第九話 放課後ゲリラ旅行、開幕
「あーっ……マジで死ぬ……。俺の腕と腰、完全に粉砕骨折したっす……」
ピカピカに磨き上げられた床に大の字で倒れ込み、大貴がゾンビのようなうめき声を上げた。
「大げさやな大貴くんは。男子高校生が窓拭きとモップがけぐらいでへこたれてどないすんねん!」
「いや、なんで先輩はそんなケロッとしてるんすか!? さっき不用品置き場から、その超重いソファとスチール棚、一人で軽々担いで階段上ってきたじゃないですか!」
「ああ、あれくらい気合いや、気・合・い! ウチは頭脳明晰なだけやなくて、フィジカルもエリートなんよ!」
ふんす、と腰に手を当ててふんぞり返る先輩。
学年一桁の圧倒的インテリでありながら、なぜか規格外の腕力まで併せ持つこの先輩に、俺と大貴は戦慄を覚えずにはいられなかった。
すると後ろの扉が開けられ中井さんが入ってくる。
「え……?」
ふとそちらに視線をやると中井さんはあの華奢な見た目からは想像ができないほど軽々と机を担いでいた。それもよく言う教室の勉強机ではなく、家庭用の大きいやつを2枚。
「……よいしょっと」
「中井さん……?」
「どうしたの?」
「え、それ一人で持ってきたの……?」
「うん、そうだよ?」
先輩よりやばくね……?
「そういえば、先輩と中井さんって中学の時の部活一緒だったんだよね?」
「うん」
「え、何部だったの?」
「柔道部だよ」
「「……じゅう、どう?」」
俺と大貴の声が見事にハモる。
大貴に至っては、あまりの衝撃に口から魂が抜けかけている。
「せや! ウチが部長で、しーちゃんは期待のホープやったんよ!」
「ふふっ、みのり先輩の方が何倍も強かったけどね。それに、机を運ぶのは重さの重心さえ見つければ簡単だよ?」
清楚で可憐な同級生(※ただし物理最強)。
もしかして旅部、男である俺たちが一番か弱い存在なのではないだろうか……。俺は密かに戦慄した。
◇ ◇ ◇
「やっと終わったー!」
すっかりホコリも消え、ピカピカに磨き上げられた旧校舎の空き教室。
西日が差し込み、オレンジ色に染まったフローリングの上に鎮座するソファへと、大貴が再び倒れ込んだ。スプリングがぎしりと重たい音を立てる。
「大貴くん、喜んでるみたいやけど本番はここからやで!」
「えー! まだやるんすか先輩〜」
「当たり前や! 次行く場所決めな、活動できひんやろ?」
「まあ、たしかに……」
「て訳で! 先生! お願いします!」
先輩がパンッと小気味良い音で手を叩いた。
すると同時に、背後のスライド扉がガラガラと開き、ひょっこりと顧問の藤原先生が顔を出す。
「みんな、お疲れさん〜」
「先生、なんか荷物多くないですか?」
教室に入ってきた藤原先生の姿を見て、俺は思わず目を丸くした。
先生の両手には、パンパンに膨れ上がった大きなボストンバッグがいくつも握られていたのだ。ズシン、と重たい音を立ててそれが床に置かれる。
「実はもう、行くところは決めてあるんや」
「と、言うと?」
「今からみんなで温泉行こか」
「「「はぁ!?」」」
先生の唐突すぎる爆弾発言に、中井さんを含めた全員の叫び声が夕暮れの教室に響き渡った。
普段は物静かな中井さんでさえ、目をぱちくりとさせてフリーズしている。
「え、でももう夕方ですよ!?」
「まあまあ落ち着け。昨日、井上さんが明日の予定を聞いてきたよな?」
「あぁ、聞いてきましたね」
「で、みんななんて答えた?」
「別に何も無い……と」
「よし、じゃあ今から合宿だ!」
「強引すぎるでしょ!?」
窓の外を見れば、すでに空は赤黒く染まり始めているというのに。
俺が必死にツッコミを入れる横で、大貴がソファから跳ね起き、慌てて身を乗り出した。
「お、俺、お金ありませんよ!?」
「大丈夫だ。部費がある」
「いや、この前できたばっかの弱小部活にもう部費でてるんですか!?」
「なんか出た」
「なんか出たってなんだ!?」
大人の言うセリフじゃない。なんか出たってどういうことだ……?
