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銀と黒の章5

占星術師るいは言った。

『ラッキーアイテムは温泉です』と。

 俺は丁度夕灯と蝶架を遊びに誘うならどこかいいかと考え倦ねていた。迷っている時にタイミング良くるいの占いが降りた。タイミングが良すぎて何か陰謀のようなものを感じてしまい、温泉には行かないようにと頭に吹き込んだ。

 帰ってからもるいの発言は気にしないようにした、気にしたらそれはるいに操られていると思ったのだ。誰かの思い通り動かされるというのが俺や蝶架にとって忌避したくなる呪縛だ。深層心理なんてものじゃない、胸の表面にまでそれが浮かんで来ている。

 だから見透かしたようなるいの選択を俺は"選びたくなかった"。選びたくなかった俺は、結果として温泉旅館と認め手紙を送っていた。



 温泉旅館に行く一週間程前。

 母様が茶道教室から帰宅した、俺は空腹になり夕食を待ち望み、母様は腹の虫が鳴いたのを聞き笑いながら台所に立った。そして俺は見てしまった、母様の鞄から二枚の紙切れという忌まわしいものを。

 母様に問い詰める、事情が露見する。温泉旅館のチケットを渡されたらしい、こんな風に形ある物を手渡し、見れば見る程断われないよう約束の証拠にして家に帰すなんて腐ったやり方、そんな事する奴と母様を二人きりで温泉なんかに行かせられるわけない。

 俺が見つけていなければ母様は黙って相手と出て行っただろう。恩師で、断われない性格で、そんな要素が積み重なり一人でこっそり旅立つ。

 これだからあいつはきらいなんだ。

 ――茶道教室の、先生(あいつ)は!

 下心があるに決まってる(殺す)、それと半分にあいつが本気で母様が好きなのも理解している。だから日々の疲れを長閑な場所と温かい温泉で癒やしてはどうかと、そういう紳士的態度が伴っての結果なんだとは思う。思ってはいても、許しはしない。

 そして俺は悪魔になる。俺はある魔法の言葉を母様に伝えてやった。

 その言葉を今度の茶道教室で先生に言ってみろ、そしたら俺の思惑通り一発で温泉に行かなくて済むからな。

 ――後日、母様は茶道教室から帰宅し俺に報告した。

「宮くん凄いね、先生また今度にしましょうって」

「うん」

「はい、じゃあチケット」

「うん」

 魔法の言葉で母様は行かなくてよくなった。代わりに、俺が行く事になった。いや、先生とじゃないよ?

「先生、やはりお優しい方なのね。宮くんがこの温泉旅館に行きたいとチケットをじっと見つめていました。とさり気なく言ったら譲って下さったのだから」

「あいつそういうとこだけは評価出来るからな」

 悪魔は人の優しさを利用してやるんだ。

「結婚までは駄目なの?」

 母様が冗談をかます。冗談と解っていても沸々と顔に感情が現れる。

「……」

「あの方は宮くんにも優しい、私と、宮くんの事も同じように愛してくださると」

「ダメ」

「まぁまぁ。私も宮くんが居てくれるなら他に男の人はいらないわね」

 そう言って母様は抱きついてきた。回避! ――出来なかった。

 俺は母様にこうされるのが嫌いじゃない。たぶん夕灯や蝶架が見てもおかしいと言うだろう。寿さんに言われた通例が正しいのかもしれない。だが、俺は母様が好きだからいい。二人きりしかいない、大事な人だ。

 抱きついていちゃいちゃしていた所為で母様の化粧や髪が乱れる。母様はいつも着物に髪を結って上げている、髪を下ろした姿をあまり見た事ないなーとふいに思った。濡れ羽色の髪を下ろせば、また印象が変わるのだろう。



***


 そして現在。俺達三人は温泉旅館に到着する。

 此処は桐生の経営する旅館だ。場所は桐生宗家よりさほど離れてはいない。緑の連なる簡素な山の麓、周りに住宅は見当たらず、木々の中に旅館だけがぽつりと建てられていた。今時古めかしい木の造り、所々リフォームされてはいるが、昔ながらの面影を残した、一言で言うと祖先が喜びそうな趣きのある外観だった。

