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七月十九日土曜日

これは神聖なものだと言い、五センチ程の小さな木片を渡した。火にくべるとその香りは身を清めると諭した後、「それでは良い夜を」と告げ暗闇へ消え去った。

 金曜の夜から土曜の朝にかけて誠一郎はこの森の正面入り口であるゲートセキュリティを担当した。祭儀の場を後にし山を下りる者、街から初めて訪れる者、食料や水を補給する者達がこのゲートを往来した。そしてその都度、人と車丸ごとシーダーの煙で清めるのがゲートキーパーの役目だった。このキャンプサイトには数多くのボランティアサポートがあった。ダンサーの世話、そして長老達の食事や身の回りの世話は、サンダンサーや経験あるサポーターの手に任された。祭儀と共に行われる歌と太鼓の楽団、全ての参加者に振る舞われるスウェットロッジのファイアーキーパー、その火のための薪割りから水くみ、常に炊かれているお香用のシーダーの葉集め、アーバーを中心にそのお香を常に絶やさずにいる担当者。見学だけの参加者は多く存在するのだが、誠一郎は見学だけで終わりたくなかった。このコミュニティーに関わり合いを持ちたかった。当初誠一郎に直接それらの仕事を頼む者はいなかった。しかしいつしかスティーブとキムの所で夕食をご馳走になり会話を重ねているうちに、ゲートセキュリティを分担する話が持ち上がった。誠一郎は儀礼で踊られるダンスと歌を、サポーターの皆と一緒に見よう見まねで歌い踊ることが好きになっていた。そしてダンスの合間にツリーオブライフの細い木陰で休むダンサーをアーバーの外から見守り、同じ場の空気を共有することによって、彼らがそこで感じていることを得たいと願うようになった。その為には見守るだけでは足りなかった。ダンサーは大きな要因ではあるが、彼らもまたこの祭儀全体の一部であり、日々の祭儀の進行は全参加者によって担われていた。この祭儀の過程を一緒に通過することによって得られるものがあると信じるのであれば、この祭儀を支える一員にならなければならないと誠一郎は思い始めていた。


 十七歳の白人少年は自分の名をスモーキーだと誠一郎に伝えた。入場する車と人に対して、その清めをそれまで毎日毎晩彼一人が行っていた。彼は誠一郎になかなか引火しない生のシーダーの葉の燃やし方を教えた。そしてゲートの辺りに生息しているシーダーの木を教え、必要以上の枝を伐採しないよう、枯れ枝や、密集した部分の風通しを良くするために交差枝を剪定するようにと説明した。それらを説明するスモーキーはとても神妙な面持ちだった。誠一郎には彼のこの祭儀への十分すぎるぐらいの気概が伝わった。スモーキーは一通り説明を終えると、ほっとしたように人なつっこい少年の表情に変わった。風貌は西海岸北部で多く見かけるコミューンのヒッピーだった。リチャード・プリンスの憂鬱そうな看護婦がプリントされたTシャツに、ベージュのカルゴパンツ、足下は履き込まれたビルケンシュトックのサンダル、頭はドレッドヘアー、高校には行かず両親とも同居せず友人の所を転々としていると言葉を選ぶように誠一郎に話した。最近スウェットロッジに参加して、ネイティブアメリカンのコミュニティーに顔を出すようになったと話した。誠一郎はこの国の東海岸と西海岸の文化の違いを改めて思い知らされた。東海岸の都市ではヒッピー文化やネイティブアメリカン文化に触れることはほとんどない。それらを育む日々のゆとりと空間が長らく失われ、通りで目につくのはヨガ教室ぐらいだった。最先端の経済や文化、そして科学技術を競う市場としての機能だけが研ぎ澄まされ、それらを謳歌するための労働に支配された空間だった。しかし人はそれだけでは生きていけない。スモーキーは西海岸ベイエリアにある大都市の住人のことを「シティーバンパイア」と呼んだ。高度に発達した大量消費社会は過度な競争に支えられ、人々に購買力という物差しを与える。そこに格差が生じれば生じるほど、その競争の旨味は人々をゾンビにする。その価値観に支配された人々は、暗愚し人々の中に独自の線引きを差し挟み区別する。その見えない線の上の人々は、線の下に居る人々にとってはバンパイアに見えなくもない。スモーキーはそう誠一郎に説明するかのように「シティバンパイアとゾンビ」の話をした。


