第38話「蘇る鼓動、最強の医療チーム。そして伝説へ」
――トクン、トクン、トクン。
静かな波の音のような、一定で、力強いリズム。
ルンデルの街の領主は、自らの胸の奥から響くその音で、ゆっくりと意識を取り戻した。
「……おお、気がついたようじゃな」
重い瞼を開けると、そこには真っ白な天井と、踏み台に乗って自分の胸に『金属の円盤(聴診器)』を当てている、銀髪の幼い少女の姿があった。
「み、ミルゼ大先生……? 私は、一体……」
「喋らなくていい。まだ胸の骨が完全にくっついておらんからな。深呼吸をしてみろ」
言われるがままに、領主はゆっくりと息を吸い込んだ。
「……あっ」
彼は、驚きに見開いた目を瞬かせた。
倒れる数ヶ月前から、息をするたびに胸の奥で鳴っていた「ヒューヒュー」という苦しげな音が消え失せている。
肺の隅々まで新鮮な空気が行き渡り、手足の指先までポカポカと温かい血が巡っているのが、はっきりとわかった。
「痛くない……。胸の鉛のような重さも、息苦しさも……何一つ、ない……っ」
「当たり前じゃ。お前の心臓の中で壊れていた扉を、完璧な新品に取り替えてやったんじゃからな」
私は聴診器を外し、得意げに胸を張った。
「見てみるがいい。それが、神の領域からお前を引きずり戻した『医学の証』じゃ」
私が手鏡を差し出すと、領主は自分の胸元を見て、言葉を失った。
喉元からみぞおちにかけて、太く真っ直ぐに縫い合わされた、巨大な手術痕。
「む、胸が、真っ二つに……。まさか、本当に心臓を切り開いたというのか……!? 治癒魔法でも絶対に治せなかった、この私の病を……!」
「私一人ではないぞ」
私が指を鳴らすと、病室の扉が開き、ゾロゾロと仲間たちが入ってきた。
「体調はどうですか、領主様! 点滴の追加、持ってきましたよ!」
「熱も下がっていますね。私が調合した感染症予防の薬、バッチリ効いてます!」
満面の笑みで駆け寄ってくる獣人の看護師ザッシュと、薬師のテティア。
「目覚められて何よりです。俺が森で狩ってきた猪の心臓、領主様の胸の中で元気に動いてるみたいで安心しましたよ」
「俺が削った扉(生体弁)、絶対に一滴も血を漏らしませんから、安心してください!」
ニヤリと笑う巨漢の護衛オスウェルと、誇らしげに胸を張る細工師のガルネット。
「熱湯の搬入、商業ギルドの皆さんが本当に頑張ってくれました……っ。私の魔法も、途切れませんでした!」
「ガッハッハ! 儂の打ち上げた開胸器の使い心地はどうだった、先生!」
杖を抱きしめて涙ぐむ氷の魔法使いヒナと、豪快に笑うドワーフのグズガル。
領主は、ベッドの周りに集まった彼らの顔を、信じられないというように見回した。
治癒魔法の適性がなく、教会から見放された者。
火力が弱く、無能と追放された魔法使い。
呪いだと恐れられ、死を待っていた職人。
かつて、この異世界で「役立たず」や「ハズレ」の烙印を押されていた彼らが、今や誇り高き顔つきで並び立っている。
「彼ら全員の技術と、街の物流網。どれが一つ欠けても、お前は今頃墓の下じゃ」
私がそう告げると、領主の目からポロリと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「……ありがとう。お前たち全員が、私の……いや、この街の恩人だ……っ」
領主は、胸の巨大な傷跡を愛おしそうに撫でた。
「魔法の奇跡ではない。人間の知恵と、技術と、手作業の結晶が、これほどまでに尊く、偉大なものだったとは……!」
領主はベッドの上で、深々と私たちに向かって頭を下げた。
「ミルゼ大先生! そして、病院の皆よ! この『ミルゼ総合病院』は、これより我が領地における最高峰の医療施設として、教会と同等……いや、それ以上の特権を与える! 予算はいくらでも使ってくれ! この街を、世界で一番命を救える医療都市にしてくれ!」
「「「うおおおおおっ!!」」」
病室に、割れんばかりの歓声が響き渡った。
ザッシュとオスウェルがハイタッチをし、テティアとヒナが抱き合って飛び跳ねる。
「(……おいおい、予算はありがたいが、これ以上忙しくなったら私のスローライフが完全に消滅してしまうではないか)」
私は内心で盛大にため息をついた。
前世で過労死するまでメスを握り続けたからこそ、この世界では適当なヤブ医者として静かに余生を過ごすつもりだったのに。
気がつけば、前世以上に過酷で、そして前世以上に『頼もしい仲間たち』に囲まれてしまっている。
「大先生! やりましたね!」
ザッシュが、尻尾を千切れんばかりに振って私を振り返る。
テティアも、ガルネットも、全員が私に眩しいほどの信頼の眼差しを向けていた。
「……まったく、世話の焼ける弟子どもじゃ」
私は小さく毒づきながらも、自分の口元が自然と緩んでしまうのを止められなかった。
――こうして、ミルゼ総合病院の歴史において、最も過酷で絶望的とされた『開胸手術』は、完全なる勝利をもって幕を閉じた。
魔獣の脅威や、神の奇跡(治癒魔法)が支配するこの異世界で。
泥臭い科学と、ミクロの技術と、狂気の執念で命を繋ぐ『最強の医療チーム』の噂は、瞬く間に大陸中へと広がっていくことになる。
だが、彼らの戦いは終わらない。
人間の体がそこにある限り、病魔は決してなくなることはないのだから。
「さあ、喜ぶのはそれくらいにしておけ! 回診の時間じゃ!」
私は白衣の裾を翻し、元気に病室の扉を蹴り開けた。
「次はどんな急患が来ようと、私たちが全員叩き直してやる! ついてこい、お前たち!」
「「「はいっ、大先生!!」」」
異世界最強のヤブ医者(天才外科医)と、その弟子たちの医療無双は、まだ始まったばかりである。




