80、小さな日常 遊びましょう! 後編
お茶を飲もうと居間の扉を開けたら無人だった。
……シルフィアがいると思ったんだけどな?
クロスのかかったテーブルの上にはさっきまで誰かが読んでいたように新聞が広げられたまま。椅子は、やや斜めに乱暴に置かれている。
……まるで誰かが、慌てて立ち去った後のようだ。
ふむ、と顎に手を当てて室内を見渡し、小さく揺れたテーブルクロスの裾に笑みがこぼれた。
「フィーア、みーつけた!」
そっとクロスをめくって覗き込めば身体を小さく丸めた可愛い妻がいた。
「テオには直ぐ見つかっちゃいますね」
悔しそうに言いながらも顔は満面の笑みで、僕も嬉しくなる。
ロメオのところを訪ねて以来、シルフィアはかくれんぼが気に入ったらしく、毎日どこかに隠れている。狭いアパートメントの中なので隠れられるところは知れていて直ぐに見つけられるのだが、それが嬉しくてたまらないようで見つける度に花が咲く。
彼女の逃げて隠れていた辛い記憶がこうして楽しいものに変えられていくのであれば、僕は何回でも喜んで彼女を見つけよう。
■■
「……シルフィアが、寝てる」
ある日、学院から帰ってくると、シルフィアが気持ちよさそうにソファでお昼寝していた。
寝ているところはたまに見るが、大抵僕が同じ部屋にいる時で、身体をキュッと縮めて丸くなって眠っている。
なのに、今日はひとりっきりで無防備に身体を伸ばして、集めたクッションに顔を埋めてのびのびと寝ていた。
やっと、シルフィアにとって、この場所が心から安心できる家になったのかな。
そう思うと泣きたくなるくらい嬉しかった。
穏やかな寝顔を眺めているだけで心が温かくなって笑みが浮かんでくる。
ずっと見ていたい気持ちと触れたい気持ちがせめぎ合った後、そっと近づいて頬にかかった白金の髪をよけたら、濃い藍色の瞳と目があった。
あ、起こしてしまったか。もう少し離れて眺めていればよかったな。
長い白金のまつ毛に彩られた丸い瞳はぼんやりしていて、何度か瞬いた後、シュッと僕に焦点が合った。
「……テオ? ……ハッ、おかえりなさい! ごめんなさい、天気が良くてうっかり寝てしまっていました」
「起こしちゃってごめんね。確かに、今日はお昼寝向きのいい天気だね」
シルフィアののびのびお昼寝記念日は晴天っと。
モゾモゾと起き上がろうとしている彼女に手を差しだせば、そのまま抱きついてきた。
こういう可愛らしい動きが増えてきて、最近僕のトキメキは常時稼働している。
可愛くて可愛くてほんっとうにたまらない。
■■
「……テオ、今日またロメオさんのところに行ってきたのですが、今回はなんと畑仕事を手伝ったのですよ! 皆でジャガイモを収獲したのです! 知ってますか、ジャガイモって木になってるんじゃなくて土の中でできるんですよ!」
改めて二人でお茶を淹れてお菓子を用意し、テーブルに着くなり、シルフィアがこちらへ身を乗りだしてきた。
先日、僕が学院に行っている間、城へ預けられるばかりなのは嫌だとシルフィアが頬を膨らませた。
どこか行きたいところはあるのかと尋ねれば、ロメオの勤め先に行きたいと言い出して、ちょっと困った。近所の図書館や店での買い物を想定していたのに、治安に不安がある場所だなんて。
だけど、彼女の自由を守るために僕がいるのだから、ここでダメとは言えない。
悩みに悩んでフリッツをつけて影の護衛を増やすことで自分を納得させた、訳だけども。
あれから毎週のように行くようになってしまって、内心気が気でない。
ここがうちの領内であればとことんまで掃除して安全を確保してから送り出せるのに、ここではそれが出来ない。
シルフィアを可愛がっているとはいえ、帝国は大きすぎて、やらねばならぬことが山積みで案件は次々と増え、皇帝といえども下町のそんなに深刻ではない治安までは手がまわらないらしい。
僕は親戚とはいえ、さすがにそこまで口や手を出せる身分じゃない。
僕ができる範囲でシルフィアの身の安全を守れるのか、毎晩彼女の寝顔を見ながら悩んでいる。が、そんなことを彼女に悟らせるつもりは全くない。
「……それはよかったね。ジャガイモ掘るのって楽しいよね」
土を掘ったらゴロゴロ出てくるところが、と体験談を添えたらシルフィアの目が輝いた。
「テオも畑仕事をしたことがあるのですか!? お揃いですね。私は今日初めてだったので色々教えてもらいました」
