第二話 外堀、埋まりました
四月八日 水曜日
窓際の後ろから二番目という、アニメの主人公なら特等席と呼びたくなるような席で俺は外を眺めていた。
午前中のオリエンテーションがすべて終わり、今は次の時間までの休み時間だ。周りの奴らは、早くもいくつかのグループを作って賑やかな関西弁を飛び交わせている。
俺はブレザーのポケットからスマホを取り出し、メッセージアプリのトーク履歴を眺めていた。
昨日、井上先輩に連れられて神戸の景色を見た後、駅へと向かう帰り道のことだ。
『慧くんの名前、今度こそ脳内メモリに完全保存せなあかんから!』と、先輩にスマホをひったくられるようにして無理やり連絡先を交換させられたのだ。そのとき、画面を一緒に覗き込んできた先輩の距離がまたしても近くて、俺は心臓に悪い思いをする羽目になった。
画面の一番上には、そんな俺の動揺も知らずに登録された『井上みのり』の名前と、クマがハイテンションに手を振るスタンプと一言、
『今日からよろしくな、相棒!』という文面が残されている。
そうして一人で昨日のことを思い出していると背後から声をかけられた。
「よっ、蒔田」
「なんだ、前田か」
こいつは前田大貴。今日の午前中、プリントの束を後ろに回すときに一言二言言葉を交わし、そこからトントン拍子に話が弾んで仲良くなった。昨日一日は友達ゼロで本気で絶望していただけに、こうしてフランクに話せる奴が今日さっそくできたのは純粋に嬉しかった。
「今日ってさ、このあと一時間オリエンしたら終わりやん?」
「うん」
「ラーメン食いに行かん?」
「おっ、いいね」
ラーメンか。めっちゃ食べたい。
「よしっ、じゃあ行くか! 俺いいとこ知っとるから連れてったるわ!」
「マジ? じゃあ頼んだ」
「ほな、学校終わったらそのまま直行で!」
「了解」
自分の席に戻っていく前田の背中を見送りながら、俺はホッと小さく息を吐いた。
多少の環境の違いはあれど、こうして新しい人間関係を作っていけばいい。せっかくクラスに前田みたいな良い奴もできたんだ。
まずは放課後のラーメンを楽しみに、あと一時間乗り切ろう。
◇ ◇ ◇
「やっぱ美味かった~」
俺たちは神戸駅の地下道にあるラーメン屋に行った。前田曰く、札幌味噌ラーメンが人気の店とのことで、俺たちは二人とも味噌ラーメンを注文した。
「美味かったな。前田の言う通りだったわ」
「やろ? また行こうぜ~」
軽くラーメンの感想を言い合いながら改札の方面へと歩みを進める。
──その時だった。
「……げっ!」
ヤツだ……先輩だ。
「んっ? どうした蒔田?」
「……いや、なんでもない」
俺は咄嗟に先輩の方から視線を逸らし、前田の背中を盾にするようにして歩くペースを上げた。
「(なぜあんな改札のド真ん前で張ってるんだ、あの人……!)」
待ち合わせのシンボルのごとく、改札横の柱の前に立っている先輩。キョロキョロと辺りを見回しているその姿は、明らかに『獲物』を探しているハンターの挙動だ。
「ちょ、前田。あっちの出口から帰ろうぜ。ちょっと寄り道したいところ思い出したわ」
「は? 寄り道ってどこに……おわっ、押すなって!」
俺が前田の肩を押し、強引にUターンしようとした瞬間だった。
「あーーーーっ!!!」
駅構内によく響く、やたらと通る元気な声。
ビクゥッ、と俺の肩が跳ねた。
「見つけたで、慧くーん!!!」
「(終わった……)」
恐る恐る振り返ると、満面の笑みを浮かべた井上先輩が、こちらに向かって小走りで駆け寄ってくるところだった。
「えっ、ちょ、蒔田? なんかばり美人の人がお前の名前呼んでんで!?
