第十三話 特徴
朝まで、どこにいたのか、よく覚えていない。
気がつくと、駅にいた。改札の横の、細い通路の先。蛍光灯が、まばたきをするように暗くなって、また明るくなった。
忘れ物センターの窓口には、誰も並んでいなかった。
「おはようございます。お忘れ物ですか」
前と同じ人だった。とても丁寧な人。
「はい」
「何をお忘れになりましたか」
私は、少し考えた。
「家の鍵です」
窓口の人は、ペンを持った。
「特徴を伺えますか」
私は、話し始めた。
「木のキーホルダーがついています。丸い、小さな。旅行先の雑貨屋で、夫が買ってくれました。鍵は二本で、一本は玄関、一本は勝手口です。勝手口のほうはほとんど使わないので、少し錆びています」
窓口の人のペンが、紙の上を走った。
「玄関を開けると、右に靴箱があって、その上に木のトレイがあります。私はそこに、物を放り込みます。夫は、それを直します。廊下の先が台所で、換気扇が少しうるさいです。夫は料理がうまくて、喧嘩をすると謝る代わりに茄子の揚げびたしを出します。私は子どものころ茄子が嫌いでしたが、今は好きです。いつから好きになったのかは、わかりません」
止まらなかった。言葉が、次から次へと出てきた。
「夫は写真を撮るとき、私の左側に立ちます。私が右側から撮られるのを嫌がるからです。母は夜の九時過ぎに電話をかけてきて、父の愚痴を言います。私は、六時十五分に起きます。五分だけ長く寝たいからです。ハンカチは、四角に折ります」
私は、息を継いだ。
こんなに言えるのだ、と思った。私は、私の物のことを、こんなに知っていた。傘のときとは違う。財布のときとも違う。今度こそ、誰よりも正確に、言えている。
窓口の人は、最後まで書き取ってから、ペンを置いた。
それから、手元のパソコンを少し操作して、画面を見た。
「その物件は、ご本人様に返還されていますね」
窓口の人の声は、穏やかだった。
「いつですか」
「三か月前です」
私は、何も言えなかった。
三か月。傘を忘れた、あの雨上がりの日。あの日から、ちょうど。
窓口の人は、カウンターの下から、一枚の紙を取り出した。
『拾得物件預り書』
一番上に、そう印刷されていた。
窓口の人は、それを私の前に置いて、ペンを添えた。
「では、こちらでお預かりしますね」
とても丁寧な声だった。
「念のため伺いますが」
窓口の人は、私の顔を見た。
「特徴を、教えていただけますか」
私は、口を開いた。
紺色です、と言いかけて、やめた。
窓口の人はペンを止めたまま、続きを待っていた。




