20(似た者同士)
アスファルトの上に座り込んで、マエダに背中を預けた。夜空を見上げた。雲が風で流れて行く。月明かりが滲んでいる。
わたしはナップザックからつぶれたトイレットペーパーを出すと、目尻を拭って鼻をかんだ。鼻水がたくさん出て、ちぎった一枚では足りなかった。それどころか、水分でふやけて、指先に鼻水がついた。
「ごめん」
「何で謝るんですか」
わたしの言葉に、マエダは驚いた風でもなく、さも当たり前のように云った。わたしはもう一枚ちぎって、指先についた鼻水を拭った。
「みっともないモノ見せちゃったから」
何で忘れていたのか、自分でも分からない──いや、そんなのは嘘、都合のいい云い訳。
目を反らしたかったから。自分がそう望んだから。フタをしてオシマイにしたかったから。
わたしはため息をついた。
何もなかったことにしたかったと望んだからだ。誰でもなく、このわたし自身が望んだのだ。
惨めだった。こんな自分であることに。
「アンタの云う通り、わたしは自分自身を赦せない」
虫が鳴いている。雲が切れ切れに流れて行く。
マエダが云った。「でも、それと同じくらいに、自身を大切に思っているんですよね」
誰かの為に。
誰かの為に、自分を大切にしなければと思うのに、でも自分が赦せない。そんな行き場のないやるせなさが、きっと先輩をそうさせているんじゃないのかなって思ったんですけれど──。
わたしは視線を爪先に向けた。
何もかも、取り繕ってみたところで見透かされる。着飾って誤魔化しても、メッキは簡単に剥がされる。何も持っていない自分を知られるどころか、下劣な自分がそこに在るのを知られる。ヒトとかモノとかの距離だなんて、そんな問題じゃない、自分と自分の中に在るモノと対峙すること、それを何より、一番怖れていたのだ。
わたしは再びため息をついた。心の奥から、何かが漏れ出るのを感じた。
※
くしゅくしゅに丸めた、涙と鼻水まみれのトイレットペーパーをポケットに詰めて立ち上がり、ナップザックを担ぎ直して、再びマエダを転がし始めた。
「先輩、一緒に呑んだ日のこと、憶えてます?」
「憶えているも何も、そのあとじゃない、アンタがタマゴに篭ったのは」
「僕ですね、あの時、ブラウスの袖から覗く先輩の手首ばかり見てたんです」
赤い痕のある、白くて細い手首。
「いつか先輩はさっくり深く、その白い肌を切り裂くんだろうなって、ぼんやり思ってたんです」マエダは滔々と続けた。「赤い海に沈む、目をつむった白い顔の先輩を思い描いていたんです」
僕は、それはいけないことだなんて思わなかった。むしろ、それを見たいと思ったんです。すごく綺麗なんだろうなって──。
「アンタも気持ち悪いヤツだね」
「似た者同士ですよ」
そうかな。そうかもしれない。
少なくとも、今は同じ目的に向かって、真夜中一路、海を目指して歩いている。酔狂だ。酔っぱらった揚げ句がこのザマなのだから。
呟くようにマエダが云った。「もしかしたら、この殻って罰なのかもしれない」
「何の?」
「そんなことを思った僕の」
「それにしてはアンタ幸せそうじゃん」
ハハハ、とマエダは笑った。「そうですね、罰じゃないですね、でもご褒美でもないでしょうに」
「どっちでもいいよ」
じゃぁご褒美で。
何でよ。
だって先輩と海に行けるんですから。
それは成り行きでしょ。
でも結果としてご褒美ですよ──。
ハハハと、マエダは呑気に笑った。わたしはそんなマエダを丸棒で突いた。ごろっごろっとマエダは転がった。
暫く歩いたところで、煌々と辺りを照らす自動販売機が目に入った。
不意にわたしは咽喉の渇きを憶えた。砂漠でオアシスを見つけた人も、きっとこんな気持ちなのかもしれない。紛うことなく、それはビールの自販機だった。疲れて暑い夏の夜に、きゅっと冷えたビールは最高、至高、気分は高揚。炭酸のぱちぱちとはぜる音を、耳の奥で確かに聞いた。
自販機の前で立ち止まると、わたしはナップザックからお財布を探し出し、コインを投入口にちゃりちゃり入れた。おい、酒なんか呑んでる場合じゃないだろうなんて、頭の片隅で誰かかが云ったけど知らんぷりした。
「アンタも呑む?」
「なんですか?」
「ビール」
ボタンを押すと、がしゃんと音を立てて銀色の缶が落ちてきた。ちゃりん、ちゃりんとハデな音を立ててお釣りも落ちてきた。その時、ふとわたしは思った。
マエダは酔った。酔った晩にタマゴに篭ったのだ。ならば──酔わせれば出てくる? 殻を破って出てくる?
それはすごく魅力的な考えに思えた。
もしかしたら、殻を破って出てくるマエダは生まれたてのヒナのごとく……素っ裸だ。
やっほー、路上ヌードショー開催ですよ!
となると、一本じゃとても足りない。取り出し口に手を入れ冷たい缶を掴み、買い足すために再びお金を入れようとした。刹那、前触れもなく自販機の電気が落ちた。
冷えた缶を片手に、わたしは何事かと思った。街灯だけが、わたしたちを照らしていた。
「マエダ」
「はい?」
「自販機の電気が消えちゃった」
「ひとつ買えたじゃないですか」
それじゃ足りないんだよぅ。
わたしは氷のように冷たい銀色の缶を片手に、恨みがましく自販機を見た。たぶん、ちょうど二十三時になったんだ。タバコもお酒も買えなくなる自販機のシンデレラ・タイム。少しくらい待ってくれたっていいじゃない。
わたしは悔しさも相まって、銀色の缶を強く振った。それからタマゴに向かってタブをひねった。ぷしゅっと小気味いい音がして、街灯の照らす中、キラキラとビールが飛沫となって散った。それはまるでいつか雪山で見たようなダイヤモンドダスト。季節外れのキラキラがタマゴに降り注いだ。
「何するんですか先輩」
「わたしの奢り、心して呑みなさいよ」
すると、マエダは可笑しそうに笑った。「ご馳走になります」
わたしも笑った。笑いながら、金色のビールを金色のタマゴに降りかけた。




