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銀と黒の章7

夕灯は意外な場所から、意外な人物に視点を当てた。

 確かに盲点だった、桐生と権能以外の

 ――第三者が事件に絡んでいるなどとは。



 俺達はある情報を確認する事にする。

 そっと部屋を抜け出し、静まり返る館内を歩き、憔悴しきった旅館の従業員に交渉する。普通は宿泊者名簿を他人に開示する事はあり得ない、だが夕灯が桐生当主の嫡子であった事と、緊急事態であった事を理由に特別に名簿を見させてもらった。

 ――やはりそこには書かれてあった。

 目的のものを見つけ、俺達は洗面所に戻った。

「これが真実……? こんなのがるいの、死ななければならなかった理由なのか」

 くだらなさ過ぎる、こんな事でるいは死んだ、やられたからやり返す、子供みたいな動因で簡単に人の命を奪うのか。

 夕灯にあたったってどうにもならない、なのにるいの死の理由があんまりにも理不尽で、それが……俺の所為でもある事が、俺には堪えられずに夕灯を睨み付けた。

 夕灯はそれでも手を添えて、俺を宥めた。

「憎しみは憎しみを呼ぶ、私達はその呪いの中に居る。貴方が悔いる事じゃありません」

「だからって! こんなの……俺は……」

「憎しみの連鎖を断ち切るには何処かで誰かが耐え忍ぶしかない、それが出来ぬから、永遠に続いていくのです」

「夕灯がそれを」

 言いかけて、続きを噛み千切った。夕灯夕灯とこの子ばかりに託す俺達は、とてもずるい事をしているのかもしれない。知らず知らずのうちにこの子に負担だけを背負わせている。

「一つ問題があります」

 夕灯が話を切り替える。

「るいを殺した犯人は恐らく消えてしまっているでしょう、世界の法則は便利な爆弾を生み出したものです。ですから私達は、今見てきた黒だと思わしき主犯に自白させるしか真実を暴く手段がありません。ありったけの証言と事実を突き付け、決定的な証拠がないにも関わらず責めていくのは容易ではない、いっそ……いえ」

「……俺達じゃ相手を脅す事すら難しいのか……桐生の権力はまだ夕灯にはない、相手に一喝されれば引き下がるしかない」

「すみません、帰って父に願い出ても構いませんが、そうすれば相手は確実に闇に葬られ真実も何もありません。宮卦さんは殺しを望まない、だからこれは最終手段です」

 俺の意思を汲んでくれているのか夕灯は、こんな時までも。

「いや、ごめんいいんだ……、権能に、累に頼ってみるしかないって事か……」

 その時トントン、と丁度よく洗面所のドアが叩かれた。「遅いと思ってのう、何かあったのか?」と祁答院の声。

 流れが俺達に傾いた、今この時に聞かねばタイミングは二度と訪れないかもしれない。俺は個人の意志で扉に手を掛ける。

「貴方は、権能の領域に首を突っ込む覚悟がありますか?」

 背後から聞こえる声に、振り向かずにこう応える。

「夕灯が許してくれるなら、俺は権能にでも立ち向かってみるよ」

 クソみたいな奴らの泥沼に、首でもなんでも突っ込んでやるさ。



「儂に聞きたい事とは?」

 祁答院を洗面所に引き込み、最早隠す必要もなくなったので水道水を止める。

 まず犯人がどうという以前の、質問をこれからしなければいけない。その質問は権能を不快にし、桐生を不利な立場に追い込むかもしれない。権能とはそれだけ力を持っているのだ。

「単刀直入に聞きます」

 銀の一族に真っ向から言葉を向ける、宣戦布告の弾を彼らに向けているような重圧に、俺は耐えた。

「貴方達は、本当に旅行気分でここに来たのですか――?」

「疑っておるのか、まあ、当たり前だわな」

 察しのいい、明晰さを備えた声が耳に返ってきた。

 この人は『貴方達が犯人ではないのですか?』という対の意味を素早く見抜き、それでも不快にならず、対等に答えてくれるようだった。

「何故わざわざ敵地に旅行に来るのか、そりゃおかしいわな、――じゃから言うてやろう」

 祁答院は一息衝いてから、笑う必要もないのに口元を綻ばせた。誰も聞きたくなかったその事実に、少々興を添える様に。


「可哀想な、誰かの為にだよ――」



 俺は拳を握り締めた。

 祁答院はタバコを取り出し、火を点けようとして灰皿がない事に気付き箱に戻す。

「全て言うてやる前に少し聞いておこう。儂等はまず被害者側だ、何もしておらん。するとしたら貴様らだ、この期に及んでルイを殺害しようとした、誤って影武者の方をやってしまったようだがな。どうなんじゃ?」

