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金の繭  作者: 長束真
23/28

23(受け入れればいい)

 わたしは水を咽喉に流して、頭から少しかぶって、タオルで拭いた。陽が陰るまで足止めだ。暫くベンチでぶらぶらと子供みたい足を揺らしていると、不意に夏の色がなくなった。外に出て空を仰ぎ見れば、分厚い真っ黒な雲が一面を覆っていた。ゴロゴロと、どこかで雲が唸っていた。

「一雨きそうですね」

 マエダが云った。わたしは頷いた。

 ありがたい。少しは涼しくなるだろう。果たして、ぽつりと雨粒がひとつ、額を直撃した。

 バス停小屋に戻ろうとしたちょうどその時、きぃきぃとギアの軋む錆だらけ、深緑色の自転車に乗った爺サマがやって来た。

「とうとう降り出したか」

 呟くように爺サマは云い、小屋の脇に自転車を止めると、わたしと並んでベンチに腰掛けた。

 アスファルトは、小さな水玉模様から直ぐに一面、黒く塗り潰された。トタンの屋根は打ちつける雨粒の大合唱。

「間に合った」と爺サマは胸ポケットからくしゃくしゃになったタバコを取り出し、マッチで火をつけた。硫黄のにおいが鼻先をかすめた。懐かしくて心地の良い、優しい記憶のにおいだった。それから煙を深々と吸い込み、薄くなったその髪と同じ色の煙を長くゆっくりと吐き出した。

 なんて美味しそうにタバコを吸う人だろうと思った。ゴマ塩無精ヒゲもすごく似合っている。それはくりっと突き出た喉仏にも散っていた。

 わたしもタバコに火をつけ、煙を深く吸い込んだ。

「立派な、マユゴモリサマだなァ」

 不意に爺サマが云った。初めて聞いた言葉に小首を傾げるわたしへ、爺サマはマエダを指差し、「マユゴモリサマ」もう一度云った。

「マエダのことですか?」

 うん、そうか、マエダ君かァ。

 爺サマはうんうん、と一人で合点。

「マユゴモリサマって何ですか?」

 わたしの問いに、爺サマはまた煙を長く吐き、「最近じゃめっきり見なくなったから知らないか」

 わたしは曖昧に頷いた。

「繭に篭っているから、繭篭り」爺サマは指に挟んだタバコを振りながら続ける。「言葉ってのは面白いものでな、あんた、一緒に来たんだろ? そこのマエダ君と。それをな、繭の子守りをしているようだと、まァあんたみないな人のことも云うんだよ、マユゴモリサマって」

 爺サマはかかか、と小気味よく笑った。

「昔は、よくあったのですか?」

 ああ、と頷く老人。

「子供の頃には何度か見たなァ、田んぼの真ん中で金色に輝いているの」

 わたしは爺サマの言葉を想像し、それはそれはなんてのどかな風景だろうと思った。瑞々しい緑色一面の水田の向うに、金色のタマゴ──ではなく繭のある風景。

 繭もタマゴも似たようなものだけど、いや、全然違うかもしれないけれど、そうか、繭だったのか、マエダは繭に篭っているのか。そして、わたしはそんなマエダの子守りなのか。

「あの」

 わたしは、爺サマを見て云った。「繭ってことは、いずれ出てくるんですよね?」

「何が?」

「これ、中に入っている人」

 爺サマは深く煙を吸って、はて、どうだったかな、と呟くように云った。「そう云えば出てきたって話は聞いた憶えが無いなァ」

「出てこない? マエダはずっと──あのままなんですか?」

 うーん、と唸って、爺サマは目を閉じ、「一度、あれは名主の息子だったかなァ、マユゴモリサマになって、怒った旦那が出てこいと、ばっさり刀で切ったことがあったなァ」

「……それで?」

 直接見たわけじゃァない、聞いた話だよ。爺サマはそう前置きした。「辺り一面、血の海になった」

「中にいた、その息子も切っちゃったってことですか?」

 いや、違うんだ。

 爺サマはタバコを持つ手を振りながら続けた。「中に息子が入っている訳じゃァなく、むしろ、繭自体が息子だったんじゃないかなァ」

 爺サマは、タバコの火を床のコンクリートで揉み消し、備え付けてあった赤ペンキで煙草と書かれたブリキ缶の中へ捨てた。

「マエダ君は、あんたの好い人なのかい?」

 わたしは首を振って、爺サマに倣ってコンクリートで火を消し、ブリキ缶に捨てた。「会社の後輩です」

「どこまで行くんだい?」

「海まで」

 なるほど、と爺サマは頷いた。「マユゴモリサマが居るには、めっきり町は狭くなったからな」

 爺サマは、またかかか、と笑った。

「繭から出す方法はないんですか?」

 ふと、爺サマはジッとわたしを見つめた。「出す必要は、あるのかい?」

 え、とわたしはその後の言葉が続かなかった。そんなわたしに爺サマはもう一度、まるで出来の悪い子供に云うように続けた。「どうだい、出す必要ってのは、あるのかい?」

「……彼の家族とか、心配していると思うんです」

 天涯孤独なマエダだけど。

 アア、と爺サマはため息ともつかぬ声を出した。「でも、何しろ繭だからなァ、どうしようもない」

「諦めろってことですか?」

「いや」

 そうは云ってない、と爺サマは首を振った。


   ※


 時間が経てば、蝶みたいに出てくるかもしれん、繭だからな。もしかしたら蛾かもしれんが。まァ万が一ってことはあるかもしれん。だが、少なくとも無理にしたら、さっきの名主の息子みたいなことにならないとも限らない。もちろん、そのまんまってこともある、そもそも繭から出ることなんてないのかもしれん。何しろ、まったく分からんものだしの。

だから昔ッからマユゴモリサマって崇めていたのかもしれん。神様じゃァ、俺らニンゲンの考えも及ばぬものだと割り切れるからなァ。となると、さしずめ、あんたはァ、マユゴモリサマの巫女ってことだな。

 繭になる理由だって? そりゃ同じさ。どうして繭になるかなんて、ホラ、神様のやることだ、俺らには分かりゃしない、それでいいんじゃァないか。諦めろなんてと云っているんじゃない。まァ、受け入れればいいと──そう思うのさァ。

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