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三話




 さて、時が経つのは早いもので、残り数日で約束の期間である一年弱が過ぎようとしていた。

 山に至った時分と比べれば、大きく見違えた様子の現在の彼は、どこか劇画調じみた雰囲気を醸し出している。

 しかし、その間で最も変わったことといえば、少年が開いてはいけない扉の先の新たな世界に飛び込んでしまったという事実ではないだろうか。

 元より、彼女の性別を認識した時点の反応でその傾向は薄っすらと見受けられていたが、度重なる吊り橋効果やストックホルム症候群など、様々な要因が重なって、フラワンサックは今やすっかりメスリザードマンの魅力に憑りつかれし特殊性癖紳士と化してしまっていた。


「妹の安寧のために、私は明日、学院に戻ります。

 ですが、そのままアガメ=ルヨンに留まることはしません。

 再びここへ……必ず貴女の元へ帰ってきます。

 ですから、その時は、どうか、ヴ・ロロッコ。

 私を貴女の生涯の伴侶にしてはいただけないでしょうか」


 鱗でザラつく彼女の手を取って、真剣な眼差しで心を告げるフラワンサック。

 当初、貧弱な坊やであった少年が、はっきりと雄の顔をして自身を見つめているという現状に、ヴ・ロロッコは、どこか感慨深げな気持ちで瞼を閉じた。


「鱗持たぬ者が、よもや我が(つがい)の立場を望むとは……」

「やはり、種の違いは否めない。そういうことでしょうか」


 彼女の呟きに、諦観を含む哀しそうな笑顔で、彼はほんの少しばかり鱗を握る力を強める。

 そんな雄に、リザードマンは目を細めて小さく首を横に振った。


「いや……私もまた、一族の(ことわり)を外れし異端の者。

 血を継ぐ義務すら遥か過去に捨て去った身だ。

 であればこそ、お主の望みを一概に笑止と断ずる口もあるまい」

「そ、それじゃあっ」


 現金にも喜色を浮かべるフラワンサックへ、ヴ・ロロッコは神妙に頷いてみせる。


「……良かろう。

 お主が戻ってきた暁には、手は問わぬ。我が身を超えてみせよ。

 この私の唯一となるに相応しき力を示すのだ、フラワンサック。

 さすれば、ヴ・ロロッコ・ブル・トカグドラグ・ミクス・ク・インダーワの全てをお主のものと捧げてやろう」

「おおおおお!」


 獣のごとく人間が吠える。

 冷静に考えて、ほとんど不可能に近い厳しすぎる条件を提示されていたのだが、まさに興奮の最中にある彼が、そんな残酷な現実に気が付くことはなかった。




~~~~~~~~~~




「キミ……随分と様変わりしているけれど、まさかフラワンサック君かい?」

「はい。ご無沙汰しております」


 下山したその足でカワズノーイの学院寮へと向かったフラワンサックは、自らデール少年の元を訪ねて行った。

 明らかに雰囲気の変わった同級生を訝しみながらも、己の優位性を信じて疑わない美少年は、警戒することなく彼を自室に招き入れる。


「そうか、生きていたんだね。

 ずっと行方不明だったから、私も心配していたんだ。

 無事で何よりだよ」


 いつもの取り巻き二人とフラワンサックを立たせたまま、豪華なビロード張りの椅子に腰掛け、しゃあしゃあと微笑んでのたまうデール。

 自身の言葉が同級生を、人を一人死に追いやったかもしれない罪悪感など、その美しい(かんばせ)にはカケラたりと浮かんではいない。


「そうですか。

 相変わらずですね、デール様」

「うん?」

「今になって思えば、なぜ貴方ごときをあそこまで恐れていたのか、不思議でなりません」

「…………何だって?」


 フラワンサックは、無表情に彼を見下ろしながら淡々と語る。

 落ちこぼれから発された聞き捨てならない台詞に、侯爵家嫡男の目が冷たく細められた。


「おい、お前! フラワンサック!

 見ねぇ間にちょいとガタイがよくなったからってぇ、調子に乗ってんじゃあねぇぜ!」

「万年落ちこぼれが、下手な勘違いしやがって! 見苦しいんだよ、マヌケ!

