・破滅の未来と私たちの夢
私には教養がない。特に生前は自分の周囲にある物事しか知ろうとせず、これといって向上心や人生の目的があるわけでもなかった。ただ働いて、余暇を楽しんで、また働くだけの陽気なだけが取り柄のシンプルな人生だった。だけれどもそんな私でも、何が善かはわからないけれど、何が悪かくらいならばはっきりとわかる。
また事件が起きた。渡し船会社デルフェニウス商会が爆発的な成長をしてゆく中、あの晴れやかな空と入道雲とスクーナーの爽快感を味わったあの日から、1週間ほどが経ったある日、王都より急報が舞い込んできた。
それを聞くなり、私は直ちに船着き場から出航しかけていたスクーナーに比喩ではなく本当に飛び移り、満員の甲板の上でただ王都を睨みながら到着を待った。既に西の空が赤く染まり、海の向こうの王都が燃えるように輝いていた。
船が港に到着した頃にはもう日が落ちていた。宵闇の濃紺に包まれた港は、こんな状況でなければ美しく感じられたのかもしれない。けれど今はそれどころじゃない。私は陸に艀が架けられるのを待たずに、甲板から港に飛び降りて走った。
誤報であって欲しいと星に願いながら港を抜けて、都内を走る乗り合い馬車に追いつくとそれに飛び乗った。御者に運賃を払い、呼吸を整えながら目的の区画まで待った。私は馬車から飛び降り、もはや目前となっていたエルトリア学園の敷地までやってくると、男子寮があるところまで回り込んでから高い外壁をよじ登った。
「……必ずくると思っていました。まさかこんな夜中に、直接ここを訪ねてくるとは予想もしてませ――うっっ?!」
「アドニスッ、これはどういうことなの!! アンタがいておいてっ、なんでこんなことになってるのよっ!!」
私が訪ねたのはあの軟弱王子の部屋だ。私は怒りのままに彼の襟首を締めて、それからお尻には手を突っ込まないけど奥歯をガタガタと言わせた。
「うっ、ゲホッ……お、落ち着いて下さい……」
「うるさいっ、守ってくれるって約束したじゃないっ!!」
「返す言葉もありません……完全にしてやられました……」
王子は悪くない。なのに彼に八つ当たりをしている自分が急に情けなくて、強行軍もあってか全身から力が抜けていった。せっかくハスタが自分の人生を見つけたはずなのに、こんなことをするなんて、人間の血が通っているとは思えない……。
「ねぇ、これって、アイツらの仕業なの……?」
「ええ……。裏で糸を引いているのは、お隣の子爵殿と、あのミレイさんでしょう……。何せ、凶器の第一発見者が彼女ですから」
気づくと私は彼の足下にひざまずいていた。怒りに震える声に驚いて顔を上げると、普段あれだけ穏やかな王子が剥き出しの怒りに顔を歪ませていた。怒っているのは私だけじゃない。私は彼の手を借りて立ち上がって、詳しい話を聞いた。
「彼女は僕たちのハスタに以前やったことと、全く同じ手を使ってきました。前回は毒殺未遂による冤罪。今回は国家反逆罪です。今日、ハスタは2年生代表として、学園の運営者である王家との懇談会に参加しました。しかしあのミレイが、彼女の学生カバンにナイフが入っていると言い出したのです。調べてみると、それは刃渡りこそちっぽけですが……毒塗りのナイフでした」
テーバイに流れてきた急報は、侯爵令嬢ハスタトゥースが王太子の暗殺を企み、緊急逮捕されたというものだった。
「凶器をねつ造されてしまったのです……」
「でも、そんなの状況証拠じゃない……。そういうのって、裁判でどうにかなるのよね……?」
「いえ……未遂でも凶器が出てしまった以上、この国の法律では国家反逆罪となります。毒塗りというのがまたまずいのです……」
「そ、そんな……そんなデタラメな法律があるわけないでしょ!!」
すると彼は焦ったように私の口を手のひらでふさいで、唇の前に指を立てた。あ、そうだった、ここは男子寮だった……。
「ごめん……」
「いえ、僕も同じ気持ちです。ただ、人がきたら僕たちは誤解をされます」
「誤解……? あっ……そっか、これって夜ばいみたいだね」
「ちょっと、そんなかわいい顔して、夜ばいなんて言葉使わないで下さいよ……っ」
「……かわいいのは王子の方だと思うけど?」
「僕はもうチビじゃないですよ……っ?!」
王子のコンプレックスに触れてしまったみたいなので、私は彼の真似をして指先を唇の前に立てた。それから表情を引き締めて、私なりに少し考えた。日本ならただの銃刀法違反で済んだのに、国家反逆罪だなんてあんまりだ。ただの疑惑でしかないのに……。
「僕の意見を聞いてもらえますか?」
「うん、聞く……。何?」
「司法取引をしましょう」
「司法取引……。それって……洋ドラマとかで、悪党とかが警官に持ちかけるやつ? 仲間を売る代わりに、無罪にしろみたいな……?」
