突破
2028年6月20日 インド共和国トリプラ州・フェニ川 バングラデシュ国境
ヴィクラム・ラオが操縦するインド空軍所属のMi-17V5輸送ヘリコプターが、インド軍の構築した臨時拠点に着陸したのは、6月20日の午後1時を少し回った頃だった。雨季の最中とは思えないほどよく晴れた、気持ちの良い日だ。ラオは幾つかの軽い点検を済ませると、狭い操縦席で読みかけの本の続きを楽しんでいた。エンジンは止めるなという指示が出ていたため、ローターは回り続け、陽の光を遮るたびに操縦席がちらちらと明暗を繰り返している。全身に伝わる機体の揺れや振動もあったが、ラオは既に慣れている。
開いた後部ハッチの先では、陸軍の兵士と機付員が木箱を受け渡していた。医薬品、食料、迫撃砲弾、機関銃用の弾帯、衛生資材。
荷物を運び終えた兵士が腰を伸ばすたびに、別の兵士が次の箱を押し出してくる。ローターの風に土埃が舞い、離れたところで交通整理をしている地上員の蛍光色のベストが激しくはためいていた。
ラオはインド空軍のスコードロンリーダーだった。隣席では、副操縦士のサミール・カーンが荷下ろしの進み具合を確認し、機内通話で作業があと何分で終わるか尋ねていた。荷室には側面の機銃を担当する射手も乗っている。輸送ヘリとはいえ、この機体にも自衛用の武装は備わっていたが、積んでいるのは機銃だけで、ミサイルやロケット弾のような強力な兵装はない。まだ新米だった頃のラオは、これだけの武器を頼りに危険な空域を飛ばなければならないことを、随分と心細く感じたものだった。
彼らインド軍が守っているのはマイトリ橋と呼ばれる、インドとバングラデシュ間を繋ぐ、両国の友好を象徴した国境橋だ。
だが今のマイトリ橋のインド側のたもとには、”友好”とは程遠い印象を受けざるを得ないような大型のコンクリート防護壁が道路の両側に並び、その中央に鋼製の門扉と車止めが設けられていた。門扉は鉄骨で補強され、上部と壁の両脇には蛇腹状の有刺鉄線が重ねられている。左右の土嚢陣地には重機関銃が据えられ、門扉の前に出てくる人間や車両を正面と側面から監視できるようになっていた。橋から来る者を最初に止めるこの施設が第1線と呼ばれていた。
そこからインド側の道路を百メートルあまり進むと検査場の舗装広場があり、広場の奥には軍用車両とコンクリート製の障害物を横一列に並べた第2線がある。土嚢と鉄柵で補強された陣地が道路の両側に設けられ、さらに後方には出入国管理棟が見えた。第1線と第2線の間には検査用のテントや停車中の軍用車両があり、その周囲をインド軍兵士が行き来していた。
バングラデシュ側の道路脇からはいくつもの黒い煙が上がっている。最初にここに派遣された時、ラオは車両火災か何かだと思っていたが、地上から、あの煙は撃ち殺したピシャーチ共の死体を焼いている煙だと聞かされた。
ピシャーチ。古くからインドの伝承に登場する、人肉や死肉を食らう悪鬼。
PMRSによって死後に再活動するようになった人間を、SNSでは「ゾンビ」と呼ぶことは知っていたが、ラオにもここで働いている兵士にもどうもその言葉がしっくりこなかった。少なくともこの国境地帯では、兵士も地元の住民もピシャーチという呼び名を使うことが多く、彼自身もすっかりそれに慣れていた。
道路脇の”それ”は正式には『感染性遺体臨時処理施設』という大層な名前が付いていたが、実際には道路脇に掘った穴へ雑に死体を放り込み、ガソリンをかけて焼いているだけ。ボットン便所のようなものだった。
毎日のように何十体ものピシャーチが射殺され、処理が追いつかなくなることも珍しくない。放っておけばこの暑さと湿気ですぐに腐り始め、周囲には悪臭が漂い、ハエが大量に湧く。地上の兵士たちも、銃撃が収まるたびにブルドーザーで死体を集めて運び込まなければならないという。まともな焼却炉を設置する計画があるという話を聞いたのは先月だったが、資材を運び込むトラックすら来ていないという。
この着陸地点へ入る直前、ラオは川の向こうを飛行中に眺めていた。焼却場所から立ち上る黒煙のさらに奥では、破壊された市街地がまだらに広がっている。無人機の映像では道路に沿っていくつもの集団が確認されていたが、ここからはどれほどの数が潜んでいるのか見当もつかなかった。
「貨物の搬出作業に遅れが出てるみたいです」
カーンが貨物目録を見ながら言った。今回の輸送便は、内陸の空軍基地で積み込みを始めた時点から予定が狂っていた。出発直前になって弾薬の追加を要求され、貨物室には木箱が隙間なく積み込まれた。最大離陸重量を超えないようラオは重量計算をやり直し、帰投に必要な燃料と規定の予備を確保したうえで、燃料の搭載量を通常より減らさなければならなかった。エンジンを回したまま荷下ろしの終了を待っている今も燃料は消費されており、予定外の滞空に使える余裕はあまりない。
「あの量じゃ無理もない。あと何箱だ?」
「残り6箱。最後に積んでいた医療資材がまだ出ていません」
「了解。作業完了したら教えてくれ」
橋の警備には国境警備隊の部隊が常駐し、近くの陸軍部隊も増援として配置されていた。第1線と第2線の間には検査用のテントと鉄柵で囲まれた待機区画が設けられ、さらに奥の出入国管理棟では、兵士や係官が帰還者の身元確認や健康状態の検査を行っている。第2線よりさらに内陸の空き地では、陸軍の迫撃砲班が81ミリ迫撃砲を2門据えていた。砲の周囲には土嚢と弾薬箱が置かれ、近くの天幕の下では兵士が無線機を操作していた。