 この俺がそのカラッポなアタマ叩き直してやろうか!? あぁん!?」


 取り巻き二人が喚くが、山の獣たちの咆哮と比べればそよ風のようだと、フラワンサックは彼らの言葉を適当に聞き流す。

 こんな小鹿の角にすら貫かれそうな程度の人間たちの何を恐れる要素があったのかと、彼は本当に過去の自分が不思議でたまらない。

 そうして己の意思で動かない狩人を、恐怖に動けない獲物と見紛えたデールが、不穏な笑みを浮かべて語る。


「ベン、キレライ。物騒なことを言うものじゃあないよ。

 けれど、そうだね。

 フラワンサック君との再会を祝して、少し遊んであげるのもいいかもね?」

「任せてください、デール様!」

「嫌ってほど相手になってやりますよ!」


 寄生主の提案に、鼻息を荒くして躍り出る二人。

 まず、ガタイの良いベンが、落ちこぼれ野郎を殴り倒そうと、腕を振り上げながら接近していく。

 が、不動のフラワンサック。

 そのままベンの右拳が今にも獲物の頬に届かんとした瞬間、なぜか彼は糸が切れたようにプッツリと、膝から床に崩れ落ちていった。

 もちろん、予定されていた攻撃は成されないままに。


「はっ?」

「え?」


 あまりに突然のことに、目を瞬かせるデールとキレライ。


「お、お前っ! 何した!」


 理解の及ばぬ現象を目の当たりにして、恐怖の感情を抱きながらも、小柄な少年はフラワンサックを強く睨み付けた。

 あるいは、常識と剥離した光景を前に、パニックに陥った脳が取らせた逃避行動だったのかもしれない。

 彼はズボンのポケットからナイフを取り出して、雄叫びと共にフラワンサックへ襲いかかる。


「フザケるな、落ちこぼれ野郎ぉーーーッ!!」


 当然ながら、その刃が何者をも切り裂くことはなかった。

 ずっと彼らから目を離さずにいたはずのデールが気付いた時には、キレライは地面に倒れ伏し、その手に握られていたはずのナイフは、まるで最初からそこにあったかのようにフラワンサックの指先に収まっていた。

 到底、人間業とは思えないその技量は、神の奇跡か、はたまた、悪魔の悪戯か。

 すっかり怯えきった様子の美少年は、震える腕で椅子の肘置きに縋りつき、変わり果てた同級生へ得体のしれない化け物でも見るような眼差しを向けている。


「き、キミは、いったい、誰だ……」

「フラワンサックですよ、デール様。

 そう、貴方の言葉に踊らされて禁域を犯した、愚かなフラワンサックですとも」


 そう酷薄に笑う彼に、かつての弱々しい、デールの言いなりであった頃の面影はない。

 それでも、取り巻きの二人を除いて、フラワンサック本人しか与り知らぬはずの、あの日の真実を告げられれば、目の前の存在がけしてよく似た他人などではないのだと窺い知れた。


「私を殺しに化けて出たかっ!」


 恐怖に青褪めながら、侯爵家嫡男が吠える。


「……僕は死んでませんし、一応まだオガメル教徒のつもりですので、三大禁忌は犯しませんよ。

 ただ、少しだけ、釘を刺しに戻って来ただけです」

「釘だって?」

「そうです。

 もし、ドターマー家の人間に手を出せば、今後はこの僕が黙っていません、とね」


 しゃべりつつ、ゆっくりとデールに近付いたフラワンサックは、そう宣言しながらナイフの刃を手刀で中心から真っ二つに叩き折った。

 跳ね飛んだ刃が、美少年の白金の髪をかすめて椅子の背に刺さる。


「なっ!」

「……では、そういうことですので。

 くれぐれも、よろしくお願いします。デール様」


 彼が視線を正面に戻した時、そこにはもうフラワンサックの姿はなかった。

 一瞬、白昼夢でも見ていたかと思ったデールだが、たった今しがたの出来事が現実であった証拠は、まだ目の前にいくらでも転がっている。




 後日、あの場にいた三人を除いて、フラワンサックの帰還を知る人物が誰一人として存在しないという奇妙な事実が発覚するのだが、それでも、彼らが学院生活において悪事を働くことは、もはや二度となかったのだという。




