銀と黒の章6
それは双子のようで、また、多重人格でもなかっただろう――。
ルイが二人並んでいた。星のローブを纏い、同じような声をした二人。分身したのかというように見分けの付かない顔と、体格も肌の白さも殆ど差がない。
「どゆこと?」と蝶架が怪訝な顔をして見比べる。その行動が示すように、目の前のものは奇特だ。蝶架にも二人見えているのだから幻影ではない。双子だと言ってくれればそれで収まるような事なのだが、俺も蝶架もどうやらその説を口にするつもりはなかったようだ。
「あの、ちょっと玄関に入れて貰えます?」
「ああ」
人が見ていた。何処かで見たことあるような顔の中年のおじさん。さてはルイに興味があってつけて来たんだな?
俺は廊下で会話もなんだよなと、二人のルイを玄関の中に入れてやった。
「私達について説明が必要でしょうか?」
銀色の髪の累が言う。
「見たままの事実なのです」
フードを被ったままのるいが言う。
俺と蝶架は互いに顔を見合わせ、首を傾げ、謎が逃げ出す前に素直に答えを聞く事にした。
「教えて?」
これでドッペルゲンガーとか言われてもなぁ。
ルイが説明しようとした時――
「言わなくて結構ですよ」
扇子で口元を隠した夕灯が後ろに立っていた。二人のルイが口を開く前に釘を指すような真似をした。
「貴方達は双子です」息継ぎをせず捲し立てる「二人仲良く同じ服を着て、仲良く温泉旅行に来たそれだけでしょう?」
そこで一旦、感情を整理するかのような間が置かれる。
長い沈黙を挟んでから、夕灯は重い口を開いた
「帰ってください――」
心から拒絶するような、また、恐れるような声だった。
俺は夕灯の躁急に慣れなかった。夕灯は理知的で、切れ者で、なにより動揺したりしないと思っていた。初めて会った時も蝶架に拳銃を向けられて怯えるどころか、自ら災の度を引き上げていた。
俺としては累に対しての警戒はあるものの、話し相手として時間を過ごす事は構わない。しかし夕灯はそれを良しとはしない。権能とはやはり関わり合ってほしくないのだろうか。
「わかりました、帰ります」
フードを被ったるいの方が夕灯の気持ちを汲み取り足を引いた。頭を下げて累の裏まで下がる。
「またいつか遊んでくださいね」
フードの端をつまみ、下げる。隠れていく青い目が俺に向かって訴えていた。『一緒に居たいな――』寂しくて、寂寥感のある笑顔だった。引き止めようとして、出来なかった。伸びた手が下がる。
るいは累に頭を下げてから去って行った。
残された累はお望み通り帰りましたよ? と言わんばかりに指を胸の前で組み夕灯を見た。
夕灯は仕方なく部屋に戻る、累はそれを肯定と捉えたようで俺の横をすり抜けた。
すっごくさり気無く部屋に入ってきたな。
「おにいさん、今更敬語とかはなしですよ?」
「あ、あぁ」
「あの時の私の占いの意味解りましたか?」
座布団に腰を下ろす。俺の隣に累、累の向かいに蝶架、夕灯は累とは同じ間に居たくないのか窓際の椅子に腰掛け居間との区切りの障子をピタリと閉めた。
「あーあれな、わかんねぇ」
4321だっけ、あれ何なんだろうな。(累には悪いけど)今そのでたらめな数字の真意を知る張本人が目の前にいるのだから聞いてみてもいいが、たぶん、いや絶対累は「秘密ですよー」と返す。だから最初から聞かない、気にしたら負け。
「よん、さん、に、いち?」
蝶架が反芻しやがった、口にしたら気になるからやめろっての。蝶架にもやはり意味は解けそうにないようで、てかそうに決まってるよな。
「呪いの人形の話でもしてたほうがいいっすよ、頭使うと疲れる」
「呪いの人形ですか?」
「累は見なかったのか?」
「見たような見なかったような」
――やっぱりな。
温泉旅館に来て初めて出会ったルイは、るいの方で間違いないようだ。るいと俺は呪いの人形の前で挨拶をした、そもそも、俺達が呪いの人形をじっと見ていたところに夕灯と、立て続けにるいがやって来たのだ、人形を見ていない、知らないというのはなしという話だ。
「あの人形はな、悪戯した奴に仕返しするんだとさ」
「仕返しって?」
「殺しに来たり」
「あっ」
そこで累はぱんっと手を合わせる。
「じゃあ呪いの人形は心理の錯覚が使えるのですね」
何故にそうなる?
