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アーネム戦記  作者: Tanu1016
第六章 278年の嵐 後編

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第7話 出撃

 11月後半、パドゥーラ。


 リービッヒ軍、再び動く。


 その報せがパドゥーラへ届くや否や、すぐに侯爵府へ回された。


 先の侵攻を退けてから、まだ二か月も経っていない。


 侯爵府の会議室にはアムル、ホウアン、ロック、エヴァンス、ティーエの五人が集まっていた。


 机の上にはチル湖からラレド、さらに南のリービッヒ領へ至る一帯の地図が広げられている。


 ホウアンが報告書へ目を落とした。


「敵兵力、一万五千から二万程度と推測されます」


「また来たか」


 ロックが腕を組んだ。


 先の侵攻軍ほどの規模ではない。


 だが、ホウアンが次に読み上げた名前を聞いた瞬間、その表情が変わった。


「総司令官、モンド=ドゥットゥカース」


「……モンド将軍?」


 ロックが顔を上げる。


 エヴァンスも眉を寄せた。


「復帰したのか」


「そのようです」


 ホウアンは続けた。


「軍師にヴァン」


 アムルの目が、初めて報告書へ向いた。


「先生まで戻ったのか」


「はい」


「なるほどな……」


 短く答え、アムルは再び地図へ視線を落とした。


 モンド。


 ヴァン。


 二人とも、先のパドゥーラ侵攻には加わっていなかった。


 リービッヒ王宮も、さすがに同じ失敗を繰り返すつもりはないということなのだろう。


「ほかに、エル=リージェット。ロビン=ギルフォード」


 その二人については驚きはなかった。


 エルはラレド西部に駐屯している。


 ギルフォードもモンド旗下の有力な実戦指揮官である。


 モンドが軍を起こすなら、いて当然の二人だった。


 ロックが頭を掻いた。


「敵さんのオールスターってとこだな」


「厄介な相手ばかりだ」


 エヴァンスが言う。


 アムルは地図を見ながら呟いた。


「今回は門閥貴族がいない」


 一瞬、誰も答えなかった。


 やがてロックが苦笑する。


「敵失には期待できないな」


「ああ」


 先の侵攻軍には、戦力とは別の弱点があった。


 家格。


 面子。


 功名。


 それぞれの思惑。


 そうしたものが軍の動きを鈍らせ、時には勝手に崩してくれた。


 今度は違う。


 モンドもヴァンも実戦を知っている。


 ギルフォードもそうだ。


 エルについては、いまさら言うまでもない。


 黙って待っていれば敵が失敗してくれる。


 そんな戦いにはならない。


 ホウアンが地図の南側を指した。


「目的は、おそらくラレドです」


 アムルも同じ場所を見る。


「ラレドの奪回といったところか」


「その通りかと」


 戦前、パドゥーラとリービッヒの勢力境界はキルケー川だった。


 その東側にはラレド侯領が広がり、さらにその先にはパドゥーラがある。


 リービッヒが南部との連絡を回復しようとするなら、ラレド西部を押さえる必要があった。


「兵はどれだけ動かせる」


「約一万五千」


 アムルが顔を上げた。


「十分だな」


「都市同盟方面へ兵力を割く必要がありません」


 ホウアンの指が地図の東へ動く。


「セイレン方面は現状、大規模な守備兵力を必要としません。ライプニッツ方面への補充を行っても、一万五千程度なら野戦に出せます」


「ラレドは?」


「パウロ殿を中心に五千ほど」


「合わせて二万か」


「二万強と考えてよろしいかと」


 敵と大きな差はない。


 アムルはしばらく地図を眺めていた。


 チル湖。


 その南岸。


 ラレド。


 そして西から南へ走る街道。


「出るしかないな」


 それだけだった。


 ロックとエヴァンスは顔を見合わせる。


 反対する理由はなかった。


 ここでラレドを失えば、再び敵をパドゥーラの間近まで呼び込むことになる。


「俺とホウアン、ロック、エヴァンスで行く」


「分かった」


「了解だ」


 ホウアンも静かに頷いた。


「承知しました」


 アムルはそれ以上何も言わなかった。


 ◇


 パドゥーラ軍一万五千は、ほどなく南へ向かった。


 ラレドへ入り、そこから西へ。


 キルケー川を境として、リービッヒ軍と向かい合う位置に進出する。


 背後にはチル湖。


 東にはラレド。


 さらにその向こうにはパドゥーラへ続く道がある。


 パドゥーラ軍はチル湖南岸からラレド西方へかけて陣を敷いた。


 アムルの本陣は湖岸寄り。


 そこから前面へ兵を展開する。


 ロック。


 アムル。


 エヴァンス。


 そのさらにラレド側にはパウロの兵がいる。


 合計すれば二万。


 十分に戦える兵力だった。


 問題は相手だった。


 兵の数ではない。


 誰が率いているか。


 その一点が、先の侵攻とはまるで違っていた。


 ◇


 一方。


 キルケー川の西側。


 長らくリービッヒ軍の駐屯地となっていた場所へ、一人の男が到着した。


挿絵(By みてみん)