~~~~~~~~~~




「なんだ、お主。昨日の今日でもう出戻ったか」


 ヴ・ロロッコが滝での鍛錬を終えて湖畔の小屋に引き上げれば、その扉の前に見覚えのある人物が立っていた。


「いやぁ、どうも葬儀が済んでしまっているようで、さすがに顔を出しにくくて。

 結局、心残りは例の件だけでしたし、黙っていたところで僕が禁域を犯した咎人である事実も変わりませんから、色々考えると、もういいかなぁと」

「まぁ、お主が納得しておるのなら、私が何を言うこともないが」


 語るまでもなく、フラワンサックである。

 ちなみに、彼の認識する咎の中には、聖典で悪しき存在と定められるリザードマンに傾倒している事実も含まれるのだが、彼女を愛する男がそのような野暮をわざわざ口にする日など一生訪れないだろう。

 晴れやかな顔で笑う人間を、慈悲深き鱗の民は瞼を細めて迎え入れた。


「ともあれ、疲れたであろう。小屋でとっくりと休息を取るがいい」

「いえ、その前に挑戦させてください」

「ん?」


 扉へ手をかけながらヴ・ロロッコがフラワンサックを労えば、彼はそれに対し、首を横に振って返した。


「力を示せば伴侶になっていただけると、そうおっしゃいましたよね」

「あぁ、ソレか」


 別れ際に交わされた感情を疑っていたわけではないが、やはり、道理として人には人の生きる世界がある。

 ゆえに、必ずしも彼が戻ってくることを想定していなかったヴ・ロロッコは、少しばかり意外な心持ちで、真剣な目を向けてくるフラワンサックへ頷いてみせた。


「案ずるな、言葉を違えるつもりはない。

 お主が臨むならば、私はただ応えるのみだ」

「ありがとうございます、ヴ・ロロッコ」


 彼女の誠実な態度に安堵したのか、彼は僅かに気を緩ませた様子で息を吐く。

 これまでに知り得た性格上、約束を反故にされるとは思っていなかったが、それでも惚れた人間の側からすれば、今更冗談事と流されてしまっては堪らない。


「ところで、貴女を超えるという条件に対して、ひとつ質問があるのですが」

「聞こう」


 問答無用と断られる可能性も考慮していたフラワンサックだが、規格外のリザードマンはあっさりと長い首を縦に振った。

 そのまま顎をしゃくって続きを促す彼女を真っ直ぐ視界に捉えながら、彼は静かに口を開く。


「以前、貴女はおっしゃいました。

 力とは武のみに非ず、と。

 であれば、純粋な闘いだけが貴女を超える方法では……僕を伴侶足り得る存在だと示す方法ではないのではないかと、考えたのです」


 両者の間に沈黙が落ちる。

 数秒後、金目を二度ほど瞼で隠して、ヴ・ロロッコが呟くように言った。


「……よくぞ気付いたものだ」

「では……?」

「うむ。お主の見解で正しい」


 小屋の壁に寄りかかりながら、リザードマンは回答を語る。


「私はあの時、手は問わぬと告げたが、アレは姑息な手法でも使えという意味ではない。

 如何様な勝負事でも受け入れようという、いわば、お主への情けだな。

 要は、私に参ったと、敵わぬと思わせることの出来る何かさえあれば、実質、武などどうでも構わぬのだよ」


 そう締めくくったヴ・ロロッコの声は、動かぬ表情に反して、穏やかで慈愛に満ちた色を有していた。

 真実を、より確実なチャンスを掴み取ったフラワンサックを、彼女はどこか誇らしげに見つめている。


「分かりました。

 では、僕はこれから貴女に対する想いの丈を言葉という形にして捧げますので、心に響いたら結婚してください」

「……は?」


 神妙に頷きながら発された頓珍漢な男のセリフに、ヴ・ロロッコは大きく裂けた口を限界まで広げて固まった。


「では、いきます」

「お、おい。待て、さすがに想定の範囲外すぎて……」

「あぁ、ヴ・ロロッコ。愛しい鱗の民よ」

「ええっ」


 困惑するリザードマンの制止を振り切って、声高らかに愛の詩を奏でだすフラワンサック。

