ep1 もやしゲッティ
※この物語は、1DKという名の宇宙船で大銀河を生き抜く、一人の女性の等身大スペースオペラである
20時14分。
私はハッチを閉鎖し、外界の喧騒という名の真空から逃れた。
指先一つで点灯するLEDの光は、この1DK型宇宙船のメイン電源がまだ生きていることを示している。
「……ふぅ。ミッション・コンプリート。いや、これからが本番か」
ヒールを脱ぎ捨て、タイトスカートという名の拘束具を解く。
まずは、オーバーヒートした脳を冷却しなければならない。
私はキッチンという名の管制センターへ向かい、重厚なホワイト・ホール(冷蔵庫)の扉に手をかけた。
ブォォォ、と冷気が漏れ出す。
そこは、暗黒の中に数多の物資が浮遊する銀河。
私は迷わず、最上段に鎮座する「青金の円筒(金麦)」を掴み取った。
「燃料、補給開始」
プシュッ――。
静寂を切り裂く、気圧解放の音。
冷えた液体が喉という名のパイプラインを駆け抜け、乾ききった細胞に染み渡る。
これこそが、明日という名の未知の惑星へ辿り着くための、最高純度の高オクタン燃料だ。
だが、安息は長くは続かない。
私の視線は、銀河の深淵(野菜室)に潜む、ある「未確認物体」を捉えていた。
「……あれは、三日前に期限を迎えたモヤシ。第43次食糧危機、勃発か」
私は金麦を片手に更に銀河の深淵を探索する
「……物資の枯渇を確認」
スキャンした冷蔵庫の内部に、豚肉という名の増援部隊は存在しなかった。
あるのは、半額シールという名の勲章を貼られた一袋のモヤシ。そして、戸棚の奥に眠るパスタソース。
「敵(空腹)は強大だが、手持ちの装備で殲滅する。これこそがサバイバルの真髄だ」
私はフライパンという名の重火器をコンロに据えた。
ここで重要なのは、熱量だ。もやしという生物は、弱火という名の妥協を見せれば、たちまち「水分」という名の涙を流して自壊する。
「油、大量投入。加熱……クリティカル・ポイントまで待て」
煙が上がる直前、私はモヤシを戦場に投下した。
バリバリバリッ!
激しい破砕音が狭いキッチンに響く。
高温の油で表面をコーティングし、細胞内に水分を封じ込める。これぞ1DKにおける高度な戦術だ。
パスタソース(ミートソース)を絡め、皿に盛る。
見た目は、それなりに「パスタ」の風貌を保っている。
私は金麦を片手に、一口運んだ。
「…………。」
……うん、普通。
不味くはない。だが、モヤシはどこまで行ってもモヤシだった。
その「ご都合主義ではない現実」を、私は金麦の苦味と共に静かに飲み込んだ。
食後、疲弊した身体を鏡に映す。
そこには、社会という名の戦場で浴びた「ファンデーション」という名の粉塵を纏った、敗残兵のような私がいた。
「デコン(汚染除去)を開始する」
洗面台に立ち、クレンジングオイルという名の溶解剤を顔に塗り込む。
仕事のストレス、愛想笑いの記憶、都会の排気ガス。
すべてが乳化し、排水溝という名のブラックホールへと吸い込まれていく。
シャワーの熱い水流が、重力に逆らっていた肩の力を奪っていく。
ようやく、私は私という個体に戻った。
湯気の中で、私は最後の一手を打つことにした。
冷蔵庫の奥に隠しておいた、二本目の金麦だ。
これを「燃料」と呼ぶのはもう止めよう。これは、今日を生き延びた私への、唯一の「報酬」だ。
「……ミッション終了。おやすみ、私の宇宙」
布団という名の脱出ポッドに滑り込む。
明日また、ハッチを開けて戦場へ向かうための、束の間のワープ航法(眠り)が始まった。
▼今回の作戦費用報告(Mission Expense Report)
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【投入資産】 【コスト】 【備考】
・高オクタン燃料 : 400円 (金麦2缶。細胞冷却用)
・戦略物資 : 30円 (もやし。半額勲章付き)
・化学兵器 : 0円 (期限切れパスタソース)
・特殊溶解剤 : 15円 (メイク落とし。擬態解除用)
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【合計コスト】 : 445円
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【作戦評価】
空腹という名の敵軍を一時的に撃退。
もやしゲッティによる満足度は「普通(Neutral)」
以後、特殊溶解剤やカモフラージュ用のフェイスペイント等にかかる経費は別紙記載とする。
次回の補給作戦に向け、残存資金の再配分が必要である。
アカネハイツ203号の歴史が、また1ページ




