神野に対して発言しようとする者は、冬嗣以外にいないではないか。
意を決して冬嗣が口を開きかけた、まさにそのときである。
私室の妻戸の外から、思いがけない人間の声が聞こえた。反応したのは、田村麻呂である。
「良峰少将?」
安世である。田村麻呂は、中納言・征夷大将軍であると同時に右近大将でもあるから、右近少将安世の上官だ。ちなみに蔵人頭野足は左近中将で左近大将内麿の部下でもある。お目通りを、と言っているのを制しているのは、その野足だ。
「良峰どの、今はなりませぬ」
「一刻を争うことです。何卒、主上にお取り次ぎを。それが駄目なら、冬嗣どのか内麿どのをここに呼んで下さい」
神野は声を上げた。
「構わぬ。通せ」