「それは違います」

「では誰が? そう聞かれた時に切り返す武器くらい、もう手に入れたんじゃろう? それすら出来ぬ馬鹿者共と同じ土俵に上がるつもりはない」

 厳しい人だ。でも負けない、威圧にも真実にも。

「誰がるいを殺したか、それは大凡調べは付いています」

 俺は祁答院に主犯と思わしき人物と動機について話した。

「ふむ、辻褄はあうの」

「ただこれだけでは証拠がない、消えてしまった人を探して見つける手立てはない……。だから貴方達が、主犯から聞き出してくれるしかない」

「貴様らはルイの犠牲だけでは飽き足らず、事件の始末までさせると言うか」

「そうです」

「桐生ユウヒ、お前はどうじゃ? ルイについて、その死の真相について知る覚悟はあるのか?」

 祁答院の怜悧な目が夕灯に向く。夕灯は体を跳ね上げた。キレのない、今の幼い夕灯では祁答院に答えられず、祁答院の容赦ない問いが怯えた夕灯に突き刺さる。

「お前はルイとは違うな、ルイは覚悟していた、何があろうともルイであり続けようと。その様に無様に萎縮するようでは、貴様は桐生ユウヒとしては失格だ」

 夕灯は背中を小さくして泣いているように見えた。

 夕灯、君はそこまで権能が怖いのか。

 最初から権能に関わることを良しとしてはいなかった、全てを見透かすような目、弱さを容赦なく斬りつけてくる刃、自分を他人が決めてしまうような、断定的な言葉。夕灯に隠された何かを、俺が知らないところで彼らは蹂躙する。

 暴かれたくないものを暴いてくるそれが、神秘の一族の青の魔力。

 だが――そんな魔力がなんだというのだ。俺は夕灯を背中に隠す、俺は夕灯を、全部全部この人に決め付けさせたりしない。

「夕灯は何れ立派になるよ、この子は今はまだ小さい、だけど将来きっと大きな存在になるよ。俺はこの子の傍を離れない、ずっと守っていく、この子の本質を知っているのは俺だけだよ」

「宮卦さん……」

「そして、俺は貴方達を軽蔑するよ、"全て知っていてるいを殺させた"未来を預言する一族、貴方達を」

 権能家は、世界に最も近い銀の一族。その者の預言は、決して外れない。

 累は、祁答院は、るいが死ぬと預言に出ていながら、その通りに世界が巡るようわざと此処に来た。るいを見殺しにしたんだ、いや、それ以上に残酷だ。るいは知っていたのか、知っていながら殺されるシナリオを胸に抱き、何が入っているか分かっていてお茶を飲んだのか。

 るいはどんな気持ちだったか考えてみる、目の前に毒がある、俺ならとてもじゃないが飲めない。じゃあるいはどんな悲しみを抱いて、死に望んだんだ? どうして毒と知りながら、たった独りでそれを口に出来たんだ!?

