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七月二十三日水曜日

 「誠一郎が起こそうとしている行動にネイティブアメリカンが反対の意を表するのであれば私の名前を使えばよい。全ての責は私が引き受ける。思うように行えば良いんだよ」

 前日の夕方、モーテルの部屋から誠一郎はワレスに電話をした。翌日に会って話が出来ないかと、相変わらずの下手な英語、用件だけのぶっきらぼうな話し口で伝えた。ワレスは相談内容さえ尋ねることなく答えた。

 「それでは午前中は病院に行く予定だから三時に来なさい。」

 午前六時に起き、七時過ぎにモーテルをチェックアウトした。北西部州境の険しい山岳地帯を通り過ぎると後は平坦な道が広がった。北部で続く山火事の影響で道中は晴れにも関わらず煙でかすんでいた。誠一郎は午前中一度だけの給油を除いて四百八十キロメートルの高速道路を一気に走り抜けた。昼過ぎベイエリア近郊に到着し、待ち合わせの時間まで昼食を摂った。ペストソースで絡み合わせたパスタの味はほとんど分からなかった。誠一郎はワレスにどのような形で切り出そうか言葉を見つけられないでいた。しかし彼の前では自ら抱えるエゴを言葉に出来るような気がした。それに対していかなる糾弾を彼から受け取ろうがこの迷いを断ち切るにはそれぐらいの反応が必要なのではないかと、再び利己的にワレスの見えないセーフティーネットに身を委ねた。そこでは決して身を切られることはないだろうと囁く邪鬼が存在した。

 誠一郎は初めてワレスの自宅を訪れた。77歳のワレスは三百キロメートルほど離れたハンブレイチャの山や、毎週行われる近郊のスウェットロッジへ未だに一人でホンダ・シビックで往復していた。彼の年齢に裏打ちされた冷静さと、話し始める前にしばらく空を見つめながら考え事をする仕草が誠一郎は好きだった。そしてその仕草の裏に、常に精気を感じとるのだった。彼は誠一郎が到着した際、平屋の家に併設されているガレージの整理を行っていた。誠一郎を見つけると眩しい陽差しの当たる表へ出てきて誠一郎を抱きしめた。そしてキャンプで使う椅子を広げ誠一郎に座るように勧めた。誠一郎は初めて二人だけで話をするのだと思った。平日ということで家には誰もいなかった。モールで手にしたチョコレートを家族へのお土産として渡すと、それを受け取りながらワレスはいつも通りニコニコと誠一郎を見た。先ほどまで心の中に出現しては「セーフティーネット」と呟いていた邪鬼は既に姿を消していた。誠一郎はサンダンスの山で感じた思い、七日間のハンブレイチャを思い描いた経緯、そしてその表明に対しての周囲の意見、これらの経験を最終的には映画を前提とした物語に還元していく事への意図を可能な限りの誠意を持って伝えた。おかしな事にそれらの言葉が口から溢れ出て行くにつれ、誠一郎自身、自らが自分ではないような錯覚に陥った。いくら誠意を込めてもネイティブアメリカン文化を利用し、アジア人でそして映像会社で働くこの男は搾取することに何ら代わりもないと、十五センチほど背後から自分自身を眺めているような感覚に襲われた。そしてワレスもそう受け止めるに違いないと感じた。精子が彼に一言も残さず自死した際、彼の心に生まれた正邪入り乱れた一つの石を、肉親に近い想いを描いている先哲に向かって誠一郎は投げつけているようだった。その石が時として父親、妻、そして自分の子さえ傷つけてきたことを知っていた。思考が混濁しながらも、流れ始めた言葉を止めることは出来なかった。ワレスの表情から笑みが消え、そしていつもの空を見つめる仕草に取って代わった。誠一郎が静かになると、ワレスは沈思しているようだった。彼の頭にはインディアンズのベースボールキャップがあり、そのキャップの赤い顔のインディアンは沈んでしまった誠一郎を笑っているようだった。「僕にはベースボールキャップは似合わなくなってしまった」と一人心の中でつぶやいた。


 「どの人種にも足を引っ張る人間はいるものだ」とワレスが初めて呟いた時、誠一郎はこの目の前にいる愛すべき人間を自分自身の思慮浅い行動でだまし、汚名を着せる行為を立ち上げようとしているのではないか、自分自身の行為に対して十分な責任と自信を抱いているのか、それらの不安という名の津波が突然誠一郎を襲った。

 「人間である限り立場は様々であり、人がコミュニティーに対して行う貢献度は、長い時間をかけながらそれぞれ釣り合いがとれていくものだ。だから目先の事に囚われる必要はない。」

 「誠一郎が起こそうとしている行動にネイティブアメリカンが反対の意を表するのであれば私の名前を使えばよい。全ての責は私が引き受ける。思うように行えば良いんだよ」


 誠一郎はこみ上げてくる涙を、目の前のワレスに気づかれないように必死にこらえた。ワレス・タタンカ・ウォキムナカの七七年の年月、彼が体を張って貢献してきた彼のコミュニティーに対して、誠一郎の行動が彼らに恥じないものであるか、見極められているのか、その大きな責任を担う心構えが出来ているのか、再び心に照らし合わせなければならなかった。ワレスのコミュニティーには貧しいサポーターが多かった。そしてそういった人々のボランティアで、ワレスの儀礼は成り立っていた。誠一郎は東海岸から年一回、彼らの献身的なサポートの上に成り立っている儀礼を享受してきた。誠一郎には家族があり、職があり会社があり、決して低くない生活水準を維持している後ろめたさがあった。このコミュニティーに対して自分は何が出来るのか未だ確証が持てなかった。彼らの期待と信頼は、実の肉親から受け取っているような錯覚さえ与えた。誠一郎は確信した。ワレスが誠一郎に示したように、誠一郎は他人を信用し自分を預ける程の献身を経験したことがなかった。誠一郎はそこまで自分を、そして他人を愛することが出来るのか自信がなかった。彼の新たな行動は、人々の献身の上で成り立つ儀礼を享受するだけの覚悟が醸成されているのか再び問い質さなければならなかった。初めて目の前に新たな地平が広がるような感覚が生まれた。それは同時に今まで味わったことのない不安に包まれていた。しかしそこにはもう迷いはないように誠一郎には思えた。具体的な次の行動は見えないけれど、その行動を支える心の支柱が少しづつ姿を現しているように思われた。

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