第7話 出撃
11月後半、パドゥーラ。
リービッヒ軍、再び動く。
その報せがパドゥーラへ届くや否や、すぐに侯爵府へ回された。
先の侵攻を退けてから、まだ二か月も経っていない。
侯爵府の会議室にはアムル、ホウアン、ロック、エヴァンス、ティーエの五人が集まっていた。
机の上にはチル湖からラレド、さらに南のリービッヒ領へ至る一帯の地図が広げられている。
ホウアンが報告書へ目を落とした。
「敵兵力、一万五千から二万程度と推測されます」
「また来たか」
ロックが腕を組んだ。
先の侵攻軍ほどの規模ではない。
だが、ホウアンが次に読み上げた名前を聞いた瞬間、その表情が変わった。
「総司令官、モンド=ドゥットゥカース」
「……モンド将軍?」
ロックが顔を上げる。
エヴァンスも眉を寄せた。
「復帰したのか」
「そのようです」
ホウアンは続けた。
「軍師にヴァン」
アムルの目が、初めて報告書へ向いた。
「先生まで戻ったのか」
「はい」
「なるほどな……」
短く答え、アムルは再び地図へ視線を落とした。
モンド。
ヴァン。
二人とも、先のパドゥーラ侵攻には加わっていなかった。
リービッヒ王宮も、さすがに同じ失敗を繰り返すつもりはないということなのだろう。
「ほかに、エル=リージェット。ロビン=ギルフォード」
その二人については驚きはなかった。
エルはラレド西部に駐屯している。
ギルフォードもモンド旗下の有力な実戦指揮官である。
モンドが軍を起こすなら、いて当然の二人だった。
ロックが頭を掻いた。
「敵さんのオールスターってとこだな」
「厄介な相手ばかりだ」
エヴァンスが言う。
アムルは地図を見ながら呟いた。
「今回は門閥貴族がいない」
一瞬、誰も答えなかった。
やがてロックが苦笑する。
「敵失には期待できないな」
「ああ」
先の侵攻軍には、戦力とは別の弱点があった。
家格。
面子。
功名。
それぞれの思惑。
そうしたものが軍の動きを鈍らせ、時には勝手に崩してくれた。
今度は違う。
モンドもヴァンも実戦を知っている。
ギルフォードもそうだ。
エルについては、いまさら言うまでもない。
黙って待っていれば敵が失敗してくれる。
そんな戦いにはならない。
ホウアンが地図の南側を指した。
「目的は、おそらくラレドです」
アムルも同じ場所を見る。
「ラレドの奪回といったところか」
「その通りかと」
戦前、パドゥーラとリービッヒの勢力境界はキルケー川だった。
その東側にはラレド侯領が広がり、さらにその先にはパドゥーラがある。
リービッヒが南部との連絡を回復しようとするなら、ラレド西部を押さえる必要があった。
「兵はどれだけ動かせる」
「約一万五千」
アムルが顔を上げた。
「十分だな」
「都市同盟方面へ兵力を割く必要がありません」
ホウアンの指が地図の東へ動く。
「セイレン方面は現状、大規模な守備兵力を必要としません。ライプニッツ方面への補充を行っても、一万五千程度なら野戦に出せます」
「ラレドは?」
「パウロ殿を中心に五千ほど」
「合わせて二万か」
「二万強と考えてよろしいかと」
敵と大きな差はない。
アムルはしばらく地図を眺めていた。
チル湖。
その南岸。
ラレド。
そして西から南へ走る街道。
「出るしかないな」
それだけだった。
ロックとエヴァンスは顔を見合わせる。
反対する理由はなかった。
ここでラレドを失えば、再び敵をパドゥーラの間近まで呼び込むことになる。
「俺とホウアン、ロック、エヴァンスで行く」
「分かった」
「了解だ」
ホウアンも静かに頷いた。
「承知しました」
アムルはそれ以上何も言わなかった。
◇
パドゥーラ軍一万五千は、ほどなく南へ向かった。
ラレドへ入り、そこから西へ。
キルケー川を境として、リービッヒ軍と向かい合う位置に進出する。
背後にはチル湖。
東にはラレド。
さらにその向こうにはパドゥーラへ続く道がある。
パドゥーラ軍はチル湖南岸からラレド西方へかけて陣を敷いた。
アムルの本陣は湖岸寄り。
そこから前面へ兵を展開する。
ロック。
アムル。
エヴァンス。
そのさらにラレド側にはパウロの兵がいる。
合計すれば二万。
十分に戦える兵力だった。
問題は相手だった。
兵の数ではない。
誰が率いているか。
その一点が、先の侵攻とはまるで違っていた。
◇