えっ、もしかしてお前、この前引っ越してきたばっかやのにもうあんな美人な彼女を!?」
前田が目を丸くして、俺と先輩を交互に見比べる。
「ち、違う! あれはただの……!」
俺が必死に弁解するのも束の間、あっという間に距離を詰めてきた先輩に、有無を言わさずがっしりと腕をホールドされる。
「ふっふっふ、駅前で張ってれば絶対来ると思っとったで! さぁ、善は急げ、部員集めはもっと急げや!」
「いや、ちょ、引っ張らないでください! 今ラーメン食ったばっかで胃に響きますから!」
「大丈夫大丈夫! 歩けば消化されるって! ほら行くで、相棒!」
抵抗も虚しく、俺は前田を残したままズルズルと引きずられていく。
「ちょ、蒔田ぁ!? 明日また学校で詳しく話聞かせろよー!!」
前田の驚愕と好奇心の入り混じった叫び声を背中に浴びながら、俺のささやかな平穏は、井上先輩によって崩壊したのだった。
◇ ◇ ◇
そのまま有無を言わさず連行された先は、昨日も連れ回された駅近くのあのカフェだった。
四人掛けのテーブル席に押し込まれ、俺がようやく抵抗を諦めて息をついたところで、ふと違和感に気がついた。
向かいの席には、ドヤ顔の先輩……の隣に、見知らぬ女子生徒がもう一人、ちょこんと並んで座っていたのだ。
俺が現状を把握するよりも早く、唐突にそれは始まった。
「ほな、今日は新人ちゃんをご紹介!」
先輩に勢いよく手で示された彼女は、嵐のような先輩とは対照的に、いかにも大人しそうで、おしとやかな雰囲気を纏っていた。
彼女はゆっくりとこちらに視線を向けると、ふわりと柔らかく微笑む。
「はじめまして。中井詩乃です。よろしくね」
先輩、やりやがったなこれは。
「……先輩。あなた、ついに犯罪に手を染めたんですか?」
「人聞きの悪いこと言わんといて! これはれっきとした『熱烈なスカウト』やで! なぁ、しーちゃん?」
「駅の近くの図書館にいたんですけど、先輩が急に現れて……そのまま『行くで!』って、ここまで連行されてきちゃいました」
「ほら見ろ! やっぱり拉致じゃないですか! 中井さん、嫌だったら今すぐ逃げていいからね!? 俺がこの猛獣を食い止めておくから!」
中井さんは怯えるどころか、水の入ったグラスを両手で包みながら、クスクスと楽しそうに笑い声をこぼした。
「ふふっ……あ、ごめんなさい。必死にかばってくれようとしたのに。でも、本当に大丈夫なんです。みのり先輩、中学の時からずっと強引な人なので……」
「そうそう、私はしーちゃんの最愛の先輩! ……って、しーちゃん今『強引』って言った!?」
「言いました。相変わらず嵐みたいだなって、ちょっと懐かしくなっちゃって」
おっとりとした口調ながらも、先輩の暴走をさらっと受け流す中井さん。
俺は完全に目が点になった。
「中学の時から……?」
「そうなんです。実はみのり先輩は中学の時の部活の先輩で、当時からすごく良くしてもらってたんです。みのり先輩が先に卒業しちゃって寂しかったんですけど……また会えて、実はちょっと嬉しいんです」
「えへへ、私もまた会えて嬉しいで!
