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七月十七日木曜日

 午前九時にハルヒとダレンに合流した。二人には、ワレスを初めてテレビ取材した時から常にネイティブアメリカンについて助言を受けていた。ダレンはワレスのサンダンサーの一人であり、儀礼の実務をこなす中心人物だった。ハルヒはダレンのパートナーであり、二人は誠一郎の初めてのサンダンスの案内役を買って出た。ハイウェイ沿いのスーパーマーケットで食料品を購入後、煙草専門店で巻きたばこ用の煙草を儀礼用に購入した。煙草はネイティブアメリカンの儀礼では、祈りを捧げる際の大地へのひとつまみの供物として使用された。そして何か世話を受けたときの返礼としても使われた。三人はハイウェイを降りると、一時間ほど未舗装の山道を進んだ。そこは聖地と呼ぶには、あまりにも代わり映えしない普通の山であり、誠一郎が写真集からイメージしていたネイティブアメリカンの聖地とはかけ離れていた。山林の一角に参加者とサポーター達のキャンプサイトが作られていた。その入り口でゲートキーパーと呼ばれる者が、搬入の為一時入場する車と人を、まるごとシーダー(ヒマラヤスギ)の煙で包み清めていた。シーダーの清涼な香りと、燻されるような感覚を与える白い煙は、それまで誠一郎の意識に潜り込んでいた飛行機内の匂いや、モーテルの部屋に充満した消臭剤を、あっという間に取り除いた。後ほど誠一郎もこのゲートキーパーのボランティアをすることになった。その役目を果たしながら気づいたことは、この山に入ってくる者は、街での営みで知らぬ間に身につけた独自の気配、正邪のまといをこの地に運び込んでくるという事だった。清められたいという意志でここに集う人々はポジティブなオーラに包まれている。しかしながら負のまといは本人が気づかぬうちに身の内に抱え込まれていた。誠一郎がこの山に入るまで、日々の仕事や生活の塵として沈殿した負の感情を抱えて来たように、それは知らぬ間に人に付着する。このゲートキーパーの役目は、人々が抱えてしまった余剰な気を思い描かせ、このシーダーの煙によって、それらのまといを煙取る効果を視覚化させた。そしてそれを施す誠一郎の心まで軽くさせるのだった。輪郭を持たないそれらの気を、輪郭あるものとして認識し除く。この日々の小さな所作を通過することによって、人々の心の中で押し込められた気は無意識のうちに除去される。そんな力を持っているように誠一郎には思えた。いつかこの押し込められた気が、肥大化し手に負えなくなる負の感情へ変化する前に、この小さな日々の行為を続けることは有効であるように思えた。誠一郎はそう言った日常における小さな負の感情への対応法を、今まで誰からも教わったことがなかった。学校や両親、祖父母から生きていく上で、有効な所作を学んだ記憶もなかった、こういった機会を与えられた事に誠一郎は感謝した。


 北部にある国境を越え、車で二日かけて訪れていた初老夫婦の隣に誠一郎達はテントを設営した。ネイティブアメリカンの夫スティーブと白人女性のキム。二十年は使用しているトヨタのピックアップトラックで毎年訪れていた。その二人のテントは大きなもので、中で二人が歩き回れるサイズだった。この場所に毎年二週間近くキャンプするからこそ、そのサイズが必要で長期滞在が可能だった。


 スティーブ・ホケルタ・ヌニヤはヘヨカと言われる道化方を長年サンダンスの儀礼で務めてきた。ダレンとスティーブはヘヨカの師弟関係でもありこの儀礼における唯一のヘヨカだった。ヘヨカはヘヨカ・カーガと言われる「逆さまの人間」を演じる道化の定めを与えられた人間の事だった。暑ければ寒いと振る舞い、喜びの際には憎まれ口を叩いた。スティーブは普段物静かな初老の男性だったが、儀礼の舞いが始まるとヘヨカの衣装をまとい不意に訪れる雷のように現れた。彼は白地に黒点の布で身体を覆い尽くした衣をまとい、頭には二本の角が突き出た冠を付け、右手には鷲の羽で出来た大きな扇を持っていた。その姿はこの場所で異界の者として浮き上がり、誠一郎は知らぬ間に祭に迷い込んだ日本の天狗を思い浮かべた。ヘヨカが出現すると場の空気が変化し、目に見えない境界線が浮き上がった。ヘヨカは個々が自然に作り上げた人との距離、地位や立場、それらの個の場を完全に無視し、土足で踏み込むかのように踊りながら乱入した。ダンサーに限らず、司祭から長老、そこに集まる人々を揶揄した。初めてその道化の踊りを垣間見た誠一郎は、ダンサー達の舞や集中力の妨害ではないかと危惧したが、心配しているのは誠一郎だけで、周囲の人々はダンサーへの一瞬はっとさせるからかいでさえ舞の一部として捉えた。真剣さが時として本来の意図を見失い、思わぬ所へ漂流させる危険性を含んでいることをヘヨカは熟知しているようだった。きまじめさだけではたどり着けない場所へ、その経路を修正するかの如くヘヨカは不定期に現れ、その存在は儀礼に組み込まれていた。


