第八話 旅部、始動!
五月七日 木曜日
ゴールデンウィークが明け、学校には少しだけ気怠い空気が漂っていたけれど、放課後の空き教室(仮部室)だけは違っていた。
「大貴くん、あんたこれ本気で書いとんの!?」
「えっ、ダメっすか!?」
机の上に広げられた模造紙の前で、みのり先輩が大貴の書いたメモ用紙をバンバンと叩いていた。
「『デニムまんを食べました。青くてヤバかったです。味は普通に肉まんで美味しかったです』……って、小学生の絵日記やないんやから! これのどこがレポートなん!」
「だって先輩が『現地の食文化の感想を書け』って言ったんじゃないですか!」
「感想とレポートはちゃうねん! 貸してみ!」
先輩はペンを奪い取ると、模造紙の空きスペースにスラスラと文字を書き殴り始めた。
『――特産品であるデニムを視覚的に表現した「デニムまん」は、クチナシ色素による鮮やかな青色で消費者の固定観念を打破し、SNS等での拡散を狙った現代的な観光戦略の好例である。これは、江戸時代から続く繊維産業の歴史を、食というポップなアプローチで後世に繋ぐ意欲的な試み――』
「……ってな感じで書くんよ。分かった?」
「いや、なんでその青い肉まんからそんな高尚な文章が出てくるんすか!? 先輩、実は頭いいんですか!?」
「『実は』とは失礼な! ウチは常に学年一桁のインテリやぞ!」
ふんす、と胸を張る先輩。
普段のふざけた言動からは信じられないが、先輩は驚異的に頭がいい。要領が良いというべきか、あの膨大な情報処理能力が、こういう土壇場で恐ろしいほど発揮されるのだ。
学年でも下位を争う大貴とは、悲しいかな、頭の出来が違いすぎるらしい。
「ほら大貴、文句言ってないでハサミ貸して。先輩がせっかくまとめてくれたんだから、写真切って貼る作業ぐらいはちゃんとやれよ」
「ううっ……理不尽だ……」
「大貴くん、このきびだんごのパッケージ写真も綺麗に切り抜いといてな!」
すっかり意気消沈して作業に戻る大貴を横目に、俺は向かいの席へと視線を移した。
そちらでは、中井さんが辞書ほどの厚さがある資料ノートを開き、真剣な表情でメモをまとめていた。
「中井さん、そっちの進み具合はどう?」
「うん。江戸時代の天領としての成り立ちと、明治の紡績産業への転換についてはまとめ終わったよ。ただ、情報量が多くて……模造紙のスペースにどう収めようか迷ってて」
「見せて。……うわ、すごい緻密な年表。さすがだな」
中井さんのノートには、倉敷の歴史が年代順にびっしりと、しかも要点を押さえて美しく整理されていた。彼女もまた、学年上位の生粋の優等生だ。基礎学力と真面目さにおいては、先輩にも引けを取らない。
「でも、これ全部書くと文字ばかりになっちゃうよね。俺、少し構成を考えてみるから、中井さんはこの中から『大原孫三郎さんの功績』と『なまこ壁の工夫』だけ、簡潔な文章にピックアップしてもらえる?」
「あっ、なるほど。要素を絞るんだね。……蒔田くん、レイアウト組むのすごく上手だね」
「俺は全体のバランス見てるだけだよ。中井さんのベースが完璧だから、すらすら形になる」
「えへへ……そう言ってもらえると、嬉しい、かな」
中井さんは少しだけ照れくさそうにはにかんで、再びペンを走らせる。
倉敷での散策を経て、彼女は俺の前で随分と自然に笑ってくれるようになった。前のように変に気を遣いすぎることなく、役割分担もスムーズにこなせている。
その隣顔を見ているだけで、俺までなんだか居心地が良くて、自然と口角が上がってしまった。
「……みのり先輩」
「ん? どしたん大貴くん」
「あっちの二人、なんか旅行前よりいい雰囲気になってないすか? あと、俺だけがひたすら底辺の作業やらされてる気がするんですけど」
「アホやなぁ大貴くんは。あそこはウチらが口出しせん方がええんよ。ほら、ウチらはこの『きびだんご』のパッケージ分析を進めるで! 大貴くんはのり付け係な!」
「だからそれ、先輩が今きびだんご食いたいだけですよね!?」
そんなこんなで、頭脳レベルの格差とカオスが入り交じる作業を続けること一時間。
ついに、俺たちの個性が詰まった『宇治・倉敷 歴史文化探訪レポート』が完成した。
◇ ◇ ◇
五月八日 金曜日
放課後のチャイムが鳴るなり、俺たちは丸めた模造紙を抱えて職員室へと急いだ。
「失礼します! 藤原先生、レポート、完成しました!」
社会科準備室のドアを勢いよく開けた先輩に続き、俺たちは四人がかりで巨大なレポートを机の上に広げた。
「……うんうん」
藤原先生は、眼鏡の奥の目を細めて俺たちの力作を見下ろした。
「(ヤバい……絶対あの青い肉まんの写真で怒られる……!)」
隣で大貴が青ざめて息を呑むのがわかった。
数秒の沈黙。
藤原先生は「ふむ」と一つ頷くと、レポートの講評を一切口にすることなく、自身の机の引き出しをガラリと開けた。
