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金の繭  作者: 長束真
15/28

15(テコの原理)

 下着を着けて服を着て、血の止まった小さな印にバンソウコウを貼り、わたしは旅支度を始める。

 地図を広げて、道を確認して、凡そかかる日数を考えた。

 何しろこんなことは初めてだったので(アウトドアは趣味じゃない)、行程を検討するのは難しかったけど、一時間に四キロ進むと仮定して、疲れたり、坂だったりと色々と思い考えて、適当ながらも電卓で計算すると、だいたい四日くらいだと知って、ちょっと気が楽になった。

 荷物は最小限にしないとバテるだろう。水と食べ物は道すがら調達しよう。心配はトイレだ。むしろトイレだ。何しろトイレだ。しかし国道沿いなら、まさか人がいない土地と云うわけでないので、その辺は楽観的になろう。コンビニだってあるだろうし、食料と水分補給のついでに借りればいい。それがダメなら原始の生活。けれど用を足しているところを万が一にでも人に見られたら、嫁に行けなくなるかもなんてバカなことを考えた。そう云えば昔、父が話をしてくれた。

 道端に落ちている人糞と、犬や猫などの他の動物のそれとを見分ける方法は?

 人のものは、紙で被せてある。

 娘にこんな話をする父。けれど、うっとおしさと同じくらいに、愛おしさがわたしの中に在る。わたしはいつだってアンビバレンス。わたしを囲む色んなヒトにモノにと、距離が上手く測れない。

 替えの服と、下着に雨具、洗面具とタオルにバンソウコウ。水筒代わりにラベルをはがしたペットボトルに湯冷ましを注いだ。その他、マエダ用のブルーのシートと紐に、ちょっと考えてカッターとガムテープを追加した。これで即席テントでも作れるだろう。寝袋は持っていない。よしんば持っていたとしても、邪魔に違いない。昔観た映画みたいに、紐で縛ったブランケットを首から下げて歩くのは悪ガキにはお似合いでも、もはや妙齢とは云えない女がやるには奇矯でしかない。

 それから父のバカ話を思い出して、トイレットペーパーを一巻き。ホラ、別になんて云うか色々と便利に使えるからね。

 わたしは誰に断りを入れているのだ。気持ちがちょっと萎えた。けれども万が一に備えてもう一巻き。

 買ったばかり、当店オススメのナップザックのタグを外して、それらをごそごそ詰め込んだ。余裕があったので、棚にあったお菓子を詰めた。チョコレートはやめといた。

 書き置きに少し悩んだ。

「探さないでください」だったら、さも探して欲しいみたい。だったらどう書くべき?

 少し思案して、旅に出ます、心配しないでくださいとレポート用紙に書きつけた。

 読み返して、旅と云うほどのものかどうか、そんな大仰なものだろうかとまた考えた。見ようによっては遺書みたい。それとも夜逃げ?

 ボールペンを口にくわえてぶらぶらさせながら、暫く自分の悪筆ぶりを眺め、結局これでいいや、と半分に紙を折った。

 髪をゴムで束ねて、パーカーの袖を腰に結んで、荷物を抱えて、買った丸棒を持って、書き置きを玄関上がってすぐの所に置いて、灰皿を文鎮代わりにした。


   ※


 公園の外からマエダを見た。街灯の下の金色タマゴ。

 明日の朝、団地の人たちはそれが無くなっていることに気付くだろうか。それとも気付かないだろうか。或いはどうでもいいことだろうか。

 マエダのそばに立って、わたしはまず、海までの道のりを説明した。

 国道沿いに転がっていくよ、いいよね?

 いいですよ。マエダは云った。

 ところでアンタ、自分で転がれる?

 やってみないと分からないですね。

 じゃあやってみてよ。

 マエダはぴくりとも動かなかった。

 ダメみたいですねぇ。

 ハハハ、とマエダは笑った。

 やっぱり突起が邪魔してる。わたしは持ってきた丸棒をマエダの下に入れ、地面に置いたナップザックを挟んで、テコの原理でよいせ、と力を込めた。

 おお、重いな、さすがに。

 古代の賢人はこの惑星すらも動かせると云ったのだ、出来ないはずはない。わたしはさらに力を入れてみた。

 不意に、ごろっとマエダが転がった。

 やった。

「先輩、頭いいですね」

 勢いがつき、ごろっ、ごろっと転がるマエダが云った。

「それなりにね」

 わたしは答えながら、転がるマエダの横に並んで歩いた。

 ごろっ、ごろっ。

 マエダが転がる。

 ごろっ、ごろっ。

 わたしは歩く。

 止まりかけたら、後ろから押す。

 ごろっ、ごろっ。ごろっ、ごろっ。

 こうしてわたしたちは夜の街へ出た。一路、海を目指して。

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