 昼過ぎにツリーオブライフ用の木が、主催者、ダンサー、サンダンサー、そしてメインヘルパーの男性達の手で切り出され、アーバーと呼ばれる祭儀の場、半径7〜8メートルの円陣の中心に運ばれた。ハンブレイチャでも使用され、ここに集う人々の願いが、一つ一つ込められたプレイヤータイ(色とりどりの木綿の布で作られた親指サイズのてるてる坊主のようなもの)が、そのツリーオブライフに巻き付けられた。同時に、ネイティブアメリカンが使用するパイプ火皿用の原石、赤褐色のカトリナイトを液状にした塗料が、その木の幹に塗られていった。この塗料は祭儀の間、ダンサーの顔や体にも塗られた。それらの作業が終わると、木の先端に取り付けられた縄を四方から引き合い、木は円陣中央に立てられ固定された。正確に西に位置づけられた円陣入り口と中央の木の間に、この祭儀を執り仕切る部族の長老夫妻が座し一連の作業を静かに見守った。円陣のアーバー外に設営された木陰の場所は、招かれた周辺の長老達二十名程がその観覧場所から作業を見守った。その横で歌い手、鼓手七人が「コヨーテの歌」「ワカンタンカの歌」「チャヌーパの歌」を、ドラムに合わせ歌い続けた。チャヌーパとはネイティブアメリカンが使用するパイプのラコタ名であり、パイプを使用する儀礼とこの歌は一組になっている。ネイティブアメリカン文化において、彼らの文化や儀礼は口頭伝承で引き継がれた。彼らの喫煙具の古くは紀元前にまで遡った。歌や神話などによる口頭伝承によって、それらの儀礼が彼らの内で伝承され、必要とされる智慧が長い時の審判に晒され、儀礼という様式の中で生き続けた。そういった継承様式の為、北米大陸全土に散らばる部族の数だけ、それらの儀礼のバリエーションが存在した。ワレスは朝鮮戦争から帰国後、中西部を旅しながらこれらのバリエーションを経験した。それはレッドロードとも言われ、彼らの修練の道、生き方としても呼ばれた。


 司祭として祭儀を執り仕切るダグラス・フォーリングスが指示を出した。その頭には地面にまで届く白い鷲の羽で飾られたボンネットがあり、彼の合図を受けリーダーと思われるサンダンサーの手によってパイプセレモニーが始まった。中央に座していた長老夫妻によって、パイプはくゆらされ、その煙は天へ送られた。それが終わるとアーバー円陣の外側に並べられた石(東から南にかけては黄色に塗られた石、南から西は白、西から北は黒、北から東は赤)、二〜三百はあるそれぞれの石の前に、プレイヤータイが一つつけられた短い小枝(この木にもパイプストーンの塗料が塗られている)が、それぞれの石の前に刺された。プレイヤータイの頭の部分には、ひとつまみの煙草の葉が詰められた。この場所に数千に及ぶプレイヤータイが散りばめられている事を考えれば、このアーバーの周り、中央のツリーオブライフは、色とりどりの木綿の布で包まれてはいるものの煙草の葉で満ち溢れていた。そして多くの人々の数知れない祈りと願いがこの葉に注がれ、輪郭を伴う姿を得た祈りの存在として眺められた。それは煙草の葉によってこの円陣は同時に清められ、邪悪な精霊の侵入を防いでいるかのようにも見えた。アーバーの東と西の入り口では、常にホワイトセイジやシーダーが炊かれ、その清涼な香りと煙もその清めを担った。これだけの人手と手間によって、サンダンスの祭儀の準備は整った。そして翌朝から始まる祭儀で何が起こりえるのか、誠一郎は全く想像できなかった。到着する前の週、サンダンスに参加するダンサー達は、四日間のハンブレイチャを済ませていた。初めてハンブレイチャを経験する前夜、誠一郎はひりひりするような想像力の刺激を受けた。それは未だ見ることのできない新しい空間が、誠一郎の体全体を覆う皮膚にまで迫り、その先端にある特殊な触角で交感を促している感覚だった。サンダンス祭儀の準備風景を垣間見たあと、その時の刺激が誠一郎には想い出され、ダンサーとしてではなく、ボランティアのヘルパーとしての参加であるにも関わらず誠一郎の心を再び揺さぶった。


 その晩、一人テントの前でピーナッツバターパン、粉末スープ、そしてピクルスにオリーブという夕食を準備していると、小さな犬二匹を散歩させているスティーブが、誠一郎の前にやって来た。ポメラニアンがバター、チワワがリトル・ビッグドッグだと彼は犬の名前を説明した。そして「もし邪魔をしていたら許して」と控えめに声をかけ、「少し離れたところで友人と一緒にバッファローシチューを食べるけど、もし良かったら一緒にどうか」と誠一郎に話した。誠一郎は手にしていた粉末スープの袋を見て、微笑みながら「喜んで」と返事した。その晩、キムの手製のバッファローシチューと、ブルベリーパイを食した。彼女のキッチンは、彼らのテント以上に大きなキッチンで、今までキャンプサイトで見たことのない規模だった。棺桶のような大きなクーラーが三台(友人と共有している)、グリルが四台、食器洗い用の簡易シンクが二台、それらが大きなポップアップテントの下に収まっていた。そしてそのテントを囲むように簡易椅子が並べられていた。二人は野外長期滞在のプロフェッショナルだった。夕食の後、スティーブとスウェットロッジを共にした。快い疲労感に誠一郎は包まれた。そして辞めてしまったスタッフに対しての感情のしこりや、残された仕事の進行などすっかり忘れてしまっていた自分をおかしく思った。


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