「ふざけるな! 権能も、貴様らも! クソだ!」

 許せない、憎むように睨みつける俺の目を、祁答院は自分に反抗してくる小さな小動物を見るようにして、とても可笑しそうに口角を釣り上げた。

「っはは、貴様は勇敢な愚か者だな――」



「長かったな……」

 洗面所を出ると蝶架は累の背中を擦っていた、累の細い背中は未だに机に伏し震えている。

 まだ泣いているのか、今となってはその涙も唾と変わらないというのに。

「紋代さん、これから戦場になるかもしれないとこに行くんですけど」

「なに?」

「行きますか? ドロドロですけど」

「行くし」

 即答するって流石だな。疲れ切った顔でドロドロって言ってんのに、単純なんだか信頼されているんだか。

「累は?」

「私は……。いきます」

 目を真っ赤にし、泣き腫らした顔で累は蝶架と共に立ち上がる。

 知ってるか? 累。目が赤くなるのは涙を流したからじゃない、目を擦るからなんだって。


 外は闇だった。

 夜の紗幕が頬に掛かる、上を向いて、何も溢れない穴に指を添えた。

 此処に来てから何時間経っただろう、最初に夕灯が言った通り、これは俺が仕組んだ罠だった。

 累の温泉という占い結果に忌避を抱きながら、母と先生の密談を知り、それが解消されると、丁度よかったと蝶架に手紙を書いた。蝶架が幽玄を抜けたのも、後継者発表前の大切な時期に夕灯が付き合ってくれたのも、見事にるいを殺す未来に繋がった。

 一連の事の本末が、全て俺を起因に巡っていた。

「俺が何もしなければ、るいは死なずに済んだのかな」

 零した言葉が土に落ちる。何かが俺を引っ張った。夕灯の手が、俺のカーディガンの裾を掴んでいた。風が通り過ぎた時、他人のものであるはずの体温が体に張り付いていた。

 俺は当惑した、抱きしめられていた事に対して、初な男子のように緊張していた。

「わからないんだ、俺が悪いんじゃないって分かってて、なのに俺は俺を責めて。るいが可哀想なのか、累達が許せないのか、混ざっちゃって、ぐちゃぐちゃで」

 そのぐちゃぐちゃになったものをこの手にも下さいと、腰に回された腕が痛みを半分こにして持っていく。

 誰にも見えない夜の中で俺は夕灯の手を取った。握り締め、顔を向け、手の中から荷物を受け取り自然な振る舞いで蝶架に手渡す。

 ありがとう。

 祁答院の車に荷物を詰め込むと、俺達は"持てる物"を持ち館内に戻った。

 行こうか、最終決戦の場に。



「こんばんは」

 旅館のとある客室に、祁答院はノックと挨拶を順にする。中から出てきたのは中年の男。彼は初めは毅然とした態度で来訪者を迎えたが、来訪者が祁答院、そして権能の一族であると気付いた瞬間顔色を変える。

「け、権能の方々が……何でしょうか……」

 遥かに格上の相手を前に喉を震わせる。上擦った声の最後の息遣いと同時に、祁答院は王様気質のあの威圧的な目を向けた。

椎名豪蔵(しいなごうぞう)よ、お前に聞きたい事がある。まあ、そう萎縮するな」

「な、なにを」

 椎名豪蔵、それは名家椎名一族の重役の一人だ。普段は厳しい気質と合理的で固い考えを持つ冷然たる豪傑で、野心を秘め、覇気を伴い椎名家を纏める人物として知られている。冷静であったなら、祁答院の王の目とも互角に渡り合えただろう、だが今はその面影はなく、白髪混じりの髪の下に汗を浮かべていた。

 椎名豪蔵の裏から金髪をツインテールにした子供がのぞき込んでいた。母親と思わしき同じ髪色の、不安げな顔をした女性も伺える。彼女らは名簿で見た、椎名ひよりと椎名ななだ。恐らく椎名豪蔵の娘と孫。

