エピローグ
夏の終わりと、秋の始まりの入り混じった町を歩く。
極端に暑かったと思えば、急に寒くなる。二三日ごとにその繰り返しを続ける例年稀に見ぬ特殊な気候に、行き交う人間の服装の季節感はバラバラだ。今日は天気が良いにも関わらず、気温が低く風が冷たい。長袖を着るべきだったと自分の浅慮を後悔する。
こう言う日は、何か温かい物でも食べて身体を暖めることにしよう。丁度、未だに売れる様子のないナマズを見る為に入ったホームセンターの入り口に、鯛焼き屋を見つける。
田舎町のホームセンターの癖に、このタイ焼き屋は妙に凝ったフレーバーの物が売っているので有名なのだ。だが、私が選ぶのは王道。売上ナンバーワンと言うポップで強調された『塩タイ焼き』。
「『塩タイ焼き』五つ下さい」
いつも鯛の塩焼きが出て来たらどうしようかと楽しみにしているのだが、出て来たのは残念なくらい普通のタイ焼きだ。色が白いとか黒いとか、目玉が飛び出しているとかそう言った遊び心も一切感じられない。
「これ、美味しいですよね」
バイトらしい茶髪の店員が呆れたように答える。「不味いもんを売るわけないって」
「デスヨネー」と自分の馬鹿な質問を笑って誤魔化す。
「っていうか、君ってさ、いつもペットショップのコーナにいる子でしょ?」
タイ焼きを袋に詰めながら、バイト定員が微笑む。歳上を言い表すにはアレだが、意外と人懐っこい笑顔で愛嬌がある。
「もしかして、私って有名人?」
「ああ。有名人さ。この店だと『いまくに?』より有名人だよ」
「誰?」タイ焼きの入った紙袋を受け取り、首を傾げる。「可愛いナマズがいるんですよ」
「あの糞高いナマズだろ? 何処が良いの?」
人が可愛いと言った傍から、汚物で表現するとは勇人程ではないがコミュニケーション能力に障害があるんじゃあないだろうか? 青年を睨みつける。
そして、瞳を覗く。
あの日――天海勇人の絵を見て全てを思い出して以降、私は自分の中に産まれたあの既視感に対する一つの答えを得た。そしてその答えは、ちょっとした超能力と言うか超感覚を与えてくれた。先輩は“魔眼”等と言って喜んでいたけど、そんな禍々しい物からは程遠い、些細な感覚だ。
「お兄さん、病気とかある?」
「え? ないけど?」
「そっか、じゃあ、事故に気を付けてくださいね」
「そりゃあ、気を付けるさ。誰だって死にたくないからね」
本当にそうだろうか?
世の中に死にたくないなんて思いながら生きている人間がどれだけいるだろうか?
「忠告はしましたからね? ま、意味なんてないと思いますけど」
小銭入れから鯛焼きの代金を取り出しながら、一応念を押しておく。「まいど」と茶髪のバイト店員は名物客と会話したことに満足げにそれを受け取った。
タイ焼きを食べる為に一旦店の外へと出る。出入り口の傍、自販機の対面に置かれたベンチに座り、早速塩タイ焼きを頬張る。生地に練り込まれた僅かな塩気が、中の粒餡の甘さを引き立たせ、なるほど美味い。
あっと言う間に一つを自らの胃に収めると、直ぐ様に二つ目に取り掛かる。今度は味合うようにしてゆっくりと食す。
「もう少し頑張れば、もっと便利な感覚になると思うんだけど、パワーアップとかできるのかな? 先輩のお見舞いついでに、病院の中でも巡ってみようか。何の役に立つかもわかんないけど、便利だよね? 多分」
小声で考えをまとめたあと、二つ目のタイ焼きの尻尾を惜しむように齧り絶妙な塩の配分が堪らず、休むことなく三匹目のタイを袋から取り出す。冷めても美味しいかもしれないが、暖かい内に食べてしまうのが正解だろうと言い聞かせる。
今度は勢い良く、頭から齧り付く。やはり魚は頭からに限る。
「ままー。さかなー」
口元に付着した餡を舐め取る私を指差してそう言ったのは、小さな女の子。
三歳くらいだろうか? 可愛い盛りの少女は、興味津々にタイ焼きを凝視している。
「これ。お行儀悪いわよ。ごめんなさいね」
少女の後ろには、丁度店から出て来た母親の姿。彼女の押すカートに乗せられたエコバッグはパンパンに膨らんでいて、真っ赤な林檎が袋の上から顔をのぞかせていた。どうやら、敷地内のスーパーで買い物をした帰りに、このホームセンターに寄ったようだ。
「いえ。構いませんよ」
すこし疲れの見える若い母親の顔を見て、私は立ち上がると、触れたら壊れてしまいそうな小さな少女に、タイ焼きの紙袋を押しつける。少女は暖かい紙袋を不思議そうな眼で見つめた後、ニコッと笑って「ありがとう。おねーちゃん」と飛び跳ねた。
「悪いですよ。ちーちゃん。お姉ちゃんに返しなさい」
母親は『知らない人から物を貰っちゃあ駄目』と言う当たり前のことを、『知らない人』を目の前にしてオブラートに包んで娘に説明する。
「お母さんは、娘さんを大切にして上げて下さいね」下手に問答が起きる前に、店内へと逃げ込む。「多分、かなり近いですよ? 二人とも」短く言い残して。
その十五秒後。行儀悪くペットコーナーまで小走りする途中、ガラスの割れるけたたましい音や、騒々しい破壊音が店内に響き、前後するように女の悲鳴が響いた。
非日常的な音に店内は浮足立ち、店員も客も関係なく、全ての人間の興味が出入り口へと集中する。
私だけだ。
私だけが今の騒音を予定調和だと言わんばかりに、足を止めることはない。どうせ、ブレーキとアクセルを間違えた車が出入り口にでも突っ込んで来たのだろう。あのタイ焼きやのお兄さんと、親子が巻き込まれたに違いない。
私の目が確かなら、まず助からないだろう。
だから私に出来る事と言ったら、真っ直ぐに愛しのナマズへと向かう事くらいだ。
天敵の存在しない水槽の底で金色に光るナマズは、いつも通りふてぶてしい態度で水底の砂を呑んだり吐いたりしている。
「やっぱり、死んじゃったか。でもまあ、人はいつだって死ぬんだけどね」
当たり前のことを、当たり前のように言って私は溜め息を吐く。
きっと、そのことを知っている人間は、吃驚するくらい少ないだろう。
私だって、私が死ぬなんて微塵も考えていない。
本当に、救いようがない。