あまりの適当さに頭痛を覚え始めた俺をよそに、先生は全く悪びれる様子もなく肩をすくめた。
「私もよく分からん。けど、部費があるなら行くしかないだろう?」
「まあ、そうですけど……」
「とにかく、みんな着いてきてくれ」
先生の有無を言わさぬマイペースなオーラに完全に圧され、俺たちは顔を見合わせたまま、すごすごと後を付いて行くしかなかった。
――数分後。
茜色の夕焼けが広がる校門前。吹き抜ける生ぬるい夜風が、制服の裾を揺らす。
「よし、じゃあそこでちょっとだけ待っといてな」
先生はそう言い残し、俺たちを校門に置いたまま一人で駐車場の方へと歩いていってしまった。
ポツンと取り残された俺たち。突然の展開に俺も大貴もいまだに呆然としていたが、先輩だけは違った。
腕を組み、なぜか眼鏡の奥の瞳をキラキラと輝かせている。
「もしかして、先生が車だしてくれるんかな?」
「なんでそんなにテンション上がってるんですか、先輩」
「そりゃ、車で旅とか青春すぎるしテンションも上がるやろ!?」
「そう言われれば、まあ確かにそうですけど……」
「やろ!? しーちゃんもそう思うやろ!?」
急に話を振られた中井さんは、ビクッと肩を揺らした。
「えっ、うーん。急だからびっくりしたけど……みんなで行けるのは楽しみ、かな?」
戸惑いつつも、中井さんは耳にかかった髪をそっと押さえながら、夕日よりも少しだけ赤い頬をしてふわりと微笑んだ。
その可憐な笑顔に、俺の胸が柄にもなく小さく跳ねる。
「大貴くんもそう思うよな!?」
「思うッス! 温泉! 宴会! 卓球ッス!」
中井さんの笑顔と、大貴の現金な雄叫び。
先輩が強引に部員たちの同意を勝ち取った、まさにその時だった。
ブルルルルッ、と低いエンジン音を響かせながら、校門の前にスッと見慣れない白のミニバンが滑り込んできた。
ヘッドライトが俺たちを眩しく照らし出している。
運転席の窓から、藤原先生がにこやかに顔を出した。
「よし、じゃあとりあえず乗ってくれ〜」
「うおおお! 助手席はウチのもんやー!」
一番に駆け出した先輩が、有無を言わさず助手席に乗り込む。
残された俺と中井さん、そして大貴は、スライドドアから後部座席へと乗り込んだ。
「あ、慧くん。私、奥に行くね」
「お、おう。サンキュ」
二列目のシートに中井さんと並んで座る。
狭い車内、肩が触れそうな距離。彼女の髪からほんのりとシャンプーの甘い香りが漂ってきて、俺は無駄に緊張して身体を強張らせてしまった。
「……おい、なんで俺だけ三列目で荷物とギュウギュウなんだよ!」
後ろを振り返ると、大量のボストンバッグと謎の段ボールに埋もれ、首だけを出している大貴の姿があった。
「文句言うな大貴! 荷物番も立派な部活の任務やで!」
「前が見えねえっすよ!」
最後列で騒ぐ大貴をよそに、先生は機嫌よくアクセルを踏み込んだ。
ミニバンは夜の帳が下り始めた街を抜け、スムーズに高速道路へと乗る。流れるオレンジ色の街灯が、車内を等間隔に照らしては消えていった。
「そういえば先生。温泉って、具体的にどこに行くんですか?」
俺が尋ねると、運転席の先生と助手席の先輩が、示し合わせたようにニヤリと悪党のような笑みを浮かべた。
「ふふん。よう聞いてくれたな慧! 今回のウチらの目的地は……ズバリ『道後温泉』や!」
「……は?」
「どうごぉ!?」
俺と大貴の叫び声が、車内に大きく反響する。
「道後温泉って……愛媛県じゃねえか! 四国だよな!?」
「せや! 日本最古の温泉に入って、美味い鯛めし食って、都市伝説の『蛇口から出るみかんジュース』をがぶ飲みするんや!」
「いやいやいや! いくら今日が金曜日だからって、今から四国に行くなんて急すぎませんか!?」