バングラデシュでは感染の拡大によって軍や警察の組織的な抵抗が失われつつあり、ラムガル周辺でも制圧作戦はほとんど行われなくなっていた。国境周辺の街ではピシャーチの集団が万単位で確認されている。
インド軍がバングラデシュ政府の許可を待たず、国境周辺のピシャーチの大集団を浄化しようと、戦闘機による空爆と巡航ミサイル攻撃を実施したのが数週間前。
ラムガルの市街地には、空からでも分かるほどのクレーターが幾つも残っている。ラオがここへ最初に来た日、幹線道路沿いの建物が何棟もなぎ倒され、商店街の一角が屋根ごと吹き飛んでいるのを見た。瓦礫で塞がれた通りの奥には、黒く焼けた建物と放置された車が続いていた。
ラオも後から攻撃前後の偵察写真を見たが、爆弾が落ちた区画では建物がまとめて崩れ、道路まで瓦礫で埋まっていた。着弾地点では多数の個体が吹き飛んだ事は確認されたものの、どれだけ殺しても周囲の路地や建物の陰、あるいは下水などの地下から別の集団が現れ、数日経っても無人機が報告する周辺の個体数は大きく減っていなかった。攻撃に巻き込まれた生存者が何人いたのかもわからない。そのうち費用対効果が望めないと軍はこの攻撃を中止してしまった。
一方、この橋へやって来るのはピシャーチばかりではなかった。バングラデシュ各地から逃れてきた避難民も国境へ押し寄せて来ている。しかし、PMRSに感染しているかどうかは外見だけでは分からず、健康そうに見える人間であっても、数日後には発症する可能性がある。
この橋を越えれば、道路はそのままインド・トリプラ州の内陸へと続いている。ここに展開したインド軍に与えられた任務は、対岸からの無許可の越境を阻止し、ピシャーチや避難民を国内へ流入させないことだった。
それほど危険な場所でありながら、橋そのものを破壊する命令は出ていなかった。もともとチッタゴン港とインド北東部を結ぶ輸送路として建設されたマイトリ橋は、現在もバングラデシュに取り残されたインド国民を帰還させるための経路として使われている為だ。
2日前にも、インド軍の護衛を受けた、インド人を乗せた車両が通過したと聞いていた。今後も帰還者の移送や救出部隊の派遣、なにより自主的にここまでたどり着こうとするインド人がいる可能性がある以上、橋を爆破してしまえば、その選択肢まで失うことになる。
そのため、一般の往来を停止した後も橋は軍によって拠点化され、通行が許されるのは事前に承認された車両と人員に限られていた。次の帰還者の移送がいつ行われるかは決まっておらず、ラオがここへ来てからも、橋の全面的な閉鎖や破壊について新たな指示は出ていなかった。
出入国管理棟の向こうでは、今日も検問所が動いている。橋の防衛を指揮する国境警備隊のラナ副司令官とは、この2週間、無線越しに何度も話してきた。橋から外れた道路脇でピシャーチを処分する射撃音にも、ラオはもう驚かなくなっていた。機体の回転音にかき消されるほどの銃声で、毎日のように同じ作業が続いている。
こんなことはもう珍しくもなんでもない。初めの頃は、ピシャーチが1人出るだけで幾つもの通信が飛び交い、明らかに過剰な量の銃弾が発射されたが、いまはほとんど事務的に、発見から処理までの手順ができている。時たま大群を相手にするときは無線が騒がしくなりはするが、拠点に設置された重機関銃や迫撃砲の敵ではない。
今では倒した後の片づけが多少大変になるくらいの事らしい。
ただ、むやみやたらに撃ちまくっていいわけでもない。弾薬には限りがあるし、なによりも対岸の街には留まり続けているピシャーチの集団が幾つもある。集団の規模は数百から推定数万までまちまちで、銃声や爆発音に反応して、それまで留まっていた集団が動き出すこともあった。幸いその時は処理することができたが、以後教訓として橋に接近してきた個体だけを必要最小限の射撃で処理し、遠方の集団を余計に刺激しないようにしていた。
『フォート管制、こちらウォッチャー。ラムガル南側の集団に大きな移動なし。工業地区も前回観測時と変化なし。橋西側に新たな集団は確認していない』
広域偵察用の無人機のオペレーターから報告が入り、フォート管制がそれを確認した。ラオの操縦席で映像が見られるわけではなかったが、必要な情報があれば、地上指揮所を通じて送られてくる仕組みだった。
ラオは時計を見た。帰投予定時刻まで余裕はあるものの、これから雨雲が広がると、内陸へ戻る航路の見通しが悪くなるかもしれない。
そのとき、航空連絡回線にフォート管制の声が入った。
『タロン31、こちらフォート管制。バングラデシュ側から軍用車列が接近している。念の為、直ちに離陸できる状態を維持しろ』
「フォート管制、こちらタロン31。了解。離陸可能状態を維持する」
ラオは窓の外へ顔を向けた。検問所から先の橋は建物の陰に隠れているが、道路を上がっていく軍用トラックの動きは見えた。対岸では砲兵や装甲部隊の組織的な活動がほとんど途絶えていたはずだった。国境を目指しているのがどの部隊なのか、無人機からの詳しい報告を待つことにした。
『フォート管制、こちらウォッチャー。接近する車列の編成を報告。先頭は戦車2両、Type59改修型ドゥルジョイと推定。後続にBTR-80装甲車3両、軍用トラック9両、大型バス4両。乗用車、二輪車および徒歩の人員多数。先頭は橋西側の進入路に接近中』