 蝶架が麓を眺めている。今今歩いて来た道の先には温泉街があって、遊技場やお土産とか諸々を売ったり買ったりするのが楽しそうだった。今はまだ誰もいなかった、夜になったら絶対行きたい場所なのは間違いない。

 視線を戻す。この旅館が温泉街の一番端にあるらしく、何故か他の施設と間を取り建築されている。

 駐車場が見える。

 俺達は途中までは車で、途中からは車を降りて歩いて来た。車は燃料切れて動かなくなっちゃったんだ、笑っちゃうよな。山道を走った事のない車だったのか、またはドライバーの不注意か。くるくる道に迷ったり妙な音がしたり楽しかったけど、車には楽しい分だけ負担が掛かったみたいだ。

 夕灯"様"を乗せた車のドライバーは旅館までどうか送らせて下さいと言っていたが、俺達はあと少しだから大丈夫と動かなくなった車から荷物を持ち降車した。

ドライバーは非常に申し訳無さそうな顔をしていた。それは最後まで目的地に送迎出来なかった不手際を悔いるものか、あるいは、俺達への引け目か。彼はあの時の、灰色の背広の男の弟だ。兄がした事を、彼は首を振って否定した。

「古きに捕われていてはいけない」それが彼が俺に、特に酷い傷を負った俺に謝った後に吐露した言葉だ。その言葉は桐生なら決して口にしてはならぬものの筈だった、桐生のやり方は、桐生宗家当主の意向そのもの。彼がもしそれを否定するなら、彼は桐生に違反する最悪の不良品になるという事だ。

「そう考えるのは間違いないではないでしょうが、桐生はこのまま古の盟約を果たしていくべきでしょう」夕灯が語る。「桐生はその昔、王家に望まれ、王家の為に今の勢力を築き上げたと言います。これからも古の約束に従い、王家の為に命を果たしていくのです。それがいつしか桐生のみの利益にすり替えられていたとしても、いかに冷徹で、いかに冷酷であろうと、桐生は王家の為に人を殺し続ける」

 夕灯はそう言って珍しく憂いた表情を見せた。違和感がする、自然であるべき筈のなかに、何かつっかえるものが。

「私は夕灯様についていくと決めましたよ、こうして夕灯様の専属ドライバーとして、これからも使って下さい」

「それで貴方は何も言われないのですか?」

「兄や、周りに私は糾弾されるでしょう。影から遠ざかり、逃げて、運転手等という平和な職に就くという事は」

「なら」

「私は兄のようにはなりたくない、そして、夕灯様の築く未来が見てみたい」

 ――あぁ、この人も式さんと同じなんだ。

 この人も式さんと同じように、俺や、蝶架と同じように夕灯に未来を望んでいるんだ。

 遺伝子に異変が起こったのかなと思わせる。不思議だな、何処でどう間違えば知らない感情を押し出すようになるんだろう。

 趨勢の中に培ってきたものが崩れ去り、王家に必要とされた能力を捨て去り、若く新しい者が時代の先に、自由を掲げて立たねばならないのだというように異分子は現れる。俺達は現れる。

 神に教えこまれたのだ、生まれる前の腹の中で遺伝子が壊れた。

 不良品の異分子は広がっていく、時の流れが止まらないように、異分子の感染は止められない。そして夕灯の周りには異分子が集まる、それは――

 と、そこで急に違和感の正体が体の中で弾けた……。

 まさか夕灯……。

 俺は首を振り思考を立ち切った。止めよう、今は温泉旅行を楽しむんだ。

 ドライバーの彼は止まった車を何度か確認し、諦めると共に平謝りしながら付近の住宅の玄関に助けを求めて向かった。

 俺達は車とドライバーを背に地図を見ながら、あと少しの道を徒歩で進む事にした。

「なんで後少し持たなかったんかねー」

「山のど真ん中で停車するよりよかったじゃないですか、この辺りには住宅がぽつぽつあるみたいですし、連絡も取れるでしょう」

「で、後どれくらいで旅館には着くの?」

「さあ、大凡三十分くらいじゃないですか?」

「うそぉ……マジでか」

 そんなに歩くのは確かにしんどいな。だが車があるのは華族や金持ち層だけなんだ、現にこの辺りの住民のお宅には車なんてものはない。我儘言わず歩け。

「迷ったりしないよな? 熊とか出て来ないよな?」

 蝶架は変なところで小心者だ。キョロキョロと左右に首を振りながら夕灯の背に問いかける。

「デコボコ道とか、獣道通ったりすんの? 嫌だなー」

「お静かに。熊が出てきたら得意の拳銃で追い払えばいいじゃないですか、それとこの辺りの住民は常に町まで降りて行くんですよ? 当たり前に整備された道があるに決まってるじゃないですか。旅館に行くも然り。華族の宿泊も多い旅館ですので、車が通れるだけの道幅は作られています」

