第100話 九百九十八年
馬車が、丘を越えた。
魔王城が、見えた。
黒い塔が、いくつも。行きに見た氷の塔とは、まるで違う形をしている。角ばっていて、古くて、あちこち苔むしている。
アルトが、窓から身を乗り出した。
「ね、ねえさま。庭が」
リーシェも、身を乗り出した。
城の東側の、月の庭園が、丘の上から見えた。
咲いていた。
白と、青と、薄紅と、銀。五十日前に出た時と、まったく同じように咲いていた。
いや、同じではなかった。
少し、増えていた。
◇
正門で、フィンが待っていた。
三日前から泊まり込んでいたのだと、あとで知った。
「お嬢様」
「フィン」
「お帰りなさいませ」
「ただいま、戻りました」
フィンは、深く頭を下げた。
それから、アルトに向かって、同じように下げた。
「アルト坊ちゃま」
「ふ、フィン」
「お背が、伸びられましたね」
「え」
「五十日で、伸びられました」
アルトが、自分の頭に手をやった。
ナディアが、後ろで笑っていた。
◇
手紙が、三通、届いていた。
一通目は、クリストフから。
即位した、という報せだった。文面は、事務的だった。ただ、最後の一行だけ、筆跡が違っていた。
『母の生まれた家の記録は、こちらにもありませんでした。ですが、探すのを、やめないことにいたしました』
二通目は、ノエルとリューシェから。
南の方角にいるらしかった。二人で書いたらしく、字が交互になっていた。
『ノエルです。南の大陸に、着きました。ここには、魔王がいます。名は、まだ聞いておりません。人間と魔族が、同じ町に住んでおります』
『リューシェでございます。姉上——と、お嬢様に申し上げるべきでしょうか。南は、暑うございます。ノエルが、日に焼けました』
『焼けておりません』
『焼けました』
リーシェは、その手紙を、三度読んだ。
三度目に、笑って、それから少し泣いた。
三通目は、宿の女将からだった。
東の言葉と、覚えたばかりの西の言葉が、混じっていた。
『半身さまへ。あの子は、よく働きます。二階の奥の部屋を、毎日、掃除しております。よく笑うようになりました。まだ、下手ですが。セイレより』
最後の一行だけ、別の筆跡だった。
名前だけ、自分で書いたのだった。
◇
その夜、大食堂に、七人が座った。
六人と、フィン。
卓の上に、蜂蜜菓子が並んでいた。
十八個だった。
「六個ではないのか」
ゼルヴァーンが言った。
「十八個でございます」
デミウルゴが答えた。
「旅は、終わりましたので」
「三個も食えん」
「陛下の分は、二個でございます」
「減った」
「アルト様が、育ち盛りでいらっしゃいますので」
アルトが、菓子を頬張ったまま、こくこくと頷いた。
ナディアが、その口元を拭いた。
ハインツは、卓の端で、東から持ち帰った書物を積み上げていた。四十七冊あった。オーディルが「持っていけ」と言ったので、全部持ってきた。
「ハインツさん」
「はい、半身さま」
「その本は、何年かかりますか」
「読むだけで、二十年かと」
「二十年」
「はい。訳して、写して、書庫に入れるとなりますと――」
彼は、自分の黒い指を見た。
「五十年ほど、いただきます」
彼は、そう言って、少し笑った。
この人が、自分の寿命の話を笑ってしたのは、初めてだった。
◇
食事の終わりに、アルトが、立ち上がった。
「あ、あの」
全員が、彼を見た。
「ぼく、きめました」
「何をだ」
ゼルヴァーンが聞いた。
「ぼく、東に、また行きます」
匙の音が、ひとつもしなくなった。
「アルト」
リーシェが言った。
「はい」
「いつ、ですか」
「三年後です」
アルトは、言い切った。
「三年、べんきょうします。東の言葉と、条約のかき方を。ハインツさんに、教わります」
「はい」
「それで、三年たったら、グランハイド公爵として、東に行きます。潮の大陸と、条約をむすびます」
「……アルト」
「人と、魔族が、行き来できるようにします。西と、東で」
十三歳は、そこまで言って、耳を赤くした。
「そ、それで」
「はい」
「あと、宿にも、行きます」
ナディアが、口元を押さえた。
デミウルゴが、板を持ち上げた。
「ただいま記録しております」
「か、書かなくていいです」
「三年後の予定は、記録するのが作法でございます」
「作法じゃないです」
大食堂に、笑い声が満ちた。
リーシェは、弟を見ていた。
「アルト」
「はい」
「それは、誰かに、言われましたか」
アルトが、首を横に振った。
「いいえ」
「ぼくが、きめました」
◇
夜。
月の庭園に、二人で出た。
白い花が、四輪、咲いていた。
盟約の夜に一輪。再会の夜に一輪。婚礼の日に一輪。
そして、四輪目。
「ゼルヴァーンさま」
「ああ」
「増えています」
「増えているな」
「いつ、咲いたのでしょうか」
ゼルヴァーンは、しゃがんで、四輪目を見た。
茎が、まだ、細かった。咲いてから、日が浅かった。
「五十日のうちだ」
「はい」
「僕たちは、いなかった」
「はい」
彼は、立ち上がった。