『フォート1、こちらフォート管制。ウォッチャーから追加報告。車列後方約2キロに再活動個体、推定千から二千。車列を追っているのか同じ道路を東進中』
「まずいな...」
カーンは独り言のように言ってから、荷室へ積荷の確認を求めた。今すぐ離陸する理由はまだなかったが、ラオは後部の射手に機銃の状態を確認させ、貨物の固定を優先するよう伝えた。
『フォート2、こちらフォート1。接近車列を停止させ、先方の指揮官と接触せよ。フォート3は警戒配置、ランサー各班は待機。武器使用は別命とする』
ラオはヘッドセットを直した。フォート2は第1線、フォート3は第2線、ランサーは陸軍の対戦車班の呼称だった。ランサー1は第1線南側に配置され、ランサー2は後方の予備として待機している。普段の航空支援回線には指揮所から必要な連絡しか入らないが、今日はフォート管制が地上側の交信を次々と中継している。ラオには、地上の全部隊がどのようなやり取りをしているのかまでは分からなかった。
『フォート1、こちらフォート2。バングラデシュ陸軍の残存部隊と名乗る指揮官に接触。兵員約120、民間人300人以上を申告。全員の入域と保護を要求している』
『フォート2、こちらフォート1。インド国籍者の有無を確認し、結果を報告せよ』
待ち時間のあいだ、ラオは地上員が最後の弾薬箱を持ち上げるのを見ていた。箱の底が台車に引っ掛かり、男たちはローターの風を浴びながら身振りで合図し合っている。カーンが受け渡しを急ぐよう後部へ伝えた。
『フォート1、こちらフォート2。インド国籍者なしとの申告。全員バングラデシュ国民。後方の再活動個体の接近を理由に後退を拒否している。車列は停止中』
『フォート2、こちらフォート1。越境不許可の命令に変更なし。外国軍の武装越境および民間人の入域は認めない。先方へ後退を通告せよ』
ラオは橋の方角に視線を戻した。命令に従って引き返せば、車列は後ろから迫っている集団に突っ込む。だが、ここで武装した外国軍を通せば、検疫も身元確認も意味を失う。地上で相手の指揮官と向かい合っている兵士たちは、そのどちらも承知のはずだった。
『フォート1、こちらフォート2。先方指揮官が再考を要求。バスから民間人が降車を開始した』
『フォート2、こちらフォート1。最終警告を実施。停止線を越えた場合、武器を使用すると通告せよ』
その時、焦ったような鋭い声が回線に割り込んだ。
『フォート1、こちらフォート2。停止警告に応答なし。先頭戦車が砲塔を旋回中!射撃準備の可能ーー』
言葉が終わる前に、橋の方角が白く光った。続いて土煙が検問所の南側から一気に噴き上がり、遅れて腹の底を打つような砲声が着陸地点へ届いた。貨物を押していた兵士が反射的にしゃがみ込み、箱が地面に落ちる。機付員がローターの下を走って後部扉へ向かうのを見て、ラオは思わず身を乗り出した。
『フォート1、こちらフォート2! 先頭戦車が発砲! 第1線南側、ランサー1の陣地に直撃。土煙で被害状況を確認できない!』
『ランサー1、こちらフォート1。応答せよ。ランサー1、現在位置と損害状況を報告!』
『フォート全隊、こちらフォート1。敵軍の発砲を確認、応戦を許可する。フォート2は第1線を維持、フォート3は負傷者の収容を準備。ランサー2は射撃準備!』
地上の銃声が一斉に増えた。ラオが橋の方へ目を凝らすと、検問所の建物の上に黒煙が立ち、その下で何台かの車両が後退している。次の砲撃は第1線の北側へ落ちたらしく、土と破片が建物の屋根を越えて飛んだ。
『フォート2北、こちらフォート1。ランサー1の陣地を視認できるか。生存者と残存装備を確認し、報告せよ!』
『フォート1、こちらフォート2北。南側は土煙で視界不良、ランサー1陣地を確認できない。北側機関銃は交戦中、先頭戦車が橋上を前進中!』
地上側の送信には断続的に銃声が混じり、ラオは呼び出しの終わりを聞き取ろうと音量を上げた。橋の方向でまた爆発が起こり、検査場の上に新しい煙が立った。
『ランサー1、こちらフォート1。再度呼び出す。応答せよ! フォート2、南側の生存者を確認したら直ちに報告!』
返答はなかった。ラオは副操縦士に顔を向けた。
『タロン31、こちらフォート管制。荷下ろしを中止、直ちに離陸せよ。第1線の後退を航空機銃で援護する。攻撃目標はフォート1から指定する。友軍の位置を確認するまで射撃を保留せよ!』
「フォート管制、こちらタロン31。了解。緊急離陸後、フォート1の指示を受けて援護する」
ラオは機内通話へ切り替え、カーンに指示を出した。
「カーン、作業は中止。後部に残っている物は積んだままで構わん。地上員を離れさせろ。貨物固定と扉の閉鎖を確認してくれ」
「了解」
『フォート1、こちらフォート3。第1線を敵部隊が突破。また敵戦車砲弾が第2線南側にも着弾し、死傷者多数。収容路へ衛生班の増派を要請する!』
『フォート3、こちらフォート1。検査場内の車両を移動し収容路を確保せよ。ランサー2は第2線北側へ展開、射撃位置につけ!』
『フォート1、こちらランサー2。第2線北側へ移動中。橋出口は煙で視界不良、友軍の後退が続いている。射撃位置への到着後、状況を報告する』
ラオは騒然とする無線を聞きながら周辺の安全を確認すると、機体を浮かせ、前方へ進みながら高度を上げた。着陸地点の外側では地上員が低い姿勢で伏せており、弾薬を受け取っていたトラックが空き地の端へ寄っていく。出入国管理棟を越えると、橋の出口に続く道路がようやく視界へ入った。
