七月二十二日火曜日
正しい意見だと誠一郎は思った。それは当たり前の事だと、今更教えてもらわずとも理解できると、うっとうしいという感情が少し腫れ上がった。
ダレン、ハルヒ、そして誠一郎は昼前までにテントをたたみ、キャンプ用具と身の回りのものをそれぞれの車に積み込んだ。スティーブとキム、そして愛犬のバターとリトルビッグドッグは、あと数日この場に滞在してから国境を越え帰宅すると話した。スティーブはもし彼の土地でハンブレイチャをすることがあればいつでも声をかけてくれと誠一郎に話した。昨晩、誠一郎の周りから少しずつ分けてもらった優しさは、翌朝になると夢であったかのように姿を消していた。それに代わり段取りを踏まない世間知らずな行動を戒める声と、思考を無視し心に響いた微かな声を愚直に行動に移す誠一郎の衝動が再び重く混在した。
ダレンとハルヒは小さな乗用車でベイエリアまでの四百八十キロメートルの家路についた。ダレンは誠一郎に別れを告げる際、心苦しそうに声を絞り出した。
「誠一郎と誠一郎を受け入れる側がしっかりかみ合わない限り物事は成り立たない」
正しい意見だと誠一郎は思った。それは当たり前の事だと、今更教えてもらわずとも理解できると、うっとうしいという感情が少し腫れ上がった。けれども誠一郎はここに来て自分の主観を疑わざる終えない痛みを経験していた。頭では理解できても、それに伴う行動を起こしていたのだろうか、心までその判断が染み込み考えずとも行為として実践できるのか。煩わしいと反応した心に、誠一郎は自信が持てなかった。面と向かって当たり前のこと、人と人の関係について、心のこもった助言をもらったのは、両親を含め今まで誠一郎には無かったような気がした。そしてもちろんそう言った言葉に耳を傾けたことさえ誠一郎は経験していなかった。当たり前の常識やら規則やら誠一郎の周りには沢山あり、仕事上でもそれらを正確に判断した上で行動出来ると自負していた。そしてその自負とは虚像でしかなかった。もしくはそれまでの立ち位置にこれ以上佇むことが出来なくなったことを誠一郎は初めて自覚したのかもしれなかった。人々との出会いに別れがあるように、この機会こそがこのコミュニティーとの別れそのものなのかも知れないと目に見えない小さな固まりも見出した。何かにすがりたい一身で得たいと願っていた智慧の断片を垣間見たかのような錯覚だったのかも知れない。誠一郎には家庭もあり子供もいて、職もあり会社まであった。それ以上の幸せを望むことは、今手元にある幸せを感受していないことのように思えた。疑念と後悔が混濁しながらも、才能の是非に関わらず、映画と言う言葉に彼の行動全てが帰還した。そこにいたる右往左往、人間不信、そして自己療法、それらの過程を彼自身の体で受け止め通りさえすれば、素人然という徒手空拳で表現されたとしても、その映画は人々の心を捉えるはずだと頑なに信じていた。そこへ向かうこと、その目的があればこそ誠一郎は冷笑的に諦めることを未だに躊躇した。その選択が関わる人々を巻き込み不幸にし、大事な者までも滅ぼしてしまうという恐れさえ含んでいたとしても、それを飲み込む事が出来た。その過程を人々に理解して欲しいなどと思っていなかった。最後の結晶、映画として蒸溜濾過された造形物に人々との繋がりが許されればそれで良いと信じた。それが可能だという根拠はどこにもなかった。しかしワレスだけには、彼の内にある正邪全てをさらけ出して話をしなければならないと心に抱いていた。