「何をビビっとるんや慧。明日も明後日も休みなんやから、時間はたっぷりあるやろ!」
「ってことは、これから海を渡って、週末を丸々使ったガチの旅行ってことですか!?」
「そういうこっちゃ! さあ、明石海峡大橋を越えて、いざ四国へ上陸やー!」
「うおおお! 愛媛の女子高生! 待ってろよー!」
「大貴、お前は荷物に埋もれてろ」
前のめりになる大貴を冷たくあしらうと、隣で中井さんが「ふふっ」と声を出して笑った。
「なんだか、本当に家族旅行みたいで楽しいね」
「……まあ、退屈はしなさそうだけどな」
呆れ半分、でも少しだけワクワクしている自分を誤魔化すように、俺は窓の外へ視線を向けた。
そこには、完全に日の落ちた真っ暗な夜の海と、遠くで光る巨大な橋のイルミネーションが広がっていた。
「あ、ちなみに家って全員神戸方面だよな?」
「なんで知ってるんですか」
「そりゃあ、教師だしそれぐらいは把握しとるよ」
「でも、それがどうかしたんですか?」
「いや、着替えぐらいは持って行った方がいいやろ? やからみんなの家寄って行ったろうと思って。ゲリラ合宿やし」
「……よかった。着替え無しで行かせるのかと思いましたよ」
俺は心底ホッとして、思わず運転席の背もたれ越しに手を合わせそうになった。
いくらなんでも、制服のまま着替えもなしで泊りがけの温泉旅行は地獄すぎる。さっきから『翌日の下着はどうするべきか』という深刻な問題で、俺の頭の中はいっぱいだったのだ。
「助かるっす! 俺、パンツ裏返して三日耐える覚悟決めてたところだったんで!」
「汚ったな! 大貴、お前マジでこっち寄るなよ!」
最後列から身を乗り出して力説する大貴に、助手席の先輩が顔をしかめて容赦ないツッコミを入れる。
「ふふっ。……私も、お風呂セットとか持ってきたいなって思ってたから、嬉しいな」
隣に座る中井さんも、ホッと胸を撫で下ろすように小さく息を吐いた。
たしかに、女の子なら尚更いきなりのお泊まりは困るだろうし、先生なりにちゃんと気を回してくれていたらしい。適当そうに見えて、こういうところはちゃんと大人だ。
「よし、ほんなら順番に回ってくでー!」
「うおおお! ゲリラ帰宅作戦、決行やー!」
先生の陽気な掛け声と、先輩の謎の号令。
ミニバンは赤く染まり始めた街を抜け、まずは大貴の家がある住宅街へとスムーズに進路を変えた。
◇ ◇ ◇
最後である俺の家での荷造りをササッと済ませ、車へと戻る。
これで全員分の着替えと荷物が揃った。
「ふぅ……」
二列目のシートに腰を下ろし、ボストンバッグを足元に置きながら、ふとスマホの時計を確認した俺は、あることに気がついた。
「あれ? 全員の家を回って荷物取ってきたのに、一時間もかかってなくないですか?」
「そうやなぁ。まあ道も混んでへんかったしな〜」
ハンドルを握る藤原先生が、バックミラー越しになぜかご機嫌な鼻歌交じりで答える。
「いや、いくら車でも四人分の家回ったらもっと時間かかるでしょ。もしかして俺たち……」
「せやな。みんな、見事に自転車で十五分圏内に住んどるわ」
「「「えっ」」」
俺と大貴、そして中井さんの声が、車内で見事にハモった。
「マジっすか!? 俺たち、そんな近所に住んでたんすか!?」
最後列の荷物の隙間から、大貴がガタッ!と身を乗り出して叫ぶ。
「同じ高校通ってんのやから、そりゃ生活圏も被るやろ。特に前田と蒔田の家なんか、二、三個先の信号曲がったところ同士やで」
「ええっ!? 嘘だろ大貴、お前そんな近くに住んでたのかよ!」
「マジか! 全然知らんかった! じゃあ、今度から毎朝、慧の家に迎えに行って一緒に登校するか!」
「絶対やめろ。俺の平穏な朝を奪うな」
即座に拒否すると、大貴が「つれないね~な~」と大げさに肩を落とした。