「少々時間を頂きたいな、ご同行願えるか?」

「ワシ等は今……」

「椎名は権能の指図は受けられぬと見えるな」

 ぐっと、椎名豪蔵は喉を鳴らした。

 たかが二十年程度しか生きていない小僧っ子が五十年は生きたであろう豪傑を見下している。権能というだけで――と明らかに業腹そうに、椎名豪蔵は腸を煮えくり返している。

「わかりました、ただ娘と孫も同行させてよろしいでしょうか? 二人きりで置いておくのは不安ですので」

「よいだろう」

 祁答院は短く了承し踵を返す、累は祁答院の腕にしがみつき、俺達もそれに続く。振り返ると、椎名豪蔵が娘と孫に何か話しているようだった。


 宴会場は閑古鳥が鳴いていた。今の時間、本来ならば賑わっているだろう場は静まり返り、僅かな人間の息遣いだけを大きく響かせる。

「あの人、累達が廊下に立っていた時見ていたおじさんだ……」

「チャンスがくるのを虎視眈々と伺ってたってわけか……」

「紋代さん、覚えていませんか? 彼は貴方達が初めて資産家を撃った時居合わせた椎名豪蔵ですよ」

「なに? 言われてみれば」

 記憶を遡る。俺は全く見えなかったが、蝶架には資産家と対話する椎名豪蔵の姿が記憶のどこかに残っていたかもしれない。

「恨み、ですね。資産家を再起不能にした罪を、椎名に被って頂きました、その責任を椎名豪蔵が取らされたとしたら、桐生を恨み、都合良く権能を見掛け、鏡のように、桐生に罪を被せるという皮肉な策を思い付いたのかもしれません」

 話していると、当人である椎名豪蔵が娘と孫を連れ宴会場に入って来た。やたら遅れてきたのはよからぬ企みがあるからに違いない。

 一見すれば丸腰だ。椎名豪蔵は皺一つないスーツに身を包み、手には何もぶら下げていない。

 俺はカーディガンのポケットに手を入れている、中の折り畳み式ナイフが冷たい刃を椎名豪蔵に向けている。

 椎名ひよりは椎名ななの手を握りおずおずといった様子で豪蔵の後ろに位置を取る。そしてななの背に合わせしゃがみ、ななの肩を支えるようにして寄り添った。実際、ななを守るというよりは彼女の方がななに縋っているように見えた。ぱっちりした大きな目を細め、あからさまに不安がっている。

 椎名ななはこれだけ張り詰めた空気を俺達が出しているにも関わらず、キャラクターの描かれた鞄の、そのキャラクターのキーホルダーを飽きずに手の中で遊ばせていた。十にも満たない年齢の子供だからか、マイペースだなと思った。

 さて。祁答院は椎名豪蔵が対話の姿勢に入ると、初めから回り道をせず、順序も飛ばしていきなり問い詰めて掛かった。

「貴様、権能累を殺しただろう?」

 清清しいまでの、堂々たる物言いだった。

「何を根拠に……」

「貴様は以前桐生に罪を被せられ、失脚にまで追い込まれたらしいな? その腹いせに桐生の嫡子をなきものにしてやろうと後を追っていたら、思わぬ僥倖が流れ込んできた。破滅へ導くように、累を殺して桐生と権能の関係を悪化させてやろうとした」

「なんのことやら……」

「あぁそうだ、貴様を失脚させる原因になった資産家を撃った狙撃手はこいつだそうだぞ」

 親指を指された蝶架はぎょっと顔を歪ませる。椎名豪蔵の殺意の篭った双眸が蝶架に襲い掛かる。蝶架は肩を竦ませ身を縮こまらせる。

「復讐にしては策が二流に過ぎるな。そこまで切羽詰まっていたか、或いは思考も出来ぬほど腸が煮えくり返っていたか?」

 椎名豪蔵は反論出来ず一旦は黙りこくる。だが次に、自分達を守る最も手堅い一句を言ってやろうと口元をにやけさせた。

「それだけ申されるならば、もちろん証拠はおありなのだろうな?」

 ――やはりそう来るだろう。

 証拠なんてあるわけないのだから。現場に椎名豪蔵の指紋や毛髪があったわけじゃない。実行犯は恐らく豪蔵に言われるまま世界の法則によって消滅している。死人に口なし、お手上げだ、完璧に証拠は隠滅している。

 祁答院は何と返す、それによっては椎名豪蔵は無実のままだ。

「証拠なぞないに決まっている、消滅したものを追いかけ口を割らす手段など持っていない。私が言いたいのは貴様が主犯かと言う一点のみだ。答えろ、貴様が権能累を殺せと命令したか? ――そこの母子の父親に」

 初めて表に出される真実がそこには含まれていた。椎名豪蔵は自分の復讐の為に椎名ひよりと、まだ小さいななの父親にるいを殺すよう命令したのだ。宿泊者名簿には椎名豪蔵、ひより、ななの他にもう一人分、名前があったのだ。

「おい子供、お前の父親はどこに行った?」

「おとうさん? お仕事だからさきにかえっちゃったよ」

 この、腐れ外道め……!