『フォート2、こちらフォート1。第1線の放棄を命ずる。動ける兵員は第2線へ後退、搬送可能な負傷者を収容せよ』
『フォート1、こちらフォート2北。後退を開始。南側との通信は回復せず。車両が道路を閉塞している、工兵の支援を要請する』
「フォート1、こちらタロン31。離陸完了。橋の東側で上昇中、現在の友軍位置を知らせてくれ」
『タロン31、こちらフォート1。第1線の兵員は道路北側へ後退中。橋出口南側の敵歩兵が射撃を継続している。友軍を確認後、敵の火点を機銃で制圧せよ』
「フォート1、こちらタロン31。了解。目標を識別後、機銃支援を実施する」
ラオは橋の南側へ機体を回した。先頭のドゥルジョイは検問所のゲートを押し倒しており、その少し後ろでは2両目の戦車が砲身を北へ向けていた。間に取り残された民間車両の窓から人が身を乗り出し、歩いて逃げようとする者もいる。バングラデシュ軍の装甲車が機関銃を撃つたび、検査場の建物から粉塵が吹き出した。
「左銃座、橋出口の南側を確認しろ。装甲車から降車した敵兵がいる。射撃位置を報告してくれ」
『機長、こちら左銃座。南側コンクリート壁の陰に敵兵3名。射撃可能、道路北側には友軍が見えます』
ラオは機体を安定させ、道路北側を後退しているインド軍兵士が射手の射界に入っていないことを確かめた。
「左銃座、射撃を許可する。南側の火点を制圧、道路北側へは撃ち込むな」
左側の機銃が射撃を始めると、連続した振動が荷室から操縦席へ伝わってきた。道路脇のコンクリートに弾丸が当たって粉塵が噴き上がり、そこから射撃していたバングラデシュ兵が慌てて遮蔽物の奥へ身を引いた。第1線から後退してきたインド兵たちは、その間に道路を横切って検査場の建物へ駆け込んでいく。
『フォート1、こちらランサー2。後続戦車を捕捉。射線を確保、射撃許可を要求する』
『ランサー2、こちらフォート1。射撃を許可する。後続戦車の前進を阻止せよ』
砲煙の外側に細い白い線が現れ、ラオがその先を追うと、橋の東寄りで止まっていた後続戦車の砲塔付近が爆発した。黒煙が上がり、車体が斜めになって欄干に寄りかかる。後ろの車列が急停止し、バスの横から降りてきた人々が道路の空いた側へ走り始めた。
後続戦車が止まったことで橋上の車列は詰まり、続いていたBTR-80の1両が脇を抜けようとして南側へ車体を寄せた。乗用車を避けるうちに前輪を欄干へ乗り上げ、そのまま動かなくなる。後方では別の装甲車が車列を抜けようとせず、銃口を道路の西側へ向け始めていた。
『フォート1、こちらランサー2。後続戦車に命中、停止を確認。先頭戦車は第1線を突破、現位置からは車両が射線を遮る。再配置する!』
『フォート3、こちらフォート1。先頭戦車が第2線へ接近中。南側の人員を遮蔽物へ退避させ、ランサー2の射界を確保せよ』
ラオは第1線と第2線の間に目を向けた。先頭戦車は破壊された鋼製ゲートを履帯で引きずりながら検査場へ出ており、その南側には、車列から抜け出してきた乗用車が2台停まっていた。後ろから歩いてきた民間人が車の間を通り抜け、ほとんど戦車と同じ方向へ逃げている。
『フォート1、こちらフォート3! 先頭戦車が第2線南側へ砲塔を向けた。退避未完了、砲撃を受けるおそれあり!』
戦車の砲口が光り、第2線右手の土嚢陣地が崩れた。爆風で兵士が宙を舞い、後ろに停まっていた軍用トラックから何人かが飛び降りて、出入国管理棟の陰へ逃げ込む。機内通話で、後部の射手が戦車の位置を確認したと告げたが、ラオは機銃を使用させなかった。彼らの武器で戦車を止めることはできない。
『ランサー2、こちらフォート1。先頭戦車を捕捉できる位置へ移れ。射撃可能になり次第報告せよ』
『フォート1、こちらランサー2。先頭戦車を確認。右側に民間車両2台、民間人も射線内にいる。現状では射撃不能!』
『フォート1、こちらフォート3。南側陣地が被弾、死傷者発生。先頭戦車は射撃を継続可能、北側陣地も危険に晒されている。至急、阻止を要請する!』
ラナの返事は一拍遅れた。ラオは炎上した第2線の土嚢を見ながら、指示が出るまで機体の位置を維持した。
『ランサー2、こちらフォート1。先頭戦車への攻撃を許可する。第2線への砲撃を阻止せよ』
ラオは戦車の隣を走る民間人から目を離せなかった。白い乗用車から男が一人降り、後席の扉を開けようとしている。少し離れたところを、何かを胸に抱えた人影が道路の端へ走っていた。その手の中に何があるのか、ラオには判別できなかった。したくなかった。
第2線の北側から発射された誘導弾は、白い煙を引いて先頭戦車へ向かった。数秒後、砲塔付近で閃光が走り、車体の上から黒煙が噴き上がる。さらに遅れて車体内部で爆発が起き、砲塔の周囲から炎と破片が吹き出した。
すぐ脇に停まっていた白い乗用車が爆風を受けて横転し、横を走っていた民間人を何人か巻き込む。もう1台の車は車体の前半分を炎に包まれた。2台の間を走っていた人々もまとめて吹き飛ばされ、道路や欄干へ叩きつけられる。爆発の破片はさらに後方のバスにも降り注ぎ、側面の窓ガラスが次々に砕け散った。
ラオの目の前で、炎上した乗用車から1人が這い出してきた。車体から数メートル離れたところで倒れ、そのまま動かなくなる。別の車の下には人間の脚らしいものが見えていたが、煙が流れてくると、それも見えなくなった。
