14(夜も暑い)
翌朝一番、部長に電話を入れて、会社近くの喫茶店を指定した。ずいぶん偉くなったもんだね、わたし。部長を呼び出すなんて。
アイスティーに添えられた輪切りのレモンをストローの先で浮かせては沈ませながら部長を待った。やって来た部長はブレンドコーヒーを頼み、直ぐにそれはテーブルに届けられた。
わたしは六月からのことを話した。部長は黙ってコーヒーを飲んでいた。
つっかえつっかえ説明し、マエダを海へ連れて行く為に急なことで申し訳ないのですが暫くお休みを頂きたく──それまで黙っていた部長が突然、口を挟んだ。「お前、退職するつもりじゃないだろうな?」
一瞬、息が詰まった。昨夜書いた退職届を鞄に入れていた。こんなに真っ直ぐ云われるとは思いもしなかった。だから頭の中が空廻りして、開きかけた口からは、何一つ、言葉なんて出てこなかった。
部長はカップを傾けコーヒーの残りを飲み干すと、かちゃりと音を立ててソーサーに戻し、伝票を持って立ち上がった。「マエダを送ったら帰ってこい」
部長が喫茶店から出ていくと、わたしはテーブルに肘を突き、額に手を当てうつむいた。
泣きたい気分だった。惨めだった。
帰ってこなくて良いと云われたかったんだ、わたしは。
※
昼前に公園に着いた。
高く昇った陽射しの中、セミの鳴き声に包まれ、マエダはそこにいた。
金色のタマゴの姿。
わたしはベンチを軽く払うと、座ってタバコに火をつけた。もくもくとタバコを吸うわたしにマエダは声をかけてこなかった。
携帯灰皿に吸い殻を入れながらわたしは云った。「昼間に出ると、その図体じゃ道を塞いじゃうと思う。だから出発は夜にしようと思うんだけど」
いいですよ、とマエダは云った。「夜の方が涼しいでしょうし」
「夜も暑いよ」苦笑した。「また、夜に来るね」
立ち上がったわたしに、先輩、とマエダは呼び止めた。「すいませんでした」
「謝るなら最初からこんな提案しないで」
すいません、とマエダはもう一度云った。「でも、最後ですから」
最後ですから。最後のお願いですから。
「そうだね、アンタに会うのも楽じゃないよ。海じゃ帰りがけに寄るには遠すぎるもの」
マエダと別れた後、わたしはホームセンターに寄って、うどんでも打つような一メートルちょっとくらいの丸い木の棒と、沢山入りそうで、でも軽い、そんな便利なナップザック買って(夏のキャンプはこれ一つでキマリだなんて手書きのPOP、当店のオススメらしい)、家に戻って、まるで脱皮したかのように服を脱ぎ散らかし、下着姿のまま寝た。
※
夕方、良く眠れなかったけど、もそもそと布団から出て、シャワーを浴びた。カルキくさい湯にあたりながら、暫く動かなかった。動けなかった。
帰って来い、と部長は云った。帰って来るな、とわたしは云って欲しかった。
わたしは、いつだって覚悟が足りない。だから足りない分を他人に求める。罵倒されたかった。罵られたかった。
無責任だ、社会人として恥ずかしくないのか、自分勝手で身勝手で一人で生きているつもりか、何様のつもりだ、恥を知れ、お前だけでなく、両親のことも考えろ、二十何年も育ててその結果がこのザマか、いつまでも学生気取りか──。
幾らでも云えただろう。云って貰えただろう。それならきっと、わたしの中に覚悟は満ちたのに。
どうして帰って来いなんて云うのだろう。
母だけでなく、部長もわたしを呪ったのだ。
わたしの望みは、どうも叶えてもらえないようだ。それも仕方ないのかもしれない、こんな罰当たりな娘なのだから。
神様だって、こんなわたしの望みなど聞く義理なんて無いのだ。他にやることが沢山あるだから。いや、実際のところヤツは怠慢だ。他にやるべきことが沢山あるクセに、わざわざ田舎町に住むそれこそ罪深く、業の深い娘を掴まえて、彼女を望まぬ方へ方へとやっているのだから。
最低だ。
しかし、それはその娘にとって充分すぎるほどの結果を出している。
罪と罰。
つまりそれがわたしの罪と罰なのだ。
ため息。気持ちを無理矢理引き起こし、やっとの思いでシャワーから脱出した。バスタオルで身体を拭いて、わたしは湯上がりの柔らかな左の手首に赤い印を作った。
神様がわたしの望みを聞いてくれないのなら、わたしだってアンタの望むような、まっとうな人間になんかにならない。