 午前一時、それらの話を深夜遅くまで交わしていたスモーキーと誠一郎の前に、白人の若い男が裸足で現れた。虫に食われたような所々穴の空いた無地のTシャツにブルージーンズを着たその男は、「ジャスト・イン・タイム」(ちょうど間に合った)と名乗った。月は雲に隠れ突如闇から現れた男は、両腕に大きなスイカを二つ抱え、薄気味悪い笑みを浮かべていた。そして立て続けに、「感謝しているんだ」「全くの自由だ」という言葉を連発し、「こんにちは」「元気ですか」という片言の日本語を混ぜながら、スモーキーと誠一郎の会話に乱入した。その男の度が過ぎる親密な語り口と、気味悪いほどのポジティブ思考は、自己啓発セミナーから出てきたばかりの人間を思わせた。そんな男が、たき火の向こうの暗闇から突如現れ友人の様に振る舞いながらしゃべり続けた。スモーキーは言葉少なめに受け答えし、慎重にシーダーの清めを彼に与えキャンプサイトへ招き入れた。「あの二つのスイカを深夜一時過ぎ、どこに届けるのか」、『「ジャスト・イン・タイム」が本当の名かどうか』二人が知るはずもなかった。そして彼は十分ほどして再びゲートにスイカなしで戻ってきた。そしてスモーキーに、これは神聖なものだと言い、五センチ程の小さな木片を渡した。火にくべるとその香りは身を清めると諭した後、「それでは良い夜を」と告げ暗闇へ消え去った。スモーキーは彼が消えた後、きつねにつままれたような顔をしていた。「火にくべるのか」と誠一郎がたずねると、スモーキーは我に返りようやく口を開いた。「やつはコヨーテだ。絶対にこの木片をこの火にくべてはならない」と真剣な表情で話した。二人はそれ以上会話を交わすこともなくたき火を眺めながら朝を迎えた。その朝はとても寒く、風もなく虫の鳴き声もなかった。月影もこの夜は一度も姿を見せず、午前六時に交代の者が現れ二人はテントに戻った。


 昼食後、ノートをつけていた誠一郎の所へ、隣のテントで昼寝をしていたスティーブがよたよたと近寄ってきた。「何を書いている」と問われ、「エゴについて考えていると」誠一郎は答えた。サンダンス儀礼の準備日と初日、計二日間しか経験していないにも関わらず、誠一郎はエゴの事ばかり考えていた。そして彼はスティーブにその事を衒いなく話した。スティーブはエゴについて話した。「エゴは上手く利用する。エゴはスピリッツ、ソウル。高く舞い上がり遠くを見渡すことが出来る。そのエネルギーが強ければしぼむことはない。自分本位なエゴはエネルギーが弱いものだ。しかし自発性が高ければしぼむことはない」と短くコメントするように淡々と話した。誠一郎はこのサンダンスの祭儀を創造主との繋がり、そこへのアクセスだと考えていたが、その実感は二日間の経験で見い出せるどころか混乱が生じた。祝祭としての儀礼、盆踊り、七夕、そして武士道、それらの言葉が誠一郎の頭に無作為に浮かんだ。どれも母国での既得経験と知識ばかりで、目の前の未知の祭儀に対して、既得情報で組み立て手軽な輪郭を与え早く解決したいと必死に異なるものを結びつけようとする焦りに過ぎなかった。それはあたかもシャスタ山のパズルに、雲仙岳のピースをはめ込もうとする作業に近かった。


 夕方までダンサー達の舞を見学した。背中に二カ所ピアシングを施し木からつり下がった男が、なかなかブレイク出来なかった。彼はその痛みに耐えながら常に両腕を鷲のように羽ばたかせていた。そのやせた男の姿は誠一郎を感動させた。体重が軽ければ軽いほど、その張りのある背中のピアシングされた皮膚は切れにくかった。この日、四人がブレイクした。二人が木の枝からつり下げられ、二人がドラゴンスカルを選んだ。簡単にブレイクする者もいたし、時間のかかる者もいた。アーバーの外縁から見ている誠一郎は、ピアシングをブレイクするには瞬発的な力よりじわじわとピアシングで切り開かれた裂け口を引き延ばす方がブレイクし易いように思えた。それはあくまで端から眺めている者の意見であり、実際にそれを実行するということは、そこには言葉通りの肉を引き裂く痛みが伴う。誠一郎にとってその痛みは、経験したことのない痛みだからこそ、それを軽々しく観察できた。そして同時にそれは想像以上の痛みに思われた。痛みと向き合う時、人は慈愛と謙虚さを初めて共有できるのかもしれない。そしてその痛みを鎮めるために祈る。サンダンスの祭儀は、その痛みを洗練された様式で伝え、人々に疑似体験を与えた。そしてダンサーとして参加する者には、その共有がもたらす深遠なる空間への扉が開かれているのかもしれなかった。

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