元気いっぱい、明るい笑顔で嬉しそうに言った後、彼女がすっと目を伏せた。
「皆さんの食べる物を触らせてもらえるってことは、私のことを信じてくれているってことなんですよね……出会ってそんなに時間が経ってないのに、私が毒を入れたりしないって思ってもらえて嬉しいです」
「フィーアが毒を?」
「おかしいですよね、毒なんて物自体知らなかったのに、あの人たちには入れると思われて、食べる物には触らせてもらえませんでした」
だからいつもお腹が空いていました、と笑っているが、こうやってたまにぽろりとこぼされるシルフィアの過去は壮絶だ。
彼女を虐待していた奴らは、幼い子供に毒を盛られるほどの悪いことをしている自覚があったというのに、彼女が僕の妻になり報復された途端、僕へ自分勝手な言い訳だらけの嘆願書を送りつけてくる。
無視しているけれど、あと数ヶ月で最貧国とはいえ王の座から引きずり下ろされて放り出される彼らが、自暴自棄になってシルフィアへ接触することがないよう、細心の注意を払っておかないと。
「……フィーア、もしどこかであの人たちに会っても、無視して逃げるんだよ? 後は護衛や僕が何とでも始末しておくからね」
それでも心配でつい、言わなくてもいいことを言ってしまう。
「……私を殴りにくるのですか?」
途端、不安そうになったシルフィアを見て後悔が押し寄せてきた。
僕はなんて余計なことを。知らせず守ればいいだけなのに、彼女は何故か出会ってしまいそうだという、僕の不安を和らげるためだけに不安がらせてしまうなんて、夫失格だ。
直ぐさま君には絶対手を出させないから、と、伝えようと覗き込んだ濃紺の瞳は、何故かやる気に満ちていた。
「フィーア……?」
「ええと。あの人達が殴ってきたら全力で攻撃していいですか?」
「……は?」
「ルイーゼが『攻撃は最大の防御ですから、やられる前にボッコボコにしておくのが一番です』って。……あ。やられる前ということは、見かけたら直ぐボコボコにしていいんですか?」
真面目な顔で尋ねてくるシルフィアへ、もちろんいいよ、というべきか、怪我をするから逃げろと言うべきか、しばらく悩んだ。
「…………うーん。その、武術を習っているとはいえ、君はまだ彼らをボコボコにできるほど強くないんじゃないかな?」
「……そうですよね」
今度こそしょぼんとしてしまった妻に、申し訳なさが募る。
だけど、だけどね!? 今のところ、君があいつらに殴りかかって勝てる可能性は全くないと思うんだよ。僕は君が怪我をするほうが怖いんだ。
「あ! でも、ルイーゼは強いですよね? ルイーゼと一緒なら闘えますか?」
ちょっと待って、諦めてなかったの!? それとも君はそんなにあいつらを叩きのめしたいの? ……そりゃ、したいに決まってるよね。
だけど、ごめんね。
「……うん。ルイーゼは彼らよりきっと強い。でも、彼女は君を守るためにいるんだ。もちろん、フィーアのためならボッコボコにしてくれるだろうけど、ルイーゼも無傷ではいられないよ。それは嫌だろう?」
卑怯な聞き方だと思うけどシルフィアの安全には代えられない。
「はい。ルイーゼが怪我をするくらいならボコボコにするのは我慢します」
素直に頷いたシルフィアにホッとしつつ、僕が先にあいつらを見つけて捕まえて、彼女の安全を確保してからボコボコにさせてあげようと決意した。
待ってて、シルフィア。君の前に縄でグルグル巻きにしたあいつらを並べて心ゆくまで殴れるようにするからね。
■■
「……で、それを俺に振るのは間違ってませんか? 俺はテオドール様の護衛なんですが、忘れてませんよね?」
「忘れてなんかないよ。フリッツを信頼してるから頼んでるんだ」
「そんな信頼は欲しくないんですけど。それにシルフィア様の敵とはいえ、いまだ王族なのに勝手に私刑はダメですよ。理性をなくさないでください」
「でも、シルフィアの希望は叶えてあげたいんだ」
「思うにシルフィア様は言ってみたかっただけで、実行は考えておられないですよ。まだ、暴力に恐怖をお持ちですから」
「そうかな……」
あの目は結構本気だったと思うけどな。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
さて、彼女は本気か否か。




