第一話 さようなら
私はウェネーヌム王国の侯爵令嬢アン。
王太子であるウィリアム殿下の婚約者です。
ふたつ年上の殿下とは婚約を結ぶ前から幼馴染の関係でもありました。幼いころは身分や立場など理解せず、彼のことを『ウィル』と愛称で呼んでいたものです。
正式な婚約者となって妃教育が始まってから、私は彼を『殿下』と呼ぶようになりました。
王太子とその婚約者なのです。
起きているすべての時間は周囲に見られているのです。いつまでも子どものようにじゃれ合っているわけにはいきません。
それでもいつか夫婦となってふたりきりの時間を過ごせるようになったら、いいえ、なるべく身分の差を気にしないで人脈を作ることを求められる三年制の学園に入学したならば、私は彼をまた『ウィル』と呼べるのだと楽しみにしていました。
でも胸を弾ませて入学した学園に、殿下のお姿はありませんでした。
殿下は隣国フェブリス王国の公爵令息のご葬儀に出席するために、ウェネーヌム王国を離れていらっしゃったのです。
この大陸にある数多の王国の王族は多かれ少なかれ血縁関係にあります。
そして公爵家というものは王家から分かれたものです。
隣国フェブリス王国の公爵令息は、我が国の王太子殿下であらせられるウィリアム殿下と同じご先祖を持っていらっしゃいます。
殿下が隣国へ行かれるのはこれが初めてのことでしたし、公爵令息が我が国へいらしたこともありませんでしたが、おふたりが瓜ふたつだという話は以前から聞いておりました。
両国を行き来する大使や商人達が噂していたのです。
──同い年のおふたりはどちらも黄金の髪で、背格好も近くて声もよく似てらっしゃる。違うのは瞳の色だけだ、と。
私のウィリアム王太子殿下はウェネーヌム王国の王家に受け継がれた青い瞳、隣国の公爵令息ウィルヘルム様はフェブリス王国の王家に受け継がれた緑色の瞳だったのです。
「……」
学園の中庭の片隅で、私は空を見上げました。
今日は晴れ。青い青い空は殿下の瞳と同じ色です。
空を見つめながら、私は指に嵌めた婚約指輪を撫でます。私と殿下の婚約を示す大切なものです。
殿下が国王陛下の名代として関係の深い隣国フェブリス王国の公爵令息のご葬儀に出席されている間、ご葬儀の後で両国の友好を深めるための公務に励んでいらっしゃった数ヶ月間、さらには殿下が我が国へお帰りになった後も──私はこうして殿下のことを想って参りました。
ですが、そろそろ身を引いたほうが良いのかもしれません。
この大陸の貴族は多くのものが固有魔法を持って生まれます。魔獣蔓延る魔の森に囲まれた諸国では、だれでも使える属性攻撃魔法とそれを補助する固有魔法はとても大切な存在なのです。
私は固有魔法を持ちません。
それ自体は良いのです。殿下も国王陛下も固有魔法をお持ちではありません。
むしろ生まれ持った固有魔法を封印しなければ、王位に就くことは許されないのです。
この大陸で王となる方は国軍を率いて、魔の森から襲い来る魔獣を打ち、民を護らなくてはなりません。
固有魔法を持つものは、それを発動していないときでも魔力の一部が固有魔法以外には使えないようになっていて、属性攻撃魔法の威力が落ちてしまいます。だから王と王太子は固有魔法を封印して属性攻撃魔法の威力を上げるのです。
固有魔法による補助は家臣に任せておけば良いのですから。
固有魔法を持たない私はその代わりにか強くて大量の魔力を生まれ持っていました。
固有魔法を封じていても、属性攻撃魔法を使い続けていれば、いつか魔力は無くなります。
私はその強くて大量の魔力を殿下に捧げるために婚約者として選ばれたのです。
最後にもう一度、婚約指輪を撫でます。
この指輪は殿下と私の魔力を共有させるものです。
本来なら殿下が魔獣との戦いで魔力を使い果たしたときにだけ、私の魔力が彼へと送られることとなっていました。
なのに、なにもないのに、殿下が魔法を使っていらっしゃらないのに、私の魔力が減っていくようになったのです。
最初にそうなったのは、殿下が隣国へ行かれていたときだったでしょうか。
てっきりお亡くなりになった隣国の公爵令息の代理として魔獣討伐に参加したものだと思っていたのですが、そうではありませんでした。
殿下が我が国へお帰りになった後も私の魔力は減り続けています。
体内の魔力は一晩眠れば回復するものと言われていますけれど、魔獣討伐などで大量に失った場合は一晩だけでは回復出来ません。
私も殿下も魔法など使っていないのに、私の魔力は眠っても回復しないほどに減ってしまったのです。
こんな私では殿下のお役に立てません。
魔力が無くても愛があれば? いいえ、私と殿下の間には愛すらありません。
昔はあったような気がします。私が学園に入学する前は、殿下が隣国フェブリス王国へと行かれる前は。
今はもう、私と殿下の間に愛はありません。
正直に言えば、私はまだ殿下を愛しております。殿下の瞳と同じ青い青い空を見るだけで涙が出てしまうくらい。
だけど、殿下はもう私を愛していらっしゃらないのです。もしかしたら、ふたつも年下で子どもっぽい私のことなど最初から愛していらっしゃらなかったのかもしれません。
隣国での公務を終えて我が国へお帰りになったときの殿下は、ひとりの女性を同行なさっていました。
隣国フェブリス王国の伯爵令嬢シャルロッテ様。
お亡くなりになった隣国の公爵令息ウィルヘルム様の婚約者だった女性です。
涙を飲み込んで、私は青い青い空から視線を降ろしました。
私から少し離れたところに殿下とシャルロッテ様の仲睦まじい姿があります。
殿下はシャルロッテ様をこの学園に留学させて、毎日一緒に過ごされているのです。
「……ウィル……」
風がシャルロッテ様の声を運んできます。
あの方は『ウィル』と、『私のウィル』と殿下をお呼びになるのです。
ウィリアム王太子殿下はそれをお許しになっているのです。
王都の侯爵邸へ戻ったらお父様に婚約解消をお願いしましょう、そう思いながら婚約指輪を外して、私は心の中で呟きました。
──さようなら、私のウィル。