一方。
キルケー川の西側。
長らくリービッヒ軍の駐屯地となっていた場所へ、一人の男が到着した。
「モンド様」
ギルフォードが頭を下げる。
エルとその副官のケントも出迎えた。
「ああ。待たせたな」
モンド=ドゥットゥカースは短く答えた。
派手な帰還ではなかった。
歓声もない。
長く軍務から遠ざけられていた男が、当たり前のように軍へ戻ってきただけだった。
その隣にはヴァンがいる。
「どうぞ天幕の中に」
ギルフォードの案内に従い、モンドは天幕の中に入る。
もちろん軍議の席には、エルもいた。
短くなった銀髪。
銀の胸当て。
黒と紅のマント。
以前の彼女を知る者ほど、その変化には気づいていた。
だが、誰も口にはしない。
戦場では、それで困ることがなかったからだ。
むしろ今のエルは、戦場だけを見れば恐ろしいほど安定していた。
モンドが席についた。
「兵力は」
「一万八千」
ギルフォードが答える。
「うち、この駐屯地の守備に最低三千は必要です」
「残り一万五千か」
「はい」
「食料は?」
「三週間分です」
モンドの指が止まった。
「三週間」
「節約すれば多少は延ばせます。ただし、長期戦は不可能です」
ヴァンが地図を見た。
「現地で集めるのも難しいだろうね」
「はい」
ギルフォードが答える。
「この一帯は先の戦乱でかなり疲弊しています」
「王宮は?」
「早期の戦果を求めています」
モンドは小さく息を吐いた。
「つまり、川を挟んで一か月睨み合うという選択肢はないわけだ」
「そうなるね」
ヴァンが穏やかに言った。
「向こうは待てる。こちらは待てない」
「ああ」
地図の上では、キルケー川を挟んで両軍が向かい合っている。
ここで正面から渡河を試みれば、パドゥーラ軍は当然それを迎え撃つ。
一万五千もの兵を川の中で晒すことになる。
モンドが川を指で遡った。
「ここは?」
ギルフォードが覗き込む。
「浅瀬です。騎兵なら問題なく、歩兵も渡れます」
「道は?」
「軍を通せます」
モンドは決めた。
「ここから渡る」
エルが地図へ視線を落とす。
「上流から?」
「ああ」
「正面は避けるのね」
「わざわざアムルの目の前で川に入る必要はない」
モンドは川の西側に置かれた駒を一つ残した。
「駐屯地には三千」
そして残りを上流へ動かす。
「一万五千で渡河する」
渡した駒を、そのまま北へ。
パドゥーラ軍の南側へ動かした。
「渡ったら北上する」
ヴァンが頷く。
「アムル君のところまで行くんだね」
「そうだ」
「向こうが退いたら?」
「追う」
「戦ったら?」
「戦う」
単純な話だった。
こちらには時間がない。
ならば戦わざるを得ない場所まで行くしかない。
モンドが全員を見回した。
「川を盾にして待つ戦はしない。こちらから決着をつけに行く」
異論は出なかった。
エルも何も言わない。
ただ地図の上の一つの駒を見ていた。
パドゥーラ軍。
その中央。
誰がいるかは分かっている。
◇
翌日。
リービッヒ軍が動いた。
西岸の駐屯地に三千を残し、一万五千が上流へ向かう。
浅瀬を渡った。
最初に騎兵。
続いて歩兵。
荷駄。
次々とキルケー川を越えていく。
大軍である。
その動きを隠すことなどできない。
報せはすぐにパドゥーラ軍へ届いた。
「敵、渡河」
伝令の報告にアムルが顔を上げた。
「どこだ」
「上流の浅瀬です」
「数は」
「およそ一万五千」
ホウアンが地図へ駒を置く。
「やはり駐屯地には三千ほど残したようです」
「渡った後は?」
「北上しています」
アムルは黙ってその駒を見る。
敵はチル湖の南側へ入ってくる。
こちらと同じ岸だ。
川を挟んでの対峙ではなくなる。
「来るか」
ロックが言った。
「ああ」
アムルは立ち上がった。
「全軍に警戒を。陣を整える」
リービッヒ軍は北上を続けた。
そして、やがて止まった。
パドゥーラ軍の南。
互いの斥候が行き交い、遠目にも敵陣の旗が確認できる距離。
リービッヒ軍はそこに陣を敷いた。
西寄りにモンド。
そこからエル、ギルフォードらの部隊が続く。
対するパドゥーラ軍も陣形を整えた。
ロック。
アムル。
エヴァンス。
ラレド側にはパウロ。
そしてその後ろ、チル湖岸寄りに本陣。
二つの軍勢が、湖の南で向かい合った。
合わせて三万。
どちらにも、簡単に崩れる将はいない。




