100 天授の判別 白い小石
「はい、どうぞ」
扉の向こうから返事があった。女の人の声だった。
チェリは扉の前で背筋を伸ばした。名乗るなら、きちんと名乗ったほうがいい。
「お手紙をいただいて参りました。チェリーチェ・バイフートです」
言い終わるより早く、扉が勢いよく開いた。
「来てくれましたよ、先生!」
飛び出してきたのは、長い金髪を後ろで一つにまとめた若い女性だった。二十歳を少し過ぎたくらいだろうか。目元の柔らかい、優しそうな顔立ちをしている。その顔いっぱいに喜びが溢れていた。
チェリは思わず半歩下がった。後ろでガンマが「うお」と声を漏らし、ナハヤがわずかに身を引いた気配がした。
「本当に来てくださるなんて! 手紙を出したのは昨日でしたよね、まさかこんなに早く――」
「テレス」
部屋の奥から、落ち着いた男の声がした。
「失礼だよ」
女性の肩がぴくりと跳ねた。
奥の机から、一人の男が立ち上がってこちらへ歩いてくる。白髪交じりの短い髪で、背格好はごく普通だった。学者がよく着ている白い長衣を羽織っている。四十を幾つか過ぎたくらいだろう。
男は女性の隣まで来ると、チェリたちに向かって軽く頭を下げた。
「助手が大変失礼をいたしました。どうかお許しください」
語気は少しも荒くない。けれど隣の女性は見る間にしおれていった。
「……失礼いたしました」
小さな声で言って、深く頭を下げる。さっきまでの勢いが嘘のようだった。
「あ、いえ……」
チェリは何と言えばいいのか分からず、曖昧に首を振った。
「どうぞ、お入りください」
男が脇に避けて、部屋の中を示した。
研究室は思ったより広かった。壁際には天井まで届く棚が並び、背表紙の色が褪せた記録の束がぎっしりと詰まっている。窓際の机には書きかけの紙が積み上がり、その傍らに硝子の蓋をかぶせた浅い箱が置かれていた。部屋の中ほどには低い卓と、向かい合わせのソファがある。
タウラはチェリの後に続いて部屋に入ると、扉の脇に立った。
「どうぞ、お掛けください」
促されて、チェリたち三人は並んでソファに腰を下ろした。思ったよりも柔らかく、ガンマの体が少し沈んだ。
女性が部屋の隅の小さな卓で茶の支度を始めた。湯を注ぐ音がして、しばらくすると盆に茶碗を載せて戻ってくる。三人の前に一つずつ、それから向かいの席にもう一つ。茶碗を置く手つきは丁寧だったが、目はちらちらと三人の顔を見ていた。
男は向かいのソファに腰を下ろした。
「改めまして。天授奉明室のミクラ・レンジーです。お手紙を差し上げたのは私です」
ミクラは隣に立つ女性を手で示した。
「こちらは助手のテレス・ピウム。院の三年で、ここで私の仕事を手伝ってもらっています」
「テレス・ピウムです。先ほどは本当に失礼いたしました」
テレスはもう一度頭を下げた。顔を上げた時には、もう目の奥に好奇心が戻ってきていた。
チェリたちも名乗った。チェリの後にナハヤとガンマが続き、三人とも今年入学したばかりで、明日が入学式だと伝えた。ミクラは一人一人の名を聞くたびに、小さく頷いていた。
「入学式の前日に、わざわざありがとうございます」
ミクラは茶碗に手を伸ばさず、膝の上で指を組んだ。
「本題に入る前に、一つ伺ってもよろしいですか」
「はい」
「これから天授について、少し込み入った話をします。天授は本来、軽々しく口にするものではありません」
ミクラの視線が、扉の脇に立つタウラへ向いた。
「護衛の方が同席されても、差し支えありませんか」
チェリはタウラを振り返った。タウラは表情を変えずに立っている。
「大丈夫です。タウラはいつも一緒にいるので」
「分かりました」
ミクラは頷いてから、隣のテレスのほうへちらりと目をやった。
「それから、助手の同席もよろしいでしょうか。席を外させることもできますが」
