21(折り合い)
結論から云えば、わたしの考えはハズレだった。
マエダはタマゴのままで、何も変わらなかった。酒くさいタマゴだけが残り、わたしは半分も残らなかったビールを呑み、わずかなりとも幸せな咽喉ごしを堪能したが、その代償を暫くして支払うハメになった。
お尻を蚊に食われた。草陰での用足しで。
誰にも云えない、みっともない話。
トイレットペーパーは入れたのに、どうして虫刺されの薬を忘れたのだ。
※
果てしなく続くと思う夜が、再び明け始めた。
昨日と同じだ。
みるみるうちに足下がはっきりし、景色が姿を現した。
昨夜よりも休み休み進んだものだから、結局、予定は狂いっ放しだ。
マエダの突起はもう半分も無かった。さっさと無くなれば転がすのも楽になるが、それはそれで動かないようにするのが大変そうだ。
わたしはマエダに寄り掛かり、地図を眺めた。
海は遠いなぁ。
その時、一台の薄汚れた白いトラックが横を走り抜け、五十メートルくらい先で赤いブレーキランプを点けた。それから道をバックで戻ってきて、わたしたちの真横で止まった。エンジンの唸りで車体が小刻みに振動していた。
運転席から、頭に白いタオルを巻き日焼けした三十代前半くらいの顎ヒゲ男が顔を出した。「どこへ行くの?」
わたしは地図を見せて、目的の海岸を指差した。
「良かったら乗せてくよ」
「ご迷惑でないですか?」
「これから荷物積まなきゃいけないから途中までだけどね」
顎ヒゲ男が指さした所は、国道が交差する所。わたしの立てた計画なら海まで残すところ一日の距離だ。文明ってなんて素晴らしいのだろう。トラック万歳。
「アオリ下ろしてやって」
顎ヒゲ男は、助手席の小柄な若い丸顔の男に声を掛けた。助手席は、ハイと元気よく返事をし、ドアを開けて出てくると、トラックの荷台の、どうやらアオリと云うものを降ろした。それから、顎ヒゲ男と二人でマエダを積んで(ビールくさいなぁと顎ヒゲ男は笑ってた)、ホントはダメなんだけどと云いつつ、わたしも荷台に乗せてもらった。
「この時間なら道も空いてるし、危ないところも無いから。お巡りさんもいないしね」
顎ヒゲ男はウィンクをして云った。映画の中ならまだしも、本当にそんな真似をする人を見て、わたしは少し笑った。
マエダは転がらないよう、短くなった突起をロープで縛られ、固定された。
幌のないトラックの荷台は気持ち良かった。風が肌の上を滑っていく。
わたしは、荷台にあったブルーのシート、わたしの持っているヤツよりずっとずっと大きいそれをうまく折って、即席のベッドを作った。
「なんか、運が良いね、わたしたち」
「日頃の行いですね」
わたしはマエダを小突いた。「どう考えても、わたしたちの日頃は悪行ばかりだと思うけど」
ハハハ、とマエダは笑った。「僕もですか」
「そりゃそうでしょ」
荷台はがたがた揺れる。でも、それはそれで楽しい。
「先輩」
「何?」
わたしはくわえたタバコに火をつけた。
「僕、思うんですけど」
「うん、だから、何?」
わたしは煙を吸い込んだ。
「世の中って、思っている以上に、捨てたもんじゃないってとこじゃないですか?」
ふぅと、吐き出した煙は、すぅっと後ろへ細く流れて直ぐに消えた。
「僕は社会へ出て、働き始めて、直ぐに気付いたことがあるんです」
「うん」
「世の中って単純だなって」
わたしは深く煙を吸い込んだ。マエダは続けた。「大切なことって三つしかないってことです。常に他人を尊敬し、常に謙虚であり、何事にも感謝する」
なんだか説法でも聞いているみたいだ。
「その三つ。これだけ守っていけば、充分なんですよ」
わたしは煙を吐き出した。
「マエダ──」
「何ですか?」
「分かっているけど、納得できないとか、納得したくないだとか、理解を拒むことってある?」
「正論なんだけど、認めたくないってことですよね」
「うん、そう」
「ありますよ」
「それも、沢山ね」
「先輩、考えすぎなんですよ」
マエダは云った。
どこかで折り合いをつけないと、ただただ苦しいだけで、辛いですよ。そして、その折り合いってものは、他の誰でもなく、自分自身でしかできないことなんです──。
分かっている。
指摘されなくても分かっている。
わたしは考えすぎなんだ。いつだって。
頭で理解できても、いつも気持ちが納得しないんだ。でも、考えることを止められないんだ。
トラックの荷台は、ぐんぐん景色を追い越していく。
わたしはこの世界で、どんな位置にいて、どうなることを望まれているのだろう。




