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第五章 登極(六)

 そんな具合で、動き出した新体制は、始めから内に緊張をはらんでいた。

 観察使の件は協議の結果ほぼ緒嗣の進言が通り、実行に移されることになった。その後、神野は薬子の目を気にかけながら慎重に政務を行っていった。そして表面上は徹底して安殿を立て続けた。また、下に対しては、安殿に振り回された重臣たちに配慮し、献策を求め、協議・相談を重ねながらゆっくりと進めていく手法をとり、それによって、台閣も次第に落ち着きを取り戻していった。

 安殿は七月に入ると暑さに負けて再び体調を崩した。義務も責任もない立場にある手持ち無沙汰から、今度は卜筮に凝り出した彼は、身体の不調を感じるたびに陰陽師を召し出しては占わせ、方角を理由に後宮の局をあちらこちらと引っ越しし始めた。

「兄さま、いい加減になさいませ。兄さまが居処を替えるたびに、一体どれだけの人が動かなきゃならなくなってるか判ってらっしゃるの?」

 食ってかかったのは高志である。安殿は高志を睨んだ。

「何だと、おれが酔狂でただ居処を替えているだけだと思ってるんじゃないだろうな? 病を避けるために、必死で試みてるんじゃないか。それとも何か、お前、血を分けた兄が取り殺されてもいいと言うのか?」

「そんなこと言ってませんわ。ただ、もう少し回りのことをお考えになってもよろしいのではなくて」

「それぐらい、考えているさ。だが、大体、お前こそ少し考えてもみろ。おれは病人だぞ。少しはいたわろうって気はないのか」

「そんなにあちらこちらと動き回って元気に啖呵を切る病人なんて聞いたこともありませんもの」

 などと言いながらも、高志が御所へ来た理由は一応安殿の見舞である。邸で作らせた菓子を色々と持参しており、二人でそれをつまみながらの兄妹喧嘩なのだ。安殿もそれは十分承知しているのであり、結局はじゃれているだけなのである。

「誰のせいでおれがこんな風に怒鳴ってると思うんだっ」

「だって、いくら何でも三つきの間に四回も居所を替えるなんてひどすぎるわ。神野の兄さまは何も仰いませんの?」

 安殿は肩を竦める。

「あいつは何も言わないよ。昔からそうだ。喧嘩らしい喧嘩はしたことないんだから」

「それをいいことに我が侭ばかり仰って。そのうち仕返しされても知りませんわよ」

「神野が? ―――まさか」

 言下に、安殿は笑いとばした。

「お前じゃあるまいし。仕返しなんて、そんな度量の狭いことを考える奴じゃないさ」

「まっ! ―――あ、神野兄さま」

 御簾の向こうに神野の長身を見とめ、高志は朗らかな声を上げた。御簾の横から神野は部屋に入った。

「おう、噂をすれば影、だな」

 神野はいつものように丁寧に頭を下げ、

「お呼びと伺いました」

と言った。ついてきた冬嗣は、御簾の外で控えている。神野は安殿の前に腰を降ろした。

「ま、とにかく菓子でも食え。高志が持ってきてくれんだが、捻頭なんかはなかなかいい出来だぞ。ごまの味が香ばしくてうまい」

 神野は微笑する。

「では、頂きます」

 捻頭は、複雑に曲がりくねって輪になっている。それをつまんで口に入れてから、神野は笑って妹を見た。

「なるほど。よく出来ている」

「でしょう? ―――実は兄さまの分もちゃんと用意して参りましたのよ。後で高津姉さまと御一緒にどうぞ。―――お元気でいらっしゃいます? 一緒に来て下さればいいのに」

「おいおい、高津は身重だぞ、知らんのか」

「―――え?」

 安殿の言葉に、高志は目をみはる。

「え……いつから………?」

「もう五ヵ月じゃないのか。そろそろ宿下がりだろう」

「本当?」

 高志は神野を見て訊いた。神野は頷く。

「そうだね。そろそろ下がらせようかと思ってるよ」

「ちっとも知らなかったわ」

「大体、お前も大人しい顔してぞくぞく孕ませてるな。ひょっとして、三十四のおれよりも子供の数じゃ多いんじゃないのか?」

 相変わらずの不躾な物言いをうけて、神野は苦笑した。このような構図は、昔のままである。

「御冗談を」

「高津は二人目だし、嘉智子にも一人いたろう。あと交野女王に一人……あれ、そんなとこか。それにしても見事に女ばかりだな」

 高津には業子内親王、嘉智子には正子内親王、交野女王に有智子内親王であるから、確かに女ばかりである。

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