♦第六話
いきなり何を言い出すのかと思った。
樹里に俺のことを「わたしの」と言ってくれた。
それで十分うれしかったのに、今は自分の友達に俺のことを好きな人だと、それだけじゃなくつきあってると言ってくれた。しかも元彼の順平の前で。
その順平は目を丸くして忙しなく俺と杳子を交互に見つめている。
「つきあってるのか」
悔しそうな小さな声が俺の耳に届く。
おそらく杳子の耳にも届いていただろう。ただ、杳子には順平の声が悔しそうなものに聞こえたかどうかはわからない。
「そう、なんだ。ごめんね……」
杳子の友達がなぜか申し訳なさそうに頭を下げる。
それを見た杳子が大きく首を左右に振った。
「ううん、ごめんね。早く言えばよかったのに」
「ううん、そんなことない。杳子に言いづらくさせたのはこっちだから」
なんだかよくわからないけどふたりで泣き出しそうな顔をしているのには正直参った。どうすればいいかさっぱりわからない。
涙目で俺を見上げた杳子がうれしそうに微笑むからどきっとしてしまった。それ反則だぞ。
「ハンカチ……」
持っている小さな巾着をごそごそと漁っているが見つからないらしい。俺だってそんな気の利いたものは持ち合わせていない。
「ほら」
着ていたグレーのシャツの胸の辺りを引っ張ってそれで顔を拭ってやると杳子はぎゅっと目を閉じてそれをおとなしく受け入れた。
「お化粧ついちゃう」
「別にいい」
「鼻水も……」
「……」
あははっと高い声で杳子の友達が笑った。
隣にいた順平は怖い顔で俺を睨みつけている。だけど構うもんか。
「悪いけど、こいつ連れて帰ってもいいかな。こんなぐしゃぐしゃな顔で戻すわけにいかないから」
「あ、はい。みんなには伝えておきます。杳子をよろしくお願いします」
ぺこりと丁寧にお辞儀をしてくれた。
杳子にいい友達がいてくれたことがうれしかったし、俺との仲を認めてくれたようで心底安心した。
「おら、行くぞ」
「待って! 優くん」
**
杳子に腕を引かれて連れてこられたのは巨大笹の下だった。
さっき俺と順平のやりとりを見ていたやつらもいそうなのに、杳子は何食わぬ顔で短冊と鉛筆と紙縒を手に取った。
「一緒に願い事、書こう」
「はあ? 俺も?」
「うん。優くん、この七夕祭りのジンクス知ってる?」
「知らねー」
嘘だ。本当は知っていた。
だけど恥ずかしくて知っているなんて言いづらかった。
「知らないの? あのね」
「いいから早く書けって」
「そんなに急かさないで」
俺に見えないよう手で覆いながら短冊を書く杳子を後目に俺も見られないよう隠しながら素早く書いた。
紙縒を指先で丁寧に縒りながら短冊の穴に通す杳子の真似をする。
「紙縒が切れないようにそっとね」
背の低い杳子が背伸びをし、笹の高いところを狙って結ぼうとしている。下の方はすでに子供がたくさん結んでいるし、他の人の視界に入りやすいからなるべく上の方につけたいのだろう。
結びやすいように少しだけ笹の枝の部分を下に向けてやると、それに気づいた杳子が笑った。
笹の枝に括るようにして、密かに俺を見ている杳子の視線に気がついていた。だけど気づかない振りをしてやることにする。
「切れずに結べた。やった」
「よかったな」
「うん、優くんが手伝ってくれたから」
ニコニコと満足げに微笑む杳子が素直に可愛いと思った。
そんな思いを悟られたくなくて目を逸らし、杳子が見えない位置に自分の短冊を結びつける。
向き合わせの状態で一応ちらちらと杳子に視線を落としつつ結んでいるんだけど上目遣いでこっちを見ているもんだからバレないか必死。
「そんな高いとこ結んだら見えない」
「見せねーし!」
「なんで」
「じゃおまえのも見せろよ」
「やっ! だめ」
真正面から両手で押し合うような体勢になり、杳子の口から「ぐぬぬ」という情けない声が漏れ出した。
気が付けば自然に指を絡ませる状態になっていて、杳子の頬が真っ赤になった。たぶん俺もそうだと思う。
はじかれたように離れ、顔を逸らして何度か深呼吸すると杳子も同じようにしていた。それがおかしくて笑ってしまう。
「戻るか」
「うん」
結局お互いの短冊を見ることはなく、ゆっくりと笹に背を向けて歩き出した。
「そうだ、優くんさっきなんであんな怖い顔してたの?」
「さっき?」
「順平と話してた時」
「……あっ、嫌なこと思い出させんな。おまえが俺より先に順平にそんなかわいい恰好――」
そこまで言って口をつぐむ。
俺、今何言った。勢い余ってかわいいとか口にしてなかったか。
杳子が目を白黒させて俺を見上げている。
「今……かわいいって」
「はあ? 言ってねーし!」
「嘘、言った」
「言ってねーよ!」
ああああ。俺、最大のミス。
やっぱり言っちまってた。恥ずかしくてまともに杳子を見れない。
「……ありがと」
小さな声が聞こえて、ぐっと喉元が詰まるような感覚。
「言ってねーし」
「わかった」
「……でも、まあ、似合ってる」
ぴたっと杳子の足が止まる。
おいおい。そういう反応やめてくれ。聞き流すところだぞ。
心の中でそう繰り返す俺、真っ赤な顔の杳子。
「おら、行くぞ」
「うん」
ふいっと先を歩き出すとついてくる足音が聞こえた。
そして隣に並ぶと、杳子の暖かい手が俺の手をそっと握りしめてきた。
動揺を感じ取られないよう、前だけ向いて歩き続ける。
「あんず飴、食うか?」
「……食べる」
この人混みの中、俺達が手を繋いでいるだけでこんなにドキドキしていることなんて誰も気づいていないだろう。
振り返ると、夜風に揺れる笹の葉のいい香りがした。
たくさんの色とりどりの短冊と飾りが揺れ、葉擦れの心地よい音が耳に届く。
杳子の願いが、その思いが届きますように。
その時が来るまで俺がずっと隣を歩んでいけますように。
まだうっすらと雲に覆われた空を見上げながらそう祈った。