戦車は完全に停止していた。砲身は爆発前と同じ方向を向いたままで、車体の後部から濃い黒煙が上がっている。
『フォート1、こちらランサー2。先頭戦車に命中、撃破を確認。敵戦車2両とも停止。第2線の交戦は継続中』
『フォート3、こちらフォート1。第1線の残存兵員を収容、第2線を再編せよ。民間人と敵兵が混在している。各銃座は目標識別を徹底すること』
ラオは返答せず、破壊された戦車の周囲を見下ろした。ランサー隊が撃たなければ地上部隊の被害が増えていたことは分かる。砲撃で壊れた検問施設と、炎上した民間車両が同じ道路の上に並んでいるのを見ていると、どちらが先に発砲したのかさえ、今はほとんど意味を持たなかった。
先頭戦車は橋を渡り終えて第1線を突破したところで炎上し、第2線へ続く道路を塞いでいた。2両目は橋のインド寄りに斜めに停止し、BTR-80の1両も橋の中央で南側の欄干に乗り上げたまま動かない。ただ、装輪装甲車はまだ2両残っていた。バスの陰にいる一両はインド側へ機銃を向けており、車列最後尾の1両は道路の西側に向けて発砲していた。民間車両に挟まれた軍用トラックからも、時折小銃の射撃が続いている。
川向こうの道路上で、バングラデシュ軍の後衛が銃撃を始めていた。トラックの荷台から身を乗り出した兵士が、これまでこちらへ向けていた銃を背後へ向けている。さらに後方の装甲車も路肩へ寄り、道路の向こうから走ってくる人影に発砲していた。
道路へ溢れた人影は、最初の一群だけでも数百人はいるように見えた。後方の木立に隠れたものまで加えれば、千人を超えているかもしれない。
『フォート管制、こちらウォッチャー。車列のさらに西に後続の再活動個体を確認。車列との距離は残っているが、集団は前回の観測より拡大。道路両側からも合流中』
『フォート1、こちらフォート管制。ウォッチャーが車列から離れた後続集団を確認。民間車両のいない区域に限り、迫撃砲による射撃を承認する』
『フォート1、こちらアンヴィル1。目標位置を受領。81ミリ2門で射撃開始、着弾観測を要請する』
ラオが対岸の道路へ目を向けると、車列から離れた一帯に小さな土煙が上がり始めた。第2線の後方に据えられた81ミリ迫撃砲が撃っている。着弾地点では人影がまとめて倒れ、後ろから来た個体がその上に折り重なった。何体かは足を失ったまま路面を這っている。それでも次の弾が落ちるころには、倒れた個体の脇から別の集団が道路へ溢れ出していた。
『アンヴィル1、こちらフォート管制。ウォッチャーの着弾観測を伝える。着弾は道路西側へ偏位、集団の主力は道路中央を前進中。修正射撃を実施せよ』
『フォート管制、こちらアンヴィル1。了解、修正射撃を実施する。即応弾薬が減少している。補給状況の確認を要請する』
ラオは荷下ろしの途中で残してきた箱を思い出した。迫撃砲弾の一部は地上へ渡せたが、どの箱がまだ機内に積まれているのか、今は確認する余裕がない。後部の機付員が、固定済みの積荷に破損はないと知らせてきた。
『フォート1、こちらアンヴィル1。目標集団の先頭が車列に到達。次弾の着弾区域内に民間車両を確認。現目標への射撃継続は困難』
『ウォッチャー、こちらフォート管制。車列後方の民間人の位置と、別の射撃可能区域を報告せよ』
『フォート管制、こちらウォッチャー。車列後方は避難民と再活動個体が混在。市街地南側道路に別集団を確認、現在の映像では周辺に民間人を認めず』
『アンヴィル1、こちらフォート1。車列後方への射撃を中止。市街地南側の集団へ目標を変更せよ。橋および第1線周辺は射撃禁止』
砲撃が移ると、車列後方の人影は再び途切れなくなった。後衛のBTR-80が道路の西へ向けて機銃を撃ち、軍用トラックの荷台からも小銃弾が撃ち込まれている。逃げようとした兵士の脚へ感染者が取りつき、別の個体がその背中へ覆いかぶさる。バスの間にいた民間人が一斉に橋へ向かって走り始めた。
『フォート3、こちらフォート1。橋からの進入を阻止せよ。第1線の後退状況と残存兵員を報告』
『フォート1、こちらフォート3。第1線南側から3名を収容。確認できた後退者は収容済み。検査場には未確認の負傷者が残存する可能性あり、捜索は実施できない』
『フォート3、こちらフォート1。了解。前進捜索は中止、第2線の維持を優先。衛生班は管理棟へ後退させよ』
ラオは、陣地を出てきた兵士が道路脇の残骸を利用して機関銃を据え直すのを見た。バングラデシュ軍の射撃は次第に弱くなり、トラックの一台から白い布が振られていた。戦車2両が停止した以上、軍の車列が武力で封鎖線を突破する見込みはほとんどなくなったように見える。
橋の中央では、バスから降りた人たちが車両の間を縫うように走っている。ある男は子供を抱え、別の女性は倒れた人の肩を掴んで起こそうとしていた。バングラデシュ軍の兵士が前へ行けと示しているが、後ろで新たな銃声が響くたびに人々の動きはばらばらになった。
『フォート1、こちらフォート3。南側鉄柵に民間人多数、後続に再活動個体を確認。阻止を継続しているが射界に制約あり、予備兵力を要請する!』
『フォート3、こちらフォート1。民間人への射撃は引き続き禁止。予備隊を南側鉄柵へ増派する』
ラオは機体を少し西側へ動かした。第1線のゲートがあった場所には大きな開口部が残り、先頭戦車の残骸がその先の道路を塞いでいる。避難民は煙を上げる戦車の脇を回り込み、第2線へ向かっていた。その列の間から現れる感染者を地上の兵士が撃つたび、隣の人間が身をすくめる。誰が生きていて誰が再活動しているのか、ラオには判然としなかった。