「モンド様」


 ギルフォードが頭を下げる。


 エルとその副官のケントも出迎えた。


「ああ。待たせたな」


 モンド=ドゥットゥカースは短く答えた。


 派手な帰還ではなかった。


 歓声もない。


 長く軍務から遠ざけられていた男が、当たり前のように軍へ戻ってきただけだった。


 その隣にはヴァンがいる。


「どうぞ天幕の中に」


 ギルフォードの案内に従い、モンドは天幕の中に入る。


 もちろん軍議の席には、エルもいた。


 短くなった銀髪。


 銀の胸当て。


 黒と紅のマント。


 以前の彼女を知る者ほど、その変化には気づいていた。


 だが、誰も口にはしない。


 戦場では、それで困ることがなかったからだ。


 むしろ今のエルは、戦場だけを見れば恐ろしいほど安定していた。


 モンドが席についた。


「兵力は」


「一万八千」


 ギルフォードが答える。


「うち、この駐屯地の守備に最低三千は必要です」


「残り一万五千か」


「はい」


「食料は?」


「三週間分です」


 モンドの指が止まった。


「三週間」


「節約すれば多少は延ばせます。ただし、長期戦は不可能です」


 ヴァンが地図を見た。


「現地で集めるのも難しいだろうね」


「はい」


 ギルフォードが答える。


「この一帯は先の戦乱でかなり疲弊しています」


「王宮は?」


「早期の戦果を求めています」


 モンドは小さく息を吐いた。


「つまり、川を挟んで一か月睨み合うという選択肢はないわけだ」


「そうなるね」


 ヴァンが穏やかに言った。


「向こうは待てる。こちらは待てない」


「ああ」


 地図の上では、キルケー川を挟んで両軍が向かい合っている。


 ここで正面から渡河を試みれば、パドゥーラ軍は当然それを迎え撃つ。


 一万五千もの兵を川の中で晒すことになる。


 モンドが川を指で遡った。


「ここは?」


 ギルフォードが覗き込む。


「浅瀬です。騎兵なら問題なく、歩兵も渡れます」


「道は?」


「軍を通せます」


 モンドは決めた。


「ここから渡る」


 エルが地図へ視線を落とす。


「上流から?」


「ああ」


「正面は避けるのね」


「わざわざアムルの目の前で川に入る必要はない」


 モンドは川の西側に置かれた駒を一つ残した。


「駐屯地には三千」


 そして残りを上流へ動かす。


「一万五千で渡河する」


 渡した駒を、そのまま北へ。


 パドゥーラ軍の南側へ動かした。


「渡ったら北上する」


 ヴァンが頷く。


「アムル君のところまで行くんだね」


「そうだ」


「向こうが退いたら?」


「追う」


「戦ったら?」


「戦う」


 単純な話だった。


 こちらには時間がない。


 ならば戦わざるを得ない場所まで行くしかない。


 モンドが全員を見回した。


「川を盾にして待つ戦はしない。こちらから決着をつけに行く」


 異論は出なかった。


 エルも何も言わない。


 ただ地図の上の一つの駒を見ていた。


 パドゥーラ軍。


 その中央。


 誰がいるかは分かっている。


 ◇


 翌日。


 リービッヒ軍が動いた。


 西岸の駐屯地に三千を残し、一万五千が上流へ向かう。


 浅瀬を渡った。


 最初に騎兵。


 続いて歩兵。


 荷駄。


 次々とキルケー川を越えていく。


 大軍である。


 その動きを隠すことなどできない。


 報せはすぐにパドゥーラ軍へ届いた。


「敵、渡河」


 伝令の報告にアムルが顔を上げた。


「どこだ」


「上流の浅瀬です」


「数は」


「およそ一万五千」


 ホウアンが地図へ駒を置く。


「やはり駐屯地には三千ほど残したようです」


「渡った後は?」


「北上しています」


 アムルは黙ってその駒を見る。


 敵はチル湖の南側へ入ってくる。


 こちらと同じ岸だ。


 川を挟んでの対峙ではなくなる。


「来るか」


 ロックが言った。


「ああ」


 アムルは立ち上がった。


「全軍に警戒を。陣を整える」


 リービッヒ軍は北上を続けた。


 そして、やがて止まった。


 パドゥーラ軍の南。


 互いの斥候が行き交い、遠目にも敵陣の旗が確認できる距離。


 リービッヒ軍はそこに陣を敷いた。


 西寄りにモンド。


 そこからエル、ギルフォードらの部隊が続く。


 対するパドゥーラ軍も陣形を整えた。


 ロック。


 アムル。


 エヴァンス。


 ラレド側にはパウロ。


 そしてその後ろ、チル湖岸寄りに本陣。


 二つの軍勢が、湖の南で向かい合った。


 合わせて三万。


 どちらにも、簡単に崩れる将はいない。


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