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七月十八日金曜日

男は不幸にもこの祭儀を通らなければ痛みも命も理解する機会を一生得られない

午前六時を過ぎた頃、五、六人の女性が太鼓とともに歌いながらキャンプ地を練り歩いた。その歌声で目が覚めた。前日、ハルヒはムーン・ロッジに移っていた。サンダンス期間中、月経を迎えた女性はサンダンスの場へは入れず、最終日までムーン・ロッジと呼ばれるログハウスで過ごした。そこでは滞在する女性のみによって独自の儀礼が行われ、サンダンスの場と、ムーンロッジの間を往き来できる者は限られた女性のみで、家族でさえ手紙によるコミュニケーションだけだった。後ほど聞かされたハルヒの話によると、ネイティブアメリカンの民芸品をその室内で作っていた。ハルヒはサンダンスの裏儀礼とも言えるムーンロッジの儀礼を誠一郎にこう説明した。


 「ムーン(月)は母なる大地の意志であること。抗えないこと。サンダンスのエネルギーが上に向かい舞い上がっていく時、ムーンロッジはダンサー達が飛びたち往きっきりになってしまわないよう、アンカー(錨)の役割を果たすと言うこと。アンカーであればこそ、そのエネルギーは下へ下へと向かう儀礼だと言うこと。下へ向かうエネルギーは、上に向かい上り詰めようとするサンダンスと混ざると危険だと言うこと。」


 誠一郎はその言葉を初めて聞かされた時、全く理解出来なかった。ハルヒも彼女にとってそこで初めて経験したムーンロッジの儀礼であればこそ、それ以上不必要な言葉を重ねなかった。一年ぶりのダンスが見られなかったことをハルヒは心底残念がった。しかし彼女のそのさりげない説明は時を経てのち、誠一郎にこのサンダンスの祭儀が一つの様式を提供することによって、人々が未だ自己化出来ていない自然界の多元性多様性を示唆し導き解放する力を備えていると気づかせる助言に変化した。そしてハルヒは誠一郎にとってのアンカーの役目を知らぬ間に引き受けていた。


午前九時、サンダンスが始まった。女性サポーター、部族の女性が円陣のアーバー外縁を列をなして歩いた。そして東の方角を一斉に向き祈りを捧げた。女性達の行列が終わると、十分後にダンサー達の胸にピアシングが施された。司祭のダグラス・フォーリングスが、ツリーオブライフの周りの地面に横たわった一人一人の胸を二カ所、肉をつまみ上げ錐のような刃物でピアスし、ペグと言われる木の釘をその出来たばかりの切り口へ差し入れた。誰も痛みに声を上げる者はなく、ドラムの音と、ダンサー達を鼓舞する歌声がアーバーに響き渡った。誠一郎はその光景を粛々と見つめたが、彼らが自らその痛みに身を投じる姿をやはり理解できずにいた。誰からか忘れてしまったが、女性は陣痛の痛みと出産を通して命を理解することができるが、男は不幸にもこの祭儀を通らなければ痛みも命も理解する機会を一生得られないと聞いたことを思いだした。しかしこの光景を前にしても、その言葉は誠一郎にとって詭弁としてしか響かなかった。


 この日一人のダンサーがブレイクした。背中に新たにピアシングを施し、ペグをつけドラゴンスカルと結びアーバーを一周した。その後、子供四人をそのドラゴンスカルに乗せ、前進を試みブレイクを達成した。遠くから見ていた誠一郎には、彼の背中の皮膚が切り裂かれる詳細は見えなかった。それでもドラゴンスカルと彼をつないだ縄が緊張と共に張り詰め、ある瞬間を境に空にはじける様子がスローモーションで見えたような気がした。顔に塗られた赤褐色のパイプストーンの塗料でその表情はかき消され、その痛みを伝える微妙な変化をすくい取ることは出来なかった。しかし痛みが伝わらないということではなかった。その痛みの深さを知りたいが故、その深さを伝える表情の動き、気配の変化に誠一郎は関心があった。ブレイク後、彼は鷲の羽の装飾をつけた杖を両手に持ちながら、その達成感と共に皆の祝福を受けながらアーバーを一周した。自らのブレイクの瞬間を待っている他のダンサー達は彼のその姿を眺めることなく、ツリーオブライフに縄で繋がれたまま何かに向き合っているようだった。一人、二人、日向で佇む者もいたが、多くはツリーオブライフの細い影の中で、彼らの皮膚を焦がす夏の陽差しを避けるように身を寄せ合い休んでいた。彼らにブレイク成功したダンサーを表だって祝福するゆとりはないようだった。自らの体力を温存しながら、ツリーオブライフに向き合い、心の闇の中か暗い頭蓋骨の内側で、自らに啓示されるブレイクのタイミングを模索しているように誠一郎には見えた。

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