「そうか……」

「こうやって看板もあるから迷わねえよ?」

 俺が山の中を指差す。手書き文字で木の板に旅館までの距離が記されていた。


 こうして旅館まで騒ぎながら歩いたお陰でしんどいとは感じず目的地に到着した。のっけからトラブルで始まるなんて幸先良いと言えないが、それがなんだか楽しかった。

 帰りはちゃんとドライバーが旅館まで迎えに来てくれるらしい。この旅館は華族の宿泊にも対応済みだから駐車場はちゃんと用意されている。駐車場には一台のシルバーの車と自転車が数台止めてあった。



 夕灯は黒いブラウスに黒いカーディガン、黒いキュロットパンツに黒いベレー帽。荷物は必要最低限に抑えてあり、小さな体でも楽に抱えている。

 蝶架はジーンズにシャツに黒いジャケット、でっかい荷物はいったい何が入っているのやら……。

 俺は黒いズボンに黒いインナー、ピンクのカーディガンを羽織っている。

 三人は旅館の中に入る。蝶架が真っ先にロビーを物色する。分かりやすい奴だ、もうちょっと落ち着け。

 この旅館には呪いの人形がある。仕返し人形とかそういう類のうわさ話だ、蝶架はそれが気になるのだ。

 あ、あれだな、ロビーの真ん中の方、柱の隣に棚が置いてあり、その上に綺麗な人形が座っている。きっちりと横に切り揃えられた黒髪、目が痛くなる程真っ赤な着物。

「あれか……」

「呪いの人形っすね」

 夕灯に受け付けを任せ二人して人形に近寄る。

「人形にイタズラをした客を呪い殺したのが噂の始まりなんだって」

「マジモンの話なの?」

「さあ、吹聴かもしれないし」

「話題性の為にデマ流すのか? てかそういうのって逆に客足遠のくんじゃねーの?」

 だよな、『呪いの人形が貴方を殺しに行くかもしれません』より『饅頭サービス』って旅館の方が俺はいい。

「まあ、好奇心で見に来る物好きには効果あるでしょ」

「ふぅん」

 蝶架は棚の人形に目線を合わせしゃがむ。混沌とした生のない黒目を黒目が覗き込む。

「止めてくださいよ、貴方に見詰められて不快になったからって殺しに来られたらどうするんですか!」

「おまえなぁ!」

「このナンパ野郎!」

「その話は蒸し返すな!」

「おい!」

 背後から二人ではない者の声が掛かる。振り返ると夕灯が俺達の背中に視線を落としていた。心無しかちょっと怒ってる、よな、受け付け任せ切りにして人形に釘付けになってりゃ怒るよな。

「ごめんな」

 俺は素直に謝った。だが夕灯は更にきつい顔をして、次にはしょんぼりとしたような顔になり、俺達は訳が解らないまま夕灯の指差す方向を見た。

 あれは――?

 ロビーの大きな窓の側に備え付けられた椅子、何脚か用意された黒い椅子の真ん中に人が座っている。顔は見えない、体付きも解らない、それはその人が星に覆われていたからだ。

 夕灯がどんどんぺちゃんこになっていく、背を屈め、蹲って泣き出しそうになっていく。蝶架があたふたしながらぺちゃんこになった夕灯に手を添える、まるで深刻なミスを犯してしまい、明日どうしよう――と真剣に悩む少女のようだ。黒髪が床に垂れ、蝶架が肩を揺すった。