「留守番をしていたな」
「はい」
リーシェは、笑った。
「留守番を、してくれました」
◇
二つの月が、出ていた。
片方は、満ちていた。
もう片方は、欠けていた。
北の空に、低く。
「ゼルヴァーンさま」
「ああ」
「北へは、いつ」
「まだだ」
「誰も、呼んでいない」
「はい」
「呼ばれてもいないのに行くのは、押しかけだ」
「はい」
「僕は、千年、待った。押しかけられる側の気持ちは、知っている」
リーシェは、頷いた。
「でも、あの鳥は、来ました」
「来たな」
「呼ばれてはいませんが、来ました」
「ああ」
「ですから、いつか」
「いつか、な」
二人は、北の空を、見ていた。
欠けた月は、動かなかった。
◇
風が、庭を渡った。
四輪の白い花が、揃って、一度だけ傾いだ。
「リーシェ」
「はい」
「次の千年は、どのくらい残っている」
リーシェは、少し考えた。
「私が来てから、二年でしょうか」
「二年だ」
「では、九百九十八年ほど、残っております」
「長いな」
「はい」
ゼルヴァーンは、その数を、口の中で繰り返した。
それから、こう言った。
「――ちょうどいい」
リーシェは、彼のほうを見た。
彼は、庭を見ていた。
十七年、要らないと言われて生きた娘が、十年に一度の御供として差し出されて、「お前でちょうどよかった」と言われた。
あれから、二年が経った。
いま、隣の人が、同じ言葉の形で、まったく違うことを言った。
「ゼルヴァーンさま」
「ああ」
「私も、ちょうどいいです」
彼女は、そう答えた。
「九百九十八年、ちょうどいいです」
ゼルヴァーンが、手を伸ばした。
リーシェが、握り返した。
左手だった。
十七年、何も握らずに握っていた手が、いまは、握るものを持っている。
二つの月のうち、片方は満ちて、片方は欠けていた。
欠けたほうは、北に低く出ていた。
いつか、行くことになる。
けれど、今夜ではない。
今夜は、庭に、花が四輪咲いていて、大食堂で家族が笑っていて、蜂蜜菓子が十八個ある。
千年は、まだ、続く。
◇
――花は、咲かせられるものでは、ありません。
次の千年も、勝手に、咲きます。
第3部「もう一人の千年」了。
お読みいただき、本当に、ありがとうございました。
第3部「もう一人の千年」、これにて完結です。
東の海へ渡って、五十日あまり。
六人で行って、六人で帰ってまいりました。
——オーディルは、浜の小屋におります。毎朝と毎晩、海へ行きます。三千年、通うそうです。数えてはいけないと言われております。
——セイレは、港の宿で働いております。二階の奥の部屋を、毎日掃除しております。よく笑うようになったそうです。まだ下手だそうです。
——カナンは、司祭館におります。七人に名前が返りました。四百十一枚の札を、これからどうするかは、まだ決まっておりません。
——アイラは、海におります。もう戻りません。けれど、一人ではなくなりました。
そして、こちらでは。
クリストフが即位しました。母の生まれた家の記録は、まだ見つかりません。それでも、探すのをやめないことにしたそうです。
ノエルとリューシェは、南におります。南にも、魔王がいるようです。名は、まだ聞いておりません。
フィンは、三日前から泊まり込んで待っておりました。アルトの背が伸びたことに、すぐ気づきました。
ハインツは、東の書物を四十七冊持ち帰りました。書庫に入れるまで、五十年いただくそうです。
アルトは、三年後に、東へ行きます。
グランハイド公爵として、条約を結びに。
——誰にも言われずに、自分で決めました。
「石は、まだ、遠くへ飛びません」「れ、練習です」
第1部で、リーシェは「お前でちょうどよかった」と言われて差し出されました。
第3部の最後で、同じ形の言葉が、まったく違う意味で使われます。
「次の千年は、どのくらい残っている」
「九百九十八年ほど、残っております」
「長いな」
「——ちょうどいい」
二つの月のうち、片方は、まだ欠けたままです。北の空に、低く。
誰も、呼んでおりません。呼ばれてもいないのに行くのは、押しかけです。
それでも、あの鳥は、来ました。
いつか、行くことになると思います。
けれど、今夜ではありません。
今夜は、庭に花が四輪咲いていて、大食堂で家族が笑っていて、蜂蜜菓子が十八個あります。
ここまでお付き合いくださった皆さま。
第1部から数えて、百話でございます。
要らないと言われた娘が、千年待った魔王と対になり、千年前の真相と決着をつけ、そして今度は、要ると言われ続けた娘に「自分で決めていい」と伝えに行きました。
リーシェは、名前を贈りませんでした。
それが、この第3部で、いちばん書きたかったことでした。
「ここまで読んでよかった」と思ってくださった方。
ブックマーク・評価・感想・レビューを、何卒、お願いいたします。
あなたのお声が、次の千年の花を咲かせます。
千年は、まだ、続きます。
蒼空ルーシェ
——第3部「もう一人の千年」 了——




