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一対の恋人

 ある日のことだった。マルクは仕事により不在でおらず、ディーネは馬車でチェリカの花園を訪れていた。そこは何度も足を運んだことのある場所であり、フィラルリエット家が経営している馴染みの園だ。

 最初ディーネは誰にも声をかけず、作業に勤しむ乙女たちを眺めていた。彼女達は馥郁ふくいくとした芳香を放つ花弁を籠に摘んでいた。

 

「おお、わざわざお立ち寄りくださったのですか」

「チェスターさん! 精が出ますね」

 花摘みに見入っていたところだったので、声をかけられたディーネは驚いた。花園の主人は微笑み、先程まで彼女が見ていたものを目で追いかけて説明してくれる。

「香水の材料に使うのです。だがチェリカは花の中でも、特に香料を抽出しにくい。あれだけ多く集めても、わずかにもなりません。それに瓶自体も職人の手で丁寧に作られますし、どうしてもチェリカの香水は高価になります。一瓶で立派な家が建てられるほどです」

「……私も一つ購入したいのですけれど」

 こんな高級な買い物は初めてだったが、ディーネは申し出た。尻込みしそうな金額になることは分かったが、マルクから自由に使えと預かっている財産はある。有力貴族の彼と暮らしていると、金銭感覚がどうにもおかしくなるのも事実だ。

 彼女の要望にチェスターは微笑で答えた。

「私共が丹精こめて育てたチェリカの香水を贈り物として選んでいただけるとは、光栄です。それに将軍の奥方になられる女性が使用する品となれば、瓶作りの職人も張りきるでしょう」

「あ、いえ、違います。……マルクのために男性用が欲しいんです」

 小声で否定して、ディーネは顔を赤らめる。

「なるほど。将軍は幸せな御方でございますね」

「完成したら、マルクに内緒でこっそりと取りに伺いますわ。あの人をびっくりさせるつもりです」

 こうして、密かに商談が成立したのだった。


 

 注文した香水は約束どおりに出来あがった。ディーネは自室で、何度めか分からないが品物を確認していた。青い皮製のケースを開けると、白磁に色絵をつけた香水瓶が横たわっている。羽根が飾られた大きな帽子をかぶって微笑む、若い紳士像の瓶だ。紳士はステッキで重心をとり、もう片方の空いた腕は掌を仰向け、横へと伸ばしている。「さあ、こちらを一緒にご覧ください」とでも言うのだろうか。見る者を新しい世界へ誘おうとしているのかもしれない。帽子の部分が蓋となっていて、そこから中の液体をふりかける仕様だ。これを渡した時にマルクがどんな顔をして驚き、どう喜ぶかを想像するだけで楽しかった。

「ディーネ様。そろそろお支度を致しましょうか」

「そうね」

 ケースは机の上に置く。だが支度中ディーネはずっとソワソワして、ケースのほうを見やってしまうのだった。



 時間をかけてカミラに頭から足まで完璧に仕上げてもらい、マルクの部屋へ行く。ところが肝心の彼は留守だと、居合わせた使用人に聞いた。

「えっ。お休みなのに出かけてしまったの?」

「ですが、すぐに戻られるそうです」

「では彼の書斎で待たせてもらうわ」

 応接セットに座って待っていると、しばらくして彼がやってきた。ディーネは緊張で胸がどきどきしてくる。マルクのほうは何か考えているようにディーネを見つめた後で、口を開いた。

「こうやって君が私の家に落ちついて座っているのを見る時、とても幸せを感じるよ。ここにずっといてくれるんだなと実感する」

「マルク……」

 そんな言葉を聞くだけで、もう胸がいっぱいになってしまった。

 

「それで、どうした。この部屋に来る用があったんじゃないか?」

「そう。これを貴方に渡したくて」

 ディーネは皮ケースに赤いリボンを結んだ物を差し出す。彼の手でリボンが解かれ、ケースの蓋が押し上げられると、マルクはハッとした表情で香水を見つめた。

「これは……」

「買ってみたの。気に入ってくれるといいのだけれど」

「……もちろん気に入るさ。磁器製は作るのが難しくて貴重だし、驚いたよ。ありがとう」

 マルクは瓶の蓋を開け、試みに香水を手首に少量つけた。近くにいるディーネにも、香りが伝わってくる。優雅なチェリカを基調として、ラベンダー・白檀などの香料も仄かに感じられた。

「では、今度は私の番だ」

「え?」

 マルクは上着のポケットから赤い皮ケースを取り出し、ディーネの手に置いた。

「ありがとう。私にもくれるのね。いったい何かしら」 

 ケースの中には人型の香水瓶が横わっていた。それは片手を広げた麗しい婦人像で、もう一方の手でドレスをつまんで見せている。

「これ……。あ!」

 ディーネは婦人像と、マルクが持つ紳士像を見比べた。両者は大きさが等しく、材質も一緒で、絵付けも同じ職人の手によると見えた。

「もしかして……」

 テーブルの上に二つをくっつけて並べてみる。すると紳士像の差し出す手の上に、ちょうど婦人の手が置かれた。最初から紳士の視線の先には、――この婦人がいたのだ。ついに二つの香水瓶は、お互いの目を見つめて微笑み合う作品として完成したのだった。 

 もはや言葉にならない。マルクに習って、ディーネも香水の一滴を手首にとってみる。こちらはチェリカ・薔薇、最後にオレンジの花が甘く香った。

「男性用と女性用のものが混じると、また別の香りになるように作られているね」

「匂いがぶつかって、不快感が生まれるということがないわね。主成分を同じ産地のチェリカにしているからかしら」

「そうだな」

「わたし、チェリカがとても好き。以前、貴方に旅行の初めで花園に連れてきてもらった時から、ずっとよ。思い出の花であり、未来も共にありたい花なの。貴方がチェリカ栽培の事業に尽力していることを、そして私もその手伝いが出来ることを……誇りに思うわ」

 マルクの手が伸ばされ、ディーネは抱擁を受ける。

「ありがとう。愛しい君に、そう言ってもらえるのが一番うれしい。それにしても……チェスターには、やられたな。私達はまさか相手が対になる香水瓶を購入しているだなんて、考えもしなかったのだから」

「そうね。でも、……なんて優美な作りかしら」

 嫌な思いは一切しなかった。非常に気持ちのよい騙し方だ。

「こんな香水瓶セットは見たことがないもの。見た人は欲しくなって、きっとチェスターさんのところに注文しにいくでしょうね。中身が空になったら、紳士と婦人は置き物にして一緒に飾ってあげたいわ」

 そう、恋人達を離ればなれにしておくのは可哀想だった。だが、ふだん香水を使用するためには、お互いの部屋にそれぞれ引き取らねばならない。

 ディーネが思いなやんでいると、マルクがニヤリと笑う。


「いい考えがあるよ。使い終わるまでは私達の寝室に飾って、我々だけで見て楽しむことにしよう」

「……まだ結婚もしていないのに」

 気が早い婚約者の発言に、ディーネは熱い両頬に手をやった。

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