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助けてくれてありがとう

 発動された水魔法は、球体の中に突如として湧き出し、急速に内部を水で満たしはじめた。


「ブラッディ・ハウンド、いったい何のつもりだ……!?」


 ムーム・ラヴィナスが驚きの声を上げる。

 球体の中にいるヴァルブルガも、驚きながら上昇する水位を見つめている。

 水はヴァルブルガの足元から腰、やがて胸元まで達した。

 ブラッドの手によって、巨大な水槽と化した球体を、ムーム・ラヴィナスが苛立った瞳で睨みつける。

 彼女の背後に控えている結社の兵士たちも、明らかに動揺していた。


「今すぐ魔法を解除しろ! 代表を危険に晒すつもりか……!?」


 ムーム・ラヴィナスが、口元を引き攣らせながら問いかけてくる。


「ヴァルブルガを助けたいのなら、おまえこそ古代魔法を解いたらどうだ? 俺はヴァルブルガが死んだって構わない」

「何を言って……」

「おまえは馬鹿げた勘違いをしたようだが、俺がヴァルブルガを連れ去ったのは、あの女に殺された妻の復讐を果たすためだ。俺にとってヴァルブルガは単なる復讐対象でしかない。もっと苦しめて殺すつもりだったが、ここで溺れ死のうがそれならそれで構わない」

「……なっ……!?」


 絶句したムーム・ラヴィナスの態度に、不安の色が広がっていく。

 冷ややかなブラッドの態度から、真実を告げていると受け取ったのだろう。


「目的が復讐だった、だと……?」

「悠長に喋っていていいのか? おまえら結社の宝が溺死するぞ」

「……っ!!」


 その間にも、球体の中の水位はヴァルブルガの喉元まで到達していた。


「ブラッディ・ハウンド、ふざけた真似を……! ……いいだろう。貴方の魔法など、力づくで解除させてやる!!」


 まんまとブラッドにヴァルブルガを奪われたムーム・ラヴィナスは、苛立ちも露わに杖を足元へ下ろした。

 代わりに腰につけていた鉤爪を装着する。

 黒く輝くその鉤爪は、伝説の猛禽獣ラプトルの爪を素材にして造られた武器で、世界中で数本しか存在しないと聞いた記憶がある。

 ラプトルの爪は極めて硬く、あらゆる物質を容易く切り裂けるが、それにもかかわらず空気のように軽い。

 猛烈なスピードで技を繰り出すムーム・ラヴィナスとの相性がとてもいい武器なのだ。 


「おまえたち、攻撃を開始しろ!!」


 部下に指示を出しながら、ムーム・ラヴィナスが先陣を切って踏み込んでくる。

 ブラッドは室内の柱を盾代わりに、敵の攻撃をかわしていった。

 強力な魔法の一撃が、壁や柱に何度も命中するたび、本部塔は微かに震え、古びた石がこぼれ落ちた。


(時間の問題で、本部塔は決壊しそうだな)


 今もまた、支柱に攻撃がぶつかり、大きな亀裂が走った。

 ブラッドを仕留めるのに夢中なムーム・ラヴィナスたちは、まだ危機的状況に気づいてはいない。

 ブラッドは敢えて、支柱を盾にし続けた。

 この機会に忌々しい結社の施設が消滅するのなら、それも悪くない。


「上の空とはいい度胸だな、ブラッディ・ハウンド!」


 ムーム・ラヴィナスが叫びながら、両手を振りかぶる。

 彼女の鉤爪が空気を切り裂くたび、鋭い音が響き渡る。

 それに合わせて、爪の先端から紫色の毒霧が立ちのぼった。

 ムーム・ラヴィナスの鉤爪には、魔法によって毒属性がつけられている。

 爪に当たらずとも、あの霧に触れるだけで、獲物は麻痺状態に陥ってしまうのだ。

 ブラッドはムーム・ラヴィナスの攻撃を避けながら、ヴァルブルガに一瞬だけ視線を向けた。

 ヴァルブルガは縦泳ぎをしながら、必死に頭上の酸素を求めている。

 これは一種の賭けだった。

 ムーム・ラヴィナスは決してヴァルブルガを見捨てたりはしない。

 しかし甘い判断を下すような人間を、『ヴァルブルガ代表』がどれだけ見下しているかもわかっている。

『ヴァルブルガ代表』に嫌われないためにも、ムーム・ラヴィナスはギリギリまで粘るはずだ。

 もしそのギリギリの判断をムーム・ラヴィナスが誤れば――。

 小さなヴァルブルガは溺死する。

 ブラッドとムーム・ラヴィナス、この残酷な肝試しの勝者となるのは、より薄情な人間のほうだろう。

 答えが出るまで、もってあと二十秒というところだ。

 しかしその前に本部塔が崩壊する可能性だってある。

 破壊を繰り返された本部塔は、低い悲鳴のような音を上げ、少しずつ傾いていっている。

 一刻も早く決着をつけたいと望んでいるらしいムーム・ラヴィナスは、容赦のない攻撃を高速で繰り返してきた。

 ムーム・ラヴィナスの動きは繊細かつ巧みで、戦っているというより演舞を踊っているかのように美しかった。


(さすが世界平和推進結社の幹部を務めるだけはあるな)