「うっ、う」

 どこからか泣き声がした。ななの純粋過ぎるまでの無知さが、彼女の心の亀裂をズタズタにしたようだった。

「うあ、うぁぁぁ」

 椎名ひよりは俺達の前で涙を流した。我慢しなければならなくても感情がついていかず、ななの肩口に顔を埋め泣きじゃくる。お父様ごめんなさい、ごめんなさいと途切れ途切れの声で彼女は嗚咽を上げる。

「私はもう、無理です……あの人が権能の子を殺しました、お父様にっ……言われ、て」

 心の重みを解き放つと、彼女は帰ってきて、帰ってきてと愛する人の名をずっと呼び続けた。

 こんな、酷い事って……ないだろ。

「ひより!」

 椎名豪蔵がひよりの言動を怒鳴りつける。そんな事したってもう誰も貴方を白とは認めない。

「終わりだな、大人しく観念するがいい。どうせ桐生に暗殺されるだけの命だ、ならば今権能に捕まっておけ」

「ふざ、ふざけるなぁぁ!」

 椎名豪蔵はついに化けの皮を剥がした。ななの鞄を無理矢理奪い取り、鬼の形相で黒い塊を取り出す。

「ッ!」

 俺は夕灯を押し倒し、間一髪弾の軌道から体を逸らした、弾は夕灯が居た場所を正確に走り抜け壁にめり込んだ。

「おいおい……こりゃ洒落にならねぇ」

 拳銃だった。それに一番精通している蝶架がそう言うのだから、それ以前に、拳銃が人を簡単に殺せる品物って事くらい俺にでも理解できる。素人であろうと弾を飛ばせればそれで人を殺せるのだ。そして椎名豪蔵が素人ではなく、ある程度拳銃の扱いに慣れているのが今の一発で確認出来てしまった。

 俺は夕灯を起こし、背に隠した。

 拳銃の漆黒の穴がこちらに向く。無機物に感情なんてない、だから迷いもなく二発目が放たれる。

 ドンッ――。

 腹に穴が空く、ドクドクと流れ出る血を、吐血した唇の上の目が驚愕に見つめる。

「がハッ」

 もう一度吐血。口を押さえる指の間を赤い血液が流れ落ちる。

 ――撃たれた人物、椎名豪蔵は無慈悲に向けられた混沌の穴に、両目を揺らした。

「きさ、ま……よくも」

「私は頭の悪いものが嫌いだ、それ以上愚者として振る舞うなら次は脳ミソを狙う事になるが」

 祁答院は使い慣れている、というように蝶架よりも自然な動作で銃口を椎名豪蔵の頭部に合わせた。人の体を撃ち抜いて尚不敵な表情、彼は容赦なく有言実行するだろう、そう誰もが戦慄を抱き悟った。

 椎名豪蔵は諦めなかった、ななの鞄にはまだあるものが隠されている。祁答院ですらそのものを使用する愚かさと、そこまで地位を奪われ恥辱を浴びた事を根に持っているのかと息を飲んだ。


