5話 運命の出会い
王都劇場は、まるで宮殿のようだった。
来客を迎える大都劇場の従者たちは揃いの制服を纏い、客人の馬車が到着するたびに一斉に礼を取った。
リサが馬車を降りた瞬間、その視線はすべて彼女に向けられた。
遠巻きに囁かれる声。隠そうとしない視線。扇子の裏で口元を隠す貴婦人。その後ろで小間使いたちの泳ぐ視線。
(う、うわ……なんか……めっちゃ見られてる……!?)
慣れない状況に思わずリサの背筋がこわばる。けれど、クロードとジーンは平然とした様子でリサを先導していた。
劇場のエントランスホールは圧巻だった。高い天井には金糸で彩られたシャンデリアがきらめき、香水と花の匂いが交じる華やかな空気が漂っている。まるでゲームの世界に迷い込んだような空間だった。
まっすぐ歩きながら、リサはそっと声を潜めた。
「ねぇ、ジーン……なんかすっごい見られてる気がするんだけど……」
するとジーンは、困ったように苦笑しながら答えた。
「リサ様は、王都でも有名なお方ですから。しかも、侯爵家にいらしてからあまり外出されていなかったので、皆様注目なさっているのだと思います」
「……有名って、悪い意味でじゃないよね……?」
ジーンは答えなかった。ただ、口元に小さく笑みを浮かべただけだった。
(うう、否定してくれないんだ……!)
通されたのは、劇場の中でも最上階の個室席。いわゆる“特等席”だった。
ふかふかのクッションが敷かれた三人掛けのソファに、リサは中央に座るよう案内された。
誘導されリサはソファに腰掛けると、ソファの後ろにクロードとジーンが立つ。さらにその後ろには護衛が2名立っている。
「……座らないのですか?」
振り返りクロードとジーンへ向けて怪訝そうな顔のリサに、その場にいるリサ以外の人が困惑する。
「いえ、私たちはこちらで」
「今日は、隣に座ってください」
「そういった、習わしなので…」
「個室なので誰も見てないですよ!」
半ば強制的に右にクロード、左にジーン。3人掛けのソファとはいえ、多くても2人での使用を想定されたソファでは、余裕がなかった。思わず肩がこわばる。
リサの満足げな表情に、クロードとジーンは観念したのか、そのまま観劇する事にした。
ほどなくして、幕がゆっくりと上がった。
薄明かりの中、弦楽器の調べが静かに劇場内を満たしていく。リサは、じわじわと胸の内に湧き上がる高揚感を感じていた。
(特等席から舞台を見るなんて……人生初だ!なんか、贅沢すぎて落ち着かない……)
ジーンが、ふいにリサの肩を軽く叩いた。
「リサ様。こちら、どうぞ」
見ると、ジーンの手には小ぶりな双眼鏡が握られていた。漆黒の細身の縁に、金細工の装飾が施された、高級そうな代物だ。
「お顔が見えづらいと思いますので。こちら、準備しておきました」
「……ありがとう、ジーン」
ありがたく受け取って、リサは双眼鏡を目元に当てた。
演目は、どこかで見覚えのあるような物語だった。
下町に住む貧しい青年と、貴族の令嬢が偶然出会い、惹かれ合う。しかし、家柄と身分の差が二人の間に大きな壁となって立ちはだかる。
(ロミオとジュリエット……みたいな感じ?)
そう思いながら、双眼鏡で舞台上の役者たちをひとりひとり観察していく。
高貴なドレスを翻す令嬢役の女優、貧しい少年の役だが隠しきれない気品を持つ青年。どちらも美男美女で、表情やセリフの一つ一つに迫力がある。
さすが王都劇場で公演を行うだけあると感心しながら、しばらく観劇を続けていると、リサの視線がふと止まる。
街のシーン。群衆の中に混じって立っていた、一人の少女。クリーム色の髪をなびかせ、真っすぐな瞳で舞台を見つめている。
その姿を見た瞬間、リサの思考が、ふっと止まった。
「……蕾、ちゃん……?」
小さくつぶやいた言葉が、誰にも聞こえなかったのが幸いだった。そう、舞台の片隅に立っていたその少女は、かつて“理沙”だった自分が心から応援していた、地下アイドル・蕾ちゃんに、瓜二つだったのだ。
(どういうこと……なんで、ここ……?)
双眼鏡を手に持ったまま、リサは固まったまま動けなかった。ただ、舞台上で静かに輝くその少女の姿から、目を離すことができなかった。
舞台の上では、物語が静かに進んでいた。
下町の市場。商人たちが声を張り上げ、街の子どもたちが笑い合う賑やかな一幕。けれど、リサにとっては、周囲の喧騒などまるで耳に入ってこなかった。
舞台の隅、群衆に紛れるように立っていた、一人の少女。どこか儚げなその姿が、双眼鏡越しに、信じられないほど鮮明に映っていた。
(蕾ちゃん……)
再確認するように目を凝らす。何度見ても、あの笑った時の口元も、伏し目がちに立つ姿も、彼女そっくりだった。
まるで夢の続きを見ているようで、リサの胸がきゅっと締めつけられた。
その様子を横で見ていたジーンは、最初こそ微笑ましく眺めていた。リサ様が楽しんでいる。そう思って嬉しくなったのだ。
けれど、あまりにも食い入るように双眼鏡を握りしめ、まばたきすら忘れて見つめ続けるリサに、徐々に不安がこみ上げてくる。
そして、ふとリサの横顔を見た瞬間、ジーンは小さく息を飲んだ。
「……リサ様?」
頬を伝う一筋の涙が、薄暗い劇場の灯りに濡れてきらめいていた。
物語はまだクライマックスでもない。恋人たちの別れも、悲劇の前兆もない。ただの街の日常のワンシーン。なのに、どうして。
「リサ様……大丈夫ですか?」
ジーンがそっと声をかける。しかしリサは、何も聞こえていないかのように、ただ双眼鏡を握ったまま舞台を見つめていた。
この異世界で、誰も自分を“理沙”として知らない場所で、自分が“心から求めていた存在”が、そこにいる。
リサの目から、一筋の涙がこぼれていく。
(彼女に……貢ぐには、どうしたらいいの……?)
(応援したい。あの笑顔を、もう一度この手で支えたい)
気づけば、リサの中で眠っていた“オタクの血”が目を覚まし始めていた。
あの頃、必死に取っていたチケット抽選。夜な夜な繰り返したチェキ撮影会の申し込み。イベント限定のグッズ、遠征、SNS拡散のための一斉投稿。
全部、彼女のために走り続けた日々だった。
今度は、この世界で“推す”時が来たのかもしれない。
その様子に、クロードも静かに異変を察していた。
何も言わず、胸元のポケットから上質な布地のハンカチを取り出すと、リサの膝の上にそっと置いた。
ジーンとクロードは、それぞれ微妙な表情を浮かべながら、ひそかに目配せを交わす。前のめりになるリサの後ろで、無言の“何か”が共有されていた。
(……記憶に何か繋がったのかもしれません)
(ええ……きっと、かつてのことを思い出されているんですね)
二人の中で、そんな見当違いの仮説が生まれていた。あまりにも真剣なその表情を見れば、そう思ってしまっても仕方ない。
(……だったら今は、そっとしておくべきですね)
そう心に決めた二人は、リサの横顔を静かに見守りながら、ただ黙って舞台の続きを見つめた。
舞台上では、蕾ちゃんにそっくりなあの少女が、小道具の花籠を手に表情をころころと変えている。その姿を、リサはただ、ハンカチで涙を拭いながら追い続けていた。