「ふはははは! 素晴らしい! これも全てウチの計算通り……いや、旅部として集まった運命の導きやな!」
助手席の先輩が、なぜかドヤ顔で腕を組んでふんぞり返る。
「(絶対今、『計算通り』って言いかけて誤魔化したよな、この人……)」
俺が心の中でジト目を向けていると、隣に座る中井さんが「ふふっ」と優しく吹き出した。
「みんな、ご近所さんだったんだね。なんだか、すごく嬉しいな」
「……そうだな。まあ、悪くはない、かも」
心底嬉しそうにふわりと微笑む中井さん。
その無防備で可憐な笑顔に、俺は柄にもなく少しだけ照れくさくなって、慌てて視線を前へと逸らした。
「今が四時半やから……大体着くんは七時半ぐらいかなぁ。平日やしそこまで混んでないしな」
「意外とそんなに時間かからないんですね」
俺が素直な感想をこぼすと、運転席の藤原先生がバックミラー越しに得意げに笑った。
「せやろ? 神戸からやと、高速乗ってしまえば淡路島経由であっちゅう間やからな」
「四国っていうから、フェリーに乗ったりして5、6時間はかかる秘境かと思ってましたよ」
「アホやな慧。今は明石海峡大橋があるんやから、海の上を車でブイーンや! 関西から四国は意外と近いんよ!」
助手席の先輩がクルッと後ろを振り返り、なぜか自分が橋を架けたかのようなドヤ顔で言い放つ。
「淡路島を抜けて徳島、そこから愛媛まで高速で一直線や。まあ、私の華麗なドライビングテクニックも込みでの三時間やけどな!」
「自分で言いますか、それ……」
大人げなく自画自賛する先生に呆れていると、最後列の荷物の山から大貴がガタッ!と身を乗り出してきた。
「ってことは先生! 途中で淡路島のサービスエリアとか寄れるんすよね!? 俺、明石焼きとか淡路島バーガーとか食いたいっす!」
「アホ、そんな時間あるわけないやろ」
「えっ」
「七時半に着くって言うたやろ。宿の夕飯の時間もあるんやから、基本ノンストップや! 寄り道して買い食いなんかしてる暇はないで!」
先生の非情な宣告に、大貴のテンションが目に見えて急降下する。
「そんな殺生な! 俺のSAへの夢が……!」
「大げさやな大貴は! お腹空いたんなら、さっきしーちゃんのお父さんにもらった特大おにぎりがあるやろ! それ食って我慢しい!」
「ううっ……いただきますっす……」
先輩に一喝された大貴は、大人しく荷物の影に引っ込み、シャケおにぎりにかじりつき始めた。
「ふふっ。海の上を走るなら、窓から綺麗な景色が見えそうだね」
大貴が落ち込む横で、中井さんは両手を合わせて楽しそうに微笑んでいる。
どうやらこの車内で、いきなりの長旅に戸惑っていたのは俺だけだったらしい。完全に旅行気分で盛り上がる空気に、俺も自然とため息ではなく笑みがこぼれそうになっていた。
すると、運転席の藤原先生が、やたらと手慣れた手つきでカーオーディオのパネルを操作しているのが見えた。
『〜〜♪』
「……っていうか先生。さっきからやけにウキウキしてませんか?」
「そりゃそうやろ! 花の金曜日に、生徒引き連れて四国までドライブやぞ! 大人だって温泉入って美味いもん食って、はしゃぎたいんや!」
ポンッ、とハンドルを楽器のように叩き、先生は満面の笑みで言い放った。
「完全に自分の旅行気分じゃねえか……」
「細かいことはええんや! 愛媛県は道後温泉に向けて、旅部の初陣、出発やー!」
「うおおお! 出発ーっ!!」
先生のやけにテンションの高い掛け声と、大貴の歓声。
ミニバンは陽気な音楽を響かせながら、勢いよく夜の神戸の街を駆け出す。
やがて車は高速道路の入り口へと滑り込み、一気にスピードを上げた。
窓の外を流れるオレンジ色の街灯が、これから始まる愛媛旅行を祝福しているように、キラキラと輝きながら後ろへと飛び去っていくのだった。