「洋どらま、というのはわかりませんが、ええそういうことです。今や貴女の名声は、王や諸侯の耳にも届いています。貴女は王都から南へと続く最短の交易路の所有者です。何かしらの手柄を立てれば、司法取引を成立させることが可能かと。例えば、デルフェニウス商会を、王家に譲るとか……」
「なんで私とハスタの夢を売らなきゃいけないのよっ、そんなの不公平じゃない!! だってハスタは、何も悪いことしてないんだよっ!? 絶対に売ら――むぐっ!?」
しまった、私ったらまた大声で叫んでいた。王子はちょっと青ざめながら私に飛び付いて、私の口を手で塞ぐと同時に背中へと腕を回していた。いつものヘタレなコイツなら、赤くなって恥じらうところだけど彼は真剣だった。
「わかっています。でも、起きてしまった以上はこうするしかないんです。王太子を狙った者が、疑惑だけとはいえ無罪放免は通りません。極刑はまず有り得ませんが、このままでは繊細な彼女が独房にぶち込まれます……」
「それは絶対ヤダ……ッッ」
「僕もです。僕も力を貸しますから、一緒にハスタを助けましょう。……うっ?!」
追い込まれていた私は、無意識に王子の胴へと両腕を回していた。ハスタの方がやわらかい。ハスタの方がいい匂いがする。でもこれはこれで、そんなに悪くない……。
私は彼にしがみついて胸に頬を寄せたまま、司法取引の具体的なネタを考えた。デルフェニウス商会は手放したくない。あれは私とハスタの夢の始まりだ。渡したらきっと全部終わっちゃう。……だったら、別の何かを差し出さなければならないだろう。
「ダ、ダナエー、あのっ……だ、誰かがきたら、ご、誤解を……っ」
「ごめん……今ヘコんでるから、もうちょっと我慢して……。私みたいなゴリラ女、嫌だろうけど……」
「嫌ではありませんっ! むしろ、凄く、し、しあわ……い、いえ、なんでもありません……っ」
「変なヤツだよね、アンタ……。いつかアンタにも恩返ししなきゃな……」
ぼやきながら私は考えた。何をすれば功績となるのか。自分ができることはなんなのか。私は馬鹿だから、ハスタがいないと行き当たりばったりだ……。ハスタがいなきゃ、王都と領地を橋で繋ぐなんて夢――あ。
私は彼の胸から離れて、代わりに両肩をガッシリと掴んだ!
「な、なんですか急にっ!?」
「思い付いた! 橋を造ろう!」
「橋……? ああ、橋ですか、それは十分にアリですね」
「だよねっ、アンタもそう思うよねっ!?」
「はい。ですが問題は場所です。どこに架けるか考えは――」
「私、テーバイと王都を橋で繋ぐ!」
「…………はい?」
「正確には王都近郊にある対岸にだけど、あそこに橋を造れば国家反逆罪だって余裕で許されるよねっ?!」
「は……? え、あの……あの距離に橋ですかっ!?」
「うんっ!」
デルフェニウス商会の利益があれば予算の方はどうにかなる。問題があるとすれば、かなりの時間と労働力を要する点だ。
「いくらダナエーが道路造りの天才でも、そんなことが、可能なのですか……?」
「もちっ! 今ならできるっ、約束する! アンタは王様に話を付けて! あそこに橋を架けることを条件に、私はハスタの保釈を要求する!」
私を見る王子の目には、様々な感情が入り交じっていた。驚きだったり、感心だったり、困惑だったり、喜びの微笑みだったり。彼は私をずーっと見つめて、しばらく経つとあきれたようなため息を吐いた。
「変わりませんね……。昔から貴女は強くて、底抜けに元気で、やることなすことメチャクチャでした……」
「昔って……私たち出会って2年しか経ってないでしょ?」
そう答えると、彼の端正な口からさらに大きなため息が漏れた。攻略本でこの容姿を見たときは軟弱でいけすかないと思ったけれど、今ではなかなか愛嬌のある面白い顔だと思っている。なんでか見ていて飽きない。
「本当に、僕のこと覚えてないんですね……。はぁっ、寂しい……」
「なんの話?」
「なんでもないです……。別に、なんでも……」
なぜか落ち込む王子を慰めて、他に止まるところもないのでその日は無理矢理に彼の部屋に居座った。まともに女の子と付き合ったことがないのか、彼は意外にかわいかった。寮長さんが何度も部屋を訪ねてきて、なかなかスリリングな夜になったところもよかった。
ハスタほどじゃないけどコイツといると楽しい。コイツならお婿さんにしてあげてもいいかもしれないと時々思うけれど、残念だ。コイツはテーバイ男爵家とはまるで釣り合わない王子様だった。
残り4話で完結します。
本作が完結したら、次はマインクラフトっぽいのを連載しますので、もしよろしければ読みにきて下さい。