 それは、宴会場を消し飛ばすことが出来るほどの、椎名豪蔵の恨みの姿だった――。



「それを使ってみんなさよならというわけか、ハッ、やりおるわ」

「あんなの使われたら……私達みんなホントに死んでしまいます」

 累が恐怖に見上げるものそれは――爆弾だった。

 まさか自爆しようとは、夢にも思わなかった。

「これを押せば爆弾か爆発する。みんな死ねばいいわ! 最早ワシすらどうなろうと構わん! 桐生も権能もまとめてあの世に行くがいい!」

「ふざけんな!」

「ふざけているのは貴様らだ! 何が雅な一族だ! 笑わせるわこの殺人者共めが!」

 苦味が走る。殺人者と言う第三者からの言葉に心が乱れる。

「権能も権能だ、何か世界を巡らせる一族だ! ただのペテン師の集まりではないか!」

 椎名豪蔵は死を覚悟したと同時に理性まで捨てたのか、あらゆる罵詈雑言を腹のそこから吐き散らしぶつけた。

 そして、息を切らし罵倒を吐き尽くした最後に、向けた感情は呪いだった。

「地獄に落ちるがいい」

 駄目だ。

 ――恐らく逃げ切れない。

 せめて、夕灯だけはと背後に隠した。


 音が響き渡る。

 それは爆弾の爆ぜる轟音ではない。代わりに「ぐわっ!」という椎名豪蔵の悲鳴が上がった。

 椎名豪蔵の手からスイッチが弾き飛ばされる、飛ばされたスイッチを拾おうと椎名豪蔵は駆ける。

「逃げな!」

 誰かの叫びを皮切りに、蝶架は近くにいたひよりとななの手を引っ張り窓ガラスを蹴破り外へ、俺は夕灯を連れ走ろうとした所で祁答院に捕まえられ、宴会場の舞台に仕掛けられた役者が上がるための穴に押しこまれた。

 天井が閉じられた瞬間。頭の上で凄まじい音がした。

 耳をつんざく様な轟音、穴を締め切った天井から揺れと土埃が降り掛かってくる。

「けほっ」

 揺れが収まり、累が咳をした。俺は夕灯の安否を確認する。

「夕灯大丈夫か!?」

「は、はい」

 狭い穴の中で夕灯は俺に抱きかかえられるようにして腕の中に居た。手探りをして顔を探す、無事だ……、声がここからする、ほんとによかっ……

「……ゆう、ひ」

「なんですか……」

「いや、いい……」

 気にしなくていい、そんな事、今はどうだっていいんだ。

 夕灯も今の俺の素振りに気が付いただろう、だが、全ては後だ。

「生きておるか、しぶといのぉ」

 祁答院が図らずも俺の意識を逸らしてくれる。

「祁答院さんありがとうございます、此処に隠してくれなかったら巻き込まれていたかも」

「礼はいらぬよ、さてと……」

 祁答院は念のため拳銃を構えながら天井を持ち上げた。だが瓦礫が塞いでいるのか中々上には開かない。

 助けが来るまで待つしかないか……。俺が諦め気味に膝を折り、祁答院がもう一度だけ天井を持ち上げようとした時、上から力が加えられ穴に光が差し込んだ。

「生きてる?」

 光の差し込む先に見えたのは、見た事もない黒髪の男の人だった。

「生きてます」

 同族の人間ならば旅館の従業員だろうと彼の手を借りそれぞれ穴から抜け出した。

 椎名豪蔵は――? と真っ先に姿を探した後、俺は酸鼻を極めるその有り様に愕然とした。椎名豪蔵……いや、椎名豪蔵だったものは……バラバラになって宴会場のあちこちに血と肉を振りまいていた。胴は引き千切られ、頭部だと思われる丸い塊には、砕けて剥き出しになった歯と、頭蓋骨に張り付く僅かな頭髪だけが残されていた。

「あや、紋代さんは!?」

 俺は椎名豪蔵の末路と蝶架をダブらせて不安になった。黒髪の男の人が俺に見えるようふいっと親指で一点を指した。

「紋代さん!」

「……ガキか」

「これ、は……」

「この人は、おれと娘を守っていったんだよ」

 横たわっていたそれは、衣服が焦げ、背中に無数の瓦礫が刺さった椎名ひよりの亡骸だった。ななは母親がどうなったのかも理解出来ず、隣に座ってずっとひよりが起きるのを待っていた。

「紋代さん、貴方の所為じゃ……」

「分かってる、この人は立派に娘を守ったんだよ」

 強がっていても、娘と共に守られ、母の命を犠牲にした悔しさが滲み出ていた。

 これ以上俺に慰められたくない、そう目が言っていたから、俺は夕灯や黒髪の男の人のところに戻った。

「あの、貴方は?」

「ああ俺? 誰だろうな」

 黒髪の男の人は思わせぶりな態度を取って肩に掛かっていた上着のずれを直した。桃色の瞳が不敵に笑う、赤い花の髪飾りが彼の黒髪に色を添えていて、それが強く印象に残った。



***


 こうして、楽しいはずの温泉旅行は最悪の結末で幕を下ろした。

 椎名豪蔵、椎名ひより、ひよりの夫、そしてるい。四人もの命を奪った惨劇は忘れられない記憶として永遠に刻み付けられる。


 朝。惨劇など夢だったかのような清清しい空が広がる。

 家族はみな死に、たった一人だけ残されたななを夕灯は引き取りたいと申し出たが、権能によって新しい親は探される事になり、ななは無表情のまま、ズタズタになった鞄を抱いた姿で連れられていった。