……あ、せやせや、ちなみにしーちゃんも慧くんと同じ高校で、一年生やで」
そう言われて中井さんの服を見ると、たしかに先輩と同じ制服を着ている。
てっきり、無関係な大人しい女子生徒を力ずくで連行してきたのかと思って、必死に正義感を燃やしてしまった自分が急激に恥ずかしくなってくる。
「な? 誘拐犯を見るような目で私を見てた慧くん、分かってくれた?」
「……すみません。でも、図書館から問答無用で引っ張ってきたら、初対面の人間は全員通報を考えますって」
「もー、大げさやな! よし、ほなら誤解も解けたところで本題! 慧くんにしーちゃん、二人とも揃ったな!」
先輩は満足げに大きく頷くと、待ってましたとばかりにニヤリと笑い、テーブルの上にドンッと一枚の紙を叩きつけた。
そこにあったのは、『部活動 設立申請書』と印字された学校指定の用紙だった。
その最下部──「発起人・入部予定者」の欄をフッと盗み見た俺は、思わず自分の目を疑った。
二年生『井上みのり』。そのすぐ下に、少し丸っこくて綺麗な文字で、一年生『中井詩乃』。そしてそのさらに下に、みのり先輩の豪快な筆跡で、しっかりと俺の名前が書き込まれていた。
『一年一組 蒔田 慧』
「……先輩。これ、俺の名前ですよね」
「せやで! ちなみにしーちゃんに許可もらった直後に、慧くんの分、代筆しといた!」
「あの、俺まだ入部するなんて一言も……」
だが、俺の抗議の言葉は、先輩がパンッと嬉しそうに両手を合わせた音に掻き消された。
「これであと一人で部活にできるな!」
俺の返事なんて最初から聞く気がなかったらしい。
完全に退路を断たれた俺は、満面の笑みを浮かべる先輩と、申し訳なさそうに「ごめんね」と手を合わせる中井さんを交互に見つめながら、遠い目をするしかなかった。
「(完全に外堀埋められちゃったなぁ……)」
そうして一人で遠い目をしているうちに、ふと気がついた。
よく考えたら、先輩のペースに完全に巻き込まれたせいで、俺はまだ目の前の彼女にまともな挨拶すらしていなかった。
「……そういえば俺、まだ中井さんに自己紹介してなかったよね」
「ほんまや! しーちゃんのことだけ紹介して慧くんのことは言ってなかったね」
「ふふっ。先輩がさっきからずっと『慧くん』って呼んでるから、私、下の名前しか分からなくて気になってたんだ。えっと、名字はなんて言うの?」
中井さんが小首を傾げて尋ねてくる。
「俺は一年一組の蒔田慧。横浜から引っ越してきたばっかりなんだ。改めて、よろしく」
「蒔田くん、だね。私は一年三組。改めてよろしくね」
「あれ? 三組ってことは……」
「ん? どうしたの蒔田くん?」
「(探求科コース!? めちゃくちゃ頭いいじゃん……)」
たしかうちの高校は、三組と四組が『探求科』という成績上位者の集まる特進クラスだったはずだ。おっとりとした雰囲気からは想像がつかないが、彼女はかなり優秀らしい。
「あ、いや、なんでもないよ。……そう、横浜からなんだ。だから、こっちのことはまだ全然わからないことだらけでさ」
「そうなんだ。だから昨日も道に迷ってたところを、先輩に捕獲されちゃったんだね?」
「うん。無慈悲にもそのまま……」
「こらこら! そこは『みのり先輩に優しく道案内してもらって』やろ!」
すかさずテーブル越しに身を乗り出してくる先輩に、俺と中井さんは顔を見合わせて小さく笑った。
友達ゼロで絶望していた俺にとって、こうして(強引とはいえ)同級生の女子と普通に言葉を交わせたのは、純粋に嬉しい出来事だった。
……だが、目の前で「えっへん」と得意げに胸を張る先輩を見ているうちに、俺はふと、とんでもない事実に思い当たった。
よくよく考えてみれば、中井さんはさっき、「図書館からここまで連行されてきた」と言っていた。
そして先輩は、俺を捕獲するために駅の改札前で待ち伏せをしていた。
ということはつまり……この人は、中井さんをわざわざこのカフェまで連れてきて待たせておいてから、俺を拉致するためだけに、わざわざもう一度駅まで戻って張っていたということか!?
「(どんだけ執念と行動力がバケモノなんだよ……!)」
せっかくの温かい気持ちも束の間、俺は改めてみのり先輩の恐るべきハンター気質に戦慄した。
「(ていうか、こんな先輩と打ち解けてる中井さんもなかなかじゃないか……?)」
……俺はもしかしたら、とんでもない人たちに捕まってしまったのかもしれない。




