6話 尊いあの子
あの運命的な観劇から、まだ一日しか経っていないというのに、舞台の片隅でひっそりと輝いていた少女の姿は、リサの脳裏から離れることがなかった。
その透明感ある表情も、瞳の奥のまっすぐな意志も、すべてが鮮やかに焼き付いている。まるで胸の奥に彼女だけの“ステージ”が作られてしまったかのようだった。
(あれは幻なんかじゃない。確かに、“蕾ちゃん”がそこにいた)
いや、正確には蕾ちゃんに瓜二つの、異世界の少女。
「マリーさん、というそうです」
報告してくれたのはジーンだった。リサが熱に浮かされたように調査をお願いした翌朝、彼女はきちんと、劇団や劇場関係者から情報を集めて帰ってきてくれた。
トレイを手にしながら、いつものようににこやかに話し始める。
「正式には“マリー・トワール”。まだ劇団に入って日が浅く、名前のある役は一度もいただいていないとのことです」
「……やっぱり新人なんですね」
リサは頷きながらも、思わず微笑んでいた。あの佇まいから、どこか素朴さが滲んでいたのは、そういうことだったのだろう。
「はい。田舎の農村で育った方のようで、女優になる夢を胸に、王都へと出てこられたそうです。劇団内では少し天然で……よく雑用を任されているとか。でも、真面目で、礼儀正しいと評判のようですよ」
「……うん、可愛いなぁ……」
その言葉は思わず漏れたものだった。
想像するだけで、胸の内側がじんと熱くなる。リサの“蕾ちゃんセンサー”は、やっぱり本物だった。
けれど、ジーンは少し口を濁しながら、申し訳なさそうに続けた。
「ただ……リサ様がご覧になったあの日が、ちょうど王都での最終公演だったようで……劇団は今、南部の巡業に向かわれているそうです」
「……えっ、もういないの?」
落胆の声は、隠すつもりもなかった。リサの肩がぐったりと落ちる。ソファの背に体を預けると、視界の光が一段暗く感じられた。
(可能なら……毎日通いたかったのに……!)
舞台を観るために通い詰める。出待ちして、差し入れを渡して、感謝の言葉をかける。現代の自分が“当たり前”にやっていたオタクライフが、今の自分にはもう叶わないなんて。
リサの胸に、小さな穴が開いたようだった。
まだ頭に靄がかかったような気持ちのまま、リサはジーンと向かい合い、テーブルの上の紅茶にスプーンをくるくると回しながら、思い切って口を開いた。
「ねぇ、ジーンさん。マリーちゃんのこと……応援できたり、しないかな?」
「応援、ですか?」
「うん……なんか、こう……もっと活躍しやすくなるようにサポートするっていうか、えっと……」
言葉に詰まりながらも、リサの視線は真剣そのものだった。ジーンは一瞬だけ目を見開いたあと、思案顔でぽつりと口にする。
「……もしかして、“パトロン”のことを仰ってますか?」
「パトロン?」
聞いたことはあるけれど、聞き馴染みの無い言葉。それがどういう仕組みなのかはよく知らない。
リサが首を傾げると、ジーンは丁寧に説明を始めた。
「この国では、才能ある芸術家や舞台役者に対して、貴族や資産家が資金を提供することがあります。
代わりに、その者は支援者のために特別な公演を行ったり、贈り物や手紙を届けたりするのが習わしとなっております」
「……それ、完全に“推し活”じゃん……!」
思わず立ち上がりかけたリサは、自分の声の大きさに我に返って椅子に座り直す。
ジーンは「“オシカツ”……?」と小声で復唱しつつ、メモを取ろうとしていたので、リサは慌てて「なんでもないです!」と止めた。
けれど、その"パトロン"になる為には気になることはもう一つ。
「でも、私って……お金、あるんですかね? お金持ちそうだけど……」
「ええと……詳しい帳簿までは存じませんが、ご実家であるエルフィンバート伯爵家から持参された資産は保管されておりますし、侯爵様からも“不自由のないように”とは仰せつかっております」
「……うーん。親からの仕送りって訳ね……」
リサの声が、少しだけ沈む。
(それで“推し”に貢ぐとか……なんか……申し訳ない……)
葛藤を飲み込みながら、リサはぽつりと口にした。
「じゃあ、働くとかって……できるかな?」
その瞬間、ジーンの表情がフリーズした。
「リサ様が……働く、ですか!?」
「えっ、そんなに驚かなくても」
「貴族令嬢が労働を志すなんて……執事長様が知ったら卒倒されます……!」
リサは苦笑しながら肩をすくめた。ジーンは冗談だと捉えて、切り替える様に手を叩いた。
「では!本日もリハビリとして、王都の街を案内しますね。有名なケーキ屋さんも予約してありますので」
「ケーキ!?」
反射的に反応したリサの声に、ジーンはくすっと笑う。
「ふふ。お顔色もずいぶん良くなられましたし、今日は少しだけ、おしゃれして出かけてみましょう」
そう言って、ジーンはクローゼットから柔らかなサーモンピンクのドレスと、金糸の刺繍が入ったケープを取り出した。
さらにメイク用の筆を手に取り、リサの前にそっと立つ。
「では、メイクを始めますね」