 常の不動の精神はどこへやら、ヴ・ロロッコは居もしない助けを求めて、しきりに左右に頭部を振った。

 もちろん、それで彼女に増援があるわけでもなければ、男の求愛行動が止まるわけでもない。


「理知的な金の瞳は遥か奥底まで純粋な色を湛え、闇夜を照らす星々のごとく、されどなお暖かく蠱惑的な魅力を放つ。

 その妙なる水晶に我が身を映されれば、真に吸い込まれぬ己が肉体を口惜しく思う」

「ちょっ、えっ」

「力強く、そして、しなやかな肢体なまめかしく、野生に踊る細腰の描く曲線美には如何な絵画も敵うこと能わず、芸術家たちは恥辱に涙するだろう」

「な、なんっ、ふらわっ、さっ」

「さながら愛らしい子猫のように気まぐれな尾は、無邪気な妖艶さで僕を誘い、どこまでも昂らせてくれる」

「いや、そっ、ちがっ」

「誇り高き蒼の鱗は水の恵みに麗しく光り、健康的なその色は、触れれば気高きつややかさを含んで、この胸を疾く弾く」

「待っ、おいっ」

「されど、最も愛しきは未熟の過ぎる異種の民を見返りなく救い上げる貴女の慈悲深き在り方にある。

 何者も侵せぬ高潔な精神により磨かれた魂の輝きは、何よりも眩しくその存在を照らすのだ」

「もっ、あっ、だっ」

「あぁ、愛している。ヴ・ロロッコ、碧き鱗の民よ。

 もはや、貴女なしには生きてはいけぬ」

「っあああああヤメロぉーーーーーーーーーーーーッ!!」

「えっ」

「もういい! もうたくさんだ!」

「え、いや、まだあの、全然、大まかな全体部分だけで、これからもっと細部の魅力の語りに入ろうと思っていたんですけれども……」

「するな! 負けでいい! 参った! もう降参するっ、降参だ!

 これ以上、そんなこっぱずかしい言葉を私に聞かせるなぁーーーーっ!!」

「えええええ」


 大岩を背負い崖を延々登り続けても、飛来した巨鳥の群れと死闘を繰り広げても、一切の疲れを見せなかったリザードマンが、ここにきて激しく息を荒げ肩を上下させていた。


「おいっ! 問うぞっ、フラワンサック!

 おっ、お主は、この一年、そのような、はっ、破廉恥な目でこの私を見続けていたのかっ!」

「概ねは」

「痴れ者ぉぉっ!」


 男の返答に、碧き鱗の民は、金色(こんじき)の眼球を潤ませながら甲高く叫んだ。

 次いで、フラワンサックの視線から隠すように、尾を精一杯身体に巻き付けて、体育座りの要領で自らを小さく抱き込み縮こまるヴ・ロロッコ。

 淡白なリザードマンという種族には、人間の求愛方法……というよりも、フラワンサックの特殊性癖視点による萌え語りは刺激が強すぎたらしい。


 いつにない彼女の、初心(ウブ)な少女めいたその反応は、むしろ、彼の心に新たなトキメキを覚えさせていた。

 十代半ばにして、何とも業の深い男である。


 さて、このまま羞恥に悶えるヴ・ロロッコを愛でていたいのが本音のフラワンサックではあったが、彼女が降参を宣言した理由が理由であるため、一応、ここで判定の行方を確認することとした。

 肉付きのよい足の隙間に嵌る、鱗に覆われた頭部の上方から、彼は今にもニヤつきそうになる表情を抑えて、声色だけは遠慮がちに彼女に話しかける。


「あのぉ、伴侶の件は……」


 瞬間、丸めた身体をビクつかせるヴ・ロロッコ。


「…………っ約束は、違えぬ!」


 明らかにヤケクソぎみの返答であったが、どうやら無事にフラワンサックの望みは叶ったらしい。


「あぁ、良かった。

 愛してます、ヴ・ロロッコ」

「止めよと言うにーーっ!」





 と、まぁ、そんなこんなで、強烈な愛の力によって規格外のリザードマン妻を得た元いじめられっこの少年は、何だかんだで寿命による死が二人を別つまで、夫婦睦まじく幸せに求道の日々を送ったのだという。






 めでたし、めでたし?



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