第45話 『ナシランハイエナ』
「で、ナシランハイエナってどんな魔物だ」
僕がそう尋ねると、クルエルは周囲を警戒したまま、声を落として話し始める。
「コイツは、普段単独で行動している。だが、獲物を見つけると遠吠えで仲間を呼び寄せるんだ」
人の住まない空っぽの街に、その声だけが低く響く。
どこから飛び出してきてもおかしくない状況の中で、その説明が少しだけ生々しく感じた。
「人間の骨すらも噛み砕く獰猛な魔物でな。足を切断されても、腹を貫かれてもなお襲いかかることから、ナシランハイエナと呼ばれているんだ」
そんな魔物がこの街の何処かにいて、しかもムシュキたちの兄貴がまだ戦っているかもしれないのか。
足を切断されても、腹を貫かれてもなお襲いかかってくるなんて、そんな奴どうやって止めたらいいんだよ。
「弱点はあるのか?」
「頭だ。頭を潰せ。そうすれば、噛めなくなるだろ」
その言葉は、あまりにも乱暴なやり方に聞こえた。
だが相手は化け物だ。
化け物の殺し方なんて、どうだっていい。
その後僕たちは、家々の間を足早に歩き始めた。
少しして、クルエルが急に足を止める。
そして背後の僕たちを遮るように、『スッ』と右腕を伸ばした。
「ムシュキ、ジェナ...」
クルエルはそう呼びかけて、石畳に落ちているモノを示した。
「ここに落ちている赤いピアスに見覚えはあるか?」
するとムシュキは、血の気を失ったような顔をした。
その表情から分かる。
これは、彼らの兄貴のやつだと。
「あぁ。兄貴のだ」
ジェナは、口元を押さえながら震えていた。
「間違いない。お兄ちゃん...」
もしかして、さっきから感じていた嫌な予感というのは、まさか――
「......くっ!」
ジェナは、遠吠えを聞いたと言っていた。クルエルに説明されて、もっと早くに気づくべきだった。
彼らの兄貴は、複数のナシランハイエナを一人で相手していたということに。
僕は歯を食いしばりながら、先の道を突っ走る。
「お◯イザ◯!」
「待◯◯さ◯よ!」
背後でクルエルとティエラが、何かを叫んでいた
――けれど。
僕の荒い息と、石畳を蹴る足音に掻き消されて、何を言っているのか聞こえなかった。
胸が痛い。足が痛い。
それでも僕は、走る足を止めなかった。
***
ややあって、僕は足を止めた。
別に疲れたわけじゃない。
ただ目の前の光景に、身体が固まってしまったのだ。
「.....」
石畳の上に、暗赤色の血が広がっていた。
状態からして、恐らく数時間は経っているだろう。
血は壁際にも飛び散り、石畳の溝に沿って黒く染み込んでいる。
けれど不思議なことに、そこに死体はなかった。
辺りを見渡しても、人が倒れている姿はない。
『人間の骨すら噛み砕く獰猛な魔物』
脳内で、クルエルのその言葉が勝手に蘇る。
もしかしたら、ムシュキたちの兄貴は、もう...。
「イザヤァ! その場で屈めぇ!」
クルエルの声が、背中を叩くように飛んできた。
僕はその場で身を屈み、後ろを振り返った。
――次の瞬間。
クルエルが地面を強く蹴りながら、こちらへ向かって飛び込んでくるのを視界が捉えた。
外套が風を裂き、クルエルの右手は剣の柄へ伸びていた。
何をそんなに慌てているんだと、そう言葉を返してやりたかったが、張り詰めた恐怖で十分に口を開くことが出来なかった。
いつもこうなんだ。
何かに恐怖を感じたり緊張すると。
すぐに声が出せなくなる。
「オォーーーーーーゥ!」
不気味な遠吠えが、すぐ耳元で聞こえた。
僕は息を呑み、恐る恐る視線を横へ滑らせる。
するとそこにいたのだ。
狼にも似た不気味な魔物が。
痩せた体に、異様に発達した顎。
濁った眼。
頭部には、ツノが2本生えている。
(魔物っ!? やばいっ!)