「心理の錯覚という、高等技術を会得しているのだから消えずに済んでいるんです」
「いや、そもそも作り話だろうから」
「凄いですね! "まるで桐生の全容を形にしたような雅な人形が、裏で殺人技術を会得しているなんて"」
くすりと笑った。
「……」
こいつ……やはり。
わざとか無意識か、累の言動は判断しかねる。が、夕灯の恐れる通り、権能には関わらない方がいいのかもしれない。
表向きは同年代の子供同士楽しく談笑しているように見えるだろうが、累は俺の手には負えない、夕灯にすら扱えないものを、俺にどうこうしろってのがまず無理だ。
だから俺はるいの事を考えた。考えてる。あの子はきっと遊びたかった、ほんとは俺達の中に混ざりたかったのを我慢して、累の手前大人しくしているしかなかった。また、あの子と話してみたい、あの子の笑顔が寂しそうだった、瞼の裏のあの子が言葉遊びを持ちかけてきて、俺は思考に力を注ぎながらも、あの子が俺の顔を注視してくるのをこちらからも見つめてやる。
「あのう」
「ん?」
累が俺の顔をのぞき込んでいた。この累はるいと顔が同じでもやっばり何処か違うんだなと思った。
その頃には、既に日も傾き夕食時が近付いていた。
「貴方は……いつお帰りになるのですか? 早く温泉に入って夕食が来るのを待っていなければならないのですが」
とうとう障子という壁を抜け、夕灯が呆れた表情を見せた。
累は中々帰ろうとしない、日が暮れて庭に闇が落ちてきても、俺達が温泉に入りに行こうとしても巧みに邪魔してくる。
ならばと、彼等と一緒に温泉に入りますか? と夕灯がわざとらしく言うと、夕灯の思惑通りにはいかず、累は思考黙考もなしに返事をした。
「一緒に入りますよ」
「駄目でしょうそれは」
「どうしてですか? 一緒に入りますかと聞いたのは貴方なのに」
「それは貴方、貴方を諦めさせる為の方便でしょう。何故男女と色分けまでされた暖簾が堂々と掛けてあるか分からないのですか?」
「別に男湯に入ればいいですよ、私男ですから」
……いや、累が男でない事は体格からして判断が付く。もしかしたらめっちゃスレンダーの美少年かもしれないが……目の前に夕灯という前例があるから万に一って事もあるかもだけど。だが、少女だって方が断然しっくりくる、可愛く整った目鼻立ちがこちらに向く。
「おにいさん私男の子ですから、一緒に温泉に入りに行きましょう?」
いや、俺にふらないでくれよ。
「……君は、何故そこまで俺達と一緒に居たがる」
「一緒に居たいだけです。だって部屋に居るだけは詰まらないです、折角二人して来られたのに、ずっとあいつが見てるんです、詰まらないです」
「あいつってさっきの子?」と蝶架。
「違います、あの子は一緒に遊びに来たのです。今日は特別だったのです。あいつはあいつ。一緒に温泉に行ってくれないなら私はずっと男湯に浸かってます、貴方達が来るまでずっと」