 蝶架はあの黒髪の男の人と話していた。何やら知り合いだったようで、苦笑いしながら、泣き出しそうになるのをからかわれ必死に言い返していた。

 夕灯は祁答院と話している。それは今回の一件、るいについての謝罪や、今後の対応、旅館の再建や方針についてと、様々だったろう。


 だから、残るは俺達だけだ――累。



***


 エピローグは、殺人者の俺とお前で飾ろうか。

 その銀の髪を切り裂き、喉元にナイフを突き付け、殺してやると告白する。

 ありったけの憎悪を、君に――。


「権能累、君は未来が視えているんだってな」

 泣きはらした目も、爆弾に怯える表情ももうない。

「ですね、権能一族は多少個人差はありますが、稀に未来が視える者が存在しますね」

「君はその奇跡の申し子の、最たる神童というわけだ」

「人は神にはなれません」

「君がラッキーアイテムは温泉と言った時から、今の結末は決まっていたか?」

「いえ、残念ながら貴方が四童子祈と出合った辺りから既に錯綜の渦の中ですよ」

 そうか、そんなところからこの物語は始まっていたんだ、そして、その物語はまだ終わりではない、何故なら登場人物は未だ死者の配役に回っていないからだ。

「ルイが死ぬ未来は預言出来ていました。貴方は、私がルイを見殺したと考えますか?」

 累が素直になるなら、俺からも答えてやろう。

「お前は世界の法則を捻じ曲げる事を好まない、権能一族は世界の巡りを見守っていくもの、未来を視ていながら、一人だけ未来を変える事を許しはしない――。なんて事ではないんだろ? お前はただ楽しいだけだ、笑いながら占い通りになっていく人間を愉悦の目で見ている、そうなんだろ? クソ野郎!」

 世界で一番汚い罵りと同時に、累は世界で一番可愛らしい笑顔で俺の胸に飛び込んできた。

「私はね! 占い結果に死ぬと出た者の末路を見るのが好きなんです。とってもhappy!」

「死んだほうがいいな」

「ルイが死ぬのが分かった時、私の気持ちはBadでした、でも今はHappyです! やっぱり人が死ぬのは面白い! 誰かが悲しむ、誰かが傷付く、Very good!」

「……」

 累は俺から離れてローブの下からタロットカードを取り出す。

「――The Tower」

 累はシャッフルしているカードから塔の絵柄を引き出した、大アルカナは22枚ある、1/22だ。

「おにいさんの私に対する戦慄の意味が今なら分かりますね? おにいさんは怖いんです、誰かが周りで死ぬ事が、私にそれを知らされる事が」

「……」

「大丈夫、私は黙っています、誰かが死ぬ時、私はそれを視ながら伝えず、会いに行って最期を愉しみます」

 累はタロットカードを仕舞い込んだ。静かに踵を返す。

「待てよ。今……俺がここでお前を殺す未来は視えているか?」

 唐突な殺意の刃に、累は笑いながら喉元を差し出した。

「視えてませんよ――残念ながら」

 本気で殺すと、喉元にナイフを当てられても累は俺を愛していると言った。

「おにいさんは私の好きな匂いがする、死者の香りです。まだ生きている人間の芳醇な香り、それがある時を境に絶望の香りになる」

「切るべきだな、この喉を」

「切る未来は視えていません」

 その通りに、俺はナイフを下ろした。

 俺は累を殺せなかった。このイカれた預言者をナイフで裂き、未来を覆す事が俺には出来なかった。

 累が離れていく、そして何か思い出し戻ってくる。ほんの一瞬だけの、触れるだけのキスが降り掛かった。

「また会いましょうおにいさん、カウントダウンが終わる時に」

「二度と会いたくない」

「次の絶望はすぐ近くに。おにいさんに神の祝福を」

 累は銀の髪をフードに包んだ。


 とってもHappy! Happy!

「だって世界が滅ぶ時、私と貴方はきっと一緒に終わりを見ている」


 

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