そう思いながら、僕は尻もちをついた。
逃げようとしたのに、腰が抜けてしまい、立つことすら出来なかった。
ただひたすらに、その場から逃げようと必死で、這いずるように後ずさった
――けれど。
魔物との距離は広がるばかりか、少しずつ縮まっていくのだ。
こんなところで、死にたくない。
まだ、やらなきゃいけないことがたくさんあるんだ。
僕は助けを求めるように、クルエルを見た
――そのとき。
ドロームで目にしたあの光景。
外套の奥で再び、群青色の強い光が滲んだのだ。
印そのものは見えなかった。
けれど、あの光で力が大きく動いたことだけは分かった。
直後、クルエルは剣を鞘から抜くと同時に投げた。
それが僕へ向かってきているように見えて、心臓が止まりそうになる。
空を裂く勢いで投げられたソレには、微かに白いオーラが纏わりついていた。
刃の周囲が、朝霧のように白く揺れているようだった。
僕は向かってくる恐怖から身を防ごうと、小さな殻に閉じこもる虫のように、反射的に頭を抱え全身を丸めた
――すると。
横から『ドサッ!』という音が、僕の鼓膜を揺らした。
音の鳴った方へ、恐る恐る顔を向けると、その近くの石畳に血が飛び散っていた。
近くには魔物の頭部が転がっており、僕を噛み砕こうとしていたであろう顎は、だらしなく開いたまま。
長い舌は石畳の上に垂れ、牙の隙間から溢れる暗赤色の血を舐め拭き取っているようにも見えた。
(なんだ...夢かぁ...)
目の前の非現実的な光景に、意識を持って行かれそうになった僕を、クルエルが肩を揺らしながら呼び止めてくれた。
「ヤ...。 ....ザヤッ! .....イザヤッ!」
そこでようやく、クルエルの声がはっきり聞こえた。
「クルエル。殺ったのか?」
「あぁ。だが、これから仲間がたくさん押し寄せてくるだろうよ。遠吠えを防げなかったんだ。そんなことより、イザヤ。武器を創ってくれないか? あいにく手元に無くてな」
その投げられた剣は、遠く離れた石畳の隙間に深く突き刺さっていた。
少しばかり距離があり、取りに行く余裕はなさそうだ。
「あぁ、分かった」
震えの残る手を握りしめ、それから右手を前へ出した。
すると黒い指無し手袋の下で、真紅の光が滲む。
掌の先に銀色の粒子が集まり始め、空気の中から引き寄せられた粒が一本の線になり、やがて剣の輪郭へと姿を変えた。
「ところで、ティエラたちは何処にいるんだ? どっかに隠れてるのか?」
「今のアイツらは戦力にならない」
剣を受け取りながら、平坦な声で告げてくる。
「だから、家の中に隠れてもらっている」
戦えないものを、近くに置くにメリットはない。
正しい判断だった。
ティエラも、ムシュキもジェナも、今ここで戦うには危なすぎる。
おそらく、僕のことも同じように思っているのだろう。
自分で言うのもなんだが、僕の力は便利だ。
武器だって作れるし、道具だって作れる
――けど。
それを戦いの中で使いこなす技術を、僕はまだ持ち合わせていない。
今だって、僕にできるのは、せいぜいクルエルに武器を渡すことだけだ。
それでも――
いつかは、誰かの後ろに隠れるだけではなく、誰かの横で一緒に窮地を越えられるくらいの強い人間になりたい。
多くの人へ、救いの手を差し伸べられるような、そんな人間に。
「イザヤ」
クルエルは軽く剣を振り回しながら、僕に言う。
「お前の創った剣、とても扱いやすい。感謝する。あとは俺に任せて、お前も家に隠れていろ」
そう言って、クルエルは近くの家を剣で示した。
そして僕は、逃げ出すようにその家へと向かった。