「それめっちゃ迷惑だな」
俺は素直に思ったんだが。蝶架は何を想像しているのか少しにやけている……。
「はた迷惑なお嬢さんですね」
夕灯が言って累が返す。
「貴方だって」
「私は迷惑を掛けた覚えはありません」
「いえ、そっちは戯れ言です。夕灯さんはお嬢さんでしょう?」
あ、夕灯が嫌そうな顔をした。過去に声を掛けてきた蝶架っていう軟派野郎を思い出しているんだ、あの時は災難だった。
「ちっ、これだから――は……」
扇子に隠れて夕灯の口元が揺れたが、俺には聞き取れなかった。
「でどうしますか? 一緒に遊んでくれますか? それとも温泉に――」
しつこい累にうんざりとした夕灯との水面下の戦いが始まろうとしていた。
その時――。
サーッ! と、襖が開いて、男性の怒鳴り声が室内を走り抜けた。
「おい累、何をしとるんじゃ!」
ひっ、とるいが反射的に肩を震わせた。そのままわなわなと後ろを確認すると、人の足が見えて、それを上に辿っていくと灰色の肩で切り揃えられた髪、朝の清々しい空のような瞳、しかしその瞳の清々しさとは裏腹に、顔のパーツはどれも中央に寄っていた。
累は相手の全貌を捉えると直ぐ様四つん這いになって窓側へ逃げた。逃がすまい! と男性は四つん這いの累の上に覆いかぶさる(この態勢はなんか……)。腹に腕を回し、ガッチリと掴むと足が着かないよう持ち上げる、小型犬が抱えられたように、累は知らない人の腕の中でぶらり垂れ下がった。
「人様に迷惑掛けるなといっとるに!」
片手に累を抱き、もう片方でボコッと一発拳を頭にお見舞いする。累はイタイっと吐き出してから頭を抑える。
「すまんかったな、私は祁答院、コレの保護者だ」
少々傍若無人で、王様気質な瞳が俺達を見遣る。まだ二十代前半であろう若々しさが、口調に合っていなかった。
「保護者なら幼児の行動に責任をもってください、オススメは縄でも引っ掛けて散歩する事です」
夕灯は謝罪する相手に突っかかる。相当権能の相手をするに対してストレスが溜まったようだ。
「すまんかった。おい、キサマも謝れ」
「謝りません。だって迷惑でしたか?」
累は傲岸不遜な態度で、だけど確信したように祁答院を負かしに入る。
俺は累を庇うべきか祁答院をストレス禿げにしないよう振る舞うべきか悩んだ。
「迷惑も迷惑です。他人の部屋に勝手に上がって行動を束縛し、あまつさえ時間まで奪っていくのですから」
「いや、オレは別に楽しかったぜ」
夕灯と蝶架の意見。対立し、真っ二つに別れる。すると自然に、はた迷惑な事に、場に居る人間の目が俺に白羽の矢を立てる。勘弁して。
「おにいさんは私を守ってくれますよね?」
ぶらんと抱えられたまま累が悲哀の目線をくれる。
「正直になれ、叱らねばコイツの為にもならん」
祁答院が正論をかます。
「俺は……」
あー仕方ない! 仕方ないから言うよ!?