そして、一枚のプリントを取り出し、俺たちの目の前にポンと置いた。
『え……?』
それを見た瞬間、俺たちは全員、目を丸くして固まった。
机に置かれたのは部活動設立許可申請書。
驚くべきは、顧問欄にすでに藤原先生のサインと判子が押されているだけでなく、生徒指導部、教頭、そして一番端の校長認可の欄にまで、真っ赤な承認印がしっかりと押印されていたことだ。
「せ、先生……これ、もう全部ハンコが……!?」
中井さんが、信じられないというように震える声で尋ねる。
「お前たちが連休前からあちこち走り回って、真面目に準備していたのは知っているからな。どうせやるなら早い方がいいだろうと思って、昨日のうちに職員会議と校長への根回しは済ませておいた」
「えっ!? じゃあ、このレポートは……」
「もちろん、後でゆっくり読ませてもらう。だが……」
藤原先生は、そこで言葉を切り、大貴の『デニムまん』の写真や、俺たちが並んで笑っている写真をじっと見つめた。
そして、ふぅっと大きなため息を吐くと、ぼそりと呟いた。
「……ずるいぞ、お前たち」
「え?」
「歴史の息吹を感じながら、ご当地の美味いものを食べ歩く。そんな贅沢なフィールドワークを生徒だけで満喫してくるとは……。このレポートを見ていると、私も無性に旅がしたくてたまらなくなってきた」
「えっ」
「つまりだ」
藤原先生はクイッと眼鏡を押し上げ、ひどく真面目な顔で俺たちを見据えた。
「公式な部活動となれば、今後の『フィールドワーク』には、顧問の引率が必須になるはずだな?」
「まさか先生……!」
先輩がハッとして声を上げる。
「自分も一緒に旅行して、美味しいもの食べたいだけじゃないですか!」
「人聞きの悪いことを言うな。これも歴史探求という崇高な学問のためだ。……で、そのきびだんごの余りはあるのか?」
悪びれもせず手を差し出す先生に、俺たちは一瞬ポカンとした後、耐えきれずに全員で吹き出してしまった。
「あははっ! 藤原先生、最高! 大貴くん、先生にきびだんご貢いだり!」
「うっす! 先生、いくらでも食ってください!」
「やれやれ……。まあいい、これだけバラバラな個性が集まって、ここまで熱量の高いものが作れるなら文句はない。……合格だ」
きびだんごを受け取りながら、藤原先生はふっと優しく口元を緩めた。
「よっしゃぁー!!!」
静かな準備室の空気を真っ二つに割るように、先輩の場違いなほどデカい歓声が爆発した。
「これで晴れて正式な部活や! やったで大貴くん!」
「痛い痛い痛い! 先輩、背中叩く力強すぎ! でも嬉しいっすね!」
バンバンと大貴の背中を叩きながら飛び跳ねる先輩。いきなりのお祭り騒ぎに、俺が隣を見ると、中井さんもまた「もう、先輩ったら……」と半ば呆れたように肩をすくめていた。
「まあまあ、みんな落ち着いて。これで晴れて部活になったんだ。部活といえば……部室が必要だろう?」
そう先生が声をかけると、俺たちの動きがピタリと止まった。
「部室、ですか? 今まで使ってた空き教室じゃなくて……?」
俺が尋ねると、藤原先生はニヤリと笑い、机の引き出しから古びた鍵を一つ取り出して、チャラリと鳴らした。
「ああ。正式な部活には、正式な拠点が必要だ。教室棟の三階の一室……まあ、長年使われていなかったから、少しばかり掃除は必要かもしれないがな」
「やった! ウチらの城や!」
鍵を受け取った先輩を先頭に、俺たちは顔を見合わせてパァッと表情を輝かせた。
「行くでみんな! 旅部、初陣や!」
「あ、待ってください先輩! まずはファミレスで祝杯……いや、チョコパフェ!」
「アホやな大貴くん、パフェより先に我が城のチェックやろ! 蒔田くん、しーちゃんも、はよ行くで!」
廊下の奥へと遠ざかっていくギャーギャーという騒がしい声を聞きながら、隣の中井さんが小さく微笑んだ。
「ふふ……二人とも嬉しそうだね」
「まあ、なんだかんだ言いながら、あの二人は良いコンビだからね。……そういう中井さんも、すごく嬉しそうだけど」
俺がそう言うと、中井さんは少しだけ照れくさそうにはにかんで、それから小さく笑った。
◇ ◇ ◇
教室棟の三階、一番奥の部屋。
「さあ、開けるでー!」
ガチャリ、と古びた鍵が回り、重たい扉が軋む音を立てて開いた。
中からは、長年締め切られていた埃っぽさと、どこか懐かしいような古い木の匂いがした。
「うわっ、めっちゃホコリ! ……けど、ここが俺たちの部室……!」
窓から差し込む夕焼けが、何もない空っぽの教室をオレンジ色に染めている。
「よっしゃ! 旅部、ここから本格始動や!」
先輩の弾むような声が、夕暮れの教室に響き渡った。
何もない空っぽだったはずの放課後に、今は確かな熱気がある。
俺たちの騒がしくて、ほんの少しだけ甘い、高校生活の新しい居場所が、今ここから本格的に始まるのだ。