「どうしたってんだよ」

「うぅー」

「おい夕灯」

 そこで突如夕灯が顔を上げる。

「宮卦さん、貴方が……貴方が仕組んだのですか!?」

「はい!?」

 夕灯が俺を睨む、何が何だってんだ。

「こんにちは」

 いつの間にか星が近くにあった。

 夕灯がギョッとする、その肩を蝶架が支える、俺は夕灯の態度からこの人物に警戒すべきと足を固める。

「……こんにちは」

 不自然な挨拶が交わされる。星のローブを纏った人物は警戒する俺の次の言葉を待っていた。

 だから俺は、こう言った。


「るい」


「はじめまして、権能累(けんのうるい)です」



***


 この世界、一巡には王家に連なる四つの大貴族が存在する。白の華矜院、黒の桐生、赤の梳理、銀の権能と。権能とはその名の通りこの貴族の中の一家の事。つまりこの累という人物は俺達と同じ貴族だという事だ。ただし、桐生と権能では同じ貴族の立場にありながら天と地程の差がある、権能とは、他の三貴族と違い王家にとって、いや、世界にとって特別な一族なのだ。

 星のローブから白い手が伸びる、フードの端を摘み、ゆっくりと下ろす。

 現れたのは夜の泉のように神秘的な銀の髪、月の光を受け流れ落ちる清流より美しく、風に透けて光る銀糸より尚儚い。肩までの長さの髪がロビーの中の太陽光を窮屈といい、累が髪を振ると、散らばる銀色のあまりの美しさに世界が息を呑んだ。

「桐生のみなさま、よろしくお願いします」

 その言葉を、理解するのに数秒掛かった。

 ロビーに居た全員が動かない、世界でただ一人累だけが星の巡りのように場を廻る。

 今、ロビーに居る人間は全て使い物にならなくなっていた。

「綺麗な髪だ……ですね」

 辛うじて声が出た。

「おにいさん、今更畏まらないでください」

 累が手を差し出す。その手は過去の記憶に重なる、握り返すとその手の主は悲鳴を上げて後退する。「手首はダメですよぅ」と。

 今に戻る。俺は恐る恐る差し出される手を握る、過去のように悲鳴は上げられなかった、また、俺も悲鳴は上げなかった。

 互いのウィークポイントである手を握りあうと、先より目の前の大貴族に萎縮しなくなっていた。

「他のお二人も、累です、仲良くして下さいね」

 笑う。大貴族が可愛らしい笑顔を見せたところで、ロビーの時は元に戻った。客は各々累を拝観しながら客室へ向かう、幻想と神秘の具現である権能を拝みながら、人は今日の奇跡を神の降臨と誤り脳に刻み込む。

 蝶架は躊躇いながらもぎこちなく挨拶を交える。流石に可愛いからってナンパはしなかった。夕灯は未だに蝶架の裏に隠れていた。

(どうしたってんだよ)

 蝶架が小声で問いかける。

(……)

 夕灯は一度瞳を閉じ、意を決したようだった。

「何故……貴方が此処に」

「泊まりに来たのですよ、お客さんとして」

「観光に? それとも」

「んー、桐生は陰湿ですね、私に他意はありません」

 たまたま同じ日に、たまたま同じ旅館に泊まりに来た、それだけだと累は言う。その通り、これは偶然だ。俺がこの旅館を選んだのも母様がチケットを貰ってきたからに他ならない。茶道教室のあいつの意思と、累の企みが交差しているなんて事はまずない。夕灯の疑心は憂うだけ損だ。

 ただ、何故累が"わざわざ桐生の経営する旅館を選んだのか"だけは、俺の中でくすぶりとなって残った。



 暫く俺達はロビーの大きな窓の側に集まり累と話をする事にした。

 権能と桐生はあの華矜院と梳理程ではないにしろあまり良好な関係とはいえない、だから累と夕灯は水面下で水を蹴り合っているように互いに近寄らず、目だけで握手し、口だけで駆け引きをしているようでもあった。

 俺は累をあの日のように占星術師『るい』と呼ぶ事にした、その方が可愛げがあった。怖くない、怖くない。

「ちょっと言葉遊びをしませんか?」

 るいが持ちかけてきた。俺はいいよーと軽く答える。

 では、とるいが問題を読み上げる。


『あるお婆さんが籠に沢山の野菜を詰めて汗をかきながら目的地に向かっています。お婆さんは無事に目的地に到着し、お爺さんが次に籠を使いたいと言うので野菜と籠を置いて帰る事にしました。お婆さんは帰宅の時、籠と野菜を置いてきたにも関わらず行きよりもゆっくりとしたスピードになってしまいました、何故でしょう?』