『タロン31、こちらフォート1。橋西側の道路南縁から再活動個体が進入中。民間人と分離した集団の有無を確認、機銃支援可能な目標を報告せよ』
「フォート1、こちらタロン31。了解。左銃座で確認する。友軍のいる橋出口への射撃は控える」
ラオは機首を変え、左側の窓から道路の南側が見える位置へ移った。後部の射手が機関銃を向け、路肩の建物の間から現れた集団を指し示す。そこには人を追いかける様子のない個体が数十体まとまっており、近くに軍の車両も民間人も確認できなかった。
『タロン31、こちらフォート管制。ウォッチャーが道路南側の集団を確認。射撃を許可する。橋出口は射撃禁止区域とする』
「左銃座、道路南側の集団への射撃を許可。短連射で制圧、道路中央と橋方向には撃ち込むな」
連続した発砲音が機内通話の奥で鳴り、銃座の振動が機体の床を伝わってきた。路肩にいた個体が数体倒れ、後続が建物の陰へ散った。射手が次の射撃に備えて身体を戻すころ、倒れた個体のうちの何体かが腕をついて動き始めるのが見えた。胴体を撃たれただけでは止まらない。ラオは射手に、動きが止まったかどうかを見て射撃するよう伝えた。
「機長、こちら左銃座。弾帯の残数を確認中。左側の射界を維持してください」
ラオは機体を旋回させながら川の向こうを確かめた。迫撃砲が着弾するたびに新しい集団は動きを乱しているが、その手前の車列では人と感染者が押し合うように橋へ向かってくる。銃火器で処理できている数より、橋へ近づく数の方が多くなりつつあった。
『フォート管制、こちらウォッチャー。ラムガル市街地南側で集団の北東移動を確認。工業地区にも動きあり。橋方向へ向かうかは未確認、規模を再評価中』
ラオはヘッドセットの下で、いつの間にか意識の外へ追いやっていたローターの唸りを聞いた。離陸してからずっと、Mi-17は橋の周辺を旋回し続けている。地上では機関銃の連射が絶えず、戦車砲の発射音や撃破された車両の爆発に加えて、迫撃砲弾の着弾音まで対岸へ響いていた。地上部隊が普段から射撃を控えていたのは、街に潜む集団を刺激しないためでもあった。今日のような騒ぎが長く続いて、ラムガルに蔓延るピシャーチ共が何も聞きつけずにいるとは考えにくかった。
『フォート1、こちらフォート管制。市街地南側と工業地区に新たな移動兆候。現地到達まで時間的余裕はあるが、後続集団の増加を警戒せよ。増援を調整中、第2線を維持せよ』
『フォート1、こちらフォート3。第2線は交戦を継続。南側鉄柵が一部倒壊、避難民に混じった再活動個体と民間人が検査場へ侵入。南側に追加兵力を要請する』
地上では数人の兵士が鉄柵を起こそうとしていたが、後ろから来る避難民に押されて手を離してしまった。1人が小銃を構え直したときには、検査場の脇に転がっていた車両の陰から再活動個体が現れ、別の兵士が至近距離で撃ち倒した。少し後ろでは、担架に乗せた負傷者を運ぶ2人が立ち止まり、道を譲るよう手を振っている。
『南側班、こちらフォート3。鉄柵の復旧を中止、管理棟の角まで後退せよ。退避完了後、当該区画への射撃を再開する。後退完了を報告せよ』
『フォート1、こちらフォート3。南側班は管理棟前へ後退中。負傷者と民間人が退避路に滞留、現位置からの射撃は友軍被害のおそれあり。退避完了まで射撃を保留する』
ラオは後部の射手に南側の射撃を中止させた。機銃の向こうに動いているものの大半はまだ人間で、友軍の退避位置も変わり続けている。回線には、陣地を放棄する報告と弾薬の追加要求が立て続けに入った。
『フォート1、こちらアンヴィル1。市街地南側への砲撃を継続中。即応弾薬が残り少ない。橋出口と車列周辺は友軍・避難民が混在し、間接火力による支援は不可。弾薬補給を要請する』
『アンヴィル1、こちらフォート1。了解。後方目標への射撃は弾薬を節約しながら継続、橋と車列周辺への射撃は禁止。フォート3、北側の予備機関銃班を南側へ転用せよ』
『フォート1、こちらフォート3。北側陣地も弾薬不足。予備班を南へ転用すれば北側道路の射撃能力が低下する。転用指示の確認を求める』
別の部隊が衛生班の支援を要求し、フォート管制からは工兵部隊の到着予定が送られてくる。ラオが再び南側へ機体を寄せると、対戦車火器を構えていた兵士たちまで、今は小銃で感染者を撃っていた。橋を巡る戦闘は続いているが、何に対して防衛線を維持しているのかが刻々と変わっている。
『フォート3、こちらフォート1。転用を実施せよ。北側は残存火点で道路を維持、南側の退避を優先する』
『フォート管制、こちらウォッチャー。ラムガル北側でも集団の移動を確認。市街地近傍の合計は推定2万以上、周辺の集団も合流する可能性あり』
「フォート管制、こちらタロン31。2万は現在橋へ接近中の集団とは別か。確認願う」
ラオの問いに、フォート管制が答えた。
『タロン31、こちらフォート管制。別集団だ。市街地近傍の推定数で、橋からはまだ距離がある。西側工業地区の集計は照合中』
ラオは燃料計へ目を落とした。地上で待機していた時間が長く、離陸してからも低い速度で飛行を続けている。帰投に必要な燃料を残しておかなければならないが、フォート1からの支援要請は減る気配がなかった。