「ゆっくり温泉に入りたかった、かな?」
よく言った! と賞賛するよう口角を釣り上げた祁答院は勝ち誇り、寂しそうにうるうるの瞳で唇を噛み締めた累は脇に抱えられ玄関の方へ消えていった。
ふぅ、とりあえず累を退散させられたからよかった、のかな。
ぽりぽりと頭を掻いたところで――時は、止まった。
耳を劈くような悲鳴が、旅館の中を木霊した――。
***
「うっ……! う」
俺達が部屋を出ると、累を抱えた祁答院に縋るようにして仲居さんが膝を付いていた。顔は青ざめ、手は震えている。
「何があったのです?」
「あぁ……あぁ! どうしたら……」
「落ち着いてください」
仲居さんは混乱しまともに会話を交わす事が出来ない。ただ祁答院の服の裾を掴み、あちらに何かあるというように一定の方角へ引っ張る。
夕灯と蝶架と祁答院と累、そして俺は恐る恐る仲居さんの示す方角へ視線を移動させる。廊下の先には何もない、曲がり角の向こうに、或いはその更に先に、何か……何かがあるのかもしれない。
夕灯が真っ先に歩き出す、俺達も、そして仲居さんもつられて歩く。仲居さんはこの先には化物がいる、というように肺を大きく動かし必死に呼吸していた。それがとても恐ろしかった。
それぞれの足取りは重く、暗く冷たい息が首元に掛かるような、ぞくりとした感覚が耐えない。本当ににゆっくりと、六人は廊下を歩んだ。
左側には客室が並んでいて、そこから悲鳴を聞き付けた客がそっと顔をのぞかせている。みな不安を貼り付け、俺達に問いかける。
「鍵を掛けて部屋に居てください」
夕灯が忠告すると怯えた顔達は引っ込む。
右手には窓が備え付けられていた、外は綺麗な夕日を山々が抱いていた。
柔らかな絨毯の上を足音も立てず歩いた。
仲居さんはある場所で立ち止まり、これ以上行きたくないとくずれおちた。
とある、一個の部屋の前だった。
「――うそ」
真っ先に声を発したのは、累だった。
「こんなの、うそ……、うそだ……」
「累! こちらに来い」
祁答院が取り乱し始めた累を無理やり胸に抱く。累にもう何も見せないようにと、腕で抱き込む。
俺は見ていた。開いた扉の隙間から、余りにも残酷で、余りにも……悲しいものを。
嫌だ、嫌だ……。否定と恐怖と悲しみ、それが感染するように周りに流れ込んだ。
限界だった、糸がはち切れるように、累は叫んだ。
「やだ……、るいッ! うぁぁぁぁ!」
***
権能累は、殺された。
正確には、権能累の顔をした、誰かが。
館内は温かな趣きから一変、死者と一つ屋根の下にあるという状況下となってしまった。
スタッフは緊急事態に対し宿泊客に室内待機を命じ、鍵を掛けじっとしているよう強く呼び掛けた。俺達は桐生だからとやんわりと注意された。
部屋に戻る。
力が抜けて座布団に座り込む。
……
どうして?
あの時微笑みを見せたるいが、どうして死んでしまった?
あの子の笑みが二度と戻らない、廊下での出来事が最後の別れの記憶になってしまった。また、遊びたいと言っていたのに。
俺が引き止めていればよかった、そうすればるいは部屋に戻らず、殺される事もなかった。
机に突っ伏した。るいの顔、声、握手した時の小さな手を思い出す。それはもう永遠に無くなってしまった。二度と、触れることが出来ない。
一番辛いのは累だろうか。自分の我儘の為にるいを使い部屋を抜け出した。あの子は双子でも多重人格でもない、俺達の前では分身した不思議な光景になってしまったが、一人で居れば、一人が居なければ、あの子はどうしようもなく累でしかなかったのだ。
あの子は――影武者だ。
あの子は恐らく累の命として死んだ。影武者でなければ累が殺されていた、今頃自分が死んでいたかもしれないのだ、そんな累を直視出来る筈もない、机に張り付いた額の下で俺は木目をただじっと見つめていた。
部屋は沈黙だった。一体誰か何と言えばいいのか、検討もつかない。祁答院ですら何も発しない、累は祁答院に抱きついて小さな体をさらに丸めていた。