 これは思考を凝らし考えるべき問題のはずなのに、俺達側から即答する馬鹿が出た。

「疲れたから」

 蝶架らしい回答に吹き出しそうになる。

「違いますよ」

 夕灯が言う。

「じゃあなに」

「もう少し考えてみるとかしないんですか? 直ぐに他人に答えを聞くなんて遊び心も分かってない人ですね」

「うっさい。じゃあ、足を挫いたから」

「違いますよ〜」

 るいがバツを出す。

「じゃあ事故に合ったから、だから遅くなった」

「貴方はお婆さんに恨みでもあるんですか?」

「知らねーよ」

「どっちかってーと、お爺さんがお婆さんに恨みがあるんじゃない?」

「あ! おにいさんは答えが分かっているのですね?」

 るいが俺に向かって笑顔を輝かせる。

 蝶架はますます訳が分からなくなったと考え込む。

「なんだそりゃ、爺は婆から籠と野菜を受け取っただけじゃねーか」

「その受け取ったところに要点があるんですよ」

 やっぱ夕灯も早々に解けてるみたいだな。解けてないのは蝶架だけだ。

「は? えーと、籠と野菜を置いてきたらのろくなった……。のろく……、爺が婆を呪った? だから婆はのろくなったし、爺は婆を恨んでいる。な! これだよ」

 もうダメだ、降参!

「ぶっ」

 ははは、と思わず吹き出してしまった。……ある意味すげー推理だよ。

「発想は◎なんですが、回答としては✕百個くらいですよ?」

 るいが哀れなものを見る目で告げる。

「こんなのが私の部下で大丈夫でしょうか」

 夕灯が悩ましげに頭を抱える。

 俺は蝶架を助けてやる。

「柔軟な頭をしてるからいいんじゃないすかね」

「ふにゃふにゃな脳味噌というわけですか」

「カワイソウです……」

 助け舟に泥を乗せてきやがった! お陰で蝶架は不貞腐れてしまった。

「答えはお婆さんが自転車を置いてきたからですよ」

 夕灯が可哀想になった蝶架にネタバラシをしてやった。

「籠というのは自転車の籠の事だったんです。背負った籠とは出ていませんので」

「だから自転車置いて家に帰れって爺さんは婆さんを恨んでるってハナシ」

「……んな事かよ」

 蝶架は拍子抜けしたらしいが、こういう趣旨の問題は中々楽しいものである。今度夕灯と知恵比べでもしてみよう、多分、負けるけど。



 一通りるいと話し込んでいるといつの間にか昼近くになっていた。いっけね、るいとは一旦別れて俺達は宛てがわれた客室へ向かう。

 中に入るとこういった建物独特の匂いがした、畳が敷かれ、座布団が置いてあり、障子の向こうには窓に映る緑の庭園が見える。気分が良くなってきた、想像以上に室内が綺麗で広い、また、友達と泊まりに来ているという期待がぽんぽんと膨らんで来る。