『フォート1、こちらフォート3。南側通路に再活動個体が侵入。正面の阻止線は維持しているが、管理棟の側面へ迂回中。負傷者の搬送に時間を要する。退避支援を要請!』
『フォート3、こちらフォート1。後方要員を建物から退避させよ。南側の侵入口には予備隊を投入、衛生班は負傷者を後方へ搬送せよ』
地上で数人の兵士が動き始めた。ラオにはどの班が南へ回ったのか分からないが、北側の機関銃が射撃を止め、その位置から弾薬箱を抱えた兵士が立ち上がるのが見えた。道路正面には倒れた個体が積み重なり、残骸と鉄柵に挟まれた隙間を新しい個体が這って進んでいる。倒れた者を処理するために兵士が前へ出るたび、別の場所が手薄になっていた。
『フォート1、こちらフォート管制。ウォッチャーから広域報告。西側工業地区および南方幹線道路でも集団移動を確認。数百から数万規模の集団が複数、さらに後方を含めれば総数10万以上の可能性あり』
ラオは川の向こうを見た。遠方の数万という数字は、今すぐ橋へ押し寄せる人数ではない。目の前の第2線だけを見れば、銃を持った兵士はまだ数十人単位で残っている。それでも支援要求を聞くたび、撃てる場所と使える兵員が一つずつ減っていることが分かった。
『タロン31、こちらフォート管制。残燃料と現空域での滞空可能時間を報告せよ』
「フォート管制、こちらタロン31。現空域に残れる時間は残り5分程度。帰投が必要だ」
機内通話でカーンが航路の気象を確認していた。後部の射手は弾帯を交換しながら、ラオへ銃座からの視界が悪くなっていると知らせる。第2線から立ち上がる煙が風に流され、その向こうで撃っている部隊は、時折見える閃光でしか位置を確かめられなかった。
『フォート1、こちらフォート3。第2線南側機関銃、弾薬切れにより射撃停止。後退路の車両滞留で補給が届かない。支援射撃を要請する』
『フォート1、こちらアンヴィル1。即応弾薬残少、補給車両は道路閉塞のため未着。後方目標への射撃は継続可能。第2線の侵入口は友軍が混在しており、迫撃砲による射撃は不可』
ラオは荷室を振り返れなかった。固定された箱の中に、地上へ渡しきれなかった弾薬がある。だが、下では車両と担架が道路を塞ぎ、空き地へ再び降りる経路も安全も確保されていない。機体に積んだままの数箱が、いま地上では欲しくてたまらない物資になっている。
『タロン31、こちらフォート1。管理棟東側へ後退するフォート3を援護せよ。南側銃座は射撃不能。目標と友軍の位置を確認願う』
ラオは機体を旋回させ、東へ走る兵士たちと、それを追ってくる個体の間隔を確かめた。管理棟の屋根が射撃方向に入り、射手は銃を向け直すことができない。建物を越えてしまえば兵士たちも射線へ入る。
「フォート1、こちらタロン31。管理棟が射界を遮っている。南側へ旋回して射線を確保する。現位置からの射撃は友軍誤射のおそれがあるため保留する」
『タロン31、こちらフォート1。了解。フォート3、管理棟東側の後退位置を更新し、航空支援機に通報せよ』
第2線南側にいた兵士の何人かが管理棟の陰へ飛び込み、別の者は負傷者を支えながら道路の東へ逃げた。ラオが射手へ目標を示そうとしたとき、崩れた鉄柵のあいだから数体のピシャーチが出てきた。後ろではまだ人間が逃げ続けており、射手が引き金に指を掛けたまま、ラオの指示を待った。
『フォート1、こちらフォート3! 南側の阻止線を維持できない。負傷者搬送要員2名が襲撃された。再活動個体は管理棟側面まで到達。北側からの追加援護を要請――』
通信は別の報告に遮られた。ラオが第2線を見下ろすと、北側の銃座では兵士が機関銃を持ち上げて移動しようとしている。南側から回り込んだ数体が建物の出入口へ向かい、それを止めようとした兵士が倒れた。今度は誰もすぐに引き起こしに行かなかった。
『フォート管制、こちらウォッチャー。さらに後方2区域で集団移動を確認。全域の合計は20万超の可能性あり。移動方向は北東、橋への到達時刻は未確定』
『フォート1、こちらフォート管制。増援および工兵は移動中、現地到着には時間を要する。第2線の維持可否と後退計画を報告せよ』
『フォート管制、こちらフォート1。第2線南側は突破寸前。正面と北側は射撃継続中だが、予備隊と弾薬が不足。現位置での防衛継続は困難。後退許可と次の阻止位置の指定を要求する!』
ラオが機体を少し傾けると、第2線の南側が見えた。鉄柵はほとんど倒れ、封鎖用の軍用車両とコンクリート障害物の間には、何人もの人間が横に並んで通れそうな隙間が開いていた。そこへピシャーチが次々と押し寄せ、近くに残っていた兵士たちは銃を撃ちながら管理棟の方へ下がっている。道路上には担架や弾薬箱が散らばり、どこが本来の防衛線だったのかも分からなくなっていた。
『フォート1、こちらフォート3。第2線南側に開けられた突破口から再活動個体がなだれ込んでくる!再閉塞は不可能!至急、撤退許可を要請する!』
『フォート1、こちらフォート管制。第2線からの撤退を承認する。後方の指定集結地点へ移動せよ。後衛を残して負傷者と後方要員を先に収容、撤退経路は各隊で確保すること』
『フォート全隊、こちらフォート1。第2線を放棄する。収容車両は東側道路へ、北側の残存銃座は後衛として撤退を援護せよ。後退位置と輸送状況を順次報告!』
