旅行⑫
マルクと別れた翌日、依然としてディーネは胸が重苦しく、部屋に閉じこもっていた。
こんなに何もする気が起きない状態は初めてだった。いつもは、どんなに体調が悪くても部屋の外に出ていったのに、気持ち一つで行動が起こせない。
そんな彼女の落ち込みようは、近くにいるメイドを心配させていると気付いていながら、何も出来ないで椅子に座って床を見ていて、時間は過ぎゆく。ディーネは長いこと、戦地へ行ったマルクのことばかりを思っていた。
ところが慌ただしく扉を叩く音が聞こえてきて、静寂が乱される。いつも通りカミラが応対に出たが、メイドは蒼白な顔をして、家老とマーリを連れて戻ってくる。
「大変です、お嬢様!! 執事から早馬の知らせが内密で届きまして、こちらに大奥様が向かっていらっしゃるとのことです。旦那様が不在のうちに、貴女様を『ご領地から絶対に追い出す!』と意気込まれているようで……」
少なからず知らせに衝撃を受けたものの、ディーネの心は自分でも驚く位に平静だった。彼女は、すっと立ち上がる。
「そんなに心配することはないわ、すぐに私が出ていけばいいのでしょう。
皆さん、大変お世話になりました。貴方達がくれたものに対して何も返せないのが心苦しいけれど、それより今は急いで去ったほうがいいみたいですね。ですので、すいませんが今身に着けている物だけは貰って行きます。
カミラ……、これまで親切にしてくれてありがとう。元気でね」
馴染みのメイドに笑いかけ、隣をすり抜けようとすると、動きを止めていたカミラは驚愕したように大声を出した。
「っ、駄目ですよ!! その様なことを旦那様がお許しになるとでもっ?」
「カミラの申すとおりでございます。我々はお嬢様をお守りするよう、旦那様から厳命を受けております。王都のお屋敷に戻られるなら見送り致しますが、何の当てもなく行かれるのは見過ごせません」
と、家老も言う。
「いいえ、大丈夫です。最初から私は単身で何とか生きていくつもりでした。それを将軍が見かねて、お屋敷で面倒を見てくれただけなのです。だから私は、ここを出ても平気です。
でも、一つだけ譲れないことがあります。————私は将軍の帰りを待つと約束しました。だから、あの御方が戦地から戻られた時は必ずお側に参上するでしょう」
ディーネが宣言したところで、タウロスが腕の中に飛び込んでくる。
「お前は、ここにお残り。私と来ても満足な餌にはありつけないわよ」
言い聞かせても、まるで犬は知らない顔を決め込んでいるようだった。
「しょうがないわねえ……。そんなに来たいなら連れて行ってもいいけれど、後で後悔しても遅いのよ?」
ディーネは家老達の制止を振り切り、タウロスだけを抱いて部屋を出る。
「クリス様、お嬢様を引きとめて下さい!! 大奥様がお嬢様を追い出しにいらっしゃる前に出て行かれようとしているのです!」
と、カミラがなりふり構わずに叫ぶ。
「それは……、事を急がないで下さい。どう考えても無謀です、お嬢様」
扉を守っていたクリスも心持ち眉をしかめて反対してくるが、「大丈夫ですから」とかわした。
そのまま強引に城を出ようとするディーネの後を、三人が追いかけてくる。ディーネは速足で歩き、さっさと城館を出て庭を突っ切っていく。
そこまで行くとカミラが自棄になって、言い放った。
「ああもうっ、こうなったら私も付いて参ります!」
「それこそ駄目よ。貴女は、こちらで働く責任があるメイドなのだから」
ディーネの苦言に、マーリは頷いた。
「そうですとも、お嬢様もカミラもここにいて下さい」
「それは無理です。私がいると、貴女達と大奥様との間に亀裂が出来るかもしれません。だからこそ、私は出て行かなければならないのです」
「貴女が行くなら私も共に参ります。お嬢様をお守りすることが私の使命ですから」
クリスも言ってくれるが、ディーネは首を横に振った。
「貴方が守るべきものは他にあるはずです。このお城や民など、沢山」
「仰る通りですが、優先順位は貴女のほうが高い」
「そんなことはありません」
熱くなって言い争っていると、クリスがディーネの後ろに目を向けた。彼女の後ろにそびえ立つ城門が、門番の声で騒がしいのにいち早く気付いたのだ。
「開門!」
重々しい音を立てて、大きな扉が開く。そこにいたのは――馬に跨った王と、二人の身をやつした騎士であった。
「どうして、ここに……」
全員が呆然としている中、思わず呟いてしまったディーネをレオールが一瞥する。
「好意を寄せている女が遠くへ逃げたから追ってきた。その女の安否が気になって、執務が手に付かないんだ。まったく、この忙しいのに手間を掛けさせる」
(へえ……、これほどの美貌を持つ王から逃げる女性もいるんだわ。大方、この男の性格の悪さのせいね。女性が逃げたくなる気持ちも分かる気がする)
「そうでしたか。……では私は急ぎますので」
開門されているのをこれ幸いとディーネは外に出ようとした。が、むんずとレオールに片腕で腰をすくい上げられた。
「きゃあっ!」
「さあ、王城に戻るぞ」
ディーネを馬上に収めると王は二人の騎士に言い、再び馬を走らせようとする。
「へ、陛下! 離して下さい、何故このようなことをなさるのですかっ?」
「わめくな、黙って来い。お前が大人しくしていれば、悪いようにはしないつもりだ」
「困りますっ」
「……お前に拒否権は無い。マルクが戦地へ赴いて不在だから、俺が怪しいお前を見張る番なんだ。言っておくが、俺はお前への警戒を完全に解いたわけではないからな」
「!!」
(私のことより、好きな女性のことはいいの?!)
そう主張したかったが、これ以上彼の機嫌を損ねたら大変なことになりそうな予感がして、ディーネは口を噤んだ。
「陛下。私もご一緒にお連れ下さい。お嬢様をお守りするよう、閣下から申し付けられておりますので」
「良かろう」
クリスの言い分だけは通り、彼も馬を取ってきたところで、
「行くぞ!」
と、言う王の一声に、男達を乗せた四頭の馬が一斉に駆け出す。
「カミラ、また会いましょう!!」
レオール越しに振り返って、ディーネはそれだけ挨拶をするのがやっとであった。