夕灯が扇子を弄ぶ、その音で俺は顔を上げる。何か考えている、脳の外にある指が無意識に別行動をしている。
夕灯は既にるいより事件について頭を切り替えている。俺達は現場を見た、惨状を目の当たりにした。
るいは中央にある座卓の上に突っ伏して亡くなっていた。死因は毒物、素人が見ても口から泡を吐き、苦しんだ最中に弾いたであろう毒入りのお茶が床に零れていた。
誰かがるいの部屋のお茶に毒を仕込んだのだ。
その誰かとは誰か、そして、その誰かとは今もまだ館内にいるのだろうか。
るい――、俺は、君を殺した奴を許せない、突き止めたい。
だから、俺は。
"君の意思に反しても、真実を暴いてやる"
「すいません、吐き気がしてきたので洗面所に行かせてください……」
俺は胃液の込み上げる胸を押さえ青い顔で腰を上げた。
「待ちなさい、薬がありますから出してあげます」
「ありがと夕灯……」
夕灯は荷物を開く。小さな箱を持ち、俺の体を支える。
夕灯に支えられ俺は部屋の洗面所に入る、扉を閉め、水を流す。水道水の流れる音を聞きながら――俺は芝居を止めた。
「夕灯なら気付いてくれると思った」
「貴方の言わんとする事は解りますよ。で、私の意見を聞きたいのですか?」
「ううん、まずは俺の意見を聞いてよ」
よどみなく流れる水の音に重ね、俺は俺の考えを述べた。
「まずはこれが計画的犯行であると俺は考える。温泉旅館でいきなり殺意に芽生える奴なんていないだろうし。そして毒を使ったのも、刃物や鈍器、絞殺なんかではないとするなら前持って準備していたと考えた方がいい」
「なるほど」
「次にるいが殺された時間だ。俺達が夕食前に温泉に入ろうとしたのが午後五時くらいだった、そして部屋の前で累とるいに出会った。そしてるいだけが部屋に戻り、累と俺達はずっと話をしていた。今は七時、だからるいが殺されたのは五時から七時までの間だ」
「時間帯が解っていればアリバイを聞き出して犯人を絞り込む事は可能でしょうね。ただ」
「解ってる、犯人探しには、あまり意味がない……」
ここが、俺が最も悔しくて、憤りを隠せない点だった。
無意味なんだ、犯人を探しても、犯人は居ないのだから。
世界は殺人者を消す、人を殺したら消されるのだ。人の目には見えない、この世という審判者が罪人を連れて行く。どれだけ俺がるいの為に犯人を殴ってやりたくても、そいつはもうどこにもいないんだ。
「世の中には罪の意識が薄い者や、必死に殺人を否定し生き延びようとする者も居ますが、大体は罪悪を感じ最後には消えてしまう。毒だけ盛って結果を見ず、延々と逃げ続けていれば或いは生きているかもしれませんが」
「その可能性は低い。殺したかもしれないという時点で、自覚は芽生えている、いつか消える」
るいを殺した犯人は、きっともう居ない。
「しかし宮卦さん、貴方は一つ、最も大切な事を見落としていますよ」
「……それは」
「るいが自殺したかもしれないという点ですよ」
「ッ」
違う……、るいは自殺なんてする訳がない。
「ほら、顔に出ている。貴方は端から自分の主観でるいが他殺だと思い込んでいる。正直に言うとるいは自殺した線が有力ではないかと思っています」
夕灯は打ちひしがれる俺を他所に淡々と語る。
「桐生の経営する旅館で権能が殺された、これだけでも考えてみなさい? 単純な動機になります」
「いや、それは」
「否定したい気持ちもわかりますが不自然でしょう? 桐生と権能ははっきり言って仲が良くない、わざわざ権能が桐生の旅館に泊まりに来る理由はなんですか? ここでいざこざを起こせば桐生が加害者となる、権能にとっては得になる」
「それこそ」
俺は反論する。
「夕灯の思い込みだ。桐生だの権能だの、それだけで判断材料とするのは早計にすぎる」
俺の反駁を受けると、夕灯は更に不安定な部分を突いて論破してくるかと思いきや、全く違って、俺を認めるような発言をした。