 感心しながらもブラッドの動きには明らかに余裕が滲んでいた。

 かたやムーム・ラヴィナスの呼吸は、少しずつ乱れはじめている。

 ここにきてスタミナの違いが出はじめたのだ。

 ムーム・ラヴィナスの部下たちは、戦いの序盤から二人のスピードにまったくついてこられず、今は困惑したまま事の成り行きを見守っている。

 そんな中、ブラッドの速度だけはまったく落ちない。

 それがムーム・ラヴィナスを驚かせたのだろう。少しずつ彼女から冷静さが消えていく。


「くそっ。なぜ君はそんなに平然としていられるんだ……!」


 落ち着きを失えば必ずミスを犯す。 

 ムーム・ラヴィナスの動きがわずかに遅れたのを見逃さず、ブラッドは魔法を発動させた。

 ブラッドの掌から放たれた魔法は、ムーム・ラヴィナスの鉤爪に命中した。

 弾き飛ばされた鉤爪が、回転しながら空を舞う。

 そこから霧雨のような麻痺毒が、ムーム・ラヴィナスや部下たちの上に降り注いだ。

 途端に彼らの動きは急速に鈍くなり、武器を持つ手が力なくだらりと下がった。

 一人また一人と、悔しさを滲ませながら、床に頽れる。

 最後に倒れ込んだのがムーム・ラヴィナスだ。


「どうする? そのまま完全に体が麻痺するのを待つか? そうなれば古代魔法を解除できず、ヴァルブルガが死ぬだけだが」


 ムーム・ラヴィナスは苦痛と焦燥に顔を歪ませながら、紫の霧の外に立つブラッドを睨みつけてきた。

 無情にも、水の放出は止まらない。

 ムーム・ラヴィナスの焦りは増していく。

 それに反して、ブラッドは一切動じずに、腕を組んで様子を眺め続けた。

 やがて水はヴァルブルガの顔をも覆い尽くし、球体の中は完全に満たされてしまった。

 逃れる術などないのに、水中のヴァルブルガは無力な手足を必死に振り回している。

 苦しそうなヴァルブルガの眼差しが、助けを求めて外へ向けられる。

 ブラッドの指先がぴくりと動く。

 力尽きかけたヴァルブルガの口から大量の泡が零れた瞬間――。


「おのれ……ブラッディ・ハウンドォオオッ……!」


 切羽詰まった声を漏らしたムーム・ラヴィナスは、ついに自ら作った球体を破裂させた。

 勢いよく吹き出した水と一緒に、ずぶ濡れのヴァルブルガの体が宙へ投げ出される。

 地面を蹴って飛び出したブラッドは、ムーム・ラヴィナスたちが行動するより先に、ヴァルブルガの体を自分の腕の中に抱きとめた。


「けほっ、こほっ」


 ヴァルブルガは咽ながらも、ブラッドの首にギュッとしがみついてきた。


「助けてくれてありがと、ブラッド」

「何を言っている……。球体の中に水を満たしたのは俺だぞ……。おまえは俺に殺されかけたんだ」


 思わずそんな言葉が零れ落ちてしまう。

 どうしてそんな本音を口にしてしまったのか、自分でも理解ができない。

 ヴァルブルガは少しだけ体を離すと、不思議そうにブラッドを間近から見つめてきた。


「でもヴァル生きてるよ。ブラッドのところへ戻ってこれたよ。ブラッドが助けてくれたから。でしょ!」

「それはたまたまで……。……嫌、なんでもない」


 自分は本当にヴァルブルガをあのまま殺すつもりだったのだろうか。

 答えを知るのを避けるように、脳が思考を停止する。

 ブラッドが黙り込むと、ヴァルブルガはにこにこしながら再びぎゅっとしがみついてきた。

 心から信じ切っているというヴァルブルガの態度には、内心かなり動揺させられた。


(こんな俺を信用するなんて、哀れだな、ヴァルブルガ)


 そんなふうに思いながらも、どういうわけかブラッドは、腕の中にいる小さなその塊を突き放せなかった。

 その直後、ついに耐久が限界に達したのだろう。

 激しい地響きと白煙を上げながら、本部塔が崩れはじめた。


「ヴァルブルガ、俺の目的はひとまず果たせた。この塔から出るぞ」

「うん! ヴァル、おなか痛いの引っ込んだ。でも代わりにちょびっとチビッたけど」

「臭いでわかってる。まず風呂におまえを入れないとだな」

「おふろでしっかり洗う!」


 そんな会話を交わしながら、以前この幼い少女を連れ去った時同様、窓際に立つ。

 ブラッドはほんの束の間背後を振り返ったが、ひどい煙の中、ムーム・ラヴィナスたちの姿を確認することはできなかった。

 そもそもいくらブラッドといえども、崩壊する塔から、何人もの人間を連れ出したりなどできるわけがない。

 ブラッドは何かを振り切るように、視線を窓の外に戻した。

 夜の雨空には、瓦礫から立ち上がる塵が舞い上がり、幻想的な光景を作り出していた。

 ブラッドの左手にはヴァルブルガの日記帳が、右手にはヴァルブルガ本人が抱えられている。

 この二つの扱いをどうするべきか、彼はまた迷いはじめていた。

 それでも今は前に進むしかない。

 ヴァルブルガを抱えたブラッドは、再び塔の窓を蹴破ると、雨が降りしきる夜の空へ、少女とともに飛び立ったのだった――。

これにて一旦完結となります。

ここまでお読みいただきありがとうございました!

また、第二部を書き溜めて戻ってきたいので、そのときはどうぞよろしくお願いいたします。

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追いつきました!と思ったら完()! おつかれさまありがとうございます! 難しい設定を存分にこなされていたと思います。凄い。 不器用で妻子といっしょの暮らしがぎこちなく、 あまつさえ救えなかった自責か…
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