 長い座卓の上に急須と湯呑みが置いてあって、側にあった菓子を真っ先に封切ったのは俺だ。蝶架にガキだのなんだの言われながら口の中に甘みを広げる。

 夕灯は荷物を置くと急須に茶葉と湯を入れ茶を振る舞う、みんなして茶を少し啜ると、窓から見える立派な庭園に心を落ち着けた。

夕灯も今は表情が柔らかく、これ言ったら怒るだろうけど、可愛い女の子がお茶を飲んでリラックスしているようだった。

 夕灯がこうやって長閑な雰囲気に体を休めてくれているのがとても嬉しかった。これで俺の思惑も叶ったっていう事だ。

「温泉街に行ってみますか?」

「いいね!」

「では荷物をしまって、大事なものは金庫に」

「鍵ちゃんと支ったかー?」

「見てただろが!」

 等とやりながら俺達は部屋を出る。



 温泉まんじゅうに温泉たまご、的屋(まとや)にわなげ。石畳の道を歩きながら左右にあるわくわくに視線が連れて行かれる。

「紋代さん射的だって、得意でしょ? 景品取ってきてくださいよ」

「は、いやいや、あれ射的つっても弓だからな?」

「当然ですよ、誰がどうして銃で射的なんてするんですか」

「ちっ、わかってるよ」

 わかってなかったくせに、普通は弓で的を射る、常識を持っていかれるくらい、嫌なものに慣れてしまっている。

「紋代さんなら取れますって、だって目がいいし、腕もいいし」

 俺は反省していた、冗談にしても言葉を間違えた。配慮が足りていなかったとして蝶架の長所を素直に告白する。

「可愛いぬいぐるみとか取れたらいいっすね、仕事場に飾れば夕灯も式さんも喜ぶ」

「あぁそうだな、てか式って可愛いもの喜ぶのか?」

「喜ぶと思いますよ」

「あの男が?」

 蝶架は少し前に式さんと挨拶をした。その時のクールな式さんとぬいぐるみを思い浮かべ、いまいちピンと来ないようだ。

 しかし、やっぱこの人の目は節穴だな……。夕灯も式さんも、同じ誤認の被害者になっていた。


 蝶架は弓でも狙撃と同じくらい正確に的を射た。大きくてふわふわでかわいいピンクのぬいぐるみは的矢のおじさんから蝶架へ、そして夕灯に渡る。夕灯は一瞬嫌そうな顔をしたが(子供の女子扱い!)ぬいぐるみのふわふわ感が気持ちよかったのか抱きしめると同時に不快感は霧散した。

 俺はわなげをする、投げてみて分かったが片目では狙った所に入らない。ならばと今まで投げた輪の軌道から距離、角度、視界のズレを計り、改善し、次は確実に棒に引っ掛かるという最善のフォームが完全した、ところで輪が切れている事に気が付いた。なんだそりゃ。

 夜にもう一回行こう! と話しながら笑った。楽しい、時が経つのが早い。もう日が暮れていた、帰らなければ。

 行きと同じように鍵を差し込む、部屋に帰ってくる。

「夕食前に温泉に入って来たら如何ですか?」夕灯が言う。

「なんで? 夕灯もいくだろ?」

「私はいいですよ」

「だって温泉旅館なんだ、温泉に入らなきゃどうするんだ」

「お二人が浴場に行っている間に私は部屋にある露天風呂に入りますから」

「夕灯は」

 恥ずかしいのか? って聞いたらそんなはずは無いでしょうと返ってきた。

「じゃあ一緒に入ろうよ、一緒に景色眺めて、ゆっくりしようよ」

「それはいいです、庭園だけで十分絶景ですから」

「夕灯〜、一緒に入りたい〜」

 珍しく諦めが悪く駄々をこねてみた、だって一緒に入りたいんだ。

「お前大胆過ぎるだろ」

 そこに呆れたような声色で蝶架から野次が入った。意味が解らないので聞き返す。

「なにが」

「混浴でもないのに一緒に入りたいとか、お前見かけによらず……」

 次の言葉はなんとなく言わせてはならないと俺は素っ頓狂な声を出しておいた。「え?」と被せた後思考して、蝶架の言わんとする事が理解できた。

 そういえば夕灯は女の子だったんだ――蝶架の中では。


 というわけで夕灯を残し俺達は立ち上がる。部屋を出ようとした時、星が降り注いだ。

「るい」

 占星術師が、部屋の前に立っていた。

「初めまして」

 夜の中に更に暗い紗幕を下ろしたように冷たい声だった。最初からフードを下ろし、銀の髪を流しながら青い瞳がこちらを見上げている。その瞳に見詰められると体が動かなくなる、初めましてという二度目の挨拶の謎を考える余裕もなく、生命が脅かされるような嫌な感じがしたのは、あの公園の時と同じだった。

 何故気がつけなかったんだ――。違う、ロビーでこうなった時は違ったんだ!

 あの時、星の巡りの中に引き込まれ悠遠に立ち竦んでいた人々の中にあったのは、遥か知らぬ未知の宇宙に立たされたような、物理的にどうにも出来ない深淵にありながら、一点にある星を見つめているという感覚だった。だが、今目の前にある全てを凍てつかせ動けなくする力は、全く別の、異質な何かだ。

「どうしたのですか?」

 攻撃的な本質を隠すように穏やかな表情を作ってみても、蝶架は知らないが俺は騙せない。この子は……駄目だ。

「ごめんなさい」

 しおらしく謝る玉ではなさそうな"累"から出るはずのない慈しみが聞こえる。それは"累"が"るい"になったからだ。


 そう、ルイは――二人いる。


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