「貴方は初めから累や祁答院を疑っていたのです、だからこうして話を聞かせないよう場所を移動させた」
流れる水道水の音は、未だに止まない。
「少しでも疑っているのなら、疑い切りなさい。探偵になりたいならまず個人的な感情を捨てなさい、親しい者でも犯人と宣言出来る非常さを持ちなさい」
「……」
俺は頷く。
「俺は、ただ真実が知りたい、誰かるいを殺したのか、何故るいが死ななければならなかったのか。探したい、その理由がヘドの出るようなものでも、吐き気がするようなものでも」
俺の黒い目の意志を夕灯の黒い目が受け止める。長い間視線が絡まっていた。
ふいに、夕灯の右側の方に目が行った。
「権能とはあまり関わり合いたくはなかったのですが」
何故だ、夕灯は、震えている。小刻みに揺れる指先が内面の感情を現している。夕灯は俺の視線に感付き、隠さず指先を胸の前に持ってきた。
「すみません、少し考えてしまって」
「桐生と、権能のこと?」
夕灯の手が流れ続ける水に挿し入れられた。ひんやりとした水が夕灯の熱と震えを中和する。
「夕灯、らしくないよ、どうしたんだ」
「私にだって色々あるんですよ」
そう言った夕灯は歳相応の子供のように見えた。どれだけ強気な姿の夕灯だって、いつもそうあれる訳じゃないんだ。
「ごめん、らしくあれなんて、言うべきじゃなかった」
「いえ……、私達は思考を続けましょう」
「うん。じゃあまずは整理しよう。祁答院さんが部屋に来てから少しして、仲居さんの悲鳴が聞こえた。仲居さんに案内された場所に行くと、客室の中でるいは机にうつ伏せるように倒れていた」
「直ぐに確認してみましたが、既に息はなかった。死因は恐らく毒物、苦しんだ時に弾いたと思われる湯呑みと飲みかけのお茶が溢れていました。争ったような後はなく、金品も盗まれていなかった」
「部屋は開け放たれていた、外出時でもないし、夕食時だから鍵は支う必要はなかった。仲居さんは夕食を配膳する為に部屋を訪れ、そこで第一発見者となった」
これだけの材料では、誰もがるいを殺せる機会があるという事になってしまう。
「現場からはこれくらいです。それで推測出来ない場合動機から、犯人の方から検討していく事にしましょう」
「初めにるいが自殺だとしたら……、さっき夕灯が言ったような、桐生に責任を負わせたい権能の謀略って筋が有力だとは思う。るいは累より弱い立場にあるのが伺えたし、累や上に命令されていたとしたら……」
言いながら胸が苦しくなる。桐生を陥れる為、そんな事の為だけに命を捨てさせられるのだとしたら、るいはどんな気持ちで……そうなる時まで一人部屋で過ごしていたのだろう。
「他殺の線で考えてみよう……。るいを殺した動機について。まず、確かめなきゃならないのは"殺されなければならなかったのは本当にるいだったのかという事だ"」
るいはるいである以前に累だった。その為の顔があった。
「それについては貴方の思っている通りでしょう。るいは――累の代わりに殺された。るいとは累の影武者です、貴方はもう知っているでしょうね、双子でもないのに同じ様な顔、体型の人間が傍らに寄り添っている。私の父にも選ばれた影武者は存在します」
「そっか。夕灯には、夕灯にも居るの?」
「いえ、私にはまだ必要ありません。世間に認識されていない私はそもそも自分すら存在していない」
「そうか……」
「続けます。累を殺したい理由、衝動的に、はあまり考えられませんね。桐生が暗殺した、これも違います、それなら私が内容を聞いている筈です」
「誰が何故権能を?」
ますます持って分からない。
やはり桐生と権能の拗れた関係が原因だと考えるのが辻褄が合う。
「るいは自殺した、殺された。どちらにしろ、桐生に罪が被る結果になるんだろうな……」
「……」
「どした? 夕灯」
「いえ、今の言葉が引っ掛かって」
夕灯は、暫く考えてから思いもよらない説について口火を切った。
――ああ。
そうだったんだ。