管理棟の東側には、検査場の後方に待機していたインド軍のトラックと装甲車が集まっていた。トラックの荷台には兵士が肩を寄せ合って乗り込み、車体の横では負傷者を支える者と、荷台の上から手を伸ばす者が押し合っている。装甲車の後部にも人が列を作っていたが、すでに車内が埋まっているらしく、扉の前にいた兵士が首を振っていた。先頭車両は発進しようとしているのに、道路には担架を運ぶ兵士が次々と出てくる。
『フォート1、こちらフォート3。東側の輸送トラック2両と装甲車1両は収容限界。管理棟内に未搬送の負傷者が残存している。追加車両を至急要請する!』
『フォート3、こちらフォート1。満載車両は発進させろ。後続の進入路を確保する。衛生班は負傷者を管理棟東側へ集め、未収容人数を報告せよ』
『フォート3、こちら衛生班。歩行不能の負傷者が少なくとも15名、担架で移動中です。トラックの荷台にも装甲車にも空きがありません。搬送先を指定してください!』
『衛生班、こちらフォート3。管理棟東側で待機しろ。後続車両を手配中だ。護衛をつける、単独で道路へ出るな!』
『フォート3、こちら南側搬送班。管理棟南口から担架2名を搬出、東側通路へ移動する。前方に再活動個体を確認、距離約…待て、クソッ!後ろだ!!』
最後の声に銃声が重なり、無線から何かを叩きつけたような音が響いた。マイクが布地に擦れる音がしばらく続き、誰かが叫んでいるのがかすかに聞こえたが、ラオには言葉を聞き取れなかった。やがて送信が切れ、ほかの部隊からの報告だけがヘッドセットへ戻ってきた。
『南側搬送班、こちらフォート3。現在位置を報告せよ。南側搬送班、応答願う!』
ラオは管理棟の南口へ目を凝らした。建物の陰から小銃の閃光が何度か見え、担架らしい白いものが地面に倒れていたが、先ほどの声の主がそこにいるのかは分からない。装甲車が一両、道路へ出ようとして停車し、すぐ前を兵士に肩を貸された負傷者が横切っていった。
ラオは燃料計をもう一度確かめた。カーンは帰投用の航路へ機首を向けるよう促し、後部の射手も残弾を確認した。地上では感染者への射撃が続いているが、ラオの機体には全員を救うだけの弾薬も、無制限に飛び続ける燃料もない。
『タロン31、こちらフォート管制。帰投を命ずる。交代機と後続の航空支援を調整中。残燃料で滞空を延長するな』
「フォート管制、こちらタロン31。了解、帰投する。未搬出の弾薬と衛生資材を搭載したままだ。帰投先での荷下ろしを手配してくれ」
『タロン31、こちらフォート管制。了解。帰投先へ通報する。フォート1にも未搬出貨物の状況を伝える』
ラオは機体を東へ向けた。橋の上には後続戦車の焼けた残骸があり、欄干に乗り上げたBTR-80も動いていない。第1線と第2線の間では先頭戦車が黒い煙を上げ、その脇の狭い道路を、バスから降りてきた人々とピシャーチが入り混じって進んでいた。第2線南側の突破口からはさらに多くの個体が入り込み、管理棟の東へ向かう車列との距離が縮まりつつあった。
『フォート1、こちらフォート管制。対地兵装したスホイ2機が向かっている。到着予定約13分後。友軍の最終位置と攻撃禁止区域を通報せよ』
『フォート管制、こちらフォート1。13分待ってたらここは破られる!!アフターバーナーを使ってでも急がせろ!』
『フォート1、こちらフォート3。管理棟東側で負傷者の搬送を継続中。建物内にも残留者あり。東側道路の補給トラックが炎上している。周囲の車両を退避させ――』
ラオが肩越しに振り返ったとき、道路脇のトラックから立ち上る炎は、そばに積み上げられていた木箱にまで届いていた。荷台の奥で小さな閃光が続いた直後、車両の周囲が白く光り、遅れて鈍い爆発音が機体に届いた。黒煙の下から破片らしいものが跳ね上がり、近くを走っていた兵士が地面へ倒れ込む。フォート3の送信は爆発とほとんど同時に途絶え、その先の言葉は聞こえなかった。
『こちらフォート1。爆発を確認した。何があった?誰か被害状況を報告せよ』
返答のないまま数秒が過ぎ、今度は別の部隊が、東側道路に停車した車両を移動させるよう要求してきた。ラオの目には、煙の間から一台のトラックが動き出し、その後ろを何人かの兵士が走っているのが見えた。爆発した場所のすぐ近くにはまだ担架が残っており、そこへ向かった兵士が立ち止まって伏せ、銃を構えていた。
『フォート全隊、こちらフォート1。拠点を放棄する。満載車両は直ちに発進、残存部隊は後方集結地点へ後退せよ。北側の後衛は退避路を援護しながら順次離脱。後方で体勢を立て直す』
ラオは機首の向こうに広がる果てしないトリプラの緑を見た。機体が東へ遠ざかるにつれ、橋と検査場は薄い雲の下に隠れていったが、ヘッドセットからは撤退車両の発進報告と負傷者の収容を求める声がまだ聞こえていた。フォート1は再びフォート3を呼び出し、続いて管理棟東側の部隊へ応答を求めた。ラオが帰投用の周波数に切り替えるまで、その呼び出しに答える声はなかった。
いつもお読みいただきありがとうございます。
私生活が少し忙しくなってきたことに加え、書きためていたストックもとうとう尽きてしまいました。そのため、今後の投稿はしばらく不定期になると思います。
とはいえ、物語の先の展開については色々と考えており、プロットも少しずつ組み進めています。まだまだ書きたいことはありますので、更新の間隔が空くことはあると思いますが、引き続きお付き合いいただければ幸いです。
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