「大丈夫です」
チェリが答えると、テレスの顔がぱっと明るくなった。隠そうとしているのだろうが、まるで隠せていない。
ミクラは小さく息をついた。全く、と言いたげな顔だった。
「では」
ミクラは改めて三人に向き直った。
「天授というものについては、ご存じですか」
「生まれつき授かる力で、魔法とは違うものだって聞きました」
チェリが答えた。ナハヤが小さく頷き、ガンマは「へえ」という顔をしている。
「その通りです。天授は神から授かる力とされています。ただ、持っている者は少ない。そして持っていても、本人が気づかないままでいることが多いのです」
ミクラの声は穏やかで、よく通った。講義に慣れた人の話し方だった。
「この天授奉明室は、昔から天授の事例を集めて記してきた部署です。私はそこで、天授があるかどうかを確かめる方法を作りました」
「確かめる方法?」
ナハヤが聞き返した。
「特別な加工をした石を使います。天授のある人がそれを握ると、石が反応するのです」
ミクラは指で小さな丸を作ってみせた。
「色が変わったり、光ったり。その出方は人によって様々です。淡く色づくだけの人もいれば、はっきりと光る人もいる」
「人によって違うのか」
ガンマが身を乗り出した。
「ええ。同じ反応は一つとしてありません。似ることはありますが」
「へえ……」
ガンマの目が輝いていた。チェリは横目でそれを見て、少し嫌な予感がした。
「ただし、この方法でどんな力なのかまで詳しく分かるわけではありません。似た性質の天授を持つ人同士だと、反応が似てくることはあります。ですが、それ以上のことは石からは読み取れないのです」
ミクラは三人の顔を順に見た。
「そして、ハリューク様の血を引く方々には、これまで必ず天授が確認されています。まだ表に出ていない方もいらっしゃいますが」
「必ず……」
ナハヤが呟いた。
「ですから、皆さんにもお願いしたいのです。石を握っていただけないでしょうか。私の仕事に、協力していただきたい」
ミクラが目で合図をすると、テレスが部屋の奥の棚へ向かった。戻ってきた時には、小さな木箱を三つ抱えていた。手のひらに載るほどの、蓋つきの箱だった。
テレスは三人の前に一つずつ箱を置いた。
「中に石が入っています。取り出して、手のひらで握ってみてください。少しの間でかまいません」
ミクラが言った。
チェリは目の前の箱を見下ろした。
ヤシャークの言葉が頭をよぎった。近づいたら断れないように誘導される。けれど、ここまで来たのは自分たちの意志だった。
チェリはそっと箱を持ち上げた。思ったよりも軽い。隣でナハヤも同じように箱を手に取り、蓋の継ぎ目を確かめるように眺めている。
その時、ぱかっと乾いた音がした。
ガンマだった。
ガンマはもう蓋を開けていた。中から親指の先ほどの白っぽい石をつまみ出すと、迷いもせずに右手で握り込む。
「こう?」
チェリとナハヤは揃って固まった。
蓋に手をかけたまま、チェリはガンマの横顔を見つめた。ナハヤの口が半分開いている。
何も考えていない。説明を聞いて、面白そうだと思って、それだけで握ったのだ。
向かいのソファでは、ミクラがわずかに身を乗り出していた。テレスは盆を抱えたまま、ガンマの右手から目を離さない。二人とも、止めようとはしなかった。
「……もういい?」
「どうぞ」
ミクラが頷いた。
ガンマが右手を開いた。
手のひらの上の石は、白ではなくなっていた。
夕暮れの空のような、温かい橙色に染まっている。内側から滲み出るように、うっすらと光っていた。
「お」
ガンマが声を漏らした。
ミクラとテレスが、同時に身を乗り出した。ミクラは卓に手をついて石を覗き込み、テレスは盆を抱えたままミクラの肩越しに首を伸ばす。
「ほう……」
「わあ……」
二人の声が重なった。




