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7話 働かざるもの"推す"べからず

 その日、リサはすこぶる上機嫌だった。


訪れたのは、王都でも名高いという老舗のケーキ店。石造りの外観と蔦の絡まる看板が歴史を物語り、扉を開けた瞬間、焼きたてのバターと甘い果実の香りがふわりと鼻をくすぐった。


予約されていたのは、店の奥まった位置にある小さな個室。重厚な木製の扉に、ほのかに揺れるランプシェード。窓からは手入れされた中庭のバラが風に揺れていた。


「……こんな素敵なところ、初めてです」


ふかふかのクッションに腰を下ろしながら、リサは思わず感嘆の声を漏らした。


「リサ様のお体のことを考慮し、個室をご用意いただきました」


ジーンはそう言って、恥ずかしそうに笑う。リサは、空いている椅子を指差した。


「じゃあ、ジーンも座って。一緒に食べようよ。個室だし、誰も見てないでしょ?」

「えっ、で、ですが……!」

「ほら、早く!」


半ば押し切る形でジーンを隣に座らせると、ふたりのティータイムが始まった。


ショーケースから選んだのは、季節の果物をふんだんに使ったタルトと、紅茶のムース。どちらも見た目が可愛くて、味も文句なし。


「おいしい……!」


目を細めて幸せそうに微笑むリサの姿を見ながら、ジーンは胸が締めつけられるような気持ちになっていた。


こうして並んで笑い合う時間は、確かに幸せだ。けれど、その笑顔は“前のリサ”のものではない。同じ姿、同じ声。けれど、まるで違う人みたい。


(……やっぱり、本当に記憶は戻っていないんですね)


優しくて、思いやりがあって。最近では屋敷の者たちに挨拶する今のリサ様は、お仕えする身として申し分ない。

けれど、以前のように誰かを厳しく叱りつけたり、気まぐれに使用人を振り回したりする姿はもうどこにもない。


瞳を輝かせながらケーキを眺めるリサを、ジーンはそっと見つめていた。


(……リサ様は、今や完全に“別人”のよう。でも、今のリサ様も、私は……好きです)


 

 帰り道。馬車に揺られながら、リサは窓の外をじっと見つめていた。


王都の街並みは美しく整えられていて、石畳を踏む人々の衣擦れの音や、遠くで鳴る鐘の音が幻想的に響く。

小さな花屋の軒先、焼き菓子の匂いが漂う通り、路地裏で犬を追いかける子どもたち。


そして馬車がゆっくりと通りを抜ける途中、リサの目が、ある店先でふと止まった。


そこは、王都でも有名な商業地区の一角。小さな窓が並ぶ洒落た建物のガラスの向こうに、ずらりと並んだ瓶と道具。ラベルには煌びやかな装飾と、美しい花の紋様。


「ジーン、あのお店……ちょっと、止めてもらってもいい?」

「えっ?はい、すぐに」


御者に合図を送ると、馬車が静かに停止した。リサはスカートの裾を整えながら、軽やかに馬車を降りる。


「こちらは、国内随一のコスメブランドですよ。貴族の令嬢の方々もよくお使いになっているとか」


ジーンが誇らしげに説明する横で、リサの眉間がきゅっと寄る。


(……なんか、見た目だけは華やかだけど……)


リサの目が美容部員としての視点へと変わる。


ウインドウに飾られていたのは、やたらとキラキラしたガラス瓶に入った香水、色味が不自然なほど濃いアイシャドウ、そして、


「……ファンデーション、これ……陶器の壺に入ってるの?」


リサの視線は、ある一角に釘付けだった。ファンデーションらしきものが厚手の容器に入っているが、粘土みたい。肌への安全性は大丈夫なのか。付属のパフも質の悪そうな布でできている。


(発色悪そうだし、これじゃムラになるし、清潔に保てないじゃん……!)


もはや職業病とも言える“目利き”で、一瞬にして全体のクオリティを見抜いてしまった。


その様子を見ていたジーンは、リサが欲しいものを見つけたと思ったのか、目を輝かせた。


「何か気になる商品がございましたか? もしよろしければ、中へ――」

「……いや、そうじゃなくて」


リサはぎゅっと拳を握った。ふと、胸の内に一筋の光が差し込んだ。


(……そうか。この知識と経験を活かせば、私でもこの世界で“何か”ができるかもしれない)


推しのために稼ぎたい。


なら、自分の得意なことで、この世界にないものを形にすればいい。



 ちょうどその時だった。


彼女たちが止めていた馬車の横を、一台の黒い馬車が静かに通り過ぎていく。


その側面には、リサたちと同じ“デカルト侯爵家”の家紋が刻まれていた。中に座っていたのは、一人の男性。端正な顔立ちをした、ニ十代前半の男だった。


(……我が家の馬車が、こんなところに?)


一瞬だけ視線を向けたものの、特に気に留めることもなく、その馬車は静かに去っていった。


それが、“夫”のヒューゴ・デカルト侯爵であることに気付かず、リサは化粧品を